アイラブ桐生Ⅲ・「舞台裏の仲間たち」(7)
第二章(2)真冬の太平洋
水戸から茨城県・大洗の海岸へ出て、太平洋を悠然と上がってくる初日の出を見た後は
ひたすら、ただただ、太平洋の海岸沿いを南下して、九十九里浜を一気に走り抜けました。
年が明けたばかりだというのに、菜の花がぽつぽつと咲く、房総半島まで勢いに乗ったままくだってきました。
やがてはついに、外房から内房へと回り込んでしまい、結局そのまま一周を成し遂げました。
桐生に舞い戻ってきたのは、出発してからすでに、3日目の夕方になっていました。
すっかりなついてしまった茜は、桐生への到着をあまり喜んではいない様子でした。
「もう一軒、寄っていくかい。」
機嫌を損ねていた茜が、振り向いて両目をきらきらと輝かせました。
さっきまで窓ガラスに額をくっつけたまま、見るからにすねていた後ろ姿からは一転して、
唇が触れてしまいそうな、危険が極まる至近距離にまで、嬉しそうなその顔が迫ってきました。
「いや、ただ、お袋に紹介をしたいから
簡単に、挨拶をしてくれと言う意味だけなんだけど。」
「お嫁さんにしたい人・・・
と言ってくれる訳じゃないんだぁ~。
・・・そりゃぁ、そうだよねぇ、
他の男の子供を身ごもっている女を、
そんな風には、とっても紹介なんかはできないもんね・・・」
「あのなぁ、
お前にも、複雑な事情があるのは良く分かるけど、
お袋みたいな昔の人間に、今の時点で、本当のことなど言えないさ。
第一、いまだに一人暮らしをさせたままだぜ。
前触れもなしに、いきなり過激なことを言ったら
お袋、きっと卒倒をしちまうぜ。」
「そうだよね
それでもいいからつき合おうなんて言うんだもの、
よくよく考えてみたら、
あんたも相当な物好きだよね。
まァ、それに付き合って3日間も
遊び呆けてきた私も、相当なものだと思うけど。
でもさァ、無理しなくてもいいわよ。
つき合うって言ってくれただけでも、あたしには充分だもの。」
急に自分自身の現実に戻ってしまった茜がお腹に手を載せたまま、再び顔をそむけてうつむいてしまいました。
日の暮れかかった渡良瀬川の堤防の上を走り抜ける道は、あっというまに暗くなってきました。
助手席にいる茜の白い顔も暗さの中に溶けて、消えてしまいそうになりました。
「できることなら、会っておきたいとは思うけど・・・
あんたの、おふくろさんには。
でもさあ、あんたの気持ちは嬉しいけれど、
もう少しだけ、
私にも、時間をちょうだい。
私なりの準備もあるし、
それなりの覚悟も、必要だから。」
「覚悟?」
「あ・・・
忘れてね、それは私の独り言。
それよりさぁ、どこかに呑みに行かない?
お袋さんのところは、今度の機会ということにして
その辺で、下山祝いといきましょう、
3日ぶりの桐生だもの、
すこし、酔っ払いたいわね。」
「酒は、辞めたはずだろう。」
「時と、場合にもよるわよ、
パァっと、無性に呑みたい時もあるの。
嫌ならいいのよ、此処で降りるから。
そのあたりを歩いていけば、お店のひとつくらいは開いているもの、
じゃあ、お疲れさまでした。」
言うなりドンとドアを開け、
上着の裾を翻して、堤防の急斜面を駆け下りようと身構えました。
これはもう、止める他はありません。
背後から、今度はしっかりと羽がい絞めにしてしまいました。
「ねぇ、
また背中からなのぉ・・・
たまには前から、抱きしめられてみたいなぁ~。
3昼夜も男と女が一緒だったというのに、
いまだに、全然色っぽい展開にならないんだもの、私たち。
まァ、ぁ
・・・それも全部私の責任だけどさぁ、
孕(はら)んだ女じゃ、どうにもなんない話だよね。
ごめんね、わたしが、我儘(わがまま)過ぎる女で・・・」
くるりを向きを変えた茜が、いきなり私の胸の中に、顔をうずめてしまいました。
「明日からまた、
看護の仕事がはじまるわ。
暇があるから、悪いことばかりを考えてしまうのよ。
クタクタになるまで働いて、何んにも考えずに
グッタリとして、
疲れ果てて眠ってしまいたい。
なんて自堕落な人生を送っているんだろうねぇ、あたしったら。
自業自得は自分でも解っているけど、
どうにも悲しくって、
やりきれないな。」
「わかったよ、呑みに行こう。」
「ううん・・・
もう少し泣いてからでいい。
こんなはずじゃなかったのに、
こんなつもりでも、なかったのになぁ。
何やってんだろう、茜は。」
夕闇が、時間と共に降るようにおりてくる中で、温められた茜のシャネルのNo5が、
また、かすかに、胸元から香り始めました。
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