落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話

2013-05-31 10:39:39 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第81話
「原発労働者、ひとつの最後」




 医師の杉原から危篤状態の一報を受けてから、
原発労働者の山本がその息を引き取るまでは、わずかに半日でした。
あまりにも、あっけないとさえ思われる最後です。
死因とされたのは、原爆病では無く『多臓器不全』です。


 長年にわたり原発労働者として真面目に働き続け、各地の原発を転々とした挙句
最後は福島第一原発で原因不明のままに体調を崩し、ついに原発の最前線から離れました。
彼が原発労働者として働いてきた期間は、およそ20年間にわたります。
彼の持つ放管手帳(放射線管理手帳・原子力発電所をはじめとした各種原子力施設で
作業する従事者に対して発行される手帳のこと)に記載をされた総被ばく量は
20年間にわたる累計で、わずかに50ミリシーベルトにすぎません。


 原子力発電所などの原子力施設で、放射線業務に従事する場合は、
まず放射線従事者中央登録センターが運営している、被曝線量登録管理制度に登録をされ、
全国各地にある放射線管理手帳発行機関から、放射線管理手帳が発行をされます。
作業者はこの手帳を常に持参し、原子力施設で放射線業務に従事する事になるのです。




 この手帳には、全国共通の中央登録番号が付番され、
個人を識別する項目や被曝歴、健康診断、放射線防護教育歴などがそれぞれ記載されます。
原子力施設で放射線業務に従事をした後は、その原子力施設から被曝線量が、
中央登録センターの電算機に登録され、管理がなされるというシステムになっています。
また、こうした登録制度の有無に関わらず、原子力事業を運営している管理者は、
被曝が1日1ミリシーベルトを超えるおそれのある労働者について、
測定結果を毎日ごとに確認することを、厳しく定めています
また3か月ごと・1年ごと・5年ごとの合計も記録をして、これを30年間にわたって
保存しなければならないと、同様に定めています。
またその記録は、当該労働者に遅滞なく知らせなければならない、とされています。
(以上、電離放射線障害防止規則9条より)


 また被曝のそれぞれの限度についても、次のように定められています。
通常作業においては、5年間で100ミリシーベルト、1年間では50ミリシーベルトを限度とする。
緊急作業においてのみ、上限を100ミリシーベルトと別に定めています。
ただし、厚生労働省と経済産業省は3.11直後の2011年3月15日に、人事院は2011年3月17日に、
福島第一原子力発電所で復旧にあたる作業者たちに限って、年間許容量を暫定措置として、
250ミリシーベルトまで最大限度をひきあげました。
その後に厚生労働省と経済産業省は2、011年12月16日に一部を除き通常限度量へ引き下げ、
残る一部も、2012年4月30日に通常限度量へと引き下げています。



 また、妊娠可能な女子については、3か月で5ミリシーベルトとし、
妊娠中の女子は、1ミリシーベルト(内部被曝)、2ミリシーベルト(腹部表面)
と、より一層の厳しい数値をしめしています。
しかし、水面下で相当数にのぼる原発労働者を稼働させてきた各地の原発では、
意図的に被ばく数値を書き換えるなどの無法は、常に日常的に横行をしてきました。
ずさんをきわめた、こうした手帳制度の実態は、原発を管理する電気事業者の利益のみが
最優先をされてきたという、事実上の制度運用の『骨抜き』に他なりません。


 また原発内に日常的に蔓延をしている、ゴミやホコリを媒介とした放射線による
体内被曝の実態はまったくの野放しで、長く運用外とされてきました。
20年余りにわたった原発生活の中で、山本が浴びてきた体内被ばく量は判然としません。
徐々に進行をし続けた体内被ばくの影響は、山本の身体を少しずつ蝕んだあげく、
ガンという死にいたる最大の病気を発症する前に、内臓の全ての臓器を狂わせて、
ついにその死期を早めてしまいました・・・・





 いつものままの山本の病室には、主治医の杉原が顔を見せ、
無言の看護士が3人詰めかけているだけで、いつものような静けさが室内には有りました。
生命維持の器械と、波形と心拍数を刻々と表示し続けているデジタル音だけが、
いつもとは異なる、不思議な緊張感を醸し出しています。


 静かに横たわっている山本の、血の色を失いかけている顔とデジタル表示の数値を、
交互に見つめかえしていくだけの時間が、室内を通り過ぎて行きます。
(これが、死に臨むと言うことなのかしら・・・・)静かすぎる時間の流れと、
室内の気配に、響の気持ちの中には戸惑いだけが広がり続けます。


 医師の杉原が、椅子から立ち上がりました。
それぞれに作業を続けている看護士に目で合図を送ってから、響の背中を手で押して
そのまま、廊下へ連れ出します。




 「おっ、・・・・今朝は普段着のままだな。
 仕方が無いか、いつもの2部式の着物に着替えるほどの余裕はなかっただろう。
 まぁ、無理もない。
 トシからおおまかなに、聞いてはいるだろうが、
 残念だが、もう手のほどこしようが無い。
 ここまで、持ちこたえてきたのが、不思議とも言えるだろう。
 君の看病のおかげかな。良くやったと俺も思う。
 あとは看護婦たちにまかせて、俺は少し席を外すが、君はどうする?
 息を引き取るまでの時間を同席するには、すこし辛いものが有るが・・・・」


 「トシさんに・・・・
 最後に、最善の笑顔を見せてやれと言われました。
 私にできるかどうか解りませんが、最大限の努力をしたいと思います」

 「枕元のテーブルの上に、書きかけのノートとボイスレコーダーが、
 きちんと横一列に、それこそ綺麗に几帳面に並べて置いてある。
 あれはおそらく、君への最後のメッセージの品だろう。
 俺たちも、君の笑顔には感謝をしてきた。
 そうだな・・・・それもいいだろう」



 白衣のポケットから禁煙パイプを取り出した杉原が、
それを口に咥えると、ぽんとひとつ響の肩を叩いてから廊下を立ち去って行きます。
到着音とともにエレベーターの扉が開くと、俊彦と岡本が出てきました。
立ち去りかけた岡本が振り返り、二人の姿を見てまた戻ってきます。


 男たちによる、長い時間をかけた立ち話が始まりました。
真ん中の杉原を挟みこむように、俊彦と岡本はそれぞれポケットに両手を突っこんだまま、
顔を真近に寄せ、常にひそひそとした声での会話を続けています。



 (男たちにはそれぞれの役目と、果たすべきそれぞれの仕事が有る。
 同じように私にも、私にしかできない役割がある。
 最後に山本さんから託された、果たしてあげたい大切な約束事も残っている。
 わたし自身が動揺するのは、もっと後にする必要がある。
 毅然として、覚悟を決めて、最後にのぞむのよ。
 さぁ行こう。・・・・響)



 病室内では、相変らずの静かな時間が流れています。
点滴からは同じように薄黄色い液体が規則正しく流れ落ち、酸マスクからは常に
一定のリズムを保ったままの、呼吸の音が繰り返されていきます。
看護士が見つめているデジタルの画面には、針葉樹林のように心拍の波形が表示をされています。
そこで点滅をし続けている数字の流れは、ただパラパラとした変化だけを繰り返しながら、
死にいたるまでの時の流れを、単なる機械的な推移として刻々と刻んでいます。


 「ご苦労さま」
顔なじみの看護士が、枕元にスペースをつくってくれました。
医師の杉原が言っていた通りに、枕元のテーブルの上には響への遺品と思われる
書きかけだと言うA4判のノートと、ボイスレコーダがの2つが、定規で図ったかのように、
これ以上は無いと言うほど、きちんと平行線を保って並んでいます。



 「声をかけてあげて、響ちゃん。
 鎮痛剤と薬のせいで、少し意識は混濁をしていますがたぶん聞こえると思います。
 激励をしてあげて。いつものように・・・・
 山本さんは、いつもあなたが来るのを、とても楽しみにしていたんだもの」



 年配の看護士が、響の肩を抱きながらささやきます。
ポンと背中を押してから、「笑顔でね」ともうひと声ささやき、
書類を抱えると、あとを若い看護士の二人に任せて病室を後にします。



 「山本さん。響です。
 痛くはないですか。辛くはないですか・・・・」



 次に言うべき言葉が、急な速度で響の頭の中を駆け巡ります。
しかし、いくら探しても、問いかけたその言葉に続けるべき次の適切な言葉が、
いつまでたっても響には、見つけることができません。
毛布の上に置かれている山本の右手の上に、響が自分の両手を重ねます。
やせ衰えて骨ばかりが目立つ山本の細い指が、響の掌の下でかすかに動いた気配がします。
手のひらの温かさに反応をした、凍えた小動物のようにささやかすぎる、
山本の小さな指の動きです。



 「・・・・かすかに動いている。
 頑張って。頑張ってよ。山本さん・・・・
 八木節が始まったら、夏祭りに一緒に行こうって、約束をしてくれたじゃないの。
 もう少しだから、夏祭りまで。
 ねぇぇ、お願いだから、もう少し頑張って・・・・」





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第80話

2013-05-30 10:48:07 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第80話
「急変する容態の先に」




 「おはよう・・・・おっ?
 どうした響。今日は朝からずいぶんとご機嫌だな」

 「え?。」

 寝起きの髪を整えるために洗面所へ向かっていた響が、
ひと声かけられて、廊下ですれ違った俊彦の顔をぽかんとした表情のまま、
不思議そうに見上げています。


 「なんだよ。
 そんなに見つめても俺の顔には何もついていないぞ。
 不思議なのは、お前の顔のほうさ。
 昨日は何か特別なことでも起きたのかな、良いことでも有ったかい?、
 それとも、ついにお前にも男が出来たか・・・・
 いずれにしても、すこし上気をしているような顔つきだ。
 女は、上気した時の顔が一番美しくなると、昔から相場が決まっている。
 お前さん・・・・嬉しそうな顔で女らしくなったうえに、
 そのうえ、艶っぽくさえなっているぞ。
 だが、あまりにも唐突で突然すぎる変化だなぁ・・・大丈夫か、お前? 
 意外に、見た目で、解りやすいタイプだな」


 「え。そんなに変かしら・・・・今朝のあたしって』

 
 (あ。今朝はいつもより心が弾んでいるから、そのせいだ!
 そのせいで、それがそのままお顔にも出ているんだわ・・・・)



 俊彦が父親だと確信をした瞬間から、弾みがついてしまった響の気持ちの高ぶりは、
一晩経った今朝になっても、いまだに収まる気配をみせません。
(しかし。今はまだその時じゃない・・・・こらこら響。単純に浮かれ過ぎだ。)
熱っぽい瞳のままに鏡に写る自分の顔を見つめている響が、自虐的に笑っています。


 (・・・・でも、どうしちゃったんだろう。
 トシさんが父親だと解った瞬間から、もうすっかりと私の心はにやけきっている。
 もっと自重しなさい。早まり過ぎているぞ、あなたは。
 あくまでもあれは、山本さんから内緒で聞いたワン・ヒントにしか過ぎない。
 母からか、トシさんから、直接その口から真相を聞くまでは、
 このお話は封印をしておく必要がある。
 あせるな、早まるな。その気になるな、響・・・・
 私は昔から有頂天になると、あと先を見ずに有頂天に行動に走る欠点がある。
 自重、自重・・・・はやる心を押さえて、次の機会を待つんだぞ、響。)



 響が自分自身に向かって何度も言い聞かせ、鏡の前で胸を抑えて深呼吸を
何度か繰り返している時、居間で俊彦の携帯が鳴り始めました。
(誰だろう。こんな朝早い時間から・・・・なにか有るのかしら・・)
直感的に、不吉の予感が響の脳裏を走り抜けます。
しかし当の俊彦の声は一向に乱れることもなく、極めて冷静な様子で
かかってきた電話に応対をしています。



 「了解しました。
 岡本には俺の方から連絡をいれるから、君の方は処置に全力をつくしてくれ。
 大丈夫だ。あとの準備も、もう出来ている」


 (あとの、準備まで、もうできているって!)響の顔色が一瞬にして変わります。
昨日はあんなに元気に話していたのに・・・嘘。何故!。信じられない。
事態を察知した響が、居間に居る俊彦のもとへ走ります。



 「話は、聞こえたようだね。
 山本さんの容態が急変したと言う連絡が、たった今入ったばかりだ。
 とりあえずは、病院へ直行をしょう。
 君はそこで降ろすが、俺はそのまま岡本を迎えに行く。
 岡本と合流をしたら、急いでまた病院へ戻るから、君は病室で待機していてくれ。
 ほとんど猶予ができない事態のようだ」


 「嘘でしょう。そんなことが・・・・私には信じられません。
 だって昨日まで、あんなに元気そうで、あんなにたくさんのお話もしたというのに。
 何故よ?なんでなの・・・・だから、最後にあんなことを。まさか」


 「行くよ」


 俊彦に促されて、響も上着を手にして玄関を飛び出します。
昨日、山本と病室で別れてから、まだ半日あまりしか経過をしていません。
あまりにも急変しすぎる事態の展開に響の頭の中は、ただただの混乱を繰り返しています。



 (となると、私は山本さんとの、あの約束を実行することになってしまう。
 俺が死んだら遺骨は、故郷の若狭の海に撒いてくれと、
 昨日の別れ際に交わした約束を、あっというまに、私は実行することになってしまうわ。
 信じられない。こんなにも早くそんな事態が来るなんて・・・・)



 「響。人間の体は、細胞という小さな袋が集まって出来ている。
 この中にはDNAという体の設計図が入っていて、古くなった細胞を作り直している。
 年を取ってくると、このDNAが少しずつこわれてきて、
 間違えた細胞を作ってしまうことがある。
 間違えて作られた細胞が、ガンになる。
 放射能も同じように、このDNAを破壊してガンを作る。
 だが、山本さんのように、長年にわたって体内被曝を繰り返してくると
 すべての臓器に、いろいろな異常が同時に発生をしてくることになる。
 ある意味、それはガンよりも怖い病気だ。
 いずれにしても、原発による体内被曝の悪影響は、
 日本ではいまだ未解明の医療分野だ。
 俺たちは山本さんを受け入れた時から、最悪の事態を想定して準備に入っている。
 だが、響。お前には全く初めての体験だ。
 辛いだろうが最善の笑顔を見せて、山本さんを見送ってくれ」


 朝の空いている道路事情は、あっというまに二人が乗った車を病院まで運びます。
玄関先へ乗り付けて、さて降りようとした矢先に俊彦がその手を伸ばしました。
降りようとしていた響の右手を、しっかりと握ります。


 「人一人がこれから死ぬというのに、それでも笑えと言うのは
 まったくもって無理すぎる注文だ。
 無理なお願いを言っていることも、俺は充分に承知をしている。
 だが、それでも、あえてお前に頼む。
 お前は・・・・響は、お母さんの清子から、
 試されずみの優しさと強さをもらってこの世に生まれてきた子供だ。
 優しさとか強さというものは、持って生まれたものでは無く、
 何度も試練にさらされて、何度も厳しい吟味を受ける。
 それでもなを、人の心の中に残ったものが、本物の優しさと強さなんだ。
 それは清子だけではなく、おそらく俺の血の中にも、同じようにして流れている。
 響。お前は、俺と清子の間に生まれた最高の子供だ。
 生まれて来てくれたことに、俺は最大限の感謝をしている。
 だが、いまは全く予断を許さない緊急事態の真っ最中だ。
 こんな大変な世界にお前を巻き込んでしまって、申しわけないと思っている。
 だが、今は、一人の真面目に生きてきた原発労働者が、瀕死の瀬戸際で
 最後の頑張りを、懸命に見せている時だ。
 頼むから・・・・お前の最高の笑顔で、山本さんを見送ってくれ」


 「わかっています。お父さん。
 同じDMAが、響の、ここにも流れているんだもの。
 私も、最後の最後まで、山本さんのお役に立つ、つもりでいます」


 「良い子だ。じゃ・・・・頼んだ」



 それだけ言うと、俊彦が車を急発進させていきます。
何も変わらない朝の光景の中で、何かが目まぐるしく動き出す気配を
一人だけ、病院の玄関先に残された響が迫りくる圧迫感とともに、心の底で感じています
響が見上げている病院の建物は、まだ朝の静寂の中に、いつもと同じように
ただひっそりとそびえています。



 しかし、その一角にある山本の病室では、生命の最後の瞬間が
有無を言わせずに、静かにかつ冷然と時間と共に、その病室へ訪れようとしています。


(死を前にして、私は最善の笑顔を、つくれるのだろうか・・・・)
25年間を生きて来た響が、人の死に立ちあうのは、これが初めての体験です。


 できればこのまま、踵を返して立ち去ってしまいたいような衝動にかられながら、
響は、玄関脇の通用口から、通い慣れた病院内へ入ります。
すっかり見なれているはずの玄関とロ―ビ―の景色が今朝に限って、
なぜか、別の場所のように見えてなりません。



 (私は、すでに激しく動揺をしている・・・・いえ、これはもう狼狽にちかい。
 有頂天で朝起きた私を待っていたのは、山本さんの危篤と、父の精いっぱいの告白だ。
 私が生まれてきたことへの感謝の日と、山本さんが死を迎える日が同時にやってきた・・・・
 なんという皮肉で、過酷な運命の一日の始まりだろう。
 落ち着け、・・・・響。哀しむのにも喜ぶのにも、まだまだ早いものがある。
 大きな仕事が、まだこの先で私を待っている。
 笑顔を作るのに一番つらい日が、ついにやって来てしまったというのに、
 父は、最高の笑顔で見送ってやれと言った。
 父の真意はよくわかる。まさにその通りだと私自身も思っている。
 でも、できるのだろうか私には・・・・母のあの優しい笑顔のように、
 いつも私を包み込んでくれた、あの明るい母の笑顔が、
 今の私につくることができるのだろうか・・・
 お母さん。お願いです。一度でいいから、私にあなたの笑顔をください。
 父の願いに応え、私もお母さんが見せてくれたあの笑顔で、
 山本さんを送り出してあげたいの。
 お願いだから、臆病者になりかけている駄目な響に勇気をください。
 最高の笑顔を、私にください・・・・母さん、父さん・・・・)


 
 高まり続ける胸の動悸を抑えながら、響がいつものように、
いつもの階段から、山本さんの待つ病室へ向かっています。





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連載小説「六連星(むつらぼし)」第79話

2013-05-29 10:25:11 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第79話
「父が明らかになる」





 「響さん。あなたはなぜ、原発について書きはじめたのですか」


 新しく入れ直したお茶を手渡した後、
響がスチール椅子を引き寄せて、いつものように山本の横へすわりました。
いつものように、長いお話になりますと言うサインです。
『受け承ります』と、山本の目が笑いながら、すでに待ちかまえています。
「それでは・・・・コホン。」
膝に置いたノートパソコンの上へ響が、愛おしそうに両手を置きます。



 「私は家出をしてから、ここで出会った沢山の人たちから、
 元気と、世の中に目を開くためのきっかけなどをもらいました。
 例えばこのパソコンもそのひとつです。
 同じ歳の男の子が、お前が使えと言って別れ際に私にくれたものです。
 思えばその人と、行方不明の伯父さんを探して被災地への旅に出掛けたことが
 私にとっての転換点になりました。
 あのときの金髪の英治と、もっと自然に真摯に向き合っていれば
 私たち2人は、恋愛関係に落ちていたかもしれません。


 でも本当の私は、実は、男性にはとても臆病です。
 自分から甘える事が出来ません。
 可愛い女の子を演じようとしても、生まれたときから
 父親というものを知らないために、甘える術の学習が欠落をしています。
 ゆえに男性に接するたびに、常にすこぶる不器用で臆病になっている私が居ます。
 ほんとは・・・・素敵な彼が出来ることを心の底から欲しているのに、
 まだまだ私は、自分というものを解放する事ができていません・・・・
 あら、いいきなりの愚痴の話になってしまいました、とんでもない脱線です!
 ごめんなさい。急いで本題に戻ります。

 東北の被災地でも、たくさんの素敵な出会いが有りました。
 3.11で甚大な被害を受けた石巻市を訪ねた時には、
 もと日赤病院の看護士さんで、荻原浩子さんという女性と出会いました。
 被災直後の石巻で、必死で救護にあたったという体験談を聞くことが出来ました。
 震災直後の被災地での生活は、私の想像を遥かに超えるものでした。
 それでも浩子さんたちは諦めることなく、限られた条件の中でも
 知恵を絞り、さまざまな工夫をしながら献身的に救護活動を続けたそうです。
 たぶん看護をつうじて、あの柔らかい笑顔に癒された人たちが、沢山いたと思います。
 過労から健康を損ねて療養中でしたが、それでも充分なほどに、
 私たちにも、素敵な笑顔をくれました。


 共同でブログを書くきっかけをつくってくれた川崎亜希子さんは、
 立ち入り禁止区域ぎりぎりに位置していながら、再生を目指しはじめた広野という
 東北の童謡の町の存在を、私に教えてくれました。
 広野町で行き会った、かえでさんというおばさんは、原発と対峙をしながら生きている
 緊張した最前線の様子を、私につぶさに見せてくれました。
 それに、なによりも・・・・私を立ち上がらせて、
 私をその気にさせたのは、たぶん、トシさんの背中姿だと思います」




 「トシさんの背中姿ですか?
 それは、どういう意味でしょう。
 もしよかったら、そのあたりの『立ち入ったお話』も、ぜひきかせてください」



 響が、次の言葉を探し始めてしまいました・・・・
確信が揺れているのです。
俊彦が父親であると言う可能性について、響にはいまだに確信というものがありません。
響の生い立ちの中で、一度だけ父親だと思われる男性との思い出が残っています。
響が3歳の頃のことで、初夏を迎えた湯西川温泉での出来事でした
その日のたった一度だけ、響きは父親に抱っこをされたという記憶が残っています。
しかしいくら思い出そうとしても、その顔だけが見えてこないのです。
周囲もまた、それが父親だとは教えてくれません。
それでも父親だと思いこんでいたのは、単なる響の本能だったのかもしれません。



 熱い日差しに晒された、湯西川のバス停での出来事でした。
父親と思われる男性からソフトクリームを買ってもらい、その父親に抱っこをされたまま、
木蔭に移動してそれを食べていた、という淡い映像がいまでも響の脳裏に残っています。
走り去っていくバスの後部座席から、大きく手を振る父親の残像も残っています。
響もそれに応えて大きく手を振りながら、バスが見えなくなるまで
見送り続けていたという記憶が、いまだに記憶の中には生き続けているのです。
しかし、いくら思い出そうとしても、やはりあの日の父の顔だけが、
霧の奥へとかすんでしまい、今でも見ることができません。



 「響さんが家出をした原因の一つが、父親探しだと聞きました」


 響の長い沈黙を破るように、山本が言葉とともに、
少し困ったような顔を向けてきました。


 「これは、私の独り言です。
 戯言だと思って聞き流してください。
 あなたの笑顔に、私はずいぶんと癒されました。
 毎日、2部式の着物を着て病室に来てくれるあなたの気持ちが、我が身に沁みています。
 私はおそらく、最良で最善の末路を迎えることができる、
 幸せな病人の一人だと思っています。
 実は、ここへ入院をした、その翌日の夜のことでした・・・・
 私は、トシさんからひとつの重大な打ち明け話を聞かされました。
 おそらく、私に余計な気がねをさせないために、
 あえて、苦しい事実を打ち明けてしまったのだと思います。
 『かけがえのない俺の娘だから、遠慮しないで安心をして世話になってくれ』
 と、トシさんから聞かされました。
 きわめて微妙で難しい事情などについても、それとなく説明をしてくれました。
 気を悪くしないでください、響さん。
 トシさんに、まったく悪気はないと思います。
 ただ、わたしを安心させたいために、
 そのことばかりを考えて、苦悩した挙句、打ち明けてくれたのだと思います」


 
 (やっぱり。そうだったんだ!・・・・)


 ピクリと動きはじめた最初の緩い衝撃が、
次の瞬間には響の予感を遥かに超え、やがてすべての血液を沸騰させてしまいました。
有る程度まで予測をしていたとはいえ、それが真実と理解をした瞬間から
動揺の熱い流れは止める術もなく、にわかにその暴走をはじめました。
あれほどまでに知りたがっていた事実と、あえて知りたくなかった真実との葛藤が、
響きの頭の中で、ひとしきりの激しいせめぎ合いをはじめました。
全身を激しく駆け巡っていた熱い血液の流れが一転をして、今度は方向を変え
やがて、響の胸の中心部に向かって、じわじわと集結をはじめました・・・・



 「すみません。
 トシさんからは、くれぐれもと、固く口止めをされていました。
 毎日、甲斐がしく私の世話を焼いてくれている貴方を見ているうちに、
 つい、気も緩み、私の口が暴走をしてしまいました。
 難しい問題を含んでいる事がらだというのに、私はまったく大人らしくありません。
 老婆心から、余計なことを漏らしてしまいました・・・・
 申しわけありません。この通りです」

 山本が、コクリと頭を下げています。



(やっぱりトシさんが、私の父親だったんだ・・・・)
あふれる想いと、たぎる血液が、再び熱を持ち直して響の全身を、
隅から隅まで、再び激しい勢いで駆け巡りはじめます。
一呼吸、そしてもう一呼吸と・・・・
つとめてゆっくりと響が、深い呼吸を繰り返しています。
「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせながら、かたくななまでに、
力をこめて、両方の目を閉じていきます。


 20数年前のあの湯西川の、初夏のあの日。
たった一度だけ父に抱かれたあの光景が響の脳裏にまた、まざまざと甦ってきます。
怪我の療養を終えて桐生へ帰るために、父と伴久ホテルの女将と3歳になったばかりの
響が並んで立っていたあのバス停の光景が、ふたたび甦ってきました。



 ソフトクリームを手にした響が、俊彦の首に必死でかじりついています。
はじめて男の人に心をゆるし、初めて抱っこをしてもらったその高みは、
響にはまったく初めての、すこぶるの高さを持った初めての景色そのものの世界でした。
木蔭に入ってもなおもまだ、日傘をしっかりと響にさしかけてくれていたのは、
やはり、響が初めて行き会う父親の優しさでした。


 あの時の、すこぶる高かった父の抱っこの位置・・・・
麦わら帽子のふちから流れ落ちた汗を、優しくふいてくれたあの大きな手。
20数年かかっても一度も鮮明に見ることの出来なかった、あの時の懐かしい光景の中に、
はじめて、父の顔があてはまるようにして浮かび上がってきました。



 (馬鹿だなぁ、私ったら。
 20数年前にちゃんと行き会っているというのに。
 なんで大切な父さんの顔を、私はしっかり覚えていないのだろう・・・・
 ありがとう、母さん。
 ありがとう、トシさん・・・・
 貴方達が居てくれたおかげで、響がはじめてここにいます。
 私は、あなたたち二人に心の底から感謝をしています。
 産んでくれてありがとう。母さん。
 私の父で居てくれてありがとう、トシさん・・・・
 私はあなたたちの子供として生まれて来たことに、本当に心の底から感謝をしています。
 ありがとう母さん。ありがとう、私のお父さん)


 ノートパソコンの上に置いた、響の手の甲に、ぽつんと涙がひとつ落ちました。
あふれてくる温かい涙は、もう響には止める術がありません。
涙はひたすらあふれて、静かに響の手の甲へ落ち続けます。
夕暮れが迫ってきた病室では、山本が夕焼け色に染まりはじめた窓の外へ、
動かぬ視線を向けたまま、息をひそめてひっそりと固まっています。

 



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連載小説「六連星(むつらぼし)」第78話

2013-05-28 10:44:06 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第78話
「フェイスブックと響のブログ」




 山本が入院をしている3階の病室からは、低い屋並みばかりが続く
1丁目から2丁目あたりの下町』と呼ばれる一帯が良く見えます。
丘陵地の中腹にある病院からは、市内の東一帯を一望のもとに見ることができます。
ここから見える景観が、桐生市ではもっとも古い家並みのひとつと言われています。


 南北朝時代から戦国時代末期にかけて、上野国(こうずけのくに・群馬県)の
東部の桐生地方に拠った武士・桐生一族によって、今日の桐生の市街造りが
始まったとされています。
中央との結びつきにはさらに古いものがあり、京からの加茂神社や
美和神社といった古社が数多く誘致をされ、やがて市内の北部に建てられた
『桐生天満宮』が基点となり、碁盤の目をもつ今日の町作りが始まりました。



 桐生市は、第二次世界大戦における戦災を一切受けていない町です。
隣接している大田地区には、発動機(航空機のエンジン)生産で知られる中島飛行機の
主要工場が操業していたために、昭和20年2月10日の空襲をかわきりに、
数度にわたる空襲を受け、壊滅的な被害を受けています。


 また、15連隊の所在地であった軍都の高崎市では、空襲にはことのほか神経をとがらせ、
学校でも徹底した「空襲対策」が数え込まれていました。
東京からの鉄道関係をはじめ多くの官庁が、市内の公会堂や図書館、商工会議所などに
疎開し、また高崎駅には、首都圏で焼夷弾などで火傷をした市民が列車で送られて来て、
多くの医師や看護婦が動員され、その治療などにも当たっていた。
このような緊迫した状況の中で、昭和20年の7月28日に、アメリカ軍の爆撃を受け、
続いて8月6日に艦載機による機銃掃射、終戦前夜の8月14日夜には、
B29十数機による爆弾、焼夷弾攻撃を受け、多くの被害を出しています。



 広島へ原子爆弾が投下される前日の、8月5日の夜半には
県都の前橋市が大空襲を受け死傷者1万人以上を出し、市街地の大半が杯になっています。
同じく、8月14日深夜から翌8月15日未明にかけて、銘仙の織物の町としても知られる、
伊勢崎市とその周辺地域に、84機の米空軍B24爆撃機と戦闘機が現れて、
空襲は終戦日となる15日の未明まで続きました。


 群馬県内の主要都市において、大規模な空襲が頻発したのにもかかわらず、
なぜか桐生市だけが、こうした空襲被害から幸運にも免れています。
戦時中の幸運な経過を経て、桐生市は明治期から盛んにおこなわれてきた
絹生産の歴史とその建造物群を、こうして無傷のままに後世に残せることになりました。
いま山本が病室から見降ろしている景色は、まさにそうした桐生市の歴史そのものです。
『疲れていませんか?』二杯目のお茶を入れた響が、山本に声を掛けます。



 「チャカポコという、お囃子の音が日暮れになると良く聞こえてきます。
 乾いたような太鼓の音も、それに混じって聞こえてきます。
 勇壮な感じと、温かみがあるなんともいえない軽快なリズムが、
 心地よく響いてきます・・・・
 あれが桐生で有名な、八木節音頭のお囃子ですか」


 「この時期に聞こえてくるのは、子供たちが練習をしているお囃子です。
 町内ごとに夏祭りの櫓(やぐら)が建ちますので、それに向けて一斉に、
 子供たちの八木節の練習が、あちこちではじまります。
 8月の第一週の週末になると、桐生市のすべてが八木節の一色にかわるそうです。
 長年にわたるそうした歴史と伝統が、さらに今の子供たちにも引き継がれて、
 伝統芸能が、桐生の町に生き残るのだと思います。
 実は、八木節祭りを見るのは私も、初めての体験になります」


 「8月ですか・・・・真夏ですね」


 山本が遠い目をして、桐生の町の上方にある澄み切った青空を見上げています。
口元の茶碗からお茶を一口すすった後、山本の痩せた肩が、ため息をつくかのように、
かすかに軽く左右に動いてから、やがて力が尽きてうつむきます。


 「力を落とさないでください、山本さん。
 あと、たったの3か月と少しです。
 私が浴衣を着ますから、山本さんも浴衣に着替えて桐生の街をあるきましょう。
 八木節祭りはまた、桐生のひと月遅れの七夕祭りにもあたるそうです。
 一年に一度の、織り姫と彦星のように、二人で町をあるきましょう。
 梅雨明けの桐生の町は、蝉しぐれと、八木節音頭で昼と夜が明け暮れるそうです。
 私が案内をいたしますので、どうぞいまから、
 それだけを、本気で楽しみにしてください」


 「美人のエスコートとは有りがたい。
 それでは是が非でも、私もそこまで頑張りきる必要がありますねぇ。
 歩きたいですねぇ。是非とも、浴衣姿の響さんと・・・
 それまでは、あとたったの3カ月とほんのわずかですねぇ、
 確かに。おっしゃる通りだ・・・・」



 茶碗を持つ手を停めたまま、山本のその目は、遠い彼方の山脈の上を泳いでいます。
おそらく夏までは持たないだろうと、吐き捨てるように言い切った杉原医師の言葉を、
響きもまた、いまさらのようにして思い出しています。
「話題を変えましょうね」と、響がノートパソコンを取り出します。
すばやく電源を入れ、立ち上げたばかりの画面を操作しながら、
いつもの自分のブログを呼び出しました。


 「これは、先日から、フェイスブックに登録をして
 共同で書き始めた私たちのブログです。
 もうひとりの共同執筆者とは、放射線取扱主任者の川崎亜希子さんです。
 ふたりで、原発や放射能などに関しての、それぞれの書き込みを始めました」


 響が指し示す画面には、二部式着物の姿でほほ笑んでいる自分の画像と共に
那須の牧場を背景に、白衣姿で立つ川崎亜希子の本人画像が並んでいます。
響からノートパソコンを受け取り、手元に引き寄せた山本が、
なぜか、牧場でほほ笑む亜希子の画像に見とれています。



 「こちらの女性は・・・・きわめての美人です。
 落ち着きが有り、女性としての成熟した色香などを、存分なほどに感じます。
 しかし、実名登録や実在の画像を公開しても大丈夫なのですか。
 ネットといえば、偽名やニックネームで交流するとばかり
 思い込んでいました」


 「多くのサイトで使われているのは、いまだに偽名や愛称です。
 数多くあるSNSの中でも、このフェイスブックと、ミクシィの2つだけが、
 こうした実名による本人登録を義務づけています。
 実名で登録をするということは、それだけ強い責任を伴います。
 いわゆるハンドルネームなどを使わない、実名による交流は、
 実社会の信頼関係を大前提にするという意味で、
 誠実を前提とする、大人同士の交流サイトとも言えるようです。
 信憑性のたかい情報が多く、交流の範囲などをはるかに越えて、
 今では、商業取引やビジネス面などにも、幅広く活発に利用されているようです」


 「なるほど。
 責任ある大人の良識あるサイトが、最新のネットに誕生をしたと言う事ですか。
 実名で世界的に情報を発信するというところに、深い意味が有るようですね。
 世界最大規模を誇る、情報の共有サイトと書いてありますから、
 日本の原発の実情などを発信するには、ずいぶんと好都合かもしれません。
 東北の被災地と福島第一原発の事故は、
 たしかに、全世界から注目をされていますから」


 ノートパソコンから目を上げた山本が、響の瞳を見つめます。
いつも穏やかな山本がいつになく、その目に、真剣な光を秘めています。



 「ひとつだけ、響さんにお願いしたいことが実は、有ります。
 それを聞き届けていただけるのなら、私が知るかぎりの、
 原発の内面についての話や情報を提供しましょう。
 悲惨すぎるとはいえ、原発労働者の実態をできるかぎり真実のままに
 記録に残して書き込んでください。
 私の残り少ないこの命は、そのために有るのかもしれません。
 あの福島第一原発の惨状は、、いま始まったばかりの長い闘いです。
 放射能はこれから先に、気の遠くなるような長い時間をかけて東日本に残ります。
 現状はまだまだ、長い闘いのはじまりにしか過ぎません」
 
 
 
 「同感です。私もそのの通りだと思います。
 あれからもう、すでに一年が経過をしたというのに、
 福島第一原発の後処理は、まだ何一つとして改善されていません。
 冷温停止と言う段階は、とりあえず爆発の危険を回避したと言う意味だけで、
 依然として、事態の危機は進行中ですから」


 「炉心を溶解させて、溶けてしまった核燃料の回収は困難をきわめる作業です。
 現代の技術では、おそらく対応する事が出来ないでしょう。
 最大の被害を出したあの、ロシアのチエリノブイルでも、
 溶解してしまった核燃料の取り出しは、いまだに放置をされたままです。
 福島でもすべてを回収するのは、30年から40年もかかると言われたいます。
 福島の闘いは、ほんとうに、まだ始まったばかりです。
 被ばくの危険性は収まったわけでは無く、原発内では常に
 そうした危険にさらされながら、これから先も下請け労働者たちの仕事が続きます。
 だからこそ、知っていることのすべてを語る責任が、
 今の私にはあると信じています。
 全てを書きとめて下さい、響さん。
 私から聞いた事のすべてを、そのフェイスブックに公開をしてください。
 そのために、私は残った力のすべてを、あなたにプレゼントしたい」



 窓際に立った響が強い意志を込めて、唇を噛みしめています。


 (私は・・・・いいえ、私たちは、
 原発の非人間的な実態が明らかになったというのに、いまだに安全性を楯に、
 国民を欺瞞しようとしている、汚れた日本政府と東電を許さない。
 福島のこどもたちには、美しい故郷を取り戻す権利が有る。
 その手助けをするためにこそ、おおくの大人が
 勇気を持って立ち上がる必要がある。
 その良心こそが、美しい日本を作り出していく原動力だ。
 放射能が、どれほど危険なものであるのか、
 原発が崩壊をしたら、どれほど危険な事態に立ち入ってしまうのか、
 福島は、身を持ってそれを証明した。

 それこそが、3・11と福島第一原発が、
 わたしたちに向かって発信をしてきたメッセージだ。
 負の遺産は、もうこれ以上は絶対にいらない!
 それが福島からのメッセージだ。

 日本の原発と市民による真の安全を求める闘いは、まだ、
 やっと此処から始まったばかりだ・・・・。
 大切なことは、現実と事実をしっかりと見つめて、
 この教訓から受け継ぐべきことを明確にして、
 それを未来へ受け渡していくために、勇気と連帯と、
 未来を再生させるためのプロジェクトを立ち上げることだ。

 人は、その生命を安全に未来へつなげてこそ、
 人として生きてきた価値が、再び未来へ受け継がれる事になる。
 日本の本当に、安全な未来のために、未来を生きる子供たちの安全のために、
 もうこれ以上の負の遺産は、日本にはいらない。
 私は、やっとそれに気がついた。
 何をすべきかが、今になって、やっと見えてきた。)



 潤みはじめた響の大きな黒い瞳が、やせ衰えて・・・・いまではすっかり
針金のように痩せてしまったベッドの上の山本を、しっかりと見つめています。


 


・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/ 

連載小説「六連星(むつらぼし)」第77話

2013-05-27 10:15:26 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第77話
「原発を巡る、ふたつのニュース」




 山本の病室を訪ねた響が、いつものようにお茶を入れています。
やがて、『原発関係のニュースは、今日の紙面からは2つあります。
まもなく停まりそうなお話と、再稼働が始まりそうだという話題の、2つです。
さて、本日はどちらからお聞きになりたいですか?』と、尋ねます。


 「停まると言うのは、北電の泊原発のことですか。
 では先に停まる話でその後に、再稼働を急ぐ大飯原発の話でお願いします」


 「はい。かしこまりました」と響が、某テレビ局で高視聴率を記録したという
家政婦の口ぶりを真似てから、照れた笑顔を見せおどけています
「はい。どうぞ」と山本へいうものように茶碗を手渡します。
椅子を引き寄せると、はだけかけている二部式着物の裾を揃えてから、
今朝の朝刊を手にします。




 「見出しは、泊原発の3号機、5月5日深夜に停止の予定。北海道電力発。
 毎日新聞の、2012年04月26日付けの記事です」


 いつものように、抑揚をおさえた口調で定例となった朝刊の読み上げがはじまります。
内部からの病気の影響からか、それとも薬による副作用からなのか、
最近の山本はすっかりと視力が落ちてしまい、新聞などの細かい文字のほとんど
読みとる事が出来ません。
耳に神経を集中させながら、山本が静かにお茶をすすります。


 「北海道電力は25日、全国で唯一稼働をしている泊原発3号機
(泊村、出力91.2万キロワット)を、5月5日午後11時ごろまでに停止をさせ、
 予定されている定期検査に入ると発表をしました。
 現在のところ、政府が進めている関西電力大飯原発3、4号機の早期再稼働は
 困難な情勢でこのために、国内における50基の原発は全て停止することになります。
 北電によると、5月5日午後5時ごろから3号機の出力を低下させ、
 同11時ごろに発電が完全に止まり、約3時間後の6日午前2時ごろには、
 原子炉が停止して、冷温停止は7日午後になる見通しだと、明らかにしました。


  前回は東日本大震災直前の昨年3月7日に、
 定検の最終段階の「調整運転」として再稼働を始め、そのまま発電を開始しました。
 そのまま4月6日に定検終了にあたる「営業運転」への移行を予定していましたが
 東京電力福島第1原発の事故のために、安全性の確認や地元同意の取り付けに
 時間がかかり、本格化は、8月17日にまでずれ込みました。
 原子炉の定検は、原則13カ月以内に1回の実施が義務づけられています。
 北電は当初4月下旬を予定していましたが、ぎりぎりとなる
 5月5日まで、その停止を引き延ばしました。
 北電は『他の発電所が停止した場合のリスク回避や、化石燃料の消費抑制のため』
 などとその理由を説明しています」



 響は、聞きにくくなる新聞記事の言い切り型語尾の文章を、
ひとつひとつ丁寧に言い変えながら、ゆっくりと新聞記事を読みあげていきます。
茶碗を口元に運び、それを軽く含んだ山本が満足そうに頷いています。



 「これで全国に50基ある全ての原発が、すべて停止をする見通しになりました。
 この結果、稼働ゼロにはしたくなかった経済界と政府の思惑は
 あてが外れ大飯原発を、泊原発の停止の前に再稼働をさせるという目論見は、
 事実上、間に合わなくなったようです。
 では、2つ目のニュースは、その大飯原発の再稼働の記事になります」


 響が手元から、もう一つの新聞を取り上げます。
「同じく4月27日付けの朝日新聞の紙面からです。」そう言うと
椅子の位置をずらして、山本に寄り添うような形でベッドへ近寄ります。
響がそうした行動をとるのは、決まって『これは長い記事です』という事前の
サインのようなものです。
山本もそれを充分に承知をしています。
背もたれへ寄りかかると、静かに目を閉じていきます。



 「夏の電力需要期を前に、関西電力の
 大飯原発3・4号機の再稼働をめぐる調整がヒートアップしているそうです。
 政府による住民説明会では、場外が大荒れとなりました。
 そうした一方で橋下大阪市長からは、増税のサプライズ発言もありました。
 大飯原発を巡る一つの記事の中に、ふたつのニュースが混在をしています。
 まずは、大飯原発の地元住民への説明会のニュースから読み上げます。
 26日夜、関西電力の大飯原発3・4号機の再稼働をめぐって開かれた
 地元住民を対象とした説明会の会場の外で、もみ合いが起こりました。
 反対派の人々が警察のバリケードを突き破り、
 乱入しようとしたことで、警察と市民団体の間で怒号などが飛び交いました。
 町外から来た再稼働に反対する人々が、
 会場に入れるよう求めたことが、騒ぎの発端だという事です。


  混乱をよそに行われた説明会で、経産省の柳澤副大臣は
 『おおい町の皆さんには、本当にご心配とご迷惑をおかけしましたことを、
 心からおわびを申し上げたいと思います』と述べました。
 詰めかけた町民550人を前に、柳澤経産副大臣は、
 大飯原発の安全性を強調したうえで、再稼働への理解を求めました。
 その後、集会に参加をした町民たちは口々に、
 『もっと、住民の命を守るということを真剣に考えていただければ、
 (大飯原発の)再稼働に賛成でございます」。
 という賛成の意見もあれば、一方で、
 『福島第1原発は安全です、事故は決して起こりません。
 そのように言い切って運営してきたものが、あのような事故の実態です。
 いくら安全だといわれても、福島の例が有る限り、絶対はありえない」
 などと本音を漏らしています。


  再稼働に賛成する意見や、安全神話が崩壊した今、
 再稼働を不安視する声が交錯した質疑応答は、およそ55分間にわたって行われ、
 全部で8人の町民が意見を述べたそうです。
 説明会後に感想を聞いてみると、町民は「きょう、このことだけで、
 おおい町のことを判断してもらうと、ちょっと早計すぎるとちゃうかな」、
 「おおい町には、もう働くところが原発しかないんです。原発がなくなると、
 もう(他に)働くところがないので」などと話していました。
 記事によれば、場内には賛成派だけで、
 反対している人たちはどうやら、最初から排除されていたような
 そんな気配がする説明会の様子です。


 「説明会を主催する政府サイドが、
 反対派を排除するというのは、すでに使い慣れた常套手段です。
 『やらせ』とはいいませんが、ほぼそれに近い状態での集会です。
 非常時だと言うのに、政府や電力会社の見識を疑いたくなるようなニュースですねぇ」



 山本の感想に、響が素直に頷いています。
『この夏に電力が20%近くも不足をしそうだという関西圏での反応は、実に微妙です。
その辺もからんで、記事の後半では各自治体の動向について書かれています。
続けて読んでもいいでしょうかと、新聞から目線を上げて、響が山本を見つめます。
その問いに応えて、山本も軽くうなずきます。



 「依然(再稼働にたいして)着地点が見えない大飯原発の再稼働のニュースです。
 関西電力は4月26日、関西の知事や市長たちへ、
 この夏の電力需給の見通しについての説明会を行ないました。
 関西電力の香川次朗副社長は『他社融通は、現状では目いっぱいの状況です。
 それから、夜は各電力が余っているというふうなご指摘での、
 もっと活用方法が、というのがありましたが、
 夜の調達というのは、慨に目いっぱいやっております』と話しています。
 これに対して滋賀県の嘉田知事は
 『言い方は悪いんですが、だだっ子のように「できない、できない」ばっかり
 言っているように思えてしょうがないんですけど。
 突破するための、企業としての戦略はお持ちではないんでしょうか」と述べています。



  厳しい発言を浴びせる知事たちの一方で、
 原発再稼働に真っ向から反対していた大阪市の橋下市長からは、
 意外な提案がありました。
 橋下市長は『もしこれ、再稼働を認めなければ、応分の負担がありますよということで、
 インセンティブ、すなわち僕は増税ということも検討に、
 具体策を立てなきゃいけないのかというふうに思いまして」と述べています。
 橋下市長は、再稼働をしなかった場合、
 自家発電を行う企業への燃料費補助などで、関西の住民に月およそ
 1,000円から2,000円の負担が必要になると指摘をしています。
 橋下市長は
 『府県民の皆さんに負担をお願いします。
 それが無理だったら、もう原発の再稼働をやるしかないと思いますよ」とも述べています。
 それぞれの思いが交錯する大飯原発の再稼働の問題は、
 電力の消費がピークを迎える夏場を前にして、それぞれにヒートアップをはじめました。
 有効な結論が見ないまま、原発事故から2度目の夏は、刻一刻と迫っている・・・・」



 そこまで読んで響が、新聞記事を締めくくりました。
山本が入院をしている3階の病室の窓からも、夏の気配が濃厚になってきた
桐生の市街地が望めます。
3.11から2度目となる夏を迎える日本列島は、停止したままの原発をかかえたまま、
また再びの、過酷な暑さを迎えようとしています・・・・






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