落合順平 作品集

現代小説の部屋。

北へふたり旅(35) 第四話 農薬①

2019-08-22 16:48:44 | 現代小説
北へふたり旅(35)
 


 キュウリの収穫が終わるとその日のうち、枯らす作業がはじまる。
キュウリの木を、根っこからすべて引き抜いていく。
土とつながっていると枯れないからだ。
抜き終わるとハウスが密閉され、除草剤がまかれる。


 ガスが発生する。
青々していたキュウリの木が目の前で、見る間に枯れていく。
あっという間の惨状に、息をのみこむ。


 「初めてみましたが、すごいですね・・・
 驚きました」


 「間違ってもハウスに入るなよ。
 有毒だからな。あれは」


 「有毒?。
 ハウスの中で毒ガスが発生しているのですか、あの状態は」


 「毒ガスじゃない。だが似たようなものだ。
 覚えているだろう。
 ベトナム戦争でアメリカ軍が、ジャングルに枯葉剤をまいたことを」


 「知ってます。猛毒の枯葉剤でしょ。
 下半身がつながった双子のベトちゃんと、ドクチャンの登場は
 枯葉剤の恐ろしさを全世界につたえました。
 ハウスの薬は、それに匹敵するということですか?」


 「ある意味、それ以上かもしれねぇ。
 ベトナム戦争から40年以上経っている。
 その間、農薬の研究は、すさまじい勢いで進化したからな」


 「ベトナムでつかわれた枯葉剤以上ですか・・・。
 たしかに目の前で枯れていく様は、ベトナム以上かもしれません」


 「懐かしいよな。歌声喫茶で反戦ソングを歌っていたあの頃が」


 「反戦ソング?
 へぇぇ・・・Sさんにもそんな時代があったのですか」


 「バカにすんな。土ばっかりいじっていたわけじゃねぇぞ。
 高校生の頃はバレーボールに明け暮れて、腹筋も6っつに割れていた。
 戦争をしらない子供たちは、当時の俺の18番だった」


 「門倉有希のノラがおはこかと思っていました。
 10代の頃は反戦フォークですか。
 失礼しました。
 Sさんにも熱い時代があったんですね」


 「そういうマスターだって、安保反対で東京までデモに行っただろ。
 あの頃はおたがい青かったなぁ・・・」


 「日本で化学肥料や農薬が使われるようになったのは、いつ頃からですか?」


 「終戦後だ。
 敗戦で1000万人が餓死するかもしれない食糧難がやってきた。
 生産量を拡大するため、入植(開拓)と化学肥料と農薬の普及がさかんになった。
 1950年代は日本農業のおおきな分岐点をうんだ」


  日本ではその昔、「虫追い」、「虫送り」などの行事が有った。
農家がみんなで太鼓や半鐘、たいまつをもち、おおきな声を出しながら
田んぼのまわりを歩き、稲につく虫を追い払った。


 江戸時代にはいると、鯨からとった油を水田に撒いた。


 戦前は除虫菊(蚊取り線香と同じ成分)、硫酸ニコチンなどを用いた殺虫剤や、
銅、石灰硫黄など、天然物由来の農薬が使われた。
しかし雑草に対しては手取りが中心だった。
手取りという原始的な草取りは、戦後、除草剤が開発されるまでつづいた。
炎天下におこなわれるこの作業は、なんとも大変な重労働だった。


(36)へつづく


北へふたり旅(34) 第三話 ベトナム基準⑭

2019-08-11 17:45:28 | 現代小説
北へふたり旅(34) 




 妻の顔を見て、顔なじみのクラフトマンが飛んできた。
「お待ちしていました」最上級の笑顔を見せる。


 店舗のほぼ中央。クラフトマンの作業部屋がある。
クラブを加工するための道具が、所狭しと並んでいる。


 「頼まれていたLシャフトのゼクシオ9です」


 妻のためのクラブを抱えてきた。
シャフトはフランスボルドー産のボルドー色。
妻が好む色だ。
日本酒や焼酎は、ほとんどが無色透明。
日本の色彩に酒に由来するものはまったくない。


 ワインやウィスキー、コニャックは淡い黄色から褐色、赤紫色まで存在する。
酒は大人を酔わせ、夜の社交を彩る。
深みのあるワイン色の赤には幅広いバリエーションがある。
ワインレッドは濃い紫がかった赤で、ボルドーの赤は暗い。


 「わたしのために頼んでおいてくれたの?」


 「いらないならキャンセルしてもいいよ」


 「あなたからのひさしぶりのプレゼントです。
 辞退するなんてもったいない。あら・・・」


 3・4・5のフェアウェイウッドの中に、5番ユーティリティが混じっている。


 「5番ユーティリティ?」


 妻はユーティリティクラブをつかったことがない。
初めてのクラブに興味をしめす。
ユーティリティは、フェアウェイウッドとアイアンの中間クラブ。


 「女性用アイアンは、7番からが主流です。
 5番ウッドと7番アイアンのあいだを埋めるクラブが、5番ユーティリティです。
 別売りの5番アイアンと6番アイアンもありますが、非力な方には
 使いやすいユーティリティをおすすめしています」


 「ふぅ~ん。で、つかいやすいの、これ?」


 「好みもあります。でも私はおおくの女性これをおすすめしています」


 「山ちゃんが言うなら信用するわ。
 振ってみたいわね、今すぐにでも。
 でもね、残念ながらまだ振ることができないの、わたし」


 「なにか不具合でもあるのですか?」


 「右の手首を骨折しちゃったの。
 チタンプレートで固定したので痛みはありませんが、まだリハビリ中なの。
 なかなかもとに戻らないのよ、握力が・・・」


 「なるほど。そういう事情があってLシャフトに変更したのですか。
 なかなか的を得たナイスな判断だと思います」


 「リハビリが中だるみ状態なの。
 説教するより、ニンジンを鼻先へさげたほうが速いと考えたのかしら」


 「あと10年ゴルフをなさるのなら、いまLシャフトに切り替えるのは有りです。
 ながく楽しんでください。ゴルフ人生を」
 
 「夢があるのよわたしたち。
 笑っちゃ駄目よ。
 ゴルフの聖地・セントアンドリュースへ2人で行きたいの」


 「いいですねぇ~。
 世界中のゴルファーが一度は訪れたいと夢見ているセント・アンドリュース。
 スコットランドです。
 ゴルファーはみんな夢に見ていますが、実際には遠いですからね」


 「そうなの。遠いのよ。セントアンドリュースは。
 わたし高所恐怖症なの。だから飛行機はぜんぜん駄目。
 船で行くしか方法がないでしょ。
 そうすると聖地へ着く前に、豪華な船旅に費用がかかりすぎて、
 破産してしまいそうです・・・うふっ」
 
 
 (35)へつづく 


北へふたり旅(33) 第三話 ベトナム基準⑬

2019-08-06 11:23:19 | 現代小説
北へふたり旅(33)




 妻の骨折から3ヶ月が過ぎた。
週2回のリハビリの結果、「本日でリハビリは終わりです」
ついに終了の日がやってきた。


 手首に、5㌢のうすい傷跡がのこっている。
切開時のメスの跡だ。
冬にむかい日ごと気温が下がる中、「すこし冷える」と、
チタンプレートの入った手首を気にしている。


 3ヶ月間を完走できたのには理由がある。
リハビリが中盤にさしかかった頃、熱意がすこし冷めてきた。
成果が中だるみのせいもある。


 「手首に負担がかかるから、重いものを持ってはいけないんですって。
 すすんでいるのかしら。わたしのリハビリは?」


 
 手術した翌日から、手首のリハビリははじまった。
週2回が3ヶ月つづく。
さいしょのうちは、張り切って出かけて行った。
しかし。日にちがすすむにつれ、熱意が沈んでいく。


 ゴムボールを握りしめることもなくなった。
調理や洗濯、右手をかばいながらの掃除にそれほど不具合は見えない。
2ヶ月が過ぎた頃。「すすまないリハビリに意味があるのかしら?」と妻がつぶやく。
農家の仕事は休業中。
2人分の家事がおわると、あとは退屈だけが待っている。


 キュウリがつづいているうちは出勤できない。
10キロを超えるコンテナの持ち運びは、右手に負担とストレスを溜める。
キュウリの期間中は、ぜんぶ休めとSさんから許可が出た。
これが裏目に出た。


 「・・・だって退屈なんだもん」


 仕事から帰るたび、妻が不満を口にする。
「じゃ、出かけようか」というと、妻の顔が明るくなる。
もともと家にいることが、大嫌いな人だ。

 「テレビの番人はあきました。
 歳をとって動けなくなればそのうち、いやでもたっぷり見られます」

(60を過ぎればじゅうぶん、歳をとっていると思うが・・・)
と小声で言えば、


 「病人じゃないの。あたしは。
 右手がすこし不自由なだけです。
 あとは何処も悪くない、いたって健康な大人です」


 「見りゃわかるさ。ストレスが溜まってんだろ。
 いいよ。出かけよう」


 行く先を告げず、車へ乗り込む。
妻は無類の車好き。
20代の頃は、スポーツタイプの車を乗り回していた。
その習性はいまも残っている。
高速道路でアクセルを、べたに踏み込む。
2車線の道路にすき間があれば、前へ出ようと車線をかえる。


 「ママ。いい加減にしてくださいな。
 いい歳なんだから、どしっとかまえて優雅に運転してください」


 助手席へすわる娘が、ハンドルを切りまわす妻をたしなめる。


 そういう娘にも妻の血が流れている。
スポーツタイプの車に乗らないが新車を買うたび、なぜか派手な音をたてる
マフラに取り変える。


 「あなたこそ、静かに帰ってきてください。
 家のちかく50mまできたらエンジンを切り、しずかに入ってください。
 みんな寝ているのよ。ご近所さんも。パパも」


 「午後の8時に寝るのは早すぎます。
 パパに言ってください。
 人生の半分を、寝て過ごすつもりですかって」


 「寝る子は育つそうです」


 「70がちかいのよ。育つわけないじゃない。
 なに考えてんのさ。パパも、ママも」
 
 (34)へつづく