閉伊川水門問題で市議会が容認という報道が本日なされた。全員が容認したわけではないが、制度上そういう結果になってしまったその経緯について、私なりの見方と所感も含めて報告します。
4月臨時議会は24、25日の2日間開催された。議案審議のほか、25日には宮古市復興対策特別委員会の「被災者の住居対策」「津波防災対策」におけるこれまでの調査結果が報告された。
その中で、県が突然決定した閉伊川水門整備に関しては、その是非について委員会ではこの間、慎重に議論を重ねてきた。(私は委員会に所属していない)
まず水門問題の経過だが、ご承知のように水門は県事業によるもので市議会としてはその決定権が全くない。そうした制度の中で、県が一方的に宮古市民に相談することもなく事業化を決定したことが発端である。
私もこのことを知ったのは新聞紙上でのことだった。(1月13日付)
市民のコンセンサスも得ないままの決定に、市議会としても何らかの手を打たねばならなかった。
1月31日、岩手県は市議会の要請を受け市民も傍聴しての全員協議会の中で説明を行った。さらに2月12日には市民説明会を開催したが、水門案に不安を抱えている市民の声は大きかった。説明会では、市民からは事業決定した市長にも批判が向けられた。市長は「決定したことだから」と、見直しを迫る市民の声を受け入れることはなかった。県においては事業に対する市民への説明は「市民の代表である宮古市役所と行った」と、当時の河川課長は堂々と言い切った。さらには「県が水門と決めた訳ではない、市が水門でやりたいとのことだから」との、責任転嫁ともとれる発言をした。
こうした説明にもちろん誰もが納得できるものではなかった。市議会では3月定例会において説明責任を求める「閉伊川水門に関する意見書」を全会一致で可決し、県に提出した。
県はこれを受けて、さらに市民説明会を4月15日に行った。しかしながら同じ説明の繰り返しで、防災の研究者を招いての講演会も意味のあるものと思えなかった。むしろ、研究者を相手に水門問題の意見交換をするものと思ったが、所用のためとかで講演後は退席。全くの消化不良の説明会だった。
このことから特別委員会では、これまでの協議や市民説明会での声を踏まえて、今後の対応を検討するため、委員長から県に対して「閉伊川堤防かさ上げ整備を求める意見書」提出の提案がなされた。
委員からは「県から2回の説明を受けたが、まだ納得できていない。自然の力に逆らわないほうが良い」。「既往第2位の津波を防ぐという面で津波対策を急ぐべき。堤防のかさ上げの方が圧迫感があり、観光のまちにふさわしくない」など賛成、反対の意見が出された。これにより採決を行った結果、反対6人、賛成4人で意見書提出は否決された。
このことにより、新聞ではこれを受けて市議会が水門案を容認したと報道した。形だけ見れば結果そういうことになる。
しかし、議員全員が容認し納得したわけではない。制度的にこの方法しか今のところ手段がないため、こうした結論として出さざるを得なかったのが実情である。市民には分かりにくいと思うが、本当に申し訳ないと思っている。
この問題はこれまで特別委員会に付託されていたため、自分なりの意見や提案を反映させてもらえる機会もなかった。では私はどうしたかと言えば、3月定例会の一般質問でこの問題を取り上げた。住民参画のまちづくりを謳いながらも議論もすることなく、住民合意がないままのこの手法には問題があるとその姿勢を正した。市長の住民説明がなかったことへの陳謝はあったが、見直しを迫ることへの回答は、どこまでいっても平行線で県が押し進める計画をそのまま追従しただけだった。
一方、県知事は昨年12月、宮古市で行われた講演で「復興は行政の力だけでは極めて難しいところである。多くの主体の参画が必要とされる。人と自然との共生、人と人との共生の理念が、復興の理念である」と指針を述べた。
その結果がこうである。人と人の関係をギクシャクさせ、自然との共生を追いやってしまった。誠に残念である。主体は一体だれなのか。このリーダーの責任が一番重い。
私は、減災を図る上での水門及び防潮堤もコンクリートのみに頼るのではなく、破堤阻止・自然景観等に配慮した計画が大事だと思っている。このことを一般質問で行った。
当初の計画通り津波を閉伊川上流に流すことは減災上、自然な事である。決してコンクリートだけでは守れない。緩衝地帯をもうけることは過去の津波災害でも提唱されている。
今回の津波で幾多の防波堤、防潮堤が無力であったことは誰の目にも明らかであった。自然の脅威には敵わない。これら防潮堤や水門があったためいつしか人は内側へと住み始め、安全という風潮が広がってきたことも事実だ。こうした轍を踏まないためにも、真っ向に阻止しようとする防災ではなく、減災という考え方の中でまちづくり考えていくことだと思う。
市が提唱する多重防災とはそのことも含まれるはず。だからこそ災害を「防ぐ」ことより「避ける」ことが大事と考える。川をそのまま使うということは、言うなれば昔ながらの土手、堤を強化することになる。そのための堤防のかさ上げに関しては、私は土手を森に作り替える、森の防潮堤、緑の防潮堤という発想に基づく技術で減災につなげるべきだと考える。
(※『フォレストベンチ工法』や『宮脇昭先生の命をまもる300キロの森づくり』などがその例にある)
自然には自然の力で対峙する。そしていなす、かわす、と言った技術。そうした考えに基づく森の防潮堤技術がある。コンクリートに頼らない自然と共生するそれらの技術によって、まちを再生していくことが持続可能な社会につながっていくものと考える。
水門をもって難攻不落の要塞化をするのか、それともこのふるさとの美しい風景が、形をかえた新たな地形にそって蘇り持続させていくのか、問われているところである。
4月臨時議会は24、25日の2日間開催された。議案審議のほか、25日には宮古市復興対策特別委員会の「被災者の住居対策」「津波防災対策」におけるこれまでの調査結果が報告された。
その中で、県が突然決定した閉伊川水門整備に関しては、その是非について委員会ではこの間、慎重に議論を重ねてきた。(私は委員会に所属していない)
まず水門問題の経過だが、ご承知のように水門は県事業によるもので市議会としてはその決定権が全くない。そうした制度の中で、県が一方的に宮古市民に相談することもなく事業化を決定したことが発端である。
私もこのことを知ったのは新聞紙上でのことだった。(1月13日付)
市民のコンセンサスも得ないままの決定に、市議会としても何らかの手を打たねばならなかった。
1月31日、岩手県は市議会の要請を受け市民も傍聴しての全員協議会の中で説明を行った。さらに2月12日には市民説明会を開催したが、水門案に不安を抱えている市民の声は大きかった。説明会では、市民からは事業決定した市長にも批判が向けられた。市長は「決定したことだから」と、見直しを迫る市民の声を受け入れることはなかった。県においては事業に対する市民への説明は「市民の代表である宮古市役所と行った」と、当時の河川課長は堂々と言い切った。さらには「県が水門と決めた訳ではない、市が水門でやりたいとのことだから」との、責任転嫁ともとれる発言をした。
こうした説明にもちろん誰もが納得できるものではなかった。市議会では3月定例会において説明責任を求める「閉伊川水門に関する意見書」を全会一致で可決し、県に提出した。
県はこれを受けて、さらに市民説明会を4月15日に行った。しかしながら同じ説明の繰り返しで、防災の研究者を招いての講演会も意味のあるものと思えなかった。むしろ、研究者を相手に水門問題の意見交換をするものと思ったが、所用のためとかで講演後は退席。全くの消化不良の説明会だった。
このことから特別委員会では、これまでの協議や市民説明会での声を踏まえて、今後の対応を検討するため、委員長から県に対して「閉伊川堤防かさ上げ整備を求める意見書」提出の提案がなされた。
委員からは「県から2回の説明を受けたが、まだ納得できていない。自然の力に逆らわないほうが良い」。「既往第2位の津波を防ぐという面で津波対策を急ぐべき。堤防のかさ上げの方が圧迫感があり、観光のまちにふさわしくない」など賛成、反対の意見が出された。これにより採決を行った結果、反対6人、賛成4人で意見書提出は否決された。
このことにより、新聞ではこれを受けて市議会が水門案を容認したと報道した。形だけ見れば結果そういうことになる。
しかし、議員全員が容認し納得したわけではない。制度的にこの方法しか今のところ手段がないため、こうした結論として出さざるを得なかったのが実情である。市民には分かりにくいと思うが、本当に申し訳ないと思っている。
この問題はこれまで特別委員会に付託されていたため、自分なりの意見や提案を反映させてもらえる機会もなかった。では私はどうしたかと言えば、3月定例会の一般質問でこの問題を取り上げた。住民参画のまちづくりを謳いながらも議論もすることなく、住民合意がないままのこの手法には問題があるとその姿勢を正した。市長の住民説明がなかったことへの陳謝はあったが、見直しを迫ることへの回答は、どこまでいっても平行線で県が押し進める計画をそのまま追従しただけだった。
一方、県知事は昨年12月、宮古市で行われた講演で「復興は行政の力だけでは極めて難しいところである。多くの主体の参画が必要とされる。人と自然との共生、人と人との共生の理念が、復興の理念である」と指針を述べた。
その結果がこうである。人と人の関係をギクシャクさせ、自然との共生を追いやってしまった。誠に残念である。主体は一体だれなのか。このリーダーの責任が一番重い。
私は、減災を図る上での水門及び防潮堤もコンクリートのみに頼るのではなく、破堤阻止・自然景観等に配慮した計画が大事だと思っている。このことを一般質問で行った。
当初の計画通り津波を閉伊川上流に流すことは減災上、自然な事である。決してコンクリートだけでは守れない。緩衝地帯をもうけることは過去の津波災害でも提唱されている。
今回の津波で幾多の防波堤、防潮堤が無力であったことは誰の目にも明らかであった。自然の脅威には敵わない。これら防潮堤や水門があったためいつしか人は内側へと住み始め、安全という風潮が広がってきたことも事実だ。こうした轍を踏まないためにも、真っ向に阻止しようとする防災ではなく、減災という考え方の中でまちづくり考えていくことだと思う。
市が提唱する多重防災とはそのことも含まれるはず。だからこそ災害を「防ぐ」ことより「避ける」ことが大事と考える。川をそのまま使うということは、言うなれば昔ながらの土手、堤を強化することになる。そのための堤防のかさ上げに関しては、私は土手を森に作り替える、森の防潮堤、緑の防潮堤という発想に基づく技術で減災につなげるべきだと考える。
(※『フォレストベンチ工法』や『宮脇昭先生の命をまもる300キロの森づくり』などがその例にある)
自然には自然の力で対峙する。そしていなす、かわす、と言った技術。そうした考えに基づく森の防潮堤技術がある。コンクリートに頼らない自然と共生するそれらの技術によって、まちを再生していくことが持続可能な社会につながっていくものと考える。
水門をもって難攻不落の要塞化をするのか、それともこのふるさとの美しい風景が、形をかえた新たな地形にそって蘇り持続させていくのか、問われているところである。