オヤジ達の白球(8)没収試合
「どれ」カウンターの一番奥から北海の熊が立ち上がる。
熱燗徳利を片手に、つかつかと岡崎と坂上のテーブルへ歩み寄る。
北海の熊は土木の現場で重機をあやつっている。
一般になじみのある建設機械といえば、油圧ショベル(ショベルカー)や
ラフテレーンクレーン(クレーン車)などがあげられる。
熊が動いたことで、店内の飲んべェ達も動き始めた。
やがてすべての男たちが、岡崎と坂上の周りに集まった。
不定期にふらりとあらわれ、カウンターで一時間ほど呑んで帰っていく
謎の美女の正体は、ここに集まる飲んべェたち全員の最大の関心事だ。
その正体が判明したとなるとただ事ではない。
「いいだろう。
それが確かなら、今夜のお前さんの飲み代は、俺が全部払ってもいい。
だが、いつものようにガセネタや、嘘だったら勘弁しないぞ。
北海の熊が言うように、お前さんは信用できねぇ。
頓珍漢な情報ばかり拾ってくる。
どうせ今回も眉唾(まゆつば)だろうが、たまにはまぐれで当たることもある。
聞かせろ。全員がもう固唾を飲んで、お前の周りに集まってきた」
常連客を代表して、消防士上がりの寅吉が坂上に詰め寄る。
寅吉は20年ちかく東京消防庁で勤務してきた。
災害時に威力を発揮する特別レスキューの隊員として、最前線で活動してきた。
実績を積み重ね、人望も篤く、さてこれからというとき父親が倒れた。
家は代々つづくネギ農家。
家業を継ぐため昨年の冬、消防庁を勇退して故郷へ戻って来た。
ここまで書けば寅吉は、なかなかの男のように思える。
だが実態は大いに違う。仕事に関しては生真面目だ。
どんなときでも先頭をきって出動し、身体を張り、職務をまっとうする。
だが私生活がとにかくだらしない。
女からの誘惑に弱い。まったくもって弱すぎる。
酒をしこたま飲んでは、男ならだれでもよい好色な女の餌食になって来た。
そんな生き方が、ついに災いした。
長年連れ添った女房と3人の娘は、東京に残ったまま。
協議離婚の話が進行中で、単身というさびしいかたちの帰郷になった。
全員の顔を見上げ、坂上が自信たっぷり、ニヤリと笑う。
「へへへ。聞いて驚くな。お前さんたち。
今朝のことだ。
俺は町内親睦のソフトボール大会の、グランド整備に駆り出された」
「毎年おこなわれている親睦ソフトボール大会のことだろう。
それがいったいどうした。
最近は集まりが悪すぎるので、誰彼かまわず強引に駆り出されているそうだ。
しかしお前さんは、運動とはまったく無縁のはずだ。
ソフトボールもろくに出来ないくせに、よく声がかかったなぁ・・・・
よほど人材が不足しているんだな、お前さんの地区は」
「うるせぃ、ほっとけ。
こうみえても俺は、中学生のときは野球部だ。
万年補欠で、外野の草むしりと、グランドの石拾いが専門だったけどな。
その気になればいまでも身体が覚えているのさ。
グランド整備に関してはな」
「おめえのグランド整備の話が聞きてぇわけじゃねぇ。
女の正体はどうした?。
おめえのグランド整備と、いったいどんな関係が有るんだ?」
「あわてるな。俺の話を最後まで聞け。
今年はよ、公式の審判員たちが呼ばれていた。
去年の試合でチームぐるみの不正があり、乱闘騒ぎになったことがあるだろう。
その対策として今年は、公認の審判員たちを呼んだそうだ」
「あっ・・・例の乱闘騒ぎか!。
あった、あった。そいつは、おめえのチームじゃねぇか、北海の熊。
球審と審判を脅迫して、自分のチームに有利に進行させたのは。
審判を味方につければ試合はこっちのものだ。
自分のチームの投手が投げる球は、どんな球でもストライクになる。
きわどい走塁も全部セーフになる。
一塁手が落球したのに『アウト』と言われたときには、さすがに
相手側のベンチも、ブチ切れた。
双方のチームが入り乱れて、大乱闘がはじまった。
結局あのときの試合は、没収試合になっちまったはずだ」
「たしかにあった、そんな事が。だがよ、そいつは去年の話だ。
それがいったいどうしたというんだ。
もう、とっくの昔に過ぎた、どうってことのない出来事だ」
北海の熊がくちびるをゆがめて、ぐびりと日本酒を呑み込む。
(9)へつづく
落合順平 作品館はこちら
「どれ」カウンターの一番奥から北海の熊が立ち上がる。
熱燗徳利を片手に、つかつかと岡崎と坂上のテーブルへ歩み寄る。
北海の熊は土木の現場で重機をあやつっている。
一般になじみのある建設機械といえば、油圧ショベル(ショベルカー)や
ラフテレーンクレーン(クレーン車)などがあげられる。
熊が動いたことで、店内の飲んべェ達も動き始めた。
やがてすべての男たちが、岡崎と坂上の周りに集まった。
不定期にふらりとあらわれ、カウンターで一時間ほど呑んで帰っていく
謎の美女の正体は、ここに集まる飲んべェたち全員の最大の関心事だ。
その正体が判明したとなるとただ事ではない。
「いいだろう。
それが確かなら、今夜のお前さんの飲み代は、俺が全部払ってもいい。
だが、いつものようにガセネタや、嘘だったら勘弁しないぞ。
北海の熊が言うように、お前さんは信用できねぇ。
頓珍漢な情報ばかり拾ってくる。
どうせ今回も眉唾(まゆつば)だろうが、たまにはまぐれで当たることもある。
聞かせろ。全員がもう固唾を飲んで、お前の周りに集まってきた」
常連客を代表して、消防士上がりの寅吉が坂上に詰め寄る。
寅吉は20年ちかく東京消防庁で勤務してきた。
災害時に威力を発揮する特別レスキューの隊員として、最前線で活動してきた。
実績を積み重ね、人望も篤く、さてこれからというとき父親が倒れた。
家は代々つづくネギ農家。
家業を継ぐため昨年の冬、消防庁を勇退して故郷へ戻って来た。
ここまで書けば寅吉は、なかなかの男のように思える。
だが実態は大いに違う。仕事に関しては生真面目だ。
どんなときでも先頭をきって出動し、身体を張り、職務をまっとうする。
だが私生活がとにかくだらしない。
女からの誘惑に弱い。まったくもって弱すぎる。
酒をしこたま飲んでは、男ならだれでもよい好色な女の餌食になって来た。
そんな生き方が、ついに災いした。
長年連れ添った女房と3人の娘は、東京に残ったまま。
協議離婚の話が進行中で、単身というさびしいかたちの帰郷になった。
全員の顔を見上げ、坂上が自信たっぷり、ニヤリと笑う。
「へへへ。聞いて驚くな。お前さんたち。
今朝のことだ。
俺は町内親睦のソフトボール大会の、グランド整備に駆り出された」
「毎年おこなわれている親睦ソフトボール大会のことだろう。
それがいったいどうした。
最近は集まりが悪すぎるので、誰彼かまわず強引に駆り出されているそうだ。
しかしお前さんは、運動とはまったく無縁のはずだ。
ソフトボールもろくに出来ないくせに、よく声がかかったなぁ・・・・
よほど人材が不足しているんだな、お前さんの地区は」
「うるせぃ、ほっとけ。
こうみえても俺は、中学生のときは野球部だ。
万年補欠で、外野の草むしりと、グランドの石拾いが専門だったけどな。
その気になればいまでも身体が覚えているのさ。
グランド整備に関してはな」
「おめえのグランド整備の話が聞きてぇわけじゃねぇ。
女の正体はどうした?。
おめえのグランド整備と、いったいどんな関係が有るんだ?」
「あわてるな。俺の話を最後まで聞け。
今年はよ、公式の審判員たちが呼ばれていた。
去年の試合でチームぐるみの不正があり、乱闘騒ぎになったことがあるだろう。
その対策として今年は、公認の審判員たちを呼んだそうだ」
「あっ・・・例の乱闘騒ぎか!。
あった、あった。そいつは、おめえのチームじゃねぇか、北海の熊。
球審と審判を脅迫して、自分のチームに有利に進行させたのは。
審判を味方につければ試合はこっちのものだ。
自分のチームの投手が投げる球は、どんな球でもストライクになる。
きわどい走塁も全部セーフになる。
一塁手が落球したのに『アウト』と言われたときには、さすがに
相手側のベンチも、ブチ切れた。
双方のチームが入り乱れて、大乱闘がはじまった。
結局あのときの試合は、没収試合になっちまったはずだ」
「たしかにあった、そんな事が。だがよ、そいつは去年の話だ。
それがいったいどうしたというんだ。
もう、とっくの昔に過ぎた、どうってことのない出来事だ」
北海の熊がくちびるをゆがめて、ぐびりと日本酒を呑み込む。
(9)へつづく
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