東京電力集金人 (69)ゲンジボタルを守る
水が汚れると、ホタルが消滅すると言われている。
それも事実だが、だが、ホタルが消滅する理由はそれだけでは無い。
日本国内には、およそ40種類の蛍が生息している。
このうち光るホタルの種類は4ないし、5種類と言われている。
代表的なホタルとして知られるゲンジボタルの生態を、簡単に紹介しょう。
ゲンジボタルは夏に、交尾をする。
交尾が終ると直ぐ、水面近くの石などに生えている苔に産卵をする。
一匹の雌が、およそ500個から600個の小さな黄色い卵を、水辺の苔に産みつける。
卵は20日から25日間程度で孵化して、やがて水の中に落ちる。
幼虫として翌年の4月まで水中で過ごしながら、成長をする。
幼虫は、4月末から5月上旬にかけて水中から陸へ這い出る。
水辺の土の中にもぐり込み、サナギとなり、30日から40日間で成虫になる。
500個から600個の卵が成虫になる確率は、3%から5%程度と言わている。
ホタルが生息するためには、ほどよくきれいな水の他に産卵するのに適した苔が
水辺に生えていることと、サナギとして過ごすための水辺の土が必要になる。
飛ぶための快適な空間も必要になる。
「陸・水・空」の三つの環境が充分に整っていないと、ホタルは棲むことができない。
ホタルが棲める環境は、絶滅が危惧されているメダカやタガメなどが棲める環境と
まったく同じといえる。
「最初に絶滅したときの原因は、河川がコンクリート化されたことと、水の汚れです。
こんな山奥なのに、呆れるほど沢山のごみが川に捨てられてしまうの。
川辺がコンクリート化されたことで川の中からは土が消えて、水辺に捨てられたごみが、
このあたり一帯の水質を悪化させました。
そのころからのことよねぇ。
岡本くんや杉原くんが、ひんぱんに此処へ顔を見せるようになったのは」
同級生の女将はいまでも同級生の男2人を、馴れ馴れしい口調で君と呼ぶ。
おふくろはのこと「民」と呼び、自身のことは女将と言わず、「優子は」と好んで連発をする。
幼馴染みの同級生ばかりが集まった空間では、何故か女将の商売意識が薄れている。
「俺たちが小学生の頃は、このあたり一帯にゲンジボタルが乱舞していた。
だが1978年に着工し、1982年に桐生川ダムが完成したころから、その様子が変った。
水量が調節され、川の流れが変わってしまったことが一番の原因だろう。
5年の歳月と227億円を投じて作られたダムの登場は、このあたりの生態系を激変させた。
利根川をのぼり、渡良瀬川を経由して桐生川まで戻ってきた遡上鮎も激減した。
優子(女将)のおやじさんが、ダムのせいで鮎の天然遡遡が減り、いつのまにか
琵琶湖で生産された関西モノばかりを売るようになったと、嘆いていたのを覚えている。
天然が売り物のはずの簗の鮎は、実は本籍が、滋賀の琵琶湖だからな。
泣きたくなる先代の気持ちが、よくわかる」
「水質が変わり、鮎や鮭の遡上が減ったことは、日本中でまったく同じように起きている。
だがガキの頃から見慣れたホタルがいつのまにか消えちまったのは、ショックだった。
どういうわけだと調べてみたら、護岸が丈夫なコンクリートに変ったことと、
不心得者たちが投棄していくごみのせいだと、ようやく分かった。
それからだよな。有志を集めて桐生川上域の清掃活動を始めたのは」
「流域で田圃や畑を作っている農家の協力にも、大きなものがあった。
アメリカから導入されたのは、即効性のある化学肥料と農薬を大量に使う農業だ。
堆肥や有機に頼っていた日本式の生産法から見れば、収穫量に格段の差が出た。
使いすぎた農薬や肥料が、川の水質を悪化させたことも、まぎれもない事実だ。
だが、ともあれホタルの復活に取り組んで、あれから足かけ20数年。
見事によみがえって来たなぁ、桐生川のゲンジボタルたちが」
20数年前からの取り組みならば、ちょうど俺が生まれる前後のことになる。
仲良く酒を酌み交わす男2人は、昔を思い出すかのように目を細めて、渓谷を眺めている。
女将の優子さんもおふくろと肩を並べ、懐かしそうに渓谷を見下ろしている。
その頃、川の清掃作業に汗を流していたおやじの姿を、ふいに思い出した。
「お前が大きくなったころには、またここできっとホタルの大乱舞が見られるだろう」
そう笑いながら、麦わら帽子からこぼれ落ちる汗を、拳でぬぐっていた親父の姿を思い出した。
ゲンジボタルを復活させるための取り組みがいつごろから始まり、いつごろまで続いていたのか
それらの詳細は、あまり世間に公表されていない。
退屈なあまり、川原で見かけた蝶々やトンボを追いかけていた覚えだけはある。
目の前でホタルの話をしながら、旨そうに酒を酌み交わしている岡本組長と杉原医師。
清掃作業に汗を流していた。おやじやおふくろの姿。
女将の優子さんや町の有志たちが、長年にわたり川の清掃作業に汗を流した結果、
桐生川上流のゲンジボタルは、また往時のように、見事なまでに復活をした。
だがようやく復活を遂げた桐生川のゲンジボタルが、再び姿を消す瞬間がやってくる。
それは、2011年に発生した福島第一原発の、メルトダウンとともにやって来た。
(70)へつづく
落合順平 全作品は、こちらでどうぞ
水が汚れると、ホタルが消滅すると言われている。
それも事実だが、だが、ホタルが消滅する理由はそれだけでは無い。
日本国内には、およそ40種類の蛍が生息している。
このうち光るホタルの種類は4ないし、5種類と言われている。
代表的なホタルとして知られるゲンジボタルの生態を、簡単に紹介しょう。
ゲンジボタルは夏に、交尾をする。
交尾が終ると直ぐ、水面近くの石などに生えている苔に産卵をする。
一匹の雌が、およそ500個から600個の小さな黄色い卵を、水辺の苔に産みつける。
卵は20日から25日間程度で孵化して、やがて水の中に落ちる。
幼虫として翌年の4月まで水中で過ごしながら、成長をする。
幼虫は、4月末から5月上旬にかけて水中から陸へ這い出る。
水辺の土の中にもぐり込み、サナギとなり、30日から40日間で成虫になる。
500個から600個の卵が成虫になる確率は、3%から5%程度と言わている。
ホタルが生息するためには、ほどよくきれいな水の他に産卵するのに適した苔が
水辺に生えていることと、サナギとして過ごすための水辺の土が必要になる。
飛ぶための快適な空間も必要になる。
「陸・水・空」の三つの環境が充分に整っていないと、ホタルは棲むことができない。
ホタルが棲める環境は、絶滅が危惧されているメダカやタガメなどが棲める環境と
まったく同じといえる。
「最初に絶滅したときの原因は、河川がコンクリート化されたことと、水の汚れです。
こんな山奥なのに、呆れるほど沢山のごみが川に捨てられてしまうの。
川辺がコンクリート化されたことで川の中からは土が消えて、水辺に捨てられたごみが、
このあたり一帯の水質を悪化させました。
そのころからのことよねぇ。
岡本くんや杉原くんが、ひんぱんに此処へ顔を見せるようになったのは」
同級生の女将はいまでも同級生の男2人を、馴れ馴れしい口調で君と呼ぶ。
おふくろはのこと「民」と呼び、自身のことは女将と言わず、「優子は」と好んで連発をする。
幼馴染みの同級生ばかりが集まった空間では、何故か女将の商売意識が薄れている。
「俺たちが小学生の頃は、このあたり一帯にゲンジボタルが乱舞していた。
だが1978年に着工し、1982年に桐生川ダムが完成したころから、その様子が変った。
水量が調節され、川の流れが変わってしまったことが一番の原因だろう。
5年の歳月と227億円を投じて作られたダムの登場は、このあたりの生態系を激変させた。
利根川をのぼり、渡良瀬川を経由して桐生川まで戻ってきた遡上鮎も激減した。
優子(女将)のおやじさんが、ダムのせいで鮎の天然遡遡が減り、いつのまにか
琵琶湖で生産された関西モノばかりを売るようになったと、嘆いていたのを覚えている。
天然が売り物のはずの簗の鮎は、実は本籍が、滋賀の琵琶湖だからな。
泣きたくなる先代の気持ちが、よくわかる」
「水質が変わり、鮎や鮭の遡上が減ったことは、日本中でまったく同じように起きている。
だがガキの頃から見慣れたホタルがいつのまにか消えちまったのは、ショックだった。
どういうわけだと調べてみたら、護岸が丈夫なコンクリートに変ったことと、
不心得者たちが投棄していくごみのせいだと、ようやく分かった。
それからだよな。有志を集めて桐生川上域の清掃活動を始めたのは」
「流域で田圃や畑を作っている農家の協力にも、大きなものがあった。
アメリカから導入されたのは、即効性のある化学肥料と農薬を大量に使う農業だ。
堆肥や有機に頼っていた日本式の生産法から見れば、収穫量に格段の差が出た。
使いすぎた農薬や肥料が、川の水質を悪化させたことも、まぎれもない事実だ。
だが、ともあれホタルの復活に取り組んで、あれから足かけ20数年。
見事によみがえって来たなぁ、桐生川のゲンジボタルたちが」
20数年前からの取り組みならば、ちょうど俺が生まれる前後のことになる。
仲良く酒を酌み交わす男2人は、昔を思い出すかのように目を細めて、渓谷を眺めている。
女将の優子さんもおふくろと肩を並べ、懐かしそうに渓谷を見下ろしている。
その頃、川の清掃作業に汗を流していたおやじの姿を、ふいに思い出した。
「お前が大きくなったころには、またここできっとホタルの大乱舞が見られるだろう」
そう笑いながら、麦わら帽子からこぼれ落ちる汗を、拳でぬぐっていた親父の姿を思い出した。
ゲンジボタルを復活させるための取り組みがいつごろから始まり、いつごろまで続いていたのか
それらの詳細は、あまり世間に公表されていない。
退屈なあまり、川原で見かけた蝶々やトンボを追いかけていた覚えだけはある。
目の前でホタルの話をしながら、旨そうに酒を酌み交わしている岡本組長と杉原医師。
清掃作業に汗を流していた。おやじやおふくろの姿。
女将の優子さんや町の有志たちが、長年にわたり川の清掃作業に汗を流した結果、
桐生川上流のゲンジボタルは、また往時のように、見事なまでに復活をした。
だがようやく復活を遂げた桐生川のゲンジボタルが、再び姿を消す瞬間がやってくる。
それは、2011年に発生した福島第一原発の、メルトダウンとともにやって来た。
(70)へつづく
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