からっ風と、繭の郷の子守唄(127)
「桑の木を育てるための環境作りは、桑苗が育つ前からはじまる」
蚕の餌となる桑を育てるうえで、もっとも神経をつかうことのひとつが
農薬が桑の葉にかからないようにするための工夫です。
桑の葉を育てる畑はもちろんのこと、近くにある野菜畑でも農薬を散布してはいけません。
繭を創りだす蚕という生き物は、タバコや蚊取り線香の煙を吸っただけでも死んでしまいます。
それほどまでにきわめてデリケートで、繊細な幼虫なのです。
餌となる桑の葉は、こうした整った環境の中でしか栽培することができません。
桑の葉は春から秋にかけて大きく成長し、秋にはすべての葉を落とし来るべき厳しい冬に備えます。
桑の木を維持するための大切な作業が、葉っぱが落ちてからの剪定です。
冬の間にしっかりと剪定をしておかないと、翌春からの桑の葉の成長がよくありません。
また、桑の木はたった1年間手入れしないだけでも荒れ果ててしまうというほど、
きわめてデリケートな木ですので、この冬のあいだの管理は、欠かすことができません。
ジングルベルの音色とともに年の瀬がまたたくまに過ぎ去り、門松たちが戸口を飾る
新年を迎えると、群馬には本格的な降霜とからっ風の季節がやってきます。
1月と2月の厳冬期に入ると、はぼ毎日のように、畑は降霜によって真っ白に変わります。
この時期特産となる白菜は、霜の害から内部の葉を守るために『ハチマキ』と呼ばれる方法で、
頂点の部分を紐でキツく縛りあげ、厳冬期の凍結から我が身を守ります。
露地で栽培をされているほうれん草やネギたちも、真っ白に凍てつきながらいつものように朝を迎えます。
この頃から猛威をふるい始める『赤城颪(あかぎおろし)』とは、
群馬県の南部一帯を、北西から吹きおろしてくる乾燥した冷たい季節風のことです。
『上州の空っ風(じょうしゅうのからっかぜ)』と別名で呼ばれています。
大陸のシベリア寒気団から日本列島に向けて吹きつけてきた雪を含んだ強風が、群馬県と長野県・新潟県境の
山岳部に大量の雪を毎年のように降らします。
水分を失って乾いた風となったこの強風が、信越の山肌に沿って一度上昇をしたあと、
関東平野の最北端にそびええている赤城山の山肌に沿って、激しい勢いで平地へ向かって吹き降ろしてきます。
これが季節風の『赤城颪』です。群馬県太田市や伊勢崎市の郊外では、赤城おろしの強風で
畑地の砂塵が巻き上げられ、空を薄黄色く染める光景が度々にわたり目撃をされます。
康平と英太郎が、来るべき春のために準備をした3000本にわたる桑の苗木たちも、
本格的な冬ごもりの準備の季節に入りました。
霜と凍結から桑の苗木を守るために、わらを敷き詰め、その上に防御用のネットを頑丈に掛けていきます。
放置したままでは吹き荒れる強風が、苗木の根元からすべての土を吹き飛ばしてしまうからに他なりません。
もうひとつ冬のあいだの大切な畑での作業が、土壌を改善するための畝(うね)の掘り返しです。
畝(うね)は、 畑で作物を作るために、細長く直線状に土を盛り上げていく部分のことです。
畑の中に部分的に高く盛りあがった畝を作ることで、適度となる乾燥と保湿を維持することができます。
畝のもつ最も大切な機能が、土と水分、空気の3つを常に適正に保つことにあります。
この畝を良好な状態に常に保つためには、表面が凍り始めてくる厳冬の時期に、
伝統的な『畝起こし』と呼ばれる作業を、何度も繰り返す必要があります。
通常であればトラクターなどで畑を攪拌して土をかき混ぜていきますが、厳冬期の作業にかぎり、
別の意味合いを含んでいるために、すべて人手による作業が必要となります。
その日の朝。徳次郎老人が新品の鍬(くわ)を手に、2人の前に現れました。
金属製の刃がついている鍬は、農産物周辺の土を掘り起こし、雑草などを取り除く際に使用されます。
洋の東西を問わず一揆や反乱などの時には、農民たちの武器としても使われた道具です。
「さて。本格的な百姓の必需品といえば、この鍬のことだ。
シンプルな道具だが、土の掘り起こしから雑草の退治、地中に有る根菜類の収穫や
水路工事にまで使えるという、いたって万能の優れものじゃ。
いまどきの若い連中は機械ばかりを使いたがるから、身体がなまっていかん。
鍬を一日中振り回すことで、充分すぎるほどに己の足腰を鍛錬することにもなる。
ということで、今日からは冬の名物、『真冬の畝起し』の作業じゃ。
断っておくが、この作業は春まで断続的につづける必要がある、きわめて大切な段取りのひとつじゃ。
大地が凍てつく時期だからといって、コタツでぬくぬくしているようでは明日は来ないぞ。
ほい。これが康平用で、こっちの柄の長いほうが長身の榮太郎用じゃ」
「え・・・・柄の長さにも、個人差などがあるのどすか?」
「当たり前じゃ。人力が全てだった時代に、この鍬という道具は万能だった。
様々な用途に応じて、先端の部分にも工夫などが施され、重い粘土用や軽砂地用では別の形にもなる。
2尺から6尺まで、用途に応じ、人の体型に応じて当然ながら柄の長さも工夫をされておる」
「で。これを片手に5反の畑を耕そうというのですか・・・まったく、木の遠くなるような話だ」
「バカモン。百姓とは常にそういうものじゃ。
つべこべ言わずに動き始めてしまえば、それだけ早く終わりもやってくるというもんじゃ。
今時の若い連中は、そんな簡単な理屈もわからんと見える。
手と足にたっぷりとマメができてこそ、真の百姓が誕生するというもんじゃ。あっはっは」
「康平はん。どうやら、諦めも肝心のようどす。
そこまで言われたら、引き下がる訳にもおりません。
じゃあ、やりますか。徳次郎はん、なんか、コツのようなものがありますか?」
「耕し方には、当然のようにコツがある。
まずは、大きく荒く耕すことじゃ。間違っても細かく砕いたりしてはいかんぞ。
鍬を上から大きく打ち込んで、そのまま上下をひっくり返してやればいい。
大きすぎる場合は、土の塊りを適当に砕く。見た目が、ゴロゴロとしているような感じで上等だ。
掘りあげていくと、そうすると、こんなやつも出てくる」
ほらよっ、と言って、徳次郎が土の塊の中から冬眠中の幼虫をつまんでみせます。
冬眠中のクワガタかカブトムシと思われる幼虫です。
「丸くなって冬眠している。触ってもこやつらは全く動かん。
土をひっくり返すことによって、虫や細菌を殺してやろうという算段も含まれておる。
だから、ひっくり返したこの畝は、このままで放置をするんだ。
霜が降りたり凍ったりすることにより、作物に害をおよぼす虫や卵や細菌どもは死んじまう。
大きな土塊のままで砕かないのは、土の中の空気の流通をよくするためだ。
大風が吹いて空気が動くと、土は更に冷えることになる。
これは大昔から農家がやってきた、冬のあいだに土を鍛えるための唯一の方法だ。
凍ったり溶けたりを繰り返すことで、土も自然に砕けて柔らかくなる。
どうだ、なかなかに大したもんだろう。
ただ耕すだけで春のための新しい土が生まれてくるんだからな。
だから、もう寒いからなどとサボっておらず、必死になって耕すだけは耕しておいた方が、
あとあとのためにも、きっとなる」
「あとあとのため?。・・・・
おかしいなぁ、ご老人。なにか別の使い道でもありそうな、そんな口ぶりですが」
「おう。春になったらお前の母の千佳が、ここへホウレンソウを植えるそうだ。
桑畑に作られた畝を利用して、春物や夏野菜を育ててきたのは昔からのよく使われた方法だ。
幸いなことにこの近所の畑でも、来年からは農薬を一切使わなくなるという話を決めた。
蚕用の桑畑ともなれば、そのくらい周囲の協力などが必要となる。
無農薬で有機の土壌なら、いま流行りの安心で安全な野菜がいくらでもたくさんに育つ。
お前さんたちがここへ桑畑を完成させる前に、千佳の無農薬の野菜が先に育ちそうだのう。
だがそれもまた、一興だろう。今年の春は、いまから面白くなりそうだのう」
「徳次郎はん。桑の木が育って蚕に食べさせるまでに、どのくらいかかりますか」
「来年の春に定植して、無事に根が付けばそれから2年後には一人前の桑の木に育つじゃろう。
3年目の春が来れば、ここは一面の桑畑にかわることだろう。
楽しみじゃのう。たかが3年後だが、されどたったの3年後の話じゃ。
そんなことよりも、さぁ、さぁ仕事だ、仕事!。 働け、働け、未来を担う若者たちよ!
あっはっは。・・・さぁてと、わしは家に戻って、ばあさんとお茶でも飲むか。いっひっひ」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「桑の木を育てるための環境作りは、桑苗が育つ前からはじまる」
蚕の餌となる桑を育てるうえで、もっとも神経をつかうことのひとつが
農薬が桑の葉にかからないようにするための工夫です。
桑の葉を育てる畑はもちろんのこと、近くにある野菜畑でも農薬を散布してはいけません。
繭を創りだす蚕という生き物は、タバコや蚊取り線香の煙を吸っただけでも死んでしまいます。
それほどまでにきわめてデリケートで、繊細な幼虫なのです。
餌となる桑の葉は、こうした整った環境の中でしか栽培することができません。
桑の葉は春から秋にかけて大きく成長し、秋にはすべての葉を落とし来るべき厳しい冬に備えます。
桑の木を維持するための大切な作業が、葉っぱが落ちてからの剪定です。
冬の間にしっかりと剪定をしておかないと、翌春からの桑の葉の成長がよくありません。
また、桑の木はたった1年間手入れしないだけでも荒れ果ててしまうというほど、
きわめてデリケートな木ですので、この冬のあいだの管理は、欠かすことができません。
ジングルベルの音色とともに年の瀬がまたたくまに過ぎ去り、門松たちが戸口を飾る
新年を迎えると、群馬には本格的な降霜とからっ風の季節がやってきます。
1月と2月の厳冬期に入ると、はぼ毎日のように、畑は降霜によって真っ白に変わります。
この時期特産となる白菜は、霜の害から内部の葉を守るために『ハチマキ』と呼ばれる方法で、
頂点の部分を紐でキツく縛りあげ、厳冬期の凍結から我が身を守ります。
露地で栽培をされているほうれん草やネギたちも、真っ白に凍てつきながらいつものように朝を迎えます。
この頃から猛威をふるい始める『赤城颪(あかぎおろし)』とは、
群馬県の南部一帯を、北西から吹きおろしてくる乾燥した冷たい季節風のことです。
『上州の空っ風(じょうしゅうのからっかぜ)』と別名で呼ばれています。
大陸のシベリア寒気団から日本列島に向けて吹きつけてきた雪を含んだ強風が、群馬県と長野県・新潟県境の
山岳部に大量の雪を毎年のように降らします。
水分を失って乾いた風となったこの強風が、信越の山肌に沿って一度上昇をしたあと、
関東平野の最北端にそびええている赤城山の山肌に沿って、激しい勢いで平地へ向かって吹き降ろしてきます。
これが季節風の『赤城颪』です。群馬県太田市や伊勢崎市の郊外では、赤城おろしの強風で
畑地の砂塵が巻き上げられ、空を薄黄色く染める光景が度々にわたり目撃をされます。
康平と英太郎が、来るべき春のために準備をした3000本にわたる桑の苗木たちも、
本格的な冬ごもりの準備の季節に入りました。
霜と凍結から桑の苗木を守るために、わらを敷き詰め、その上に防御用のネットを頑丈に掛けていきます。
放置したままでは吹き荒れる強風が、苗木の根元からすべての土を吹き飛ばしてしまうからに他なりません。
もうひとつ冬のあいだの大切な畑での作業が、土壌を改善するための畝(うね)の掘り返しです。
畝(うね)は、 畑で作物を作るために、細長く直線状に土を盛り上げていく部分のことです。
畑の中に部分的に高く盛りあがった畝を作ることで、適度となる乾燥と保湿を維持することができます。
畝のもつ最も大切な機能が、土と水分、空気の3つを常に適正に保つことにあります。
この畝を良好な状態に常に保つためには、表面が凍り始めてくる厳冬の時期に、
伝統的な『畝起こし』と呼ばれる作業を、何度も繰り返す必要があります。
通常であればトラクターなどで畑を攪拌して土をかき混ぜていきますが、厳冬期の作業にかぎり、
別の意味合いを含んでいるために、すべて人手による作業が必要となります。
その日の朝。徳次郎老人が新品の鍬(くわ)を手に、2人の前に現れました。
金属製の刃がついている鍬は、農産物周辺の土を掘り起こし、雑草などを取り除く際に使用されます。
洋の東西を問わず一揆や反乱などの時には、農民たちの武器としても使われた道具です。
「さて。本格的な百姓の必需品といえば、この鍬のことだ。
シンプルな道具だが、土の掘り起こしから雑草の退治、地中に有る根菜類の収穫や
水路工事にまで使えるという、いたって万能の優れものじゃ。
いまどきの若い連中は機械ばかりを使いたがるから、身体がなまっていかん。
鍬を一日中振り回すことで、充分すぎるほどに己の足腰を鍛錬することにもなる。
ということで、今日からは冬の名物、『真冬の畝起し』の作業じゃ。
断っておくが、この作業は春まで断続的につづける必要がある、きわめて大切な段取りのひとつじゃ。
大地が凍てつく時期だからといって、コタツでぬくぬくしているようでは明日は来ないぞ。
ほい。これが康平用で、こっちの柄の長いほうが長身の榮太郎用じゃ」
「え・・・・柄の長さにも、個人差などがあるのどすか?」
「当たり前じゃ。人力が全てだった時代に、この鍬という道具は万能だった。
様々な用途に応じて、先端の部分にも工夫などが施され、重い粘土用や軽砂地用では別の形にもなる。
2尺から6尺まで、用途に応じ、人の体型に応じて当然ながら柄の長さも工夫をされておる」
「で。これを片手に5反の畑を耕そうというのですか・・・まったく、木の遠くなるような話だ」
「バカモン。百姓とは常にそういうものじゃ。
つべこべ言わずに動き始めてしまえば、それだけ早く終わりもやってくるというもんじゃ。
今時の若い連中は、そんな簡単な理屈もわからんと見える。
手と足にたっぷりとマメができてこそ、真の百姓が誕生するというもんじゃ。あっはっは」
「康平はん。どうやら、諦めも肝心のようどす。
そこまで言われたら、引き下がる訳にもおりません。
じゃあ、やりますか。徳次郎はん、なんか、コツのようなものがありますか?」
「耕し方には、当然のようにコツがある。
まずは、大きく荒く耕すことじゃ。間違っても細かく砕いたりしてはいかんぞ。
鍬を上から大きく打ち込んで、そのまま上下をひっくり返してやればいい。
大きすぎる場合は、土の塊りを適当に砕く。見た目が、ゴロゴロとしているような感じで上等だ。
掘りあげていくと、そうすると、こんなやつも出てくる」
ほらよっ、と言って、徳次郎が土の塊の中から冬眠中の幼虫をつまんでみせます。
冬眠中のクワガタかカブトムシと思われる幼虫です。
「丸くなって冬眠している。触ってもこやつらは全く動かん。
土をひっくり返すことによって、虫や細菌を殺してやろうという算段も含まれておる。
だから、ひっくり返したこの畝は、このままで放置をするんだ。
霜が降りたり凍ったりすることにより、作物に害をおよぼす虫や卵や細菌どもは死んじまう。
大きな土塊のままで砕かないのは、土の中の空気の流通をよくするためだ。
大風が吹いて空気が動くと、土は更に冷えることになる。
これは大昔から農家がやってきた、冬のあいだに土を鍛えるための唯一の方法だ。
凍ったり溶けたりを繰り返すことで、土も自然に砕けて柔らかくなる。
どうだ、なかなかに大したもんだろう。
ただ耕すだけで春のための新しい土が生まれてくるんだからな。
だから、もう寒いからなどとサボっておらず、必死になって耕すだけは耕しておいた方が、
あとあとのためにも、きっとなる」
「あとあとのため?。・・・・
おかしいなぁ、ご老人。なにか別の使い道でもありそうな、そんな口ぶりですが」
「おう。春になったらお前の母の千佳が、ここへホウレンソウを植えるそうだ。
桑畑に作られた畝を利用して、春物や夏野菜を育ててきたのは昔からのよく使われた方法だ。
幸いなことにこの近所の畑でも、来年からは農薬を一切使わなくなるという話を決めた。
蚕用の桑畑ともなれば、そのくらい周囲の協力などが必要となる。
無農薬で有機の土壌なら、いま流行りの安心で安全な野菜がいくらでもたくさんに育つ。
お前さんたちがここへ桑畑を完成させる前に、千佳の無農薬の野菜が先に育ちそうだのう。
だがそれもまた、一興だろう。今年の春は、いまから面白くなりそうだのう」
「徳次郎はん。桑の木が育って蚕に食べさせるまでに、どのくらいかかりますか」
「来年の春に定植して、無事に根が付けばそれから2年後には一人前の桑の木に育つじゃろう。
3年目の春が来れば、ここは一面の桑畑にかわることだろう。
楽しみじゃのう。たかが3年後だが、されどたったの3年後の話じゃ。
そんなことよりも、さぁ、さぁ仕事だ、仕事!。 働け、働け、未来を担う若者たちよ!
あっはっは。・・・さぁてと、わしは家に戻って、ばあさんとお茶でも飲むか。いっひっひ」
・「新田さらだ館」は、
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多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
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