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大分紀行(4) 「こしき石(いわ)~京石(安心院町佐田)」

2006-03-31 | 磐座・巨石・霊石
小雨の降るなか別府から一路本日「巨石祭」が開催される安心院の佐田へ。米神山を仰ぎ見ながら前回訪れた時は、薮が高く登山道がわからなくなり途中で断念しやむなく下山となり後ろ髪を引かれる想いで、この地を後にした記憶が蘇ります。こんなに早く再訪出来るとは、思いもよりませんでした。
(前回の訪問の模様は、ここからどうぞ(要PDF))
 会場の佐田京石前に到着すると本日雨天のため会場が急遽公民館に変更になったそうで私たちは、まだ時間に余裕があったので、この先にある「こしき石(いわ)」を見に行きました。前回訪れたときは、水田に水が張ってありそば迄行く事ができなかったのですが今回は、水が引いていたので傍らまで行くことが出来ました。
近くまで行くと以外と大きく高さ160㎝程は、あるでしょうか。先端に置かれた笠石が落ちると暴風雨になる言い伝えから「暴風石」とも呼ばれ地元では、昔から大事にされているようです。斜めに米神山を向いて立つその姿は、まさに陽石そのものの象徴に見えますが、安心院観光協会からご好意で頂戴した昭和57年発行の「安心院の里 ガイドブック(非売品)」には、京石周辺に点在する柱状立石郡は、太古噴煙をあげる由布岳を神と崇めた信仰の対象物だったという説があります。対をなして直立するこの形は「原始鳥居」を現し、また「環状列石の中心部に立てられた柱状石郡の名残り」ともありました。また同書には、興味深い記述があります。

(以下 同書 P63より引用)
『米神山自身が由緒を秘めた山らしく、その山腹にこれらの石と全く同じ巨石がおよそ100余りも林立しているが、これについては古今諸説が多いが(中略)この古跡は「アヴェスタ教祭祀古跡」である。と言われ~(略)一言で言えば、「祖霊祭祀」と「農耕神祭祀」ということであり、“米神の名”は、稲作になって「光は太陽の霊」と敬われるようになった名残りの名と考える』

ゾロアスター教が果たして、日本に持ち込まれたものかどうかは、未だ不明点が多いようです。 新義真言宗の作法やお水取りの時に行われる達陀の行法は、ゾロアスター教の影響を受けているという説もあるようですが、少なくとも中国へは、5世紀頃伝播していた事実はある訳で、国東半島周辺には、大陸からの入居者がたくさんいた背景を考えれば、日本にも持ち込まれていた可能性は十分考えられると思います。

そもそもメンヒルは、天文観測装置の一部、あるいは原始宗教的意義を有する霊境を示すもの、また墳墓の標識として、立てられたものと一般的には考えられていますが、どれもいまだ推測の域を出ておらずここ「佐田の京石」は、貴重な遺物のひとつである事には変わりはありません。(写真:米神山を向くこしき石) つづく


こしき石とサクラさん

先端に置いてある笠石(落ちると暴風になると伝える。手で触るとグラグラ簡単に動いてしまった(^_^;))

佐田の京石(2mを軽く超える高さ。手前の2本は、果たして原始鳥居の遺物なのか?)

反対側にも数多く林立する

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