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PC-8801mkII FR 実機の購入

2014年03月09日 | レトロパソコン
 晴れ

寒い日が続きますね。先週の日曜日、久しぶりに 954RR で湾スカに向かったのですが…
途中、三河安城の辺りで雨に降られ、そのままトンボ帰りしてきました orz

という訳で、今回のネタもPC関連のお話になります。
先週、ヤフーオークションで「新品再生品の PC-8801mkII FR」を落札し、ディスプレイと共に物が届いたので、そのレビューを書いて行きたいと思います。

提供元は PC-88シリーズを新品同様に再生し、ヤフーオークションに出品している、はにはに 様です。
中身の主要コンデンサーの交換は勿論、FDDやキーボードの清掃、更に素人では絶対手が出せない
焼けてしまったプラスチック外装の漂白処理を行い、発売当初に近いコンディションに戻して出品されて
います。詳細は、「はにはにのヴィンテージPC新品再生ブログ」 をご覧ください。

私は昔、初代 PC-8801 と PC-8801mkII FR(mkII FR)所有していたので、特別な思い入れがあります。
また 8bitマシンという括りでは当時 8bit最速を謳っていた SHARP製の MZ-2521 も素晴らしい製品だと
思っています。全部、所有していた…という事もあるのですが…

さすがに初代 PC-8801 はテープ媒体のソフトが主流で、後継の PC-8801mkII SR 以降の機種に美味しい
ところを全部持っていかれたので、もう欲しいとは思いませんが MZ-2521 は今でも欲しいと思っています。

その頃の自分を振り返った記事は以前に投稿済みなので、よければ 過去の日記 を参照してください。

前置きが長くなりましたが、以降、届いてすぐ動作確認した mkII FR の話を中心に書いて行きます。
宅急便で届いた際、30年近く前の機種なのでディスプレイ(CRT)の調子が思わしくないという事象が
あったのですが、はにはにさんが迅速に代替品+αを用意してくださり、今現在、問題なく使えています。

しかし新品再生品の mkII FR を目の当たりにすると、ここまで当時の状態を再現するには、豊富な知識と
労力、何よりその情熱が必要だと素人の私でも直ぐ気付く事ができます。

以下の写真のようにメインPCの27インチ液晶の左横に実機を設置しました。


メインPCで PC-8801 エミュレーター(M88)を同時に起動し、デモディスクを実行してみました。
最新のPC環境と並べても何の違和感も感じません。本当に、この頃のPC-88シリーズのデザインは
大好きです。実はその後、発売されたPC-8801F/Mシリーズにはあまり興味がありません。
PC-88VAシリーズ(PC-88シリーズなのにスプライト機能を持った16bit機)は別ですが…

実機で mkII FR のデモディスクや、ソーサリアンのミュージックディスクを動作させてみたのですが…
エミュとは音がまるで違いますね。ヤマハの音源チップ(FM音源3音+SSG3音)が良い音を奏でます。

エミュは所詮エミュ…動作速度を同じに設定しても実機と少しタイミングがズレるし…
音色も微妙に異なります。新品同様の mkII FR をもう一度この手にする事ができるとは思って
いなかったので、はにはに様には感謝の念が堪えません。
本当にありがとうございました。コレクションとして大切に使わせて頂きます♪♪

と思っていたのですが、ここでトラップ発動 !! …大昔のオリジナルソフトは状態が悪く(酷いものはカビています)そのまま使うと実機のFDDを壊しそうな事に気が付きましたwww

まだPCに5インチFDが使えた頃、エミュ用にディスクイメージのバックアップを取っていたので…悩ましい問題です。それらイメージファイルを現代のPCで甦らすには書き戻すしかなさそうです。PC-88の実機があればできそうなので試してみようと思っています。

以下のアドレスのHPに実機からディスクイメージの吸出し・書き戻し方法が記載されているので
準備を整えています。

 ※上のリンクが切れていたので、同様のサイトのリンクを貼り直しておきました。

今現在、手元に無く必要なパーツは以下の2点です。


上記のHPの内容が古く、上手く行くかどうか分かりませんが試してみる価値はありそうです。

D88形式のディスクイメージを書き戻す方法は成功するとは限らず、勿論自己責任で行いますので
上手く行ったら儲け物というレベルでのチャレンジです。
まぁダメでも根性で何とかしたいと思っています。っていうかしますww

後日その結果をこのブログに追記して行きます。何をしてもダメだったら凹んでいるかも…
簡単に上手く行くと良いなぁと思いながら、パーツが届くのを楽しみに待っています。( *´艸`)ウププ

追記:2014.03.19 18:00

本日の午後、全てのケーブル類が届いたので早速、上のHPに書かれていた方法に従いセッティングを
終えディスクイメージの書き戻しにチャレンジしてみました。


結果、無事に Windows8.1pro 64bit版から RS-232C 経由で mkII FR のFDに書き戻せました。
大昔にオリジナルのディスクイメージを作っておいてホントに良かったです。


こっ…こいつ動くぞ (;゜Д゜)ゴクリ …THEXDER のオープニングが聞けて大満足です。
これから持っていないゲームは中古で仕入れ、ディスクイメージを取って置いたゲームは書き戻して
遊んで行きたいと思います。ヤフーオークションなどで、大量にブランク2DのFDを手に入れなければ…
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PCに触れて30年その5

2010年06月26日 | レトロパソコン

3週連続で週末は雨…バイクに乗れなくてストレス溜まりまくりです
週末は暇なので3ヶ月ぶりに昔のPC 事情を振り返ってみたいと思います。
PCヲタなので意味不明な言葉を連発する かも知れませんがご容赦ください。

今から丁度15年前…初めてNECのPCを捨てDOS/V機(AT互換機)に手を出しました。
Windows95 発売間際に、これからはWindowsの時代だ と思い安価なDOS/V機を探したのですが
高性能なCPU Pentium90/100MHz はCPU単体で10万円以上と高額な上、品薄 で…
DOS/V機でもデスクトップ機は40万円以上 が当たり前の高値の花でした。

メーカー製のPCは絶望的だったので安価なショップブランドのBTOマシンを探しました。
友人と名古屋の大須を歩き回っていると…PCの形 をした帽子を被っているショップの店員さんが
チラシをくれたので何気なく見て みると…Pentium90MHzのデスクトップ機が30万円と書いてあり
余りの安さに釣られて、その店に行ってみる事に…小汚い ビルの狭い階段を昇っていくと
即納品の Pentiuum90MHzモデルが30万円で置いてあった ので即買いしました。

そのショップ名は「マハポーシャ」…後で知ったのですがオウム真理教の直営店でした。
PCが安かった理由は多分、店員が全員信者 で人件費が掛らなかったからだと思います。
PCを購入した3ヶ月後に地下鉄サリン事件 を起こし…数ヵ月後にそのショップは無くなりました。
でも店員は意外と普通 で他のショップの店員より知識に富み色々相談に乗って貰えました。

ただ間合いが悪かったので何だか、お布施をしたみたいで後味は悪かったです。
そのPC は3年間、多少手を加えましたが特に不具合はなく動作し役割を果たし…
最後は有償で友人に引き取られて 行きました。物としては良い品物だったと思います。
スペックは控えてないので、うる覚え ですが当時は最新鋭のPCであった事は間違いないです。

MB  :ASUS製 (型番は失念)
CPU :Pentium 90MHz
MEM :32MB(8MB 72pin simm x 4枚)
VGA :S3(型番は失念)
HDD :4096MB (EIDE接続)
DVD :CD-ROM (EIDE接続)
サウンド:Sound Blaster16
ケース :ミドルタワーAT規格(ATX規格の前身)

当時は32MBものメモリー何に使うのだろうと思っていたのですが(笑)…今は12GBですからねぇ
高速 な機器を接続する PCI の規格も、この頃から本格的に適用されるようになり…
このマザーは PCI と ISA(AT互換)バスを搭載しており、その時代の最先端 を行っていました。

後、標準でキーボード用AT端子、パラレルとシリアルポート(2個)が搭載されていましたが…
その他の機能は何もありません でした。
HDDを接続する EIDEコネクタも無く ISAバスに接続する拡張カード で提供されており
まだ PS/2 の規格が無かった のでマウスはシリアルポートにつないで使っていました。
今から見ると化石ですねぇ。シリアルポートにつなぐマウスなんて今、売っていませんよね
昨今のPC は PS/2 端子さえ無くなり USB 端子に変わりつつありますから…

それに加えこのPCのCPU(Pentium90MHz)はバグありの初期ロットでした。
特定の乗算で計算間違い をするという珍品でした。EXCEL で不具合を確認したので…
リコールで intel に送り返し正常動作品と交換して貰いました。この事件 は結構有名です。

今思えば、バグありのCPUをコレクションとして取っておいた方が良かったかも…
その時はPentiumは高価だったため新品に交換して貰う事しか考えていませんでした
セラミック でできたCPU…今となっては希少ですよね。勿体なかったなぁ

その後 Windows95 が深夜発売され、そのお祭り騒ぎに友人と一緒に大須まで駆けつけました。
多くの人が集まり凄いイベント になっていました。当然その場で Windows95 をゲットし…
スタートボタンのネクタイピンや Windows95 のプリントされたジュース缶 などを貰いました。
それらは無くしてしまいましたが 今となっては良い思い出です。

その後、ソフトと共にハードが劇的に飛躍していったため自分もPCの自作に目覚め…
PCは規格を十分に把握し自分でパーツを交換して行くものと思うようになりました

と今回のお話はここまでにして次回以降に取って置きたいと思います。

<追記>
 ここは趣味のブログです。誤解を招くため暗い過去の記事などを整理し非公開にしました。 
 それは心無い私自信を比喩するようなコメントが書き込まれるようになったためです。
 今後そのようなコメントが書き込まれた場合、見つけ次第即削除しますので、ご了承ください。
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PCに触れて30年その4

2010年03月24日 | レトロパソコン

暖かくなってきたなと思っていたら、また寒くなって…しかも雨々…
調子が悪く鬱々 とした日々が続いていたので更新を怠っていました。
この時期を乗り越えれば調子良くなる と思うのですが…まだ少し先みたいですね。
鞍が開通するまでの間の辛抱 です。後1週間位かなぁ…ホント待ち遠しいです。

『PCに触れて30年その4』…では専門学校を卒業して就職した後(20年前以降)の
PCについて書いて いきたいと思います。その前にその頃のコンピュータ事情を…

就職した会社は三菱電機系列のIT企業で、担当に就いたのはオフコン事業部でした。
その頃、会社 は汎用機(大型コンピュータ)、オフコン(小型の汎用コンピュータ)…
ワークステーション(UNIX etc)、パソコン部門の縦割り で事業部が分かれていました。

ちなみに小型の汎用コンピュータに『オフコン』と名付けたのは三菱電機です。
オフコンのベースはUNIXでデータベースは汎用機と同等 の物が搭載されていました。
言語は主に 三菱電機製言語PⅡ(ProgressⅡ) とCOBOLを使用していました。

自分も最初はプログラマーからで…先輩(SE)の書いた仕様書を貰いプログラミングしてました。
プログラムを組むのは面白く夢中になってやっていました。その甲斐 あってか…
新人であったのにPⅡで4,000ステップ を超える巨大なプログラムを任されることもありました。
PⅡでは1,000ステップ以上になると大きなプログラムと言われていたので、これは超巨大 です。
製作期間は約3週間ホント苦労しました。それでいて不具合は一切無し 大成功です

オフコンのプログラムは汎用機と同様…専用端末から入力しサーバーでコンパイルして実行する
仕組みになっています。従ってプログラマーの机にはPC でなく専用端末が置かれていました。
この頃、PCは仕様書を書く ためだけに上司と各グループに1台用意されていました。

最初は触る機会は少なかったのですが…入社2年目から下位のSEとして仕様書を書く事になり
これからPCは必須になると思い自宅に PC-9801BX/U2 を導入 しました。
その頃は、まだNEC全盛期でしたので最新で最安値のNEC製PC という理由で決めました。



会社と同じ環境で仕様書を書くのであれば三菱電機製のMAXYシリーズ(AX規格機)を
購入しなければいけなかったのですが…高いのに他に使い道がなかったのでパス
この頃ですね、コンパックが格安でDOS/V(PC/AT互換)機 を出してきたのが…
お陰で廉価版のPC-9801シリーズが20万円を切り購入に踏み切る事ができました
スペック は以下の通りです。もうこの時代のPCは完全に 32bit へ移行していました。

CPU:i486SX(20MHz)
MEM:1.6MB
FDD:3.5inch2HDx2機
VGA:640x400x16色x2画面

仕事で仕様書を書くのはMAXYのワープロソフト『A1markⅢ』を使っていたので…
Windowsが主流になるまでPC-9801BX/U2で仕様書を書く事はありませんでした

まぁPCをワープロ以外にMS-DOSとC言語勉強用に購入したので問題ありませんでした。
そしてMS-DOSのコマンドに慣れC言語を勉強 しよう思った丁度その時…
Windows3.1に出会ってしまいました これがなければ今頃どうなっていたか分かりません。

GUIで操作するOSの魅力に取り付かれ…結果C言語は勉強せず う~ん
PC-9801BX/U2でWindows3.1を動作させる仕様にカスタム その結果以下の仕様に…

CPU:i486DX2(40MHz) ※ODPを追加搭載
MEM:14.6MB ※メモリを極限まで装備
FDD:3.5inch2HDx2機
VGA:1024x768x65536色 ※I-O DATA GA-1024AL を実装
HDD:240MB  ※SCSI接続
DVD:CD-ROM ※SCSI接続
サウンド:FM6音+SSG3音+リズム6音+PCM音源 ※NEC PC-9801-86 を実装

かなり追加投資しました。お陰でWindows3.1を快適に動作させる事ができるようになりました。
その他、各メーカーも一斉にWindowsを採用するためハード はDOS/V機が主流になり
三菱電機もMAXYを捨てapricot(DOS/V機)シリーズを発表 …流れは完全にWidowsに…
ワープロソフトもA1forWindowsが開発され自宅でも仕様書が書ける ようになりました。

MacintoshX68000PC-100など色々とGUIで動作するOSを見てきましたが…
試しに導入したWindows3.1がここまで普及するとは思いませんでした。正直びっくり です。
コンパックショック と日本語対応版Windows3.1の発表されたタイミングが良かったのですねぇ
同時期にジャストシステムからGUIのOS、ジャストウィンドウが発売されましたが
Windowsに比べ貧弱で使い物になりませんでした。期待していたのですが残念 です。

14インチCRTで640x400x16色の解像度で満足していたのですが…Windows3.1を導入する事により
15インチCRTで超高解像度 1024x768x65536色の表示が可能になり、標準で簡易ソフトを
同梱してたのでペイント やメモ帳などが使えるようになったのはありがたかったです。
65536色の機能を生かし一生懸命 マウスを使用しペイントで絵を描いた覚えがあります。

しかし実はWindows3.1は良い事ばかりでは無かったのです。
OSは16bit…16MB以上のメモリ空間を使用できず MS-DOSの拡張製品であったため
別途MS-DOS(PC-DOS)を購入する必要があり MS-DOS上のアプリのような存在でした。
また複数のタスクを同時実行できるマルチタスクが可能 なことが利点でしたが…
ノンプリエンプティブなマルチタスクであったため、1つのプログラムがCPUを占有してしまい
他のプログラムが止まってしまう 事がありました。不完全なマルチタスクです。
従って1つのアプリが暴走 するとシステム全体を巻き込んでフリーズしてしまいました。

プログラムを作る際には適度にタスクを開放する命令を呼ぶ必要がありました。
プリエンプティブなマルチタスク に対応するにはWindows95・WindowsNT3.5発表以降まで
待たなければなりませんでした。 Windows3.1発売からほぼ5年後ですね…

Windows3.1の時代からWindowsを使用しないPC-9801シリーズのゲームはエロゲーが増え…
DOS/V機は3Dなどのコア な洋物ゲームが多数輸入され用途によって分かれて行きました。
Windows3.1はまだDirectX(2D/3D)の規格がはっきり定義されておらず大したゲームは無く
ビジネス専用機 でした。プログラムにはVisualBasic2.0が多く使われていました。
その他にC++があったのですが…勉強しなかった ので自分はC++でプログラムは組めません。

ワープロソフトは一太郎forWindows が主流で表計算ソフトは何ソレって感じでした。
実際、表計算ソフトはLotus1-2-3が主流 だったようですが…当時使う事はありませんでした。
ワープロソフトも三菱電機系列の会社 に勤めていた事もあって一太郎を使う事は無く…
A1forWindows ばかり使っていました。今は使っていませんが…未だにFDDで持ってます

次回は初のDOS/V(PC/AT互換)機の購入について書いて行きたいと思います。
長文でマニアックなお話なのに、ここまで読んで頂きありがとうございました。
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PCに触れて30年…番外編2

2010年03月10日 | レトロパソコン
のち
今回は番外編として近日中に発表される Core i7-X980 について語りたいと思います。
最新のCPU(Core i7-X980)は6コア12スレッド になり3.33GHzで動作する見込みです。
オーバードライブ機能も有効なようで最大3.6GHz以上での動作が期待されます

12スレッドを分かり易く説明すると1つのチップ(LSI)に電子頭脳が12個搭載されていて…
同時に12個の演算(処理)を行える という事になります。
実際には6物理コア(6個のCPU)でHT(ハイパースレッドテクノロジー)機能 により…
論理的に2倍の12個の処理に対応しています。まるで一昔前のサーバーの基板です

12MBのL3共有キャッシュを搭載していてCPUのトランジスタ数は11億7,000万…だそうです。
今まで8bit機でZ80Aを取り上げて話をしてきましたが…そのトランジスタ数は8,200個
Core i7-X980はL3共有キャッシュが12MBとかなり大きいのでチップのダイを見て
演算部をCPU全体の5分の3と考え計算すると演算部のみで8億4,000万トランジスタ となり
Z80Aのおよそ10万倍 の演算回路を持っていることになります。
動作周波数もZ80Aでは4MHzだったのに対しCore i7-X980では3.6GHz…およそ900倍に

x86シリーズのCPUはPentium proから動作周波数を上げるためにコアの内部ロジックが
RISC に変わり CISC で命令を受け取ってから多数のRISC命令に変換する再に無駄
発生してしまったり、マルチコア化されている事でトランジスタ数は増え ましたが…
全てのコアによる効率良い処理が行われないなど、問題 を抱えてしまいました。

それでもあえて単純計算して…10万倍の演算回路に900倍のクロックを掛けてると…
Core i7-X980はZ80Aの9億倍 の処理能力を持つと言う事になります。
これは机上 の計算のため、上記に書いた理由で実際そこまでの差は出ていません。

またCPUが速過ぎるため各チップ間(CPU、メモリなど)に速度差が出ており…
同期を取るためにウェイト(タイミングを合わせるための待ち時間)が入っている ため
昔の8bitのPC と最新の64bitのPCとは単純に速度の比較はできません。
(Z80Aは4MHzと周波数が非常に遅かった のでメモリアクセスはノーウェイトだった)

それでも8bit機の時代は画像の描画もCPU任せだったのに今はGPUが代行していて
最新のGPGPUは1TFlops を軽く超えてるため(値段はそれなりにしますが…)
こん日のハイエンドPCは10年前のスーパーコンピュータ以上の処理能力を持っている
と言っても過言では無いのでしょうか 凄い…凄すぎる Core i7-X980欲しいなぁ

スーパーコンピューターはワンフロア全て電子機器で埋め尽くされ冷房完備でないと
いけなかったものが…この10年でPC サイズ収まったという事は驚くべき事です。

では何故、速くなったと思えないか…これは遅くなるとイライラして気付くのですが…
段階的にに速く なっていく分にはその速さに慣れてしまい、あまり速さを感じなくなる…
という事があると思います。これは人間の感覚的な問題 だと思います。
新しいPCを買った時、最初は速くなった なと思っても直ぐに慣れてしまうのが証拠です。

後ソフトウェア側にも問題があります。コンパイラのマルチスレッド化への対応が遅れていて…
1つのアプリで1スレッドしか使わない物が多く(特に昔のアプリ…ゲーム なども含みます)
コア数が増えてもCPUを効率的に使用出来ていない せいもあります。

またソフトがハードの高速化 に甘えて重たくなって来ている事も上げられます。
いかにプログラムを短く速く動作させるかを追求したプログラミングは衰退 し…
少々重くても分かり易い 構造化プログラミングに移行したのも一つの原因です。
それに無駄の多いアプリケーションが多過ぎ です。いらないアニメーション動作や…
何でもブラウザでやらせようとしてフラッシュなどが肥大化 しているのも一つの原因です。

我が家の母艦(PC)はCore i7-920を搭載しているので十分速い と思うのですが…
普段の作業(ネサフ・ブログの更新・音楽/動画鑑賞など)では殆どパワーを使っておらず
CPU負荷率が10%を超える事はあまり無いので…速い と感じる事もありません。
動画のエンコードをしたり負荷の高いゲームを実行した際は流石に速いな と感じます。

最後に今回の新CPUの発表ですが嬉しい事にCore i7-X980はX58チップセット対応で…
LGA1366のソケットがそのまま使える ため自宅の母艦(PC)にも搭載できそうです。
ただし初値は10万円を越える と思うので廉価版が出るまでお預けですね。
また32nmプロセスになった事によりマザーボードのBIOSの書き換えが必要 になるので
ベンダーの対応も待たなくてはいけません MSI…対応BIOS出してくれるかなぁ

これだけPCの世界が急激に変わってくると今後、未来のPCを思い描けませんね。
自分が生きている間PCや電化製品がどのように進化していくか一傍観者 として
楽しみに見て行きたいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました
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PCに触れて30年その3

2010年03月06日 | レトロパソコン
ときどき
最近、土曜・日曜は雨ばかりですね…バイクネタが無いのでPCネタ第3弾行きます
高校2年の終わり頃…PC-8801mkIIFRの遅さに嫌気がさしてきました
とにかく PAINT命令が遅すぎる…SRになって改善されたとはいえ…気に入らない

その時に月間マイコンの物々交換の投稿でMZ-2521とPC-8801mkIISRを交換して欲しい…
との記事を見つけ相手先と連絡を取り付属品一式を含め等価で交換して頂く事になりました

MZ-2500シリーズは不人気機種でしたが間違いなく8bit最高の名機でした。
もうPCでゲームはいらない と思い機能優先で選択しました。ゲームはFCが出てましたしね…
本当はPC-9801VM2が欲しかったのですが…本体のみで40万円越えと高過ぎる ため
とても買える金額では無かったので最速8bit機 と言う理由でMZ-2521にする事にしました。

 画像をクリックするとデモがニコニコ動画で見られます。

MZ-2521は以降にV2モデルが発売されたため、それと同じ仕様にハードをアップグレードしました。
下記がそのスペック になります。FRで採用されていたCPU Z80A(4MHz)がZ80B(6MHz)になり…
CPUのクロックだけ見ても1.5倍に…メモリも64KBから256KBに4倍にアップしています
そして画面もFRでは640x400では白黒だった のが640x400で16色のカラーに
解像度を落とせば256色の画面を2画面 持たせる事ができました。

CPU:Z80B(6MHz)
MEM:256KB
FDD:3.5inch2DDx2機
VRAM:128KB(640x400x16色:320x200x256色x2画面)
サウンド:FM音源8オクターブ3重和音+SSG8オクターブ3重和音

当時の通称はSuperMZ…まさにシャープの力作です。
後に電波新聞社から出たゲーム 『XEVIOUS』 でハードの良さが注目 されました。
8bit機の中では最速 の描画速度にハードウェアスクロール(縦のみ)を搭載…
スプライト機能が無いのにちゃんとXEVIOUSとして動いていました これは凄い事です。

当時、他のPCにもXEVIOUSは多く移植されましたが…MZ-2500に敵う機種はいませんでした。
他に『レイドック』というアクションゲームが発売され1ドッド単位での動作 で有名になりました。
ただ2年後にX68000が出て…その圧倒的なパフォーマンスにMZ-2500は影を潜めてしまいました
流石に16bit機には敵わないません。まぁ値段も倍 くらいしていましたからねぇ…

でもMZ-2500は面白かったです。BASIC言語を使って自分で書いたゲームもそれなりに動いたし…
アクションゲームを作ってみたのですが…PC-8801mkIIFRでは遅過ぎて絶対に無理 だったので
ハードの優秀さを思い知らされました 他の8bit機ではゲームは機械語で書かないと…
まともに動きませんでしたから…インタプリタ言語のBASICでそれができるなんて素晴らし過ぎる

その後、情報処理の専門学校に進みMZ-2500を1年程使用しました。
FORTRAN言語を勉強するためにCP/M(OS)を購入しOSと言語の概念を理解しました
8bit機にはMS-DOSは無く …その前身であるCP/Mが一般的に利用されていました。
そして今は無き 国家資格(第二種情報処理技術者)にFORTRANを選択して受験し…
見事合格 する事ができました。今で言うところの基本情報処理技術者にあたります。

専門学校に入って情報処理技術者の試験に合格してから…暫くPCから遠ざかりました。
3年間専門学校に通いIT関連の会社に就職するまでの間は…毎日麻雀してましたね
かなり麻雀をやり込んだお陰で強くなりましたが…何の自慢にもなりませんね

あっ後、バイクに目覚めたのもその頃です。γ50→VT250F→NSR80に乗ってました。
一番面白かったのはNSR80ですね。2st最高 80ccで120km/h出るなんて…

その後PCを使うようになるのは働きだしてからの事になりますが…
その話は次回にとって置きたいと思います。ここまでの長文読んで頂きありがとうございました
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PCに触れて30年…番外編1

2010年02月25日 | レトロパソコン
ときどき
ネサフしていたら…とても懐かしい番組を発見しました
当時のPCの状況を知って貰いたいと思い番外編 と云うことでブログをアップする事にしました。
知る人ぞ知る…『パソコンサンデー』…って誰も知らないか

およそ25年前にSHARPがスポンサーになっていたパソコン番組です。
その頃一番はまっていた『ザナドゥ』の特集 をやっていたのでアップします。



ニコニコ動画なので携帯や会員になっていない人は見られませんので悪しからず…
『ザナドゥ』の画像をクリックするとニコニコ動画にジャンプ するので良ければ見てください。
当時、小倉さんが司会をしていたのですね…後、Dr.パソコン宮永好道先生…懐かし過ぎる

今のPS2以降のゲームしか見ていない人…25年前はこんなにショボかったのですよ。
それでも熱い時代だったなぁ…私も『ザナドゥ』をコンプリートするのに徹夜しましたから
でも出演している少年たち …かなりヲタクっぽいな。自分も同じだったのかなぁ…

ちなみに、この時代の優秀だったソフトはROMをファイル化して所有しており…
Windows7上でPC-8801mkIISRのエミュレーターでプレイできるようにしています
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PCに触れて30年その2

2010年02月21日 | レトロパソコン
晴れ
前回の記事は一部の人には好評だったようですね。ではその第2弾に行きたいと思います
パーソナルコンピュータ という用語はPC-8001が発売された時にNECが付けた名称です。
今ではその略語…パソコン(PC)と訳され一般化 しましたが…
私たちの時代 は主にマイクロコンピュータ(マイコン)と呼んでいました。

そしてPC-8801が出て1年後に16Bit機のPC-9801(後の国民機)が発表されました。
ただBASICは互換性があったのですがCPUが別物であったため機械語を使うソフトは全滅
以後ホビー用途にPC-88シリーズ…業務用 にPC-98シリーズと棲み分けされました。

PC-88シリーズはPC-8801→PC-8801mkII→PC-8801mkIISRと進化をとげ…
漢字ROMを標準搭載し遅かったグラフィックはALU機能を拡張する事により高速化
5inch2Dx2機のFDDを搭載しFM音源3音・SSGで3音を同時に出せるようになりました

特にFDDが内蔵された意義は大きかったです。
PC-8801が発売された当初、5ich2Dx2機の外付けFDDは20万円以上 していたので…
一般的にはデータレコーダを使いカセットテープ に記録するのが当たり前でした。

ただしPC-8801mkIISRは本体のみで25万円以上していて、とても買えなかったので…
高校に入ってバイトをしてお金を貯めるまでPC-8801を頑張て 使っていました。
バイトである程度お金が溜まった頃にPC-8801mkIISRの廉価版PC-8801mkIIFRが発売されたので
速攻で購入しました SRとの違いは拡張スロットが減らされた程度で価格は17万円程に…

その頃から急激にアプリが増えカセットテープからも解放され天国のような環境になりました。
FDD素敵過ぎる …N88-BASICも拡張されN88-日本語BASICになり…
BASICから漢字を扱えるようになりました。これは何故かFRからです。SRにはありませんでした
その前は漢字コードを入力して漢字を呼び出していました。これでは使い物にならないです

その頃ですね。むらっしさんとお会いしたのは…むらっしさんはSRを持っていたので…
色々と情報交換をして、二人でよく大須に買い物に行きました。勿論自転車で
この頃の大須はPC天国 で色々なパーツやソフトを手に入れる事ができました。
九十九電機名古屋本店は今でも健在で嬉しい限りです。その他は変わってしまいましたが

そして高校で顧問の先生を確保してパソコン部を立ち上げ私が初代部長に就きました。
でも私自身は体育会系で柔道部部員でもありました。そして何故か天文部にも属していました

その頃には高校にはまだPCは無かったので私のお古のPC-8801を持ち込み…
友人にFDDとディスプレイ を提供して貰い茶道部の部室を借り活動していました。

巷ではRPGゲームが大流行りしていて私もどっぷりハマっていました。
『ザナドゥ』・『イースI・II』・『ハイドライドI・II・III』と面白い ソフトが続々と発売され…
とくに『ザナドゥ』にハマリ攻略本を買って全十面 をコンプリートしました。

PC-98シリーズもPC-9801F・Mから本格的に売れ出し持っている友人宅で指をくわえて見てました。
その友人宅で初めてHDDを見せて貰い凄い時代になったものだなぁ…と感心させられました
また、そこでOS(MS-DOS)という概念を初めて知りました ほぅ~
今までは起動すると勝手にBASICが立ち上がりましたから…それが当たり前だと思っていました

今思うと…N88-BASICの時代からずっとマイクロソフトに洗脳されてきていたのですね。
N-BASICとN88-BASICは、あのビルゲイツ がコーティングしていたという噂が…
まぁ彼もプログラマー上がりですからね…今は雲の上の人になってしまいましたが

と今回のお話はここまで…次回は8Bit最高の名機MZ-2521を紹介したいと思います。
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PCに触れて30年その1

2010年02月19日 | レトロパソコン
ときどき
ようやく風邪が治りました。ホントしんどい1週間でした
今回から暫くPCヲタクな話をしますので意味不明な用語を連発するかもしれません
なるべく分かり易く記述しますが…それでも分からなかったらググッてください

私が初めてPCに触れたのは小学6年の時…友人が購入したNEC製のPC-6001です。
それがなかったら PCのインストラクターやSEにはなっていなかったでしょう。
丁度ゲーセンができ始めた頃ですね。友人がPCでゲームをするのを見てスゲー と思いました。
しかもそのゲームは買ってきたものでは無く雑誌に載っていたプログラムを打ち込んだとの事

私も凄く欲しくなり、かなり無理を言って中学入学祝いにPC-8801を買って貰いました。
高解像度ディスプレイとデータレコーダのセットで50万円 程した事を覚えています。

仕様は以下の通りです。
CPU…Z80A (8bit 4MHzトランジスター数8,200個)
MEM…64KB
漢字ROM…無し
音源 …ビープ音のみ
CRT…高解像度ディスプレイ(640x400dpi)
FDD…無し 代わりにデータレコーダ(最高1200bps)

これに搭載されているN88-Basicの参考書を買いひたすら勉強しました。
自分の思いのままに動くPC…とても楽しかった です。
後に友人が5inch2Dx2機搭載のFDDとPC-8801を買いFDDの速さに驚かされました

当時PCはヲタクの持ち物だったので持っている友人は少なく情報は雑誌に頼っていました。
月刊マイコン(廃刊)やASCII等を買い投稿されているプログラムをひたすら 打ち込みました。
BASICは覚えたのですが…いかんせん処理能力が遅い のでこれでまともなゲームを作るには…
アセンブラと機械語を覚える必要があり…中学生の身には少し難し過ぎました

しかもデータの保存は…カセットテープ…読み書きするのに毎回十数分待たされました。
リードエラーが起こると最初から読み直し …まぁ当時はそれが当たり前でしたから
気にならなかったのですが…今なら発狂 してますね絶対に…
1回だけ雑誌にソノシート が付いていました。今だとCD-ROMにあたります。
それをレコードからカセットにダビングしてPCに読み込ませました。時代を感じさせるなぁ
ただ読み込めないとの報告が多くこの実験は行われなくなりました

その頃は8bit機が普及していて他社の製品だとMSX、MZ-2000、X1、FM7etcがありました。
殆どのPCがZ80Aを搭載していました。8Bit機は64KBのメモリ空間しか扱えなかったので
PC-8801はBiosとBasic、グラフィックRAM等を差し引くと30KB程度 しか使えないところ…
メモリのページング処理を行い論理的に64KBのメモリを使えるようにしていました。

またグラフィックRAMも640x200x3枚(R,G,Bで8色)と大きな容量を使用するので…
各ページをバンク切り替えをして使っていました。お陰でグラフィックが凄く遅かったです はぁ~

それでもプログラム次第で立派にゲームとして動く物が多く『ドア・ドア』や『テグザー』は名作です。
当時はどうやったら速く動き 容量をくわないプログラムを書くかを研究していました。
従ってプログラムはおのずとトリッキー な構造になり…
作者でないと何をしているか分からない物が多々ありました。まさに職人芸です

当然、容量や速度を気にせず分かり易い構造化プログラミングなんて考えは無く…
如何に短く速く動くかを競うようにプログラミングしていました。
今のプログラマーは余りあるCPUパワー と壮大なメモリ空間 が与えられているので
この苦労は分からないと思います。後で自分で見ても訳の分からないプログラムもありました

この続きは次回以降に書いて行きたいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。
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