梅雨の歳時記「あじさい祭り」自宅近くでは、高幡不動の紫陽花が現在見頃との情報から早速出かけてみました。
京王線 高幡不動駅へは、乗換えの通過駅として幾度となく利用はしていましたが、下車したのは意外に初めて。まして、高幡不動尊を訪れるのは今回が二人とも初めて。
自宅から最寄りの聖蹟桜ヶ丘からは、各停で2つめの近さでしたが、初めて散策する参道はどこかの観光地を訪れている感覚で新鮮でした。
境内やあじさいの小径と呼称されている裏山の散策路に咲いている紫陽花の種類は約200種類なんだそうです。
また、全国から集められている約700株のいろいろな山あじさいと、自生している約3300株にも及ぶ山あじさいが圧巻です。
今年は開花が遅くてこれから開花のピークを迎えるようです。
あいにく、小雨模様ではありましたが紫陽花を見るならばやはり小雨模様は絵になります。
今まで見たことがない紫陽花を数多く見ることができて堪能しました。
ホンアジサイ 紫陽花ったらこれでしょうか
カシワバアジサイ こんな形の紫陽花は初めて見ました。葉が柏の葉の形状をしています。
クレナイ 時間が経過すると共にが赤みが増すそうです。
剣の舞
斑入甘茶
舞子アジサイ
ミヤマ八重ムラサキ
ミヤビ十文字
新宮テマリ
七段花(シチダンカ)シーボルトが世界に紹介した”日本の花”なんだそうで、アジサイの中でもレア種なんだそうです。
こんなに真っ赤に咲くアジサイも初めてでした。
高幡不動の境内には、おもしろい史跡があります。以下概略紹介します。
江戸時代後期で大評判となった話があります。その名も「ほどくぼ小僧・勝五郎」の話。
勝五郎は日野と隣接する中野村(現八王子市東中野)に住んでいた8歳の少年。
ところが、「自分はもとは程久保村(現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡(ほうそう)(天然痘)で亡くなった」と言いうではありませんか。
そして、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを詳しく語って聞かせたということです。
この話には平田篤胤や池田冠山などの当代一流の知識人が大きな関心を寄せ、後に小泉八雲が作品の題材に取り上げるなど、様々な記録が残されています。
なんと!リーンカーネーション事件が江戸時代のこの日本でもあって、裏付けも取られている貴重な事例です。
生まれ変わりの話は、海外では耳にしますがまさかこの日本でもあったとは!
与太話としてあまり大きく取り上げられていませんが、興味深い出来ごとです。
クリックして拡大
土方歳三像 毎年イベントが開催されているそうです。日野市は「新撰組のふるさと」と言われています。自分は新撰組にあまり興味が無いのですが、彼の生家が日野市にあったからなんだそうです。そういえば先日税務署のついでに生家跡(記念館)前まで行って来ました。あいにく公開日じゃなかったみたいで入館は叶わなかったのですが。
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土方歳三 生家跡(記念館)この周辺(多摩モノレール線 万願寺)を歩くと土方姓がとても多い事に気づきます。
帰路、チラシを配っていたお姉さんのお勧めで立ち寄った寿司屋で食べた期間限定ランチメニュー「あじさいランチ」¥1.980
さすがに豪華!!これにグレープフルーツのゼリー添えのデザートが付きます。
ここのところ回転寿司しか食べていなかったので、板さんが握るお寿司は最高。十分堪能しました。
京王線 高幡不動駅へは、乗換えの通過駅として幾度となく利用はしていましたが、下車したのは意外に初めて。まして、高幡不動尊を訪れるのは今回が二人とも初めて。
自宅から最寄りの聖蹟桜ヶ丘からは、各停で2つめの近さでしたが、初めて散策する参道はどこかの観光地を訪れている感覚で新鮮でした。
境内やあじさいの小径と呼称されている裏山の散策路に咲いている紫陽花の種類は約200種類なんだそうです。
また、全国から集められている約700株のいろいろな山あじさいと、自生している約3300株にも及ぶ山あじさいが圧巻です。
今年は開花が遅くてこれから開花のピークを迎えるようです。
あいにく、小雨模様ではありましたが紫陽花を見るならばやはり小雨模様は絵になります。
今まで見たことがない紫陽花を数多く見ることができて堪能しました。
ホンアジサイ 紫陽花ったらこれでしょうか
カシワバアジサイ こんな形の紫陽花は初めて見ました。葉が柏の葉の形状をしています。
クレナイ 時間が経過すると共にが赤みが増すそうです。
剣の舞
斑入甘茶
舞子アジサイ
ミヤマ八重ムラサキ
ミヤビ十文字
新宮テマリ
七段花(シチダンカ)シーボルトが世界に紹介した”日本の花”なんだそうで、アジサイの中でもレア種なんだそうです。
こんなに真っ赤に咲くアジサイも初めてでした。
高幡不動の境内には、おもしろい史跡があります。以下概略紹介します。
江戸時代後期で大評判となった話があります。その名も「ほどくぼ小僧・勝五郎」の話。
勝五郎は日野と隣接する中野村(現八王子市東中野)に住んでいた8歳の少年。
ところが、「自分はもとは程久保村(現日野市程久保)の藤蔵という子どもで、6歳の時に疱瘡(ほうそう)(天然痘)で亡くなった」と言いうではありませんか。
そして、あの世に行ってから生まれ変わるまでのことを詳しく語って聞かせたということです。
この話には平田篤胤や池田冠山などの当代一流の知識人が大きな関心を寄せ、後に小泉八雲が作品の題材に取り上げるなど、様々な記録が残されています。
なんと!リーンカーネーション事件が江戸時代のこの日本でもあって、裏付けも取られている貴重な事例です。
生まれ変わりの話は、海外では耳にしますがまさかこの日本でもあったとは!
与太話としてあまり大きく取り上げられていませんが、興味深い出来ごとです。
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土方歳三像 毎年イベントが開催されているそうです。日野市は「新撰組のふるさと」と言われています。自分は新撰組にあまり興味が無いのですが、彼の生家が日野市にあったからなんだそうです。そういえば先日税務署のついでに生家跡(記念館)前まで行って来ました。あいにく公開日じゃなかったみたいで入館は叶わなかったのですが。
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土方歳三 生家跡(記念館)この周辺(多摩モノレール線 万願寺)を歩くと土方姓がとても多い事に気づきます。
帰路、チラシを配っていたお姉さんのお勧めで立ち寄った寿司屋で食べた期間限定ランチメニュー「あじさいランチ」¥1.980
さすがに豪華!!これにグレープフルーツのゼリー添えのデザートが付きます。
ここのところ回転寿司しか食べていなかったので、板さんが握るお寿司は最高。十分堪能しました。
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