今回は、JR上諏訪駅より旧甲州街道を北へ歩くこと10分ほど。児童遊園を併設した住宅街の一画に鎮座しています。
車だと専用駐車場がないため境内の裏手辺りへ路駐となります。
※ 旧甲州街道沿いの児玉石神社へと至る路地(大型車は侵入困難)手前の分岐(湯の脇公民館角)を温泉寺方面へ行った2本目の路地を左折すると児玉石神社の裏手に出ます。境内の北東辺りに広めの未舗装の駐車場がありますので、邪魔にならない辺りに短時間であれば駐車は可能かと思います。(この辺りで停められます。)
旧甲州街道より児玉石神社へと至る路地
神社正面
参道左右に、樹齢250年と伝わるご神木の大杉
拝殿 ご神体は石棒を祀っていると言った情報があります。
祭祀:児玉彦命(こだまひこのみこと)建御名方命の孫・玉屋命(たまやのみこと)別名:玉祖命・豊玉命 玉造部(たまつくりべ)の祖神
由緒:
『根本記抄』に「創立年月は不詳であるが、遠い昔より「下桑原鎮守 大矢小玉石湯之権現」として、原住民の崇敬を集め産土神として祀られていた」とあり、兒玉石神社であろうと考えられる。依って文明十八年以前の創立と伝えられている。
明治十年三月諏訪大社の摂社に加列された。
毎年の例祭斎行の際には、諏訪大社より神官が参向され、幣帛料を捧げて奉仕されることが昔から今に続けられている。弐年寅都市申年の七年目毎には八剱神社の旧社殿を映して当神社の神殿としたり、「千木」を譲与されることが例となっていた。
明治十年三月諏訪大社の摂社に加列された。
毎年の例祭斎行の際には、諏訪大社より神官が参向され、幣帛料を捧げて奉仕されることが昔から今に続けられている。弐年寅都市申年の七年目毎には八剱神社の旧社殿を映して当神社の神殿としたり、「千木」を譲与されることが例となっていた。
神社の境内には、五個の大石があり「諏訪の七石」の一つに数得られている。
拝殿前にある二個の大石は「いぼ石」と呼ばれ神社のシンボルとなっている。
『上諏訪宮神徳記抄」には「神が諏訪湖より大石を取り上げたが袖は濡らさなかった。中に二個の大石があり「兒玉石大明神」と称した」とある。大石には、たくさんの凹部があって常に水をたたえて乾くことがなく、この水で「いぼ」を洗うと、必ず治癒すると言い伝えられている。
拝殿前にある二個の大石は「いぼ石」と呼ばれ神社のシンボルとなっている。
『上諏訪宮神徳記抄」には「神が諏訪湖より大石を取り上げたが袖は濡らさなかった。中に二個の大石があり「兒玉石大明神」と称した」とある。大石には、たくさんの凹部があって常に水をたたえて乾くことがなく、この水で「いぼ」を洗うと、必ず治癒すると言い伝えられている。
鳥居脇には、樹齢二百五十年という「大杉」があり御神木となっており、また、境内には三社の無格社が鎮座している。
(兒玉石神社明細帳より抜粋)平成十六年十月吉日(境内案内板より)
(兒玉石神社明細帳より抜粋)平成十六年十月吉日(境内案内板より)
境内案内板(クリックして拡大)
石段の脇に巨石が左右にデンと坐しています。ここを訪れるのは2度目ですが当初この巨石を「児玉石」だと思っていたのですが、この巨石の名称は「いぼ石」と呼称するそうです。この巨石を諏訪七石の一つとされていますが、境内五つの巨石群を総称して「児玉石」としているようです。
二つの巨石を総称して「いぼ石」といい、石の凹みに水が溜まりその水で「いぼ」を洗うと治るという他でも良く聞く伝承があります。
それらしき凹みが何処にあるのか当日現地では、良くわからなかったのですが撮影した写真を後から見直して見て、これか!と思ったのが…。
頂部にけっこう大きな凹みがありました。探せなかったはずです。
続いて巨石の周囲を巡ってみました。
いぼ石の隣にある巨石
なぜここだけピンポイントでこんな巨石が転がっているのか不思議です。
境内の半分は、児童遊園になっています。
境内に祀られてるお社(祭祀名など不明)
双体道祖神 お互い寄り添っているのが何となく分かります。
それぞれ神名が描かれているのですが「月山大権現・黒山大権現」くらいしか判読不可でした。
こちらは「戸隠大神」とあります。
こちらは、赤い迦楼羅焔が見える所からお不動様でしょうか?
ここも御柱が建てられますが新たな御柱を迎えるため既に撤去されていました。
切られた御柱は、境内の片隅に丸太にして置かれてありました。
【マップ】
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