北へふたり旅(9)
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それから2日後。ベトナムの初出勤の日がやってきた。
出迎えるパートの方が緊張している。
朝8時。Sさんに連れられて、ベトナムの2人がやってきた。
中肉中背のテフは、28才の既婚者。
丸ぽちゃ体型のドンは、22歳のおばあちゃん子。と紹介された。
2人とも「おはようございます」と元気な日本語で挨拶した。
流ちょうな日本語だ。
(ねぇ。たった2ヶ月であんな風に、ベトナム語を話せるようになるかしら。
あたしたち?)妻がわたしのわき腹を、突く。
「無理だろうな。
おまえときたらいまだに日本語を間違えることがある。
3年かかってもおそらく、ベトナム語を話せないだろう」
「失礼ね。じゃあなたは出来るの?。ベトナム語」
「シンチャオ、これひとつでOKさ。
朝でも昼でも夜でもこれひとつ。これで挨拶したことになる」
「早いわね。もう覚えたの。ベトナムの挨拶を」
「これだけさ。あとは、テポドンに教えてもらう」
「テポドン?
失礼ですねぇあなたったら。
テポドンは北朝鮮の弾道ミサイルのことでしょ。
来たばかりのテフ君とドン君を、そんな風に呼んだら失礼です」
「おっ君はもう2人の名前をちゃんと覚えたんだ」
(あなたったらあいかわらずですねぇ。
人の名前を覚えるのが、ホントに苦手ですね)
妻がクスリと笑う。
20年あまり接客の仕事をしてきた。しかし大の苦手が、人の名前を覚えることだ。
(いいのあなたは、料理だけで。接客はわたしにまかせて)
という妻にささえられ、20年にわたる居酒屋家業をまっとうしてきた。
家業の幕引きを考えたのは65才の秋。
深夜までの仕事に、身体がついていかなくなった。
いちど言い出すとあとに引かない性格を、妻は熟知している。
(いいわよ。あなたがそういうのなら。
わたしも人さまの機嫌をとるのに、しょうしょう疲れてきました。
花道があるうちの幕引きも、わるくありません)
(あと数年。居酒屋を頑張ろうかと考えた。
でもさ。燃え尽きるまで頑張っても、それで終わりじゃ味気ない。
もう一花、別の世界で咲かせるのもわるくない。
それに元気なうちに転職しなきゃ、雇ってくれるひとに申し訳ない)
(あら。リタイヤするわけじゃないの、あなたは。
まだ働くつもりですか。この先も?)
(あたりまえだろう。年金だけじゃ心細い。
農家がいいな。野菜は無駄な口をきかない。こころ静かに仕事にはげめる)
(さすが農耕民族の末裔ですね。あなたは・・・ふふふ)と妻が目を細める。
幕引きを決めてから半月後。
7日間のさよならパーティーのすえ、わたしたちの居酒屋は閉店した。
おおくのひとたちが閉店を惜しんでくれた。
(10)へつづく
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それから2日後。ベトナムの初出勤の日がやってきた。
出迎えるパートの方が緊張している。
朝8時。Sさんに連れられて、ベトナムの2人がやってきた。
中肉中背のテフは、28才の既婚者。
丸ぽちゃ体型のドンは、22歳のおばあちゃん子。と紹介された。
2人とも「おはようございます」と元気な日本語で挨拶した。
流ちょうな日本語だ。
(ねぇ。たった2ヶ月であんな風に、ベトナム語を話せるようになるかしら。
あたしたち?)妻がわたしのわき腹を、突く。
「無理だろうな。
おまえときたらいまだに日本語を間違えることがある。
3年かかってもおそらく、ベトナム語を話せないだろう」
「失礼ね。じゃあなたは出来るの?。ベトナム語」
「シンチャオ、これひとつでOKさ。
朝でも昼でも夜でもこれひとつ。これで挨拶したことになる」
「早いわね。もう覚えたの。ベトナムの挨拶を」
「これだけさ。あとは、テポドンに教えてもらう」
「テポドン?
失礼ですねぇあなたったら。
テポドンは北朝鮮の弾道ミサイルのことでしょ。
来たばかりのテフ君とドン君を、そんな風に呼んだら失礼です」
「おっ君はもう2人の名前をちゃんと覚えたんだ」
(あなたったらあいかわらずですねぇ。
人の名前を覚えるのが、ホントに苦手ですね)
妻がクスリと笑う。
20年あまり接客の仕事をしてきた。しかし大の苦手が、人の名前を覚えることだ。
(いいのあなたは、料理だけで。接客はわたしにまかせて)
という妻にささえられ、20年にわたる居酒屋家業をまっとうしてきた。
家業の幕引きを考えたのは65才の秋。
深夜までの仕事に、身体がついていかなくなった。
いちど言い出すとあとに引かない性格を、妻は熟知している。
(いいわよ。あなたがそういうのなら。
わたしも人さまの機嫌をとるのに、しょうしょう疲れてきました。
花道があるうちの幕引きも、わるくありません)
(あと数年。居酒屋を頑張ろうかと考えた。
でもさ。燃え尽きるまで頑張っても、それで終わりじゃ味気ない。
もう一花、別の世界で咲かせるのもわるくない。
それに元気なうちに転職しなきゃ、雇ってくれるひとに申し訳ない)
(あら。リタイヤするわけじゃないの、あなたは。
まだ働くつもりですか。この先も?)
(あたりまえだろう。年金だけじゃ心細い。
農家がいいな。野菜は無駄な口をきかない。こころ静かに仕事にはげめる)
(さすが農耕民族の末裔ですね。あなたは・・・ふふふ)と妻が目を細める。
幕引きを決めてから半月後。
7日間のさよならパーティーのすえ、わたしたちの居酒屋は閉店した。
おおくのひとたちが閉店を惜しんでくれた。
(10)へつづく