落合順平 作品集

現代小説の部屋。

東京電力集金人 (69)ゲンジボタルを守る

2014-08-31 09:58:14 | 現代小説
東京電力集金人 (69)ゲンジボタルを守る


 
 水が汚れると、ホタルが消滅すると言われている。
それも事実だが、だが、ホタルが消滅する理由はそれだけでは無い。
日本国内には、およそ40種類の蛍が生息している。
このうち光るホタルの種類は4ないし、5種類と言われている。
代表的なホタルとして知られるゲンジボタルの生態を、簡単に紹介しょう。



 ゲンジボタルは夏に、交尾をする。
交尾が終ると直ぐ、水面近くの石などに生えている苔に産卵をする。
一匹の雌が、およそ500個から600個の小さな黄色い卵を、水辺の苔に産みつける。
卵は20日から25日間程度で孵化して、やがて水の中に落ちる。
幼虫として翌年の4月まで水中で過ごしながら、成長をする。


 幼虫は、4月末から5月上旬にかけて水中から陸へ這い出る。
水辺の土の中にもぐり込み、サナギとなり、30日から40日間で成虫になる。
500個から600個の卵が成虫になる確率は、3%から5%程度と言わている。



 ホタルが生息するためには、ほどよくきれいな水の他に産卵するのに適した苔が
水辺に生えていることと、サナギとして過ごすための水辺の土が必要になる。
飛ぶための快適な空間も必要になる。
「陸・水・空」の三つの環境が充分に整っていないと、ホタルは棲むことができない。
ホタルが棲める環境は、絶滅が危惧されているメダカやタガメなどが棲める環境と
まったく同じといえる。



 「最初に絶滅したときの原因は、河川がコンクリート化されたことと、水の汚れです。
 こんな山奥なのに、呆れるほど沢山のごみが川に捨てられてしまうの。
 川辺がコンクリート化されたことで川の中からは土が消えて、水辺に捨てられたごみが、
 このあたり一帯の水質を悪化させました。
 そのころからのことよねぇ。
 岡本くんや杉原くんが、ひんぱんに此処へ顔を見せるようになったのは」


 同級生の女将はいまでも同級生の男2人を、馴れ馴れしい口調で君と呼ぶ。
おふくろはのこと「民」と呼び、自身のことは女将と言わず、「優子は」と好んで連発をする。
幼馴染みの同級生ばかりが集まった空間では、何故か女将の商売意識が薄れている。



 「俺たちが小学生の頃は、このあたり一帯にゲンジボタルが乱舞していた。
 だが1978年に着工し、1982年に桐生川ダムが完成したころから、その様子が変った。
 水量が調節され、川の流れが変わってしまったことが一番の原因だろう。
 5年の歳月と227億円を投じて作られたダムの登場は、このあたりの生態系を激変させた。
 利根川をのぼり、渡良瀬川を経由して桐生川まで戻ってきた遡上鮎も激減した。
 優子(女将)のおやじさんが、ダムのせいで鮎の天然遡遡が減り、いつのまにか
 琵琶湖で生産された関西モノばかりを売るようになったと、嘆いていたのを覚えている。
 天然が売り物のはずの簗の鮎は、実は本籍が、滋賀の琵琶湖だからな。
 泣きたくなる先代の気持ちが、よくわかる」


 「水質が変わり、鮎や鮭の遡上が減ったことは、日本中でまったく同じように起きている。
 だがガキの頃から見慣れたホタルがいつのまにか消えちまったのは、ショックだった。
 どういうわけだと調べてみたら、護岸が丈夫なコンクリートに変ったことと、
 不心得者たちが投棄していくごみのせいだと、ようやく分かった。
 それからだよな。有志を集めて桐生川上域の清掃活動を始めたのは」



 「流域で田圃や畑を作っている農家の協力にも、大きなものがあった。
 アメリカから導入されたのは、即効性のある化学肥料と農薬を大量に使う農業だ。
 堆肥や有機に頼っていた日本式の生産法から見れば、収穫量に格段の差が出た。
 使いすぎた農薬や肥料が、川の水質を悪化させたことも、まぎれもない事実だ。
 だが、ともあれホタルの復活に取り組んで、あれから足かけ20数年。
 見事によみがえって来たなぁ、桐生川のゲンジボタルたちが」


 20数年前からの取り組みならば、ちょうど俺が生まれる前後のことになる。
仲良く酒を酌み交わす男2人は、昔を思い出すかのように目を細めて、渓谷を眺めている。
女将の優子さんもおふくろと肩を並べ、懐かしそうに渓谷を見下ろしている。
その頃、川の清掃作業に汗を流していたおやじの姿を、ふいに思い出した。



 「お前が大きくなったころには、またここできっとホタルの大乱舞が見られるだろう」
そう笑いながら、麦わら帽子からこぼれ落ちる汗を、拳でぬぐっていた親父の姿を思い出した。
ゲンジボタルを復活させるための取り組みがいつごろから始まり、いつごろまで続いていたのか
それらの詳細は、あまり世間に公表されていない。


 退屈なあまり、川原で見かけた蝶々やトンボを追いかけていた覚えだけはある。
目の前でホタルの話をしながら、旨そうに酒を酌み交わしている岡本組長と杉原医師。
清掃作業に汗を流していた。おやじやおふくろの姿。
女将の優子さんや町の有志たちが、長年にわたり川の清掃作業に汗を流した結果、
桐生川上流のゲンジボタルは、また往時のように、見事なまでに復活をした。
だがようやく復活を遂げた桐生川のゲンジボタルが、再び姿を消す瞬間がやってくる。
それは、2011年に発生した福島第一原発の、メルトダウンとともにやって来た。



(70)へつづく


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東京電力集金人 (68)せせらぎとホタル

2014-08-30 10:56:15 | 現代小説
東京電力集金人 (68)せせらぎとホタル




 ダムへ向かう本道から外れ、谷底へ下る道を数分進むと料理屋の駐車場へ着く。
駐車スペースへ車を停める瞬間、見覚えのある黒いベンツが目に飛び込んできた。
偶然かなと思った。だが客の少ない今の時期だけに、なんだか不自然な雰囲気を感じる。
果たして。予期した通り・・・
座敷へ案内されていく廊下の途中で、背後から岡本組長のだみ声が飛んできた。



 「おいおい、今頃に誰かと思えば、俺たちのマドンナの民ちゃんじゃないか。
 同級生の俺たちがここに居るというのに、無視をするとは冷たいなぁ。
 なんだ。よく見たら息子の太一も来ているのか。
 珍しいなぁ。いい歳をした跡取り息子が、おふくろさんと一緒に出歩くとは。
 で、そっちに控えているのは、東北美人のるみちゃんか。
 こんなひなびたド田舎のメシ屋でばったりと出会ったのも、なんかの縁だ。
 野郎2人で寂しく飲み始めたばかりだ。よかったらどうだ相席と言うことで。
 構わんだろう女将。今夜は見た通り、この通り、どこもかしこも空いていることだし」


 混んでいる時の相席ならわかるが、どこもかしこもガラガラという状態で相席するのは
意図的すぎるだろうと思ったが、組長に逆らうことはできない。
おいでおいでと手招きをされるまま、ずるずると座敷の中へ引きずりこまれた。
広い座敷にぽつんと、2人分の膳が用意してある。
だが数分後に手際よく、仲居たちが俺たちの部屋から3つの膳を運んでくると、
5人分の酒席が岡本組長が予約した部屋の中に、バランスよく整った。
なんだよ。最初から5人分の座敷として予約していた様子が、見え見えじゃないか・・・
小細工をするんだな組長も、と思った瞬間、背後に控えていた女将が意外なことを口にした。



 「ほんと。たまたまの偶然が重なっただけなのよ、今夜は。
 久しぶりに民ちゃんから電話がかかってきたと思ったら、すぐに後を追うようにして
 岡本君からも、今夜行くからと言う予約の電話が入ったの。
 あら珍しい。今夜は同級生ばかりが集まるのかと思ったら、若いお2人もお見えです。
 助かるわぁ。連休前の一番暇な時期に、2組も予約が重なるなんて。
 そのうえ一部屋でまかないが済むなんて、当家にすれば、手間が省けて大助かりです。
 山菜と郷土料理でおもてなしいたしますので、どうぞ5人でゆるりとお過ごしくださいな」


 じゃ民ちゃん、また後でねと女将がいそいそと長い廊下を立ち去っていく。
どうやら、まんざら嘘でもなさそうだ。
それが証拠に、思いがけずおふくろと行きあった岡本組長は目じりを目いっぱいさげたまま、
この偶然を、このうえもなく顔を崩して喜んでいる。


 「杉原の奴と、5月連休の旅行について相談をしていたところだ。
 ちょうどいいや、民ちゃん。俺たちと一緒に、たまには旅行を付き合わないか?」



 「5月連休に極道と医者が、仲良く、2人3脚で旅をするわけ?
 へぇぇ・・・・世の中、分かんないものだわねぇ。
 太一がるみちゃんと2人で、福島へ行くと決めたばかりだから、あたしにも暇があります。
 でもさぁ、オオカミが2人で旅行するところへ、女が1人だけ参加するというのは、
 どうにもこうにも不用心過ぎます」


 「そのことなら、まったく心配はねぇ。俺も杉原も、カミさんを同伴だ。
 で、今年は何処にしょうかと、相談をし始めた矢先だ。
 うん。いま福島へ行くと言ったな、太一。
 ということは、例の件を承諾してくれたということか?」



 おふくろと岡本組長のやりとりを聞いているうちに、今夜の此処での出会いが
まったくの偶然だということが、ようやく理解できた。
だが旅行の相談なら市内の飲み屋でも済む話なのに、何故この時期に、こんなひなびた場所で
この2人は酒を飲んでいるのか、それがまた新しい疑問になって浮かんできた。

 「カワニラのことが心配なのよ、この2人は」


 背後から俺の疑問を打ち消すかのように、いきなり女将の声が飛んできた。
冷えたビールを持って再び現れた女将が、俺に向かって「ホタルが心配なのよ」と
にこやかに笑う。
美人で知られる此処の女将は、実は、おふくろや岡本組長と同級生にあたる。
ということは、亡くなった親父とも同級生と言うことになる。



 「真冬でも、カワニラが心配でこの部屋へやってくるのよ、このお2人は」


 俺の親父とおふくろ。岡本組長と杉原医師。
そして此処の料理屋の女将の5人は、古い付き合いの幼馴染み同士だ。
俺が小学校に入って間もないころ、親父に連れられてここへひんぱんにやって来た。
だがこのあたり一帯にホタルが飛び交っていたという記憶は、まったく残っていない。
簗で採れたばかりの鮎の味は鮮烈に覚えているが、日が暮れてからこのあたり一帯を
ホタルが飛び交っていたという記憶は、まったく頭の中に残っていない。



 カワニラは、ホタルの幼虫期の餌として知られている。
淡水に住んでいる小粒の巻き貝で、川や水路に沢山生息をしている。
カワニラは雑食で植物だけでなく、沢ガニや昆虫などの小動物の死骸なども食べる。
俗に、水中の掃除屋と呼ばれている。
食欲は常に旺盛で、野菜の葉を水中に入れておくと、物凄い勢いで食べ尽くしてしまう。
そしてカワニラ自身は、ホタルの幼虫のエサになってしまう。
地域によっては茹でた川ニラが食卓に出る所もあるが、このあたりにそうした習慣はない。



 「このあたりに生息している蛍は、2度、絶滅しているのよ。
 最初の絶滅は1980年代のこと。日本が高度経済成長真っ盛りの頃のことです。
 河川の改修と、農薬の普及によって、水辺からホタルが姿を消してしまいました。
 2度目の絶滅は、2011年の初夏のことです。
 福島第一原発から漏れた放射能が、福島から200キロ以上も離れた関東平野を横切って、
 さらに箱根や富士まで飛散したのは御存じでしょう。
 原木で育てていた椎茸(しいたけ)は出荷禁止となり、赤城山頂のワカサギは
 すべて食用禁止になりました。
 毎年楽しみにしていたホタルの乱舞も、2011年だけは見ることが出来ませんでした。
 あのときも、3人でここから、桐生川の川辺を見ていたのよねぇ・・・・
 おかしいわねぇ。今年はホタルが飛ばないねぇって、首をかしげたのをよく覚えています」



 岡本組長が予約をしたこの部屋は、桐生川の渓谷を見下ろす特等席だ。
ここからホタルの乱舞を眺めることが、岡本組長と杉原医師のなによりの楽しみなのだ。

(69)へつづく


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東京電力集金人 (67)3人で食事を

2014-08-29 11:24:16 | 現代小説
東京電力集金人 (67)3人で食事を




 ほろ酔い加減の先輩からようやく解放されたのが、午後の5時半。
急いで事務所へ戻り、本日分の清算を済ませる。
やれやれとほっと一息ついていたら、おふくろからラインを使ったメッセージが来た。
「るみとデパ地下に居るので、仕事が終ったら合流しろ」と書いてある。


 スマホを使い始めたおふくろは、るみの教えでラインを使えるようになった。
小学生のようにたどたどしかった文章も、いつの間にか改善されている。
最近は、ごく自然に命令口調になっていることも多い。
「どこのデパ地下だ」と返信する。「勝手に探して見つけろ」と乱暴な文章が返ってきた。
るみがおふくろの背後でくすくすと笑っているのが、聞こえてきそうだ。



 るみの体調を考えれば、あまり遠くのデパートではないだろうと推測した。
実家から一番近い某デパートへ足を運ぶことにした。
ラインのメッセージを受け取ってから15分後。
ふたりはデパートの地下ではなく、吹き抜けのエントラスホールで親子のように
仲良く肩を寄せながら、のんびりとソフトクリームなどを舐めていた。


 「出たついでだ。夕飯を作るのが面倒だから、どこかで3人で食事をしよう」



 料理好きなおふくろの口から、珍しい言葉が飛び出した。
外で食べたがらないおふくろが、自分から外食を誘うとは珍しいことだ。
「おごってくれるのなら、何処でもいいぜ」と返事をする。
「馬鹿じゃないの。この中でお給料をもらって稼いでいるのは、お前だけでしょう。
それとも何かい。無職の女と、遺族年金暮らしの女に金を出せと言うのかい、お前は。
やれやれ。薄情な息子を生んじまったもんだね、あたしは・・・」


 家賃収入が有るだろう、と口に出かかったが、慌ててその言葉を呑み込んだ。
「分かったよ。連休に遠出をする予定でいるからピンチだが、そういうことなら話は別だ。
何処でもいいですょ。よろこんで安給料の中から、食事代を提供します」



 「そうかい。じゃ話が決まったところで、鮎懐石が食べたいね。折角だから」と、
おふくろが「物の見事に落としたね」とニンマリと笑う。
鮎懐石というのは、織物の町・桐生市の山懐にある郷土料理と鮎料理を提供する店のことだ。
鮎のフルコースが食べられるのは、天然アユが捕れる7月から9月までの間に限定されている。
今の時期にも塩焼きは出てくるが、当然のこととして、冷凍保存された自家製のものだ。
それでも市販の冷凍品などから比べれば、やはり格段に優れた味の良さが有る。
ということはそれだけ、料理の値段も高いということを当然意味する。



 市内を流れる桐生川の上流部に有るこの懐石料理店には、これと決まった献立が無い。
女性のお客が行くと、料理の量を減らし、品数を増やすという工夫をする。
また遠くから訪ねた場合、地元伝来の郷土料理などが数品盛り込まれることもある。
いずれの場合においても、客を満足させることを最優先に考える田舎の料亭だ。


 また予算や用途に合わせ、四季折々の食材を用いて特別な献立なども用意してくれる。
そのためにここは常に、完全予約制の会席になっている。
昼の時間や、夜の時間に関係なく、いつでも利用できるがそのぶんだけ料金も高くなる。
だが今朝までのおふくろは、そんなそぶりはまったく見せていなかった。
いったいいつの間に、田舎の高級料理屋を予約したのだろうか?。それが疑問に残る。



 じゃ行きましょとおふくろが、軽自動車のカギを俺の前の前でチャラチャラと揺らす。
るみを助手席に乗せ、おふくろを後部座席に乗せて、落ち合ったデパートを後にする。
先輩に呼びつけられたことと言い、突然の鮎懐石の話と言い、背景になにやらの作為を感じる。
問いただそうにも後部座席から身を乗りだしたおふくろは、車窓のあちこちを指さしながら
るみに、桐生の町の古い建物の紹介に余念がない。
これでは俺が、口をはさむ隙が無い。


 3方向を山に囲まれている桐生市の盆地のような狭い市街地は、すぐに山裾にたどり着く。
左右に迫ってくる山の間を縫いながら、一本の細い道が北へ向かって伸びていく。
桐生川の源流に作られた、満々と水を蓄える「梅田ダム湖」へ続く道だ。
この道のほぼ終点近くに天然アユを売り物にしている、田舎の高級懐石料理屋が店を構えている。



 市街地から、車で20分余り。
暮れかけてきた谷のせせらぎの底に、高級料理屋の赤い灯が見えてきた。
揺れる明かりを見た瞬間、すっかりわすれていた記憶が俺の頭に鮮明によみがえって来た。
親父が元気だったころ、よく連れてきてもらった夕涼みの鮎の簗(やな)だ。
真夏になると、無数の蛍が飛び交う場所だ。
幻想的に夜空を飛ぶかう蛍の光の軌道が、懐かしく、俺の脳裏によみがえって来た。


 
(68)へつづく


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東京電力集金人 (66)あれから3年が経つ・・・・

2014-08-28 10:31:35 | 現代小説
東京電力集金人 (66)あれから3年が経つ・・・・



 先輩の2杯目のビールが、もう、半分まで減っている。
「今日のビールは特別に、苦い」自分に言い聞かせるようにつぶやいた先輩が、ごくりと喉を鳴らし、
見ている間に、黄色い液体のすべてを飲み干した。


 「慶介。焼酎のお湯割りにしてくれ。いつまで経ってもビールでは酔っぱらえん!」



 ズシンと先輩がカウンターに空のジョッキを置く。
忙しそうに仕込みをしている店主の背中へ先輩は、遠慮なしに声をかける。
「あいよ」と振り返った慶介さんが、ニコリと笑って焼酎のボトルを取り出す。
「ハウスが壊れてからというもの、こんな風に早い時間からこいつが酔っぱらうようになった。
強気を口にする割に、やっぱり、どこかで隙間風が吹いているんだろう。
太一。もう少しだけこいつの愚痴に付き合ってやれ。それが隣近所に生まれた者の宿命だ」
後は頼んだぞと、お湯のポットを出しながら慶介さんがニヤリと笑う。



 南九州から取り寄せているというイモ焼酎が、先輩の大のお気に入りだ。
器にたっぷりと70度前後のお湯を入れた後、25度のイモ焼酎をとくとくと注ぎ込む。
お湯の温度にあおられて、注がれた焼酎からつ~んとイモの豊潤な香りが立ちのぼる。
「こいつにすっかり病みつきだ。最近の俺は」手の中で器を揺らした先輩が、ぐびりと
焼酎を、ひとくち旨そうに呑み込む。


 「早いものんだな。東日本の大震災からもう、まる3年が経過した。
 国内だけじゃなく、被害を知った世界中から被災地におおくの支援物資が届いた。
 だが、交通網が寸断されていたために、最初のうちは支援物資の動きは鈍かった。
 必要な人たちに支援物資が届かないという歯がゆい状況が、けっこう長い間続いた。
 俺たちのボランティア活動も3年の間に、ずいぶんと様変わりをしてきた」


 「そういえば、あの時の先輩は、その日のうちに急いで東北へ発ちましたよねぇ。
 出来たばかりの北関東高速道路を使って」



 「おう。一部は未開通のままだったが、それでも東北までの距離は各段に近くなった。
 北関東道路が全線開通したのは、2011年の3月19日のことだからな。
 まるで東北の震災に合わせて、完成したような高速道路だ。
 関越道と東北道を最短距離で結んでいるから、支援に走るトラックが数珠つなぎだった。
 半端な数じゃなかったなぁ。東北へ向かったトラックの数は」


 「確かに高速を通過していくトラックの数には、凄いものが有りました。
 支援物資を積んだトラックが東に向かって走るのを、毎日嫌と言うほどたくさん見ましたから」


 「夜が明けたばかりの被災地は、何処へ行っても瓦礫の山だった。
 被災した家屋のがれき除去と周辺の清掃。埋まってしまった側溝の泥出し。
 土砂の土嚢詰め。田んぼや河川にあふれたがれきの除去。届いた救援物資の仕分け作業。
 避難所での環境改善活動。回収してきた泥だらけの写真の整理。イベントの手伝い。
 避難所の周りの草刈りなんていう仕事も有った。
 俺が滞在をしていた2週間。電気も水道も結局、復旧をしなかった。
 持ち込んだテントの中で知り合いになったボランティア連中たちと密かに
 焼酎を呑むのだけが、唯一の楽しみだった。
 東北を襲った3.11は、べらぼうな数にのぼった死亡者と行方不明者だけでなく、
 被害の規模もそれまでの国内の災害を、はるかに上回ったからなぁ」


 「一度先輩に聞こうと思っていました。
 先輩は毎年、3.11の時期になると必ずまた、2週間ほどボランティアに出かけますねぇ。
 何か特別な理由でもあるのですか?
 もしかしたら被災地で出会った、特別なご婦人なんかが居たりして・・・」



 「被災地で出会いたい人の数は、山のようにいる。
 道路や鉄道の復旧がすすむと、被災した隅々にまで滞っていた物資が届くようになる。
 津波で、町ごとそっくり消滅している地域も少なくない。
 支援物資によって、避難生活が支えられていると言っても過言ではないだろう。
 だが物は豊かになっても、戻ってこないものが有る。
 被災地の人間が失ったものは、家やお金や物資だけではないからだ。
 愛する家族や大切な友人の命。先祖伝来の土地。
 そうしたものを一瞬にして失ったうえ、さらに、こころに深い傷まで負っている。
 それが、3.11の被災地だ。
 本当の意味で被災地が復活し、人々が逞しく根付くまで、俺は被災地に足を運ぼうと考えている。
 こころの支援をすること。それがいまの俺のボランティアとしての仕事だからな」


 ぐびっとイモ焼酎を飲み干した先輩が、酔った赤い目を俺に向けてきた。
「此処から先は、俺からの問答無用の命令だ!」逆らうんじゃないぞ、絶対にと先輩が、
俺の顔を、怖い視線で覗き込む。


 「お前。やっぱり、5月連休の10日間を、るみちゃんと2人で福島へ行って来い。
 足が無いというのなら、好きなだけ俺の車を使え。
 ただし、旅行のための費用は貸さないぞ。そこまで俺も甘くはないからな」



 ほらよと先輩が、俺の手のひらの上に愛車のカギを落とす。
先輩の愛車は、最近売り出されたばかりの、クラウンのハイブリッド仕様車だ。
「いつかはクラウンと思い、仕事を頑張ってきたが、50を前にしてようやくその念願が叶った。
だが我が家の生産手段だったハウスが、大雪のためにすべてぺっちゃんこに潰れちまった。
折角手に入れたクラウンだが、農家がこんな状態じゃ、派手に乗り回す気分にもならねぇ。
いいから遠慮しないで、好きなだけ使え。
だが断っておくが、間違っても車の中でH(エッチ)だけはするんじゃねぇぞ。
匂いと気配が残って、あとで掃除するのが大変だからな、あっはっは!」




(67)
へつづく


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東京電力集金人 (65)命の重さ

2014-08-27 10:57:25 | 現代小説
東京電力集金人 (65)命の重さ




 「東日本大震災が発生した3年前の3月11日の当日。
 1万8000人近くが犠牲になったあの日。岩手・宮城・福島の3県で、
 わかっているだけでも 110を超える新しい命が産まれている。
 被災地でのボランティア活動は、悲惨そのものだ。
 誰もが無口なまま、黙々と目の前の瓦礫と格闘を続ける。
 阪神淡路の時もすごかったが、東日本大震災の被災地ははるかにそれを上回っていた。
 押しつぶされそうな空気の中で、誰もが辛さに耐えて作業していた。
 だがそんな時、どこかで幼子が救助されたというニュースや、どこそこで新しい命が
 無事に誕生したというニュースなんかを聞くと、俺たちの気持ちの中に、
 なんだか新しい元気と、希望の光が点ったもんだ」


 「そういえば、そんな話を、何処かの局のスペシャル番組で見た記憶があります。
 多くの命が失われた一方で、希望の象徴ともいえるあたらしい生命が誕生する。
 最初に登場したのはたしか未婚の女性で、シングルマザーです。
 定職を持っていない女の子が、ひとりで育てることを決意して、3.11の日に女の子を出産する。
 生まれてきた子供に元気をもらいながら、混乱した被災地の中で生きる道を
 模索していくという、ドキュメンタリー番組です」


 
 「俺が現地に入ったのは、3.11の翌日のことだ。震災直後の現場感情は複雑だ。
 不安に押しつぶされそうになりながら、津波で水没しかけた病院でわが子を産んだ母親がいる。
 混乱が続く中で、「こんな時に産まれた子は、本当に幸せなのか」と自らに問いかけ、
 いくら考えても、答えを出すことができないでいる母親もいた。
 大切な人たちを亡くした深い悲しみの中で、自分だけが子どもを授かったことに、
 素直に喜びを感じることができない母親たちもたくさんいた。
 それでも「生まれてきた我が子の笑顔を守りたい」という思いだけで、家族は
 さまざまな困難を乗りこえて生きることになる。
 それぞれが、新しい命に励まされて強く生きていくことを決める。
 絶望の淵から這い上がろうとする被災地の人たちに見守られながら、
 あのに時生まれた子どもたちは、今年で3歳の誕生日を迎える。
 被災した人たちが必死の思いで、小さな命の誕生を守り抜いてきたんだ。
 だが、おおくの家族は、取り返しのつかない大きなものをいくつも失なっている。
 失われた命には、見守ってきた家族の思い出や将来が、一瞬にして消滅したことを意味する。
 被害が悲惨すぎたために、震災の「3月11日」に子どもを授かった家族は、
 わが子が生まれた喜びや成長の嬉しさを、素直に現すことがいまもできずにいる。
 3年が経ち、ようやく心の内を語ることが出来るようになったと語っている家族も、
 実は、少なくないのが現状だ」



 あの時のことを思いだしたのか、先輩が遠い目で天井を見つめている。
命の重みというものを真正面から取り上げたそのドキュメンタリー番組は、俺の心にもズシリと響いた。
多くの命とひきかえに、3.11のすべてを背負って生まれてきた新しい命だ。
東日本を襲った2011・3.11の出来事は、おそらく日本史の中に長く深く刻み込まれることだろう。



 海に面した都市部と、海岸線に点在するほとんどの集落が一瞬にして壊滅してしまったという事実。
原子力発電所の安全神話が、音をたてて崩れ落ちた日。
安全なはずだった原子力が、津波の猛威の前にもろくも崩れ落ちて、醜態をさらした日。
東日本全体に飛散した放射能が、長く日本と福島を苦しめることになる。
放射能は除染によってある程度まで生活圏から取り除かれたとはいえ、いまだに原発の建屋は
当時のままの状態で放置をされている。


 大量の地下水が建屋内に流れ込むため、1日400トンの勢いで高濃度の汚染水が増えている。
福島原発は、毎日増え続ける放射能の高濃度汚染水との格闘の場になっている。
汚染水タンクの貯蔵量は、たった3年で42万トンを超えた。
敷地内には1000を超えるタンクが設置されている。
だが収用限度といわれている45万トンは、もうすぐ目の前に迫っている。



 「去年のボランティアでも、その前の年のボランティア活動のときでも、
 俺は増え続ける福島の貯蔵タンクを見てきた。
 ものすごい勢いで、原発の敷地内にタンクの数が増えている。
 すさまじい勢いで放射能に汚染された水が増えていることの、なによりの証明だ。
 東電は2016年までに、80万トンまでタンクを増やすという計画を発表した。
 福島で生きている子供たちは、この環境の中で未来を見つめているんだ。
 福島へ行くたびに、人はなぜ生きるのかということを、俺は思い知らされる。
 普通の生活の中で、普通に命を見つめるという状況は、いまの福島には無い。
 と、俺は思う。
 福島へ足を運ぶたびに、いつもそれが痛切な痛みになる・・・
 お前。5月連休にるみちゃんを連れて、福島のあるがままの現実を見つめて来い。
 そしてるみちゃんの中にある命の重さというやつを、ちゃんと見つめて来い」



 先輩の鋭い目が、真正面から俺の顔へ飛んできた。
先輩は今でも定期的に、福島の被災地へボランティア活動に飛んでいく。
「復興は、まだまだ口先だけのことだ。建物や工場が再建されただけでは人の心は育たない。
真の復興は、人々がここでまた、いままでのような平和な日常を取り戻すことだ。
被災地にはまだ、いくつものハードルが、解決しないまま横たわっている。
そのひとつが、たとえば福島第一原発の高濃度汚染水との、際限のないたたかいだ」


 先輩の眼が、さらに厳しい光を帯びてきた。
「なにがなんでも福島へ行け」その眼は問答無用に、俺に向かってそう命令をしている。



(66)
へつづく


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