つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(49) 一重の太鼓帯
翌日。大晦日の31日がやって来た。
すずが約束通りの時間に置屋「市松」へ、正装の着物姿で現れた。
和裁士らしい、非の打ちどころのない着こなしだ。
すずがくるりと背中を見せた瞬間。
優雅に結ばれている袋帯のお太鼓に、思わず、女将の恵子の目がとまる。
お太鼓というのは、女帯の結び方のひとつだ。
帯を結び上げたとき。背中に出来る飾りの部分には、それぞれの形にちなんだ
別々の呼び方が有る。
お太鼓の場合。丸帯や袋帯は二重太鼓。名古屋帯では一重の太鼓に結ぶ。
江戸の末期。亀戸天神に太鼓橋ができた時、丸いふくらみにヒントを得た芸者衆が、
お太鼓の形に帯を結んだところから、この名前がついた。
背中に一重で作ったものを、一重太鼓。
二枚に重ねて作ったものを、二重太鼓と呼ぶ。
真後ろから見たのでは分からない。
だが横から見ると、帯の生地が二重に重なっているため、素人目にも、
一目で違いがすぐ分かる。
「あら・・・珍しいどすなぁ。
正装時のお太鼓と言えば、二重に巻くものとばかり思い込んでおりました。
それをあえて、一重に巻くとはお洒落どすなぁ。
さすがは和装の先生どす」
恵子の疑問は当然だ。
お太鼓と言えば、二重に重ねて背中の膨らみをつくる。
恵子も舞妓からの襟替えの時。迷わず帯のお太鼓を二重にした。
舞妓としてデビューし、4~5年も経つと、おおくが大人の芸妓として一本立ちをする。
その後。芸妓としてさらに専門技能を磨くため、立方(たちかた=舞)か、
地方(じかた=三味線)の選択をする。
この頃から、着物は舞妓よりも地味な色柄を選ぶようになる。
袂は短くなり、帯はお太鼓で結んでいくなど、装束そのものが大きく変化していく。
女性が帯を結ぶようになったのは、織田信長が活躍した戦国時代からだ。
半幅で帯を結ぶようになったのが、帯の文化の始まりだ。
並幅(約36センチ)を半分に折り、鯨尺で4寸仕立てることから半幅と呼ばれた。
別名を、細帯、四寸帯などと呼ばれている。
ちなみに男性の帯は、聖徳太子の時代以前からすでに使われていた。
「エッ・・・男性のほうが、帯の歴史は古いんどすか?」
「ハイ。男性の帯は、剣や刀を差すための道具として使われておりました。
女性は着物を留めるだけですから、紐のような文化どす。
男性の帯は、命を守るための大切な道具。
女性の帯は、着飾るための、ただの遊びの道具。
しきたりや決まりごとに捉われないで、自由に楽しむのが、女性の帯です」
「目からウロコどすなぁ!。
正装の場では必ず、袋帯の二重太鼓を締める様にと言われてきましたが、
それは間違いなのどすか!」
ワインを抱えてやって来た池田屋の女将・多恵が、すずの背中で目を丸くする。
そういえば、くるりと回って見せた多恵の背中にも、見事に二重のお太鼓が
しっかりと結ばれている。
「ええ。正装の場なら、丸帯の一重太鼓が正式です。
正確に言えば、標準体形から太めのかたは、一重のお太鼓で結びます。
かなり細めの方は、二重の太鼓に結びます。
けど。女性にとって帯というものは、お洒落を楽しむための、ただの遊び道具。
ご自分の体型に合わせてもっと自由に帯を楽しんだら、良いでしょう」
『みなさま。着物がお似合いになる体型ですから』と、すずが目を細めて笑う。
「けどなぁ。心配になるのはこれからどすなぁ。
ウチ、根っからの食いしん坊やろ。
中年太りで、これからこのあたりが、ぶくぶく肥っていくのが心配なんどす」
ワインを抱えた多恵が帯の下のほうを、ポンポンとたたく。
そんな多恵の様子に、恵子が片目をつぶって、軽い牽制球を投げる。
「アンタは悪食のし過ぎや。
男の悪食もたいがいにせんと、いまにきっと酷い目にあうでぇ。
そういえば美空ひばりが、復活の時に歌った唄。
みだれ髪の歌詞の中にも、♪春は二重に 巻いた帯 三重に巻いても 余る秋~♪
というのが有りましたなぁ。
でもなぁ。減るならいいんどすが、ウチ等は、体重が増えるばかりどすからなぁ。
ウェスト周りのこのあたりには、黄色い信号が点っております・・・
そのうちに、きっと、一重の帯でも苦しくなりそうや・・・」
(50)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
(49) 一重の太鼓帯
翌日。大晦日の31日がやって来た。
すずが約束通りの時間に置屋「市松」へ、正装の着物姿で現れた。
和裁士らしい、非の打ちどころのない着こなしだ。
すずがくるりと背中を見せた瞬間。
優雅に結ばれている袋帯のお太鼓に、思わず、女将の恵子の目がとまる。
お太鼓というのは、女帯の結び方のひとつだ。
帯を結び上げたとき。背中に出来る飾りの部分には、それぞれの形にちなんだ
別々の呼び方が有る。
お太鼓の場合。丸帯や袋帯は二重太鼓。名古屋帯では一重の太鼓に結ぶ。
江戸の末期。亀戸天神に太鼓橋ができた時、丸いふくらみにヒントを得た芸者衆が、
お太鼓の形に帯を結んだところから、この名前がついた。
背中に一重で作ったものを、一重太鼓。
二枚に重ねて作ったものを、二重太鼓と呼ぶ。
真後ろから見たのでは分からない。
だが横から見ると、帯の生地が二重に重なっているため、素人目にも、
一目で違いがすぐ分かる。
「あら・・・珍しいどすなぁ。
正装時のお太鼓と言えば、二重に巻くものとばかり思い込んでおりました。
それをあえて、一重に巻くとはお洒落どすなぁ。
さすがは和装の先生どす」
恵子の疑問は当然だ。
お太鼓と言えば、二重に重ねて背中の膨らみをつくる。
恵子も舞妓からの襟替えの時。迷わず帯のお太鼓を二重にした。
舞妓としてデビューし、4~5年も経つと、おおくが大人の芸妓として一本立ちをする。
その後。芸妓としてさらに専門技能を磨くため、立方(たちかた=舞)か、
地方(じかた=三味線)の選択をする。
この頃から、着物は舞妓よりも地味な色柄を選ぶようになる。
袂は短くなり、帯はお太鼓で結んでいくなど、装束そのものが大きく変化していく。
女性が帯を結ぶようになったのは、織田信長が活躍した戦国時代からだ。
半幅で帯を結ぶようになったのが、帯の文化の始まりだ。
並幅(約36センチ)を半分に折り、鯨尺で4寸仕立てることから半幅と呼ばれた。
別名を、細帯、四寸帯などと呼ばれている。
ちなみに男性の帯は、聖徳太子の時代以前からすでに使われていた。
「エッ・・・男性のほうが、帯の歴史は古いんどすか?」
「ハイ。男性の帯は、剣や刀を差すための道具として使われておりました。
女性は着物を留めるだけですから、紐のような文化どす。
男性の帯は、命を守るための大切な道具。
女性の帯は、着飾るための、ただの遊びの道具。
しきたりや決まりごとに捉われないで、自由に楽しむのが、女性の帯です」
「目からウロコどすなぁ!。
正装の場では必ず、袋帯の二重太鼓を締める様にと言われてきましたが、
それは間違いなのどすか!」
ワインを抱えてやって来た池田屋の女将・多恵が、すずの背中で目を丸くする。
そういえば、くるりと回って見せた多恵の背中にも、見事に二重のお太鼓が
しっかりと結ばれている。
「ええ。正装の場なら、丸帯の一重太鼓が正式です。
正確に言えば、標準体形から太めのかたは、一重のお太鼓で結びます。
かなり細めの方は、二重の太鼓に結びます。
けど。女性にとって帯というものは、お洒落を楽しむための、ただの遊び道具。
ご自分の体型に合わせてもっと自由に帯を楽しんだら、良いでしょう」
『みなさま。着物がお似合いになる体型ですから』と、すずが目を細めて笑う。
「けどなぁ。心配になるのはこれからどすなぁ。
ウチ、根っからの食いしん坊やろ。
中年太りで、これからこのあたりが、ぶくぶく肥っていくのが心配なんどす」
ワインを抱えた多恵が帯の下のほうを、ポンポンとたたく。
そんな多恵の様子に、恵子が片目をつぶって、軽い牽制球を投げる。
「アンタは悪食のし過ぎや。
男の悪食もたいがいにせんと、いまにきっと酷い目にあうでぇ。
そういえば美空ひばりが、復活の時に歌った唄。
みだれ髪の歌詞の中にも、♪春は二重に 巻いた帯 三重に巻いても 余る秋~♪
というのが有りましたなぁ。
でもなぁ。減るならいいんどすが、ウチ等は、体重が増えるばかりどすからなぁ。
ウェスト周りのこのあたりには、黄色い信号が点っております・・・
そのうちに、きっと、一重の帯でも苦しくなりそうや・・・」
(50)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら