先ほどは仕事の為、途中で中断しましたので~つづきです~
結局、現代曲に対してクラシックに馴染みのあまりない方でも興味を持つには、その作品にできるだけ近づける方法を考えることがいいのでは…と。
たとえば、さっきの写真ですが、初めて「デュティーユ」という名前を聞いた時には、美味しそうだなぁと(ミルフィーユと間違えました)思いましたが、あのように、もう90歳を超え、両脇をかかえられながらでないと歩けないご高齢でありながら、初演には外国からはるばる来日される…そのお姿を拝見して、この作曲家はきっと全生涯を通じて、自分の作品に対して、全神経をつぎ込んでいつも真摯な態度で作品と対面してきたに違いないと(勝手に)思い、全然意味のわからない曲でもこれからは聴いてみよう、と興味を覚える初めの1歩になったように思います。
学生時代、合唱の時間に三善晃先生がいらして指揮をしていただいた時には、初めて「あぁ~こういう方なのかぁ」と楽譜でしか見覚えのない歴史上の人物のようなお名前だっただけに、本当に生きているんだなぁ~(当たり前ですが)と、実際に人間として実感できて初めて何か作品と人間との接点が見出せたような…(これまた勝手な推測ですが)
まったくの素人ではなく、少しはクラシックを勉強してきたはずの人が、この調子ですから、いきなりピー、ギャ~~ポーーーーー、ドン、みたいな音楽を聴いたところで、???マークばかりで理解しよう、楽しもうなんていうのはほど遠いことに違いないと思います。
~ということは、現代音楽をもっと身近に感じるには、てっとり早くはその作曲者に実際に登場してもらうこと、あるいはその作品をわかりやすく説明して音楽を聴く前に何らかの形でお客様の興味を引き出せるような舞台作りを心がけること、そしてなにより、演奏者がその作品を心から理解して伝えられるように努力すること、まだまだあるかもしれませんが、舞台側からの一方的な押し付けでなく、みんなが楽しめる、わかる演奏会を目指せば、現代と一般的なクラシック音楽との境界線なく楽しめるのではないでしょうか~と思ったりするのでした。完。
結局、現代曲に対してクラシックに馴染みのあまりない方でも興味を持つには、その作品にできるだけ近づける方法を考えることがいいのでは…と。
たとえば、さっきの写真ですが、初めて「デュティーユ」という名前を聞いた時には、美味しそうだなぁと(ミルフィーユと間違えました)思いましたが、あのように、もう90歳を超え、両脇をかかえられながらでないと歩けないご高齢でありながら、初演には外国からはるばる来日される…そのお姿を拝見して、この作曲家はきっと全生涯を通じて、自分の作品に対して、全神経をつぎ込んでいつも真摯な態度で作品と対面してきたに違いないと(勝手に)思い、全然意味のわからない曲でもこれからは聴いてみよう、と興味を覚える初めの1歩になったように思います。
学生時代、合唱の時間に三善晃先生がいらして指揮をしていただいた時には、初めて「あぁ~こういう方なのかぁ」と楽譜でしか見覚えのない歴史上の人物のようなお名前だっただけに、本当に生きているんだなぁ~(当たり前ですが)と、実際に人間として実感できて初めて何か作品と人間との接点が見出せたような…(これまた勝手な推測ですが)
まったくの素人ではなく、少しはクラシックを勉強してきたはずの人が、この調子ですから、いきなりピー、ギャ~~ポーーーーー、ドン、みたいな音楽を聴いたところで、???マークばかりで理解しよう、楽しもうなんていうのはほど遠いことに違いないと思います。
~ということは、現代音楽をもっと身近に感じるには、てっとり早くはその作曲者に実際に登場してもらうこと、あるいはその作品をわかりやすく説明して音楽を聴く前に何らかの形でお客様の興味を引き出せるような舞台作りを心がけること、そしてなにより、演奏者がその作品を心から理解して伝えられるように努力すること、まだまだあるかもしれませんが、舞台側からの一方的な押し付けでなく、みんなが楽しめる、わかる演奏会を目指せば、現代と一般的なクラシック音楽との境界線なく楽しめるのではないでしょうか~と思ったりするのでした。完。