今日はタミヤミリタリーモデル50周年を記念し、
どうしてタミヤのミリタリーモデルの最初がドイツのパンサー戦車なのか・・・
田宮俊作会長著書の「田宮模型の仕事から書かせていただきたいと思います
今ではタミヤと言ったらプラスチックモデルメーカーとしては一流で
世界中に名前が知れているのですが・・・
最初プラスチックモデルを手掛けたころには大変な思いもたくさんされたようです
今日は田宮会長著書の「田宮模型の仕事」から
どうしてミリタリーモデルの最初にパンサー戦車が選ばれたのか・・・
経緯などを書かせていただきたいと思います
著書によると、タミヤは戦後の復興期の頃
静岡で製材業をしていたそうです
それだけでは食べて行けないとの事から、ひのきの切れ端などから
本立てや貯金箱などを作っていたそうです
そのうち軍艦好きの知人に図面を書いてもらい
軍艦模型を作り始めたようです
徐々に会社が軌道に乗り始めたころ、1951年俊作様が高校2年生の時に
会社が火事になり懸命の消火にも関わらず全焼してしまったどうです
なんとか3か月後に総業は再開されたものの、
規模はかなり小さくなり・・・大きな借金もできてしまったようです
田宮俊作様は苦労して大学を卒業後
田宮模型に就職をなさったそうです
最初の頃は木製モデルで大和などを作っていたようです
田宮俊作様は1958年、模型好きの知人から初めてプラスチックモデルと言う存在を聞かされたそうです
アメリカ製で、すべてがプラスチックでできているものだと言うのです
知人から売っているところを聞き、東京の新橋の模型店まで買いに出かけたのですが、
その時には売り切れ・・・
入荷は1か月半後との事で、購入は予約制の前払いと言う物だったらしいです
田宮俊作様は、この時戦車と、戦艦モデルを注文したそうです
2か月後届いてモデルを取りに東京まで出向いたのですが、
戦艦モデルは入荷が遅れているとかで、
戦車模型だけ受け取られたそうです
戦車はアメリカのレベル社製の物で1/50スケールくらいの小さなものだったらしいです
箱を開けると・・・
中身はあばら骨のようなランナーにパーツが付いており、
一つ一つのパーツの精巧さに声も出なかったそうです
1959年、田宮俊作様のお父様はこの年プラモデル製造を決められたそうです
プラモデル第一号は戦艦大和だったらしいのですが、
プラスチックモデルの製造方法はわからなかったようで、
プラスチック材料を扱っている材料屋さんに聞いて
作り方を勉強なさったようです
1960年最初のプラモデル「戦艦大和」が
発売になりました
ただこの時ニチモと言うメーカーで戦艦武蔵が同時期に発売されえしまった為、
タミヤの大和は惨敗を期してしまったようです
ニチモの武蔵は大和より少々大きめで、喫水線の下が赤く塗られており
塗装する必要がなかったことからかなり売れたようです
このままではと思い、田宮俊作様が動くパンサー戦車を作ろうと思われたそうです
なぜパンサー戦車が選ばれたかと言うと、
戦車の形状が直線的で作るコストが安価でできる事・・・
また動かすための動力乾電池を入れることのできるスペースが
確保できたからだそうです
この時電池が入る大きさに設定して作ったらしいのですが、
縮尺が大体1/35スケールだったので、今の1/35スケールがあるのだと思います
ただ普通に売ったのではまた失敗に終わるかも知れないと思い、その頃少年雑誌で絶大なファンを集めていた
小松崎茂先生にパンサー戦車の箱絵を依頼したそうです
(新聞に投稿されていた小松崎先生の投書を読み、田宮俊作様はどうしてもこの方に
絵を描いてもらいたいと思い、何枚もの便箋にプラスチックモデルに至った経緯などを書き
先生に切にお願いをしたそうです。田宮俊作様の熱意が伝わったのか、直接事務所に小松崎先生からお電話があり、小松崎先生の箱絵が実現したようです)
解説書も、出来るだけわかりやすく書かなければいけないと思い
田宮俊作様自ら絵を描いたりして作られたそうです
また接着方法まで、事細かく書かれたそうですよ
本当は年末のクリスマスに間に合わせて出荷をしたかったらしいのですが、
どうしても間に合わず、
12月30日にトラックに出来上がった製品を山積みにし東京の問屋さんに向ったそうです
(運送業者が年末年始休みだったので、自ら運ばれたそうです)
年の瀬と言うのに、問屋さんは店を開けて待っていてくれたそうです
問屋さんでは注文数より少ないと文句も言われたそうなのですが、
何とか出荷できホッとしたそうです
ただ売れるかどうかとても心配されたようなのですが、
正月明けに問屋さんから電話が鳴り響き、
パンサー戦車は大ヒットしたそうです
(売れた要因は、インパクトのある小松崎先生の箱絵と、動く戦車が良かったようです)
今日はタミヤミリタリーモデル50周年を記念し、
どうしてミリタリーモデルの最初にパンサー戦車が選ばれたかを
書かせていただきましたがいかがでしたでしょうか
私は今回初めてこの本を読ませていただきたのですが、
タミヤの歴史がわかり、本当に面白かったです
では、これからもよろしくお願いいたします
どうしてタミヤのミリタリーモデルの最初がドイツのパンサー戦車なのか・・・
田宮俊作会長著書の「田宮模型の仕事から書かせていただきたいと思います
今ではタミヤと言ったらプラスチックモデルメーカーとしては一流で
世界中に名前が知れているのですが・・・
最初プラスチックモデルを手掛けたころには大変な思いもたくさんされたようです
今日は田宮会長著書の「田宮模型の仕事」から
どうしてミリタリーモデルの最初にパンサー戦車が選ばれたのか・・・
経緯などを書かせていただきたいと思います
著書によると、タミヤは戦後の復興期の頃
静岡で製材業をしていたそうです
それだけでは食べて行けないとの事から、ひのきの切れ端などから
本立てや貯金箱などを作っていたそうです
そのうち軍艦好きの知人に図面を書いてもらい
軍艦模型を作り始めたようです
徐々に会社が軌道に乗り始めたころ、1951年俊作様が高校2年生の時に
会社が火事になり懸命の消火にも関わらず全焼してしまったどうです
なんとか3か月後に総業は再開されたものの、
規模はかなり小さくなり・・・大きな借金もできてしまったようです
田宮俊作様は苦労して大学を卒業後
田宮模型に就職をなさったそうです
最初の頃は木製モデルで大和などを作っていたようです
田宮俊作様は1958年、模型好きの知人から初めてプラスチックモデルと言う存在を聞かされたそうです
アメリカ製で、すべてがプラスチックでできているものだと言うのです
知人から売っているところを聞き、東京の新橋の模型店まで買いに出かけたのですが、
その時には売り切れ・・・
入荷は1か月半後との事で、購入は予約制の前払いと言う物だったらしいです
田宮俊作様は、この時戦車と、戦艦モデルを注文したそうです
2か月後届いてモデルを取りに東京まで出向いたのですが、
戦艦モデルは入荷が遅れているとかで、
戦車模型だけ受け取られたそうです
戦車はアメリカのレベル社製の物で1/50スケールくらいの小さなものだったらしいです
箱を開けると・・・
中身はあばら骨のようなランナーにパーツが付いており、
一つ一つのパーツの精巧さに声も出なかったそうです
1959年、田宮俊作様のお父様はこの年プラモデル製造を決められたそうです
プラモデル第一号は戦艦大和だったらしいのですが、
プラスチックモデルの製造方法はわからなかったようで、
プラスチック材料を扱っている材料屋さんに聞いて
作り方を勉強なさったようです
1960年最初のプラモデル「戦艦大和」が
発売になりました
ただこの時ニチモと言うメーカーで戦艦武蔵が同時期に発売されえしまった為、
タミヤの大和は惨敗を期してしまったようです
ニチモの武蔵は大和より少々大きめで、喫水線の下が赤く塗られており
塗装する必要がなかったことからかなり売れたようです
このままではと思い、田宮俊作様が動くパンサー戦車を作ろうと思われたそうです
なぜパンサー戦車が選ばれたかと言うと、
戦車の形状が直線的で作るコストが安価でできる事・・・
また動かすための動力乾電池を入れることのできるスペースが
確保できたからだそうです
この時電池が入る大きさに設定して作ったらしいのですが、
縮尺が大体1/35スケールだったので、今の1/35スケールがあるのだと思います
ただ普通に売ったのではまた失敗に終わるかも知れないと思い、その頃少年雑誌で絶大なファンを集めていた
小松崎茂先生にパンサー戦車の箱絵を依頼したそうです
(新聞に投稿されていた小松崎先生の投書を読み、田宮俊作様はどうしてもこの方に
絵を描いてもらいたいと思い、何枚もの便箋にプラスチックモデルに至った経緯などを書き
先生に切にお願いをしたそうです。田宮俊作様の熱意が伝わったのか、直接事務所に小松崎先生からお電話があり、小松崎先生の箱絵が実現したようです)
解説書も、出来るだけわかりやすく書かなければいけないと思い
田宮俊作様自ら絵を描いたりして作られたそうです
また接着方法まで、事細かく書かれたそうですよ
本当は年末のクリスマスに間に合わせて出荷をしたかったらしいのですが、
どうしても間に合わず、
12月30日にトラックに出来上がった製品を山積みにし東京の問屋さんに向ったそうです
(運送業者が年末年始休みだったので、自ら運ばれたそうです)
年の瀬と言うのに、問屋さんは店を開けて待っていてくれたそうです
問屋さんでは注文数より少ないと文句も言われたそうなのですが、
何とか出荷できホッとしたそうです
ただ売れるかどうかとても心配されたようなのですが、
正月明けに問屋さんから電話が鳴り響き、
パンサー戦車は大ヒットしたそうです
(売れた要因は、インパクトのある小松崎先生の箱絵と、動く戦車が良かったようです)
今日はタミヤミリタリーモデル50周年を記念し、
どうしてミリタリーモデルの最初にパンサー戦車が選ばれたかを
書かせていただきましたがいかがでしたでしょうか
私は今回初めてこの本を読ませていただきたのですが、
タミヤの歴史がわかり、本当に面白かったです
では、これからもよろしくお願いいたします