以前より念願だった下呂温泉に宿泊し、一路ここも以前より訪れてみたかった金山巨石群(岩屋岩蔭遺跡)へと向かいます。
下呂の温泉街より国道256号を西へ。濃尾横断自動車道下呂ICから金山ICで下車し県道86号を北上。
30分ほどで、岩屋岩蔭遺跡に到着です。
周囲は深い谷となっており近くには間瀬川が流れその上流にはダムマニアには有名な岩屋ダムがあります。
岩屋岩蔭遺跡案内図(クリックして拡大)
ここは、縄文早期から江戸時代の遺物が発掘され史跡として登録されています。ここを有名にしたのが平成9年に地元の研究グループが独自の調査により「岩屋岩蔭遺跡及びその周辺の巨石群は古代の天文観測所として使用されていた」と主張されてから全国の巨石マニア愛好家達に一躍脚光を浴びる様になりました。岐阜県や地元下呂市、地元ローカルテレビ局でも大々的に取り上げられ、ミステリースポット、パワースポットとして知る人ぞ知る隠れた穴場スポットとして紹介されるようになりました。
ただ、考古学的には実証されたものでは無く在野の研究グループが主張しているだけであって、その辺りは留意が必要です。
自分がここを初めて知ったのは、五反田で開催された講演会だったと記憶しています。
かなりの規模の巨石群でしたのでそのうち一度訪れてみたいと、思っていた場所でもありました。
参道階段途中にある“銅鳥居”
台輪の部分が独自の形状で興味深いのと銅版を巧みに組み合わせて製作されています。
巨石群が見えて参りました。
妙見神社(岩屋神社)まさしくここは磐座でしょう。
岩屋内部と祠 “妙見”と言えば北斗七星(北極星)ですが、妙見(菩薩)信仰と併せて巨石を祀る神社は、全国各地の妙見神社で見られます。有名どころが以前当ブログでも紹介している大阪の星田妙見宮でした。本殿は無く背後の巨石自体が信仰の対象でした。part4でも紹介した星ヶ見岩も北極星が仰ぎ見る施設だったようです。
ここで言われているような夏至・冬至の太陽の光が岩屋内部に差し込みスポットの当る位置で古代(縄文?)人は時を知ったと言う「天文カレンダー説」には、自分は少々懐疑的です。
神格化された北極星を仰ぎ見て祈る祭祀施設だったことには、疑問はありません。
中央に迫り出している巨石
岩陰遺跡の裏手は、周遊できるようになっています。
周辺は巨石が累々と点在しています。
ここは、夏至の頃の太陽観測が出来るスポットとの事です。
岩と岩の隙間から夏至の時に太陽の光が差し込みスポットとなるそうですが…。だからどうした!?(^^;
こちらは、冬至の頃の太陽が差し込むスポットだそうです。どこでも見られそうですが…。(^^;
この周辺だけ巨石が集まっていることが不思議だと言う人がいるのですが、この近くには間瀬川がありここから30キロほど北東方向には御岳山などあることから、たび重なる大規模な噴火による噴石が岩屋ダムの上流辺りまで飛ばされ大規模な土石流によりこの谷に流れ着いたものとすれば不思議でも何でもありません。
中央の巨石に斜めに刻まれた線刻とその上にある楕円は、巨石に刻まれた夏至の太陽観測の痕跡なのだそうです。なぜここにだけ記録を残したのか?冬至の際の記録はないのか?
こちらは太陽観測シミュレータ再現館です。太陽軌跡の方位と角度を4等分化したポイント観測が出来る施設とのことです。このことを古代人が知っていたとして、では彼らは何が目的としてこの暦を利用していたのだろう?農作物の種蒔きの時期?人の寿命の目安?
エジプト南部の「アブ・シンベル神殿」は、春分の日と秋分の日の明け方から、入り口にある4体の像を順番に太陽光が照らしていきます。
人の死と再生を意味していると言われますが、今でも良くわかっていないのが現状のようです。イギリスのストーンヘンジも同様な説がありますが、では果たしてこの古代より自然に存在していた巨石の配置で同様な例が当てはまるのでしょうか?ちょっと無理があるように思えてしまいます。
☞関連リンク:金山巨石群と太陽暦
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