落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(14)

2013-06-30 12:29:46 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(14)
「湖畔に残る現代の神隠しの話と、恋人たちのヤドリギ」




 「赤い傘をさした中年の主婦が、忽然といなくなったという事件が、それだ。
 今から10年ほど前に、千葉県から夫と娘、叔父と叔母、それに義母を伴った一行が
 この下にある三夜沢の赤城神社の別宮へ、ツツジの見物がてら遊びにやってきた。
 せっかくだから山頂にある本宮へも行こうということになり、車を飛ばして
 大沼湖畔まではるばると登ってきた。
 だが山頂はあいにくの雨のため、本宮の赤城神社に行くのは、夫と叔父の二人だけで
 あとは全員が残って車の中で待機することになった。


 しかししばらくしてからその主婦が、「折角だから、お賽銭をあげてくる」と、
 財布の中から、お賽銭用に101円だけを取り出して、
 二人のあとを追い、社殿のある小鳥ヶ島へ向かう赤い橋を、神社へ向かって歩き始めた。
 その時の主婦の格好は、赤い傘を差し、ピンクの派手なシャツに黒のスカートという、
 遠くから見ても、すこぶる目立つ格好だったそうだ。
 ところが神社に向かったはずの主婦の姿を、娘さんが少ししてから、
 境内とはまったく別方向の場所で佇んでいる姿を、偶然に目にしている。
 そしてこれが、家族が目撃をした主婦の最後の姿になってしまった。


 戻らない主婦を心配した家族が、手分けをしてあたりを捜索したが結局見つからず、
 ついに、警察へ通報することになった。
 10日間で延べ100人あまりで付近の一帯を捜索したが、やはり見つからなかった。
 神社の周辺はよく整備されていて、危険な場所や道に迷うような箇所は一切ないし、
 東の岸辺には、観光施設などがたくさんあるために、ゴールデンウィーク中の人出なども多かった。
 不審な人物や、それらしい物音を聞いたという人もいなかった。
 群馬県警へ20件ほどの情報の提供があったが、発見に結びつくような
 有力なものはなかったという。



 失踪から7か月ほど経ってから、失踪当日の同じ頃の赤城山で
 偶然撮影されたホームビデオが、その撮影者によって全国ネットのテレビ局へ提供された。
 そこには主婦らしいと思われる人物が、何者かに赤い傘を差しだしている姿が
 小さく、かすかにだが写りこんでいた。
 その撮影をされた場所というのが、ここだ。
 かつては赤城神社の本宮が建っていた、このあたりだ。
 だが、傘を差しかけられたと思われる人物からの申し出は、まったくなかった。
 失踪後に数回にわたって無言の電話が、自宅へかかってきている。
 その局番は「大阪」と「米子」だったという確認はとれた。
 家族はその後も必死になって主婦の行方を捜し、当時のテレビ番組で
 「奇跡の扉 ・TVのチカラ」などにも出演したものの、結局、解決にはいたっていない。
 失踪から10年が経った今年、群馬県警が顔写真等を掲載したビラを
 500枚ほどつくり、ここで配布をして、情報の提供などを観光客に呼びかけた。
 だがいまだにその主婦は、依然として行方不明のままだ。
 まさに、10年前の大沼で突然発生をした、現代版の神隠しさ」



 「科学でも解明のできない、空間や時間の歪みがあるという話なら、よく聞いたことがあるわ。
 タイムスリップ現象などもそのひとつだというけど、へぇぇ、今でもあるんだ。
 神隠しなんていう、古風きわまりない、神がかった現象が・・・・」


 青い漣(さざなみ)とかすかな水音を立てながら、大沼の湖面へと注ぎ込んでくる
覚満淵からの水の流れを、少し悲しそうな顔で見つめながら、貞園がポツリとつぶやいています。
もともとひとつの地形をなしていた大沼と覚満淵は、今は、数多く立ち並ぶお土産屋さんや
観光ホテルなどによってすっかりと遮られていますが、もともとはひとつの火口湖として、
人の手によって開発がなされるまでは、秘境としてその長い歴史をともに刻んできました。
しかし、今その名残を残すのは、かろうじてつながれている一本の水路だけです。
湿原を充分に潤してきた澄んだ冷たい水は、満水時の雪解けの水などと一緒になり、
涸れることなく小さな流れを作り、大沼へ向かって絶えることなく流れこんできます。



 「貞園。神隠しの話は、すこしばかりショッキングな話だったが、
 実はここには、恋人たちのための、とっておきの愛のヤドリギの神話というのもあるんだぜ。
 そのヤドリギの下でキスをすると、恋人たちは永遠に結ばれるという、
 古くからの、いいつたえが有る」


 「あら。そちらは、きわめて明るい話題です。
 神隠しの話には胸がとても痛むけど、愛のヤドリギには、なぜか私の心もときめくわ!。
 ヤドリギって・・・・こんな山奥にも、存在をしているの?」



 「赤城山には、たくさんある。
 ここでは標高が1000mを越えると、落葉樹のミズナラの木がたくさん生えるようになる。
 冬になると、すっかりと葉を落としたミズナラの枝の先に、鳥の巣の形をした、
 そこだけ緑色をした小枝のかたまりを、見つけることができる。
 そいつがヤドリギだ。
 日本ではあまり知られていないけど、欧米などではヤドリギの不思議な生態から、
 神秘的な植物として、いろいろな伝説が語られている。
 現代でも西洋では、ヤドリギの下で恋人たちがキスをすると、永遠に結ばれると言う
 そんな言い伝えが、信じられている。」


 ヘルメットを脱いだ康平が、湖畔を覆い尽くしている木々たちを指でさしさします。
赤城大沼の湖畔を埋め尽くしているのは、九割近くがミズナラやカシ、アカヤシオなどの
落葉樹の巨木や樹齢を重ねた古い木々ばかりです。


 「見てわかるように赤城の湖畔周りに生えているのは、落葉樹ばかりだ。
 そのおかげで、本来は見つけにくいヤドリギたちが、真冬になると見つけやすくなる。
 ヤドリギは、ミズナラなどに寄生するビャクダン科の常緑樹のことで、
 宿主のミズナラの枝から、水分やミネラルを吸収しながら、長い時間をかけて生育をする。
 宿主のミズナラが、青々と茂っている春から夏の季節には見つけることは困難だが
 ヤドリギたちは冬でも、紅葉や落葉を一切しないために、冬でも青い姿のままで生き残る。
 すべての木々たちが、葉を落としてしまう冬から春先の赤城山では、
 ヤドリギたちのすこぶる目立つ緑のかたまりを、すぐに簡単に見つけ出すことができる。
 ヤドリギ自体の成長は非常に遅いために、赤城山では
 樹齢の長いミズナラの大木だけに、好んで、寄生をして育つんだ」



 「なるほど。ということは、ミズナラの大木を探していけば、今の時期でも、
 そのヤドリギを発見するのは可能なわけね!」


 「見つけられない事は無いだろうが、土地勘がないとまず無理だ。
 見ての通り、俺たちを取り巻いているぐるり360度には、
 全山を埋め尽くして、ほぼ全ての面にわたって、木々の緑が溢れている状態だ。
 最初のチャンスが、オレの同級生の五六が焼きトウモロコシを売っていた
 あの標高1000m地点の、駐車場にあった。
 「赤城ふれあいの森」の入り口に作られた「姫百合駐車場」の奥まったところに、
 ミズナラの木立ちがある
 そのなかに、一本だけ特に際立った老木がある。
 その木の中に、ミズナラの枝に混じって緑色が特に濃い塊の部分が見える。
 それがヤドリギだ。
 急がしいカップルたちは、ここで大急ぎでキスを済ませていく。
 ただし、駐車場が近いために、すこぶるギャラリーたちも多い場所だ。
 ここでキスをするのは、かなりの勇気と根性を必要とする」



 「集団監視のなかでの、誓いのキスか。
 う~ん。流石に私でもそれには、少し抵抗があるな・・・・他にはないの?」


 「格好のポイントが、これから行く覚満淵に一箇所だけある。
 誰にも内緒だぜ。つい最近、たまたま俺が発見をしたばかりのホットポイントだ」



 「早くそれを言ってちょうだいよ、康平。
 大沼の観光も神隠しの話も、もうすっかりと飽きたから、すぐに行きましょう。
 その、恋人たちの幸運が待っているというホットポイントへ。
 善は急げだ!」





・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/

からっ風と、繭の郷の子守唄(13)

2013-06-29 10:25:53 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(13)
「貴婦人のような白樺林と、火口湖・赤城大沼の神秘な湖畔」




 前橋の市街地から走り始めて、ここまで22キロ。
標高1400m付近にまで到達をした赤城山の南面からの道路は、その最高到達点を越えてから、
初めて外輪山に囲まれた火口湖の大沼へ向かって、ゆるやかな下りの道を見せます。
外輪山の内側へと下っていくゆるやかな坂は、何度かにわたり山の背で蛇行をくりかえした後、
一転をして、木々のあいだに見える広大な湖へ向かってひたすら斜面を駆け下ります。


 あれほどのエキサイトぶりを見せ、登りの道を一気に駆け上ってきた攻撃的な走行からは
うって変わり、アクセルをすっかりと緩めてしまった康平は、あくまでも下り傾斜の勢いだけに
車体を任せ、のんびりと鼻歌まじりでスーパースクータのハンドルなどを操っています。
道路最高点への到達から、ものの数分と下らないうちに湖面へ向かう坂道はいつのまにか
一面にわたって視界を覆う広大な、白樺林の中へと吸い込まれてしまいます。


 「あら、まぁ・・・・へぇぇ、気がついたら一面の白樺林です。
 白樺は、高原の貴婦人なんて呼ばれているけれど、これほど広大に生え揃っていると、
 気品ばかりが多すぎて、なんだか異様な空間にさえ見えてくるから不思議です」



 「赤城の中で、白樺が群生しているのは、実はこの一帯だけだ。
 どこを見回しても、こうして白樺の木しか生えていないので、誰かが意図的に
 この辺りを整備したものだろうが、詳しいことは、もう誰に聞いてもわからない。
 あの険しい22キロの上り道を、汗をかきながら必死で走ってきたご褒美に、
 下りの玄関口でこうして白樺の群落たちが、お出迎えをしてくれるんだ。
 俺もなぜか、ここまでやって来るとほっとする・・・・」


 「うん。私も肩の力が抜けて、やっぱりホッとはしたけれど、
 もう、康平くんの背中へもたれかかることが出来ないと思うと、ちょっと心残りもあるわ。
 あんたの背中って、けっこう居心地が良かったもの」


 「この先のカーブを、二つも抜けると道は湖の周回道路と合流をする。
 大沼は、ぐるりと湖畔を一周をすると、約5キロほどになる火口湖だ。
 1350mの高地にあるから、冬場は全面的に結氷をする。
 20~30センチの氷が張るから、かつては天然のスケートリンクとしても賑わったことがある。
 春になると、5月の末からレンゲツツジをはじめ、10数種類のツツジたちが一斉に咲き誇る。
 真夏に近くなる今頃は、ボート遊びか、釣りかキャンプなどが主な遊び方になる。
 群馬県下の学童たちのためのキャンプ場なども、ここ最近になってから
 だいぶ整備されてきた。
 夏休みに入ると学童と父兄たちで湖畔は毎日、大騒ぎ状態になる」


 「あら、という事は今の時期では、お花などは楽しめないか・・・・
 あらまぁ、ちょっぴり残念」



 「そうでもないぜ。がっかりするのはまだ早い。
 大沼のとなりに、高地湿原の覚満淵(かくまんぶち)という湿原がある。
 いまの時期なら、高山植物やニッコウキスゲの黄色い花が、たぶん、見られるだろう。
 貞園は、高原にある「尾瀬湿原」のことは知ってるかい?」


 「夏が来れば思い出す・・・という、あの尾瀬湿原のことでしょう。
 知っているわよ、名前くらいなら。残念ながら、まだ現地に行ったことはありませんが」



 「覚満淵は、ミニ尾瀬と呼ばれている高地の湿原だ。
 散策用の木道なども整備されているから、あとでそこへ行って一休みしょう」



 湖畔を一周してきた周遊道路と合流をした県道4号線は、小高い部分から湖面を見下ろしつつ、
観光施設と宿泊施設の密集地が見える、湖の東岸へ向かって大きく回り込んでいきます。
道路の右手に無料の大きな駐車場が見えてくると、その左側で鬱蒼(うっそう)と茂る
木々のあいだに、湖畔へ降りていくための最初の小道が現れてきます。



 大沼の湖畔では、ミズナラや白樺などの大きな木の群落に混じり、
ヤマツツジの一種で、「アカヤシオ」と呼ばれるツツジの群生地を、いたるところで見ることができます。
別名をアカギツツジ(赤城躑躅)と呼ばれ、5月の末頃から湖畔の水辺を中心に
全山にわたって、可憐で大ぶりなピンク色の花を咲かせます。
アケボノツツジ(曙躑躅)の変種のひとつで、学名から推測すると栃木県の日光がみなもととされ、
別名からは、群馬県赤城山に帰省した後に、独自の進化を遂げたともいわれています。
本来は、本州の福島県から兵庫県に至るまでの広い範囲に分布をしている植物です。


 すでに花を落としてしまったアカヤシオは、上品な手触りと深い光沢を見せる
緑色の葉を、その枝いっぱいに広げて輝いています。
その葉は、まるで高山に息づく上質なベルベットのように、風にそよぎながら、
さんさんとした初夏の日差しを、こころいくまでたっぷりと浴び続けています。
来年の開花の準備のためにアカヤシオはもう、その養分を蓄えるための時期に入っているのです。
赤城山の大沼は、真夏になっても気温は25度を超えません。
下界がどれほどの灼熱地獄になろうが、ここでは常に涼風が吹き、カラリとした気温のまま、
たくさんの落葉の植物たちを育てています。
同時に、植物に集まる多種で多様な鳥類と蝶たちを育み、さらには湖畔のすべてを埋め尽くす
大量の熊笹(くまささ)などをはぐくみ育ててます。



 「貞園。ヘルメットのシールドを開けてごらんよ。
 ここは常に、下界からは10℃近くも気温が違う、まったくの別世界だぜ」



 湖畔へ降りてくるために砂利道を、ゆるやかに乗りきった康平のスパースクーターは
そのままの緩い速度を保ったまま、波がひたひたと打ち寄せてくる岸辺ぎりぎりまで到達をします。
くるりと向きを変えたあと、湖面を真正面に見つめる位置でようやくピタリと停止をします。
爽やかに風が走り抜けていく湖面の向こう側には、赤城の外輪山が、高く低く峰を横たえています。
対岸にかすかに遠く見えているのは、赤城山を御神体として長年にわたり信仰を集めている
真っ赤な鳥居と朱色の橋に守られた、赤城神社の社殿です。


 「あら本当。
 壮観な山々の様子と、なにやら神秘な雰囲気が入り混じっているような
 ちょっと不思議な感じを覚える、そんな景色ですね。ここは・・・・
 ねぇ。目の前の水面の上に、古い鳥居が立っているじゃないの。
 まさか、ここから水面の上を歩いて、対岸にあるあの赤い神社まで、
 みんなで参拝に行くわけではないでしょうね」


 「まさかぁ。近くに見えるが、対岸の新しい社殿までは1キロ以上もある。
 ここの大沼には、たくさんの神話や伝説が残ってはいるけれど、
 さすがに、水の上を歩いて渡ったという逸話は残っていない。
 日本という国は、仏教の国のように思われているが、実は神と神話に彩られた国なんだ。
 そのため、いたるところに古い歴史を持つ神社や神の領域がたくさんある。
 ここもそうした土地のひとつだ。
 もともとは山岳信仰の聖地として赤城の山そのものが、御神体とされていた」


 「台湾にも、日本の神社がたくさん作られたという時代があったのよ。
 日本の統治時代にたくさん作られたというもので、200あまりもの神社が、
 台湾の全土にわたって、建てられたという記録が残っているの。
 今でも原型をとどめているのは、数箇所にすぎないけれど、
 そのひとつで、桃園県にある桃園神社は、今でも荘厳のままだし、とても美しい建物だわ。
 私は、神社という特別なあの空間に漂う、あの独特の神秘的な静けさと美しさが
 大好きなんだ」



 「へぇ、・・・・台湾生まれなのに君は、日本の文化にも詳しいようだねぇ」


 「だからこそ、わざわざ日本を選んで、留学にやってきたのよ。
 それにしても、ここには異次元の空間のような、神秘的で秘密めいた雰囲気が
 なんとなくだけど、漂っているわねぇ。
 波に洗われている石灯籠の怪しい雰囲気といい、湖の中に消えていく石畳の様子といい、
 なんだか人を引き込むような、怪しい魔力さえ感じるわ」


 「よくわかるねぇ・・・・
 ここには、実は、つい最近の現代の神隠しの実話が残っているんだよ」


 「神隠し?。そんな古めかしい非科学的な話が、今の時代にも残っているの!」


 「そうさ。神さまが棲んでいるここには、
 現代の科学ではどうやっても解明することができない、神かくしというそんな不思議な話が
 つい最近、事実として発生したばかりなのさ」




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からっ風と、繭の郷の子守唄(12)

2013-06-28 11:03:33 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(12)
「トナカイカーブと、ツーリングにおけるランデブー態勢の重要性」 





 「おっ。やっぱり理解も早いし、きわめて感度が良いねぇ、お姉ちゃんは。
 まぁ、そういうことだ。
 まだ22歳になったばかりだというのに、何が楽しいのかあの野郎、
 ジジィやババァといった年配の客しかやって来ない路地裏で、
 道楽のように、古ぼけた居酒屋なんかを営業している。
 じじぃやババァの相手をする前に、若いんだもの、もう少し青春を謳歌しろってんだ。
 若いうちにこそ、たっぷりと刺激のある生活ってやつを楽しまなきゃ嘘だろう。
 そういうわけなんだ。
 お前さんは、実にナイスボディでピチピチだし、誰が見たって女の魅力が満載だ。
 若年寄りみたいに、女に興味をしめさない、頑固者の康平の目を覚ましてやってくれ」


 「ふぅ~ん・・・・」


 「あっ。ついでにもうひとつだけ、お前さんへアドバイスがある。
 バイクっていうやつは、ハンドルでカーブを曲がる訳じゃなく、体の傾きで曲げるものなんだ。
 カーブにさしかかる度に遠心力というやつが働いて、外側へ放り出そうという重力が働く。
 そいつに逆らってカーブを旋回をしていくためには、瞬間的に内側へむかって思い切り
 体を倒しこんでいく必要がある。
 右へ曲がって行くカーブなら、右側へ向かって体を倒す。
 左へ曲がって行くカーブなら、左に向かって体を倒しこんでいく。
 体と重心の傾きだけで、バイクというやつは、右に曲がったり左へ曲がっていく。
 二輪とはそういうことができる乗り物だ。
 嘘じゃねぇ。
 試しに、この先のカーブでそれを実行してみな。
 右のカーブへさしかかったところで、康平が右へ体を倒したら、お前さんも
 同じようにして体を右へ傾ける。
 そうすると、バイクの傾きとと二人分の重心が一致をして、
 よりスムーズに、カーブを抜けていくことが、簡単にできるようになる。
 より快適なツーリングというやつを、二人で共有しながら楽しめるというもんだ」



 「初めて会った私にそこまで親切にするのには、なにか別の下心でもあるのかしら?」


 「おっ、ねえちゃん、やっぱり察しがいいねぇ。うん。それも図星だ。
 お前さんは器量はいいし、頭も良さそうだが、感のほうも実に鋭い。
 打てば響くという反応ぶりが小気味良いし、ますます好感が持てる。
 ここだけのはなしだぜ。康平には内緒だ。
 万が一、いくら色気で迫っても康平が反応を示さないようなら、脈がないと思って諦めろ。
 いまだに高校時代の女に未練を残しているという証拠だから、すっぱりと
 康平のことは諦めて、すぐさま俺に連絡をしろ。
 悪いようには絶対にしないぜ。お前さんは、俺のタイプだ。あっはっは」



 「あらら・・・・ご忠告ありがとう。よく考えておきます。
 じゃ、ごちそうさま。
 美しい奥様と、可愛い双子の娘さんたちにも、よろしく。
 また是非、遊びに来たいと思います。あなたもとってもチャーミングだもの!」


 笑顔の貞園が、スクーターの後部座席へ走ります。
すでにエンジンをかけて待機をしていた康平が、五六に一度手を振ってから
ゆるやかにアクセルを開けて、駐車場から滑りだします。



 「ここから先が、最高到達点へ一気に登っていくための難所になるの?」

 康平の腰へ、すっかりと慣れた仕草で両腕を回しながら、
貞園がインカムを通して、ことさら甘えた声でゆっくりとささやきかけます。



 「この先へもう少し登っていくと、
 トナカイと呼ばれているヘアピンの連続したカーブ群がやってくる。
 そこが、赤城山の登りの、最大といえる正念場だ。
 そこへたどり着くまでのカーブの区間は、一番テクニックを必要とする場所で、
 中速から高速までのスピードを自在に調節しながら、緩い斜面をひたすら登っていく事になる。
 本来なら、ここらあたりから障害物がなくなってきて、あたり一面に見えてくる風景は
 四季を通じていつでも最高なんだが、運転手は次から次へと迫り来るカーブに対応するために、
 忙しすぎて、とてもそれどころじゃない。
 バイク族もそうだが、4輪車に乗るドリフト族たちにとっては、ここは、
 ドライビングテクニックの、絶好の見せ場になる」



 「ふぅ~ん。この先が、ドリフト走行の聖地なの。
 ということは、康平くんも後ろのタイヤを滑らせながら、ここから先の坂道を
 勇猛果敢に攻めていくつもりなの?」


 「そうして行きたい気持ちはあるが、でもこれ以上、
 君の大切なワインを、こぼすわけにもいかないだろう。
 このあたりからは、周囲が開けてきてすこぶる展望が良くなってくる。
 カーブを曲がるたびに、新しい景色が次々と目に飛び込んでくるはずだ。
 難所はまた同時に、すこぶる景観にも恵まれているという、天上を行く
 ハイウェイそのものなんだぜ」



 徐行のまま駐車場を横切った康平のスクーターは、左右を確認したあと、
軽くアクセルが開けられます。
かすかに車体を揺らしたスーパースクーターが、スルリと登はんのための車線へ滑り込みます。
最初のつづら折れに沿って左へ回り込み、再びなだらかな上りを見せる坂道がはじまると
その前方には、巨大な薄茶色の岩の壁が、木々のあいだから確認できるようになります。


 岩壁の麓に横たわるのが、上空から見るとトナカイの形をした
47番から67番まで続くカーブの区間、「トナカイ・ヘアピンカーブ」と呼ばれるカーブ群です。
ここが、赤城の山頂を目指す道路での、最大の難所です。
ここをクリアしさえすれば、道路はまた従来の直線がつづく登り傾斜を取り戻します。
山肌を斜めに登りきれば、やがて最後のカーブへさしかかります。
すでに標高が、1300mを超えているこの最終のカーブからは、晴れてさえいれば
群馬県下はもとより、はるかに埼玉や東京へいたる市街地を眺望することができます。
関東平野の最北端に位置している赤城山からの展望は下界に、遮るものを一切もちません。



 最後のカーブをぬけた道路は、最高点をめざす長い登りの道に変わります。
市街地からは20.8キロ。標高1436m地点にあるのが、新坂平と県営の白樺牧場です。
最高点にあたる峠の脇の広場には、赤城山総合観光案内所も建っていて、
赤城山の周辺や山頂付近の観光情報を詳しく案内をしているほか、
施設内には、「白樺の森文学コーナー」があり、志賀直哉や高村光太郎をはじめ、
赤城山ゆかりの文人たちに関する資料などが展示されています。
案内所そのものも、白樺牧場や周囲の山々を見渡せる絶好のロケーションに位置しています。


 トナカイ・ヘアピンの最初の入口にさしかかった康平が、ブレーキをかけ
速度を少しゆるめたあとカーブの進行方向に合わせて、自分の体を旋回方向へとゆるやかに
倒しはじめます。その瞬間、康平の動きに呼応して貞園もまた、同じ方向へ体を傾けます。
難なく最初のカーブを抜けた次の瞬間、早くも次の急カーブがスクーターの行く手に迫ってきます。
今度はぐるりと大きくうねりながら、時計回りに半周以上も回転します。
康平が身体を動かし始める前に、早くも貞園が先に体を傾けてはじめてしまいます。



 「うまいもんだ。いつのまに、そんな高等テクニックを覚えたの?」


 「五六さんに、ついさっき教授されたばかりです。
 ついでに・・・・あなたに振られたら、速攻で、俺のところへやって来いなどと、
 がらにもなく、口説かれてしまいました」


 「油断も隙もないねぇ・・・・君も、五六も。
 それにしても、君はきわめて反射神経がいいね。おかげで、すこぶる運転がし易くなった」

 「いいわよ。もう少し速度をあげたって! 実に快適そのものだもの」



 「あまりワインをこぼすわけにもいかないが、そいうことなら君の好意に甘えよう。
 久しぶりのランデブー走行だ。これはこれで、久しぶりに血が騒ぐ。
 いくぜ、貞園。最高到達地点を目指して、一気に行くぞ。
 後部座席での協力を、よろしくな!」


 「ねぇ、康平。ランデブーってどんな意味があるの?」



 「ランデブーは、一般的には”あいびき”だ。いわゆるデートをするってことだ」

 

 「あら、いつのまにデートをしているの、私たち?」



 「このスクータに乗った時点からはじまっているさ。
 ランデブーには、また別の意味があって、まったく別の使われ方もある。
 それが、タンデムと呼ばれているもので、バイクで二人乗りをするという意味のことだ。
 呼吸もぴったりだし、このまま、もうひとつの最速のタイムがたたき出せそうだ。
 俺たちの相性は、ぴったりのようだ。
 二人乗りをしている時に、かぎっての話だけどね」


 「でもさ。できたらあたしのワインの、全部はこぼさないでね・・・・・
 あたし。スクーターの後部座席って、まったくの初めての体験なんだよね、実は・・・」





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からっ風と、繭の郷の子守唄(11)

2013-06-27 09:37:37 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(11)
「とうもろこしの正しいむき方と、五六からのアドバイス」




 
 「トウモロコシってやつはなんといっても、採りたてが一番うまい。
 次の日になると鮮度が落ちてくので、味もやはり一段階落ちて不味くなる。
 と啖呵をきったところで、しょせん都会の人たちがトウモロコシを口にするのは
 俺たちが出荷をしてから、3日も4日も経ってからの代物だ。
 本当に上手い物は、現地でしか食えねェ。これが日本の流通の現実だ。
 第一素人衆は、トウモロコシの皮の剥き方がまったくなってねぇ。まったくの下手くそだ。
 みんなバナナのように上から剥いているが、これが大きな間違いなんだ」


 抱えてきたトウモロコシの塊を、脇に置かれたテーブルの上へドサリと置いた赤いTシャツが
『こうやるんだよ』と言いながら、傍らから包丁を取り出します。
トウモロコシの根元をがっしりと掴み、実とギリギリのところにから茎の部分を
スッパリと切り落としてしまいます。
『こうして下からむくのが正解さ』と、するりと下側から皮をはぎ取ってしまいます。
さらに濡れたふきんを手にすると、上から下へぐるりとトウモロコシを擦りあげていきます。
見ている間にひげの部分はもちろん、細かな毛までも綺麗にこすり取ってしまいます。


 「どうだ。
 簡単だろう、お姉ちゃん。プロはこうやって仕事をするんだ。
 これは、テキ屋露天商の見習いの頃に、その道の先輩達から教わったむき方だ。
 できるだけ鮮度のいいトウモロコシを、むいたらすぐにその場で焼き始める。
 もちろん、遠火の強火が一番いい。
 最大火力で、2~3分ぐらいで焼きムラがでないように、少しづつ回転させながら焼きあげる。
 火力やトウモロコシの大きさにもよるが、12分から15分ぐらいで焼き上がる。
 そして仕上げに、刷毛で、しょう油をたっぷりと塗る。
 ここが、この仕事の一番の肝心な部分だ。
 醤油はケチらずに、つけすぎるくらい、常にたっぷりと刷毛で漬けるんだ」



 「あら。そうすると大量に醤油を消費することになるわねぇ・・・・
 醤油代が馬鹿にならないでしょう?そんなにも、大胆に醤油を使ったら」


 
 「あはは。お姉ちゃん、良い質問だ。
 焼きトウモロコシというやつは、実は、焦げた醤油の香りを嗅がせて
 通りかかった客を、屋台に引き付けている商売なのさ。
 トウモロコシなんていうやつは、いくら焼いたところで大した代物じゃねぇ。
 香りが特にひきたつ訳でもないし、露店で売るにしては、インパクトが足らねぇ品物だ。
 そこで考え出されたのが、醤油を炭火で焦がして香ばしくするという方法だ。
 うなぎ屋が出窓から、焼いているうなぎのこうばしい香りを店先に流すのと、まったく同じ発想だ。
 ほら。醤油をつけずに焼き上がったトウモロコシがここにある。
 食ってみな。採りたてのトウモロコシなら、実は醤油なんてものは必要がないのさ。
 醤油はあくまでも、お客を寄せ集めるための店の演出だ。
 商売の裏側なんてものは、そんなもんだ。
 どうだ。ただ炭火で焼いただけでも、俺のトウモロコシは旨いだろう」


 「ほんと。目からウロコだわ!
 甘いし、柔らかくてみずみずしい上に、なんともいえずに美味しいわ」



 「当たり前だ。第一、ものも違うんだぜ、お姉ちゃん。
 今時にこのあたりで栽培をしているトウモロコシは、甘くて、生でも食える品種ばっかりだ。
 あ、おっといけねえゃ・・・・
 初めて会ったばかりのお姉ちゃんに、秘密のはずの商売の裏側を
 すっかり調子に乗って、全部教えちまった! やばいぜ、まったく。あっはっは」

 
 「わあぁ・・・・でも、とても美味しかった!。もう、お腹が満杯」



 立て続けにとうもろこしを平らげた貞園が、満足そうな歓声を上げています。
赤いTシャツが、焼きたてのトウモロコシを手早くビニール袋へたっぷりと詰め込むと、
それを素早く、怪訝そうな顔をしている貞園へ手渡します。



 「ほらよ。これは青い服を着ている店長への、お土産だ。
 座席の下の収納スペースへ放り込んでおいて、大切に持ち帰ってくれよ。
 頼んだぜ。可愛いお姉ちゃん」


 「ありがとう。
 顔は怖いけどあなたって、本当は気の良い紳士なのね。
 よかったわ。康平くんのお友達が、みんな心使いの優しい人たちばかりで」


 「すこぶる反応はいいし、なかなかに面白い事を言うおねえちゃんだ。
 俺の名前は、五六(ごろく)だ。
 6人兄弟で5番目の男の子という意味で、オヤジが適当につけちまった名前だ。
 冗談みたいな名前だが、それでも最近になってそれなりには、気に入っている」



 「うん。ユーモアたっぷりのお名前だわね。
 康平とあなたって、小さな頃からそんなにも仲が良かったの?」


 「ガキの頃から近所で育った。まぁ、なんとなく二人ひと組で育ったようなものだ。
 俺が少しばかりグレて、テキ屋稼業の世界に足を踏み入れた時に、山ほどいる同級生の中で、
 嫌な顔ひとつしないでいままで通り、付き合ってくれたのは康平ただひとりだけだった。
 かれこれ30年。俺たちは兄弟のようにして生きてきた。
 ところで当のお前さんたちは、いったい、いつから付き合っているんだ」



 「あら。たったさっき、私たちは行き会ったばかりです。
 康平が迷子になった私を広瀬川まで案内をしてくれて、そこで美味しい夏野菜の話が出たの。
 スクータで近郊の農家へ買い出しに出かけるというから、面白そうだから着いて来たら、
 いつの間には、話がトントン拍子に進んで、こんな山の中腹で、思いがけずに、
 焼きとうもろこしを食べる羽目になっちゃったの。」


 「なんだって。そうすると、あの康平が、お前さんをナンパをしたのか・・・・信じられん。
 お姉ちゃん、ちょっとこっちへ来てくれ。すこし内密の話がある」
 
 「内密のはなし?」



 五六が何食わぬ顔をして、屋台の裏側を指さします。
ヘルメットを装着しはじめている康平の様子を垣間見た貞園が、五六に呼ばれた通りに
屋台の裏側へと回りこんでいきます。
裏側で待機していた五六は、ポケットをさぐりタバコの箱を取り出すと
一本目に火をつけ、その煙を思い切り胸の底まで「落ち着け」とばかりに吸い込んでいます。



 「康平は、女に関する限りまるっきり奥手というか・・・・
 長年にわたって、実は、アレルギーみたいなものを持ち続けている。
 高校時代に好きになった女学生がいたんだが、自分の心を素直に打ち明けることができず、
 ひたすら悶々として過ごしていた、暗い時期があった。
 卒業後にその女学生は、県外に就職をしてそのまま行き先が不明になったようだが、
 それでもあいつは、その女学生のことが忘れられずに、いまだに未練を持ちつづけたままでいる。
 そんな康平が、そのへんでおねえちゃんに声をかけるどころか、
 ましてや、二輪の後ろへ女を載せるなどということは、まったくもってありえない話だ。、
 俺も、女を連れているという康平の姿を、実は、生まれて初めて見て、
 今でもしんじられなくて、びっくりしたままでいる状態だ。
 あんたらは、もしかしたら俗に言う、運命の出会いというやつかもしれねえなぁ・・・・
 大事にしてやってくれ。いい男だぞ、康平は。
 悪いなぁ、引き止めちまって。話というのはそれだけだ」



 「康平くんには、いまだに意中の人がいるけれど、
 私の魅力なら、それが乗り越えられるという意味なのかしら?
 あら、責任重大だわねぇ。よし、この貞園が、無駄に頑張っちゃおうかしら、うふっ」




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からっ風と、繭の郷の子守唄(10)

2013-06-26 11:24:04 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(10)
「焼トウモロコシと、同級生、五六(ごろく)の登場」




 貞園が後部座席を降りる前から、広い駐車場のいったいには
醤油がじぶじぶと焦げる、独特の何とも言えない香ばしい香りなどが漂よっています。
青いビニールテントに覆われた屋台では、バーベキューで使うような大きな金網がデンと置かれ、
その上には、たった今、畑で収穫されてきたばかりのトウモロコシが、手早く皮を剥かれると、
そのまま無造作にコロコロと、強火の上へ転がされていきます。


 「あら。茹でないで、そのまま採りたてを金網の上で焼き始めてしまうのね。
 群馬の焼きトウモロコシは、見るからにダイナミックです!」



 「あったりまえだ。お姉ちゃん!
 いまそこの畑で採って来たばかりのトウモロコシだ。
 みずみずしいうちに、こうして炭を使って遠火の強火ってやつで一気に焼きあげるんだ。
 すこし荒っぽいやり方だが、こうして焼きあげるのが、実は一番うまいのさ。
 おっ、なんだよ、誰かと思えば、康平じゃねぇか。
 なんだよ。女を連れているのなら、最初にそう俺に挨拶しろよ。
 いい女だから、ひっかけようと思ってつい熱弁なんかをふるっちまったぜ。おいら」


 「なんなの、その・・・・遠火の強火っていうのは」



 「強い火力のまま、遠い距離で焼き上げると言う方法さ。
 炭の持っている遠赤外線の効果というやつで、内部からじっくりと焼き上げるんだ。
 素材の味を損ねずに、ふっくらと甘く仕上げることが出来ると言われている。
 こいつは俺の同級生で、もともとはテキ屋稼業の出身だから、
 焼き加減にも、長年の筋金がはいっている」


 ねじり鉢巻きに、真っ赤なTシャツと言ういでたちでトウモロコシを焼いている男へ
康平が『ようっ、久し振り』と片手を上げた後、貞園の耳元でさらに、
こっそりと、ささやきます。



 「気をつけろ、貞園。
 こいつ、こう見えても愛妻と可愛い美人の双子の父親をやっているが、
 実は、生まれつき、女にはすこぶるつきで、手が早い。
 特に君の様に、スレンダーで、かつ胸の大きい女性にはきわめて執着するという傾向がある。
 口車に乗るな。後で泣かされることに、きっとなる」


 「ご挨拶だな。康平。
 久し振りに行き会ったと思ったら、いきなり嬉しくないご忠告かよ。
 早いものでうちの可愛い双子の娘たちも、まる2歳になったんだぜ。
 いつまでも、悪戯や悪さばかりが出来るかよ。
 すっかりと改心して、今じゃ峠の焼きトウモロコシ屋の名物オヤジだ。
 それにしても、お前、腕を上げたなぁ。
 今時に、ずいぶんと良い音をさせながら、坂道を駆けあがってくるライダーが居ると思って
 期待をしながら待っていたら、なんと俺の目の前に現れたのは
 女を乗せた二人乗りの康平のスーパースク―ターとは、まったくもって恐れいった。
 しかし、相変らず、腕は良いようだ。
 遠くから聞いていても、エンジンのふける音が全く違う。
 いまでも赤城山での最速の腕は、まったく衰えていないようだな。康平よ」



 「えっ・・・・やっぱり。
 そんなひどい暴走族だったの。昔からこの人は」



 「俺も、この辺では自信のある走り屋のひとりだったが、こいつにはまったく歯がたたなかった。
 一緒にスタートをしたって、カーブを5つも抜けるころには
 もうこいつの姿は、はるか彼方に消えちまっている
 腕そのものが違いすぎるし、スピードの次元てやつも、はるかにケタが違っていた。
 おおかたあのスパースクーターも、青い服を着た例の店長が、また面白半分に、
 性能を大幅に改造した、違反スレスレの高速車だろう。
 でなきゃ、あの長いストレートからここまでの、3キロのカーブを抜けて
 とんでもない最速のタイムで、ここまで登って来られる訳がない。
 お前、いままででの、最速のタイムだぜ」



 「最速のタイム? わざわざ測っているのか。お前」



 「土日なら観光客で商売にもなるが、
 今時期の平日なんてのは商売もまったくの暇そのものだ。
 たまには、お前みたいな物好きな暴走族が、あの長い直線を全速力でぶっ飛ばしながら、
 カーブ区間を抜けて、ここまでを全開で登ってくる。
 興味半分に計測をし始めたら、いつのまにかそいつが病みつきになっちまった。
 だが、どいつもこいつも似たかよったかの、下手くそな連中ばかりだ。
 バイクの性能はすこぶるいいが、腕がダメでは、どうやったってタイムなんか出るもんか。
 ところがだ。今日に限って久々に良い音を響かせて登ってくる奴が来たと、
 久々に、俺は直感的に感じた。
 第1カーブからの立ちあがりのエンジンの音も、加速に入るタイミングも
 ドンピシャリで、最高そのものだった。
 こいつは、期待ができそうだと思わずその気でタイムを計り始めたら、
 涼しい顔をして此処に現れたのは、女を乗せた康平のスーパースク―ターときやがった。
 俺も目を疑ったが、タイムはまさに、今までの最速だ。
 驚ろいたし、びっくりしたのは、こっちのほうだ」



 「あら。エンジンの音を聞いているだけで、
 オートバイがどのあたりを走っているのか、あなたにはちゃんと見当がつくの?」



 「当たり前だ。お姉ちゃん。
 ここは、ガキの頃から走り慣れた俺のホームグランドだ。
 あの直線を何分で走りきって、どのくらいの速度で第1カーブへ突入していくかで
 運転をしている人間の力量を、簡単に判断することができる。
 ヘアピンに近い形をしている第1カーブを、最小限のブレーキ操作で乗りきっておいて、
 あとのカーブを、いかに速度を落とさずに走り続けるかで、タイムは決まる
 現場を見なくたって、エンジンの音をきいていれば、俺にはそれがはっきりとわかる。
 下手くそな奴にかぎって、カーブの手前で恐怖に負けて目一杯のブレーキを踏む。
 それを取り戻そうとして、今度はカーブの立ちあがりで思いっきりアクセルを開けまくる。
 聞いていても、運転手がジタバタと大苦戦しながら、嫌がるオートバイをいじめ、
 四苦八苦しながら操っているのが、手にとるように良く分かる。
 速い奴は、きわめて滑らかなままに、流れるようにすべてにおいてオートバイを操作する。
 最小限度の減速をしながら、カーブの出口からもう次のカーブをクリアするために、
 いち早く最適なラインに車体を乗せて、なめらかに加速をしながら走り抜けていく・・・・
 どうだった、お姉ちゃん。
 あれほど高速で、赤城山の坂道をすっ飛んできたというのに、
 最後まで康平の背中で、安心しながら、ツーリングというやつを楽しめただろう?
 上手い奴の運転と言うのは、常にそういうものだ」



 へぇ~と感心しきりで聞いている貞園を尻目に、赤いTシャツがひょいと、
動き始めると、あっというまに屋台の裏側へ消えて行きます。
何が有るのだろうと貞園が覗き込んでいると、赤いTシャツが抱えきれないほどの
採りたてのトウモロコシを持って、再び戻ってきました。





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