落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第53話

2013-04-30 10:22:17 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第53話
「一夜の宿」 




 「あら、珍しい、お客さんかい。
 外から見たら、女の子が見えたので、ひょっとしたら
 (亡くなったはずの)娘さんが、無事に帰って来たのかと、びっくりしちゃった」


 ガラリと、駅前広場に面したガラス戸が開いて、初老のご婦人が現れました。
手にしたお盆には、夕食の支度の様子などが見えます。
慣れた様子でいつもの場所と思われる奥のテーブルの上へ、そっと置きます。


 「いやいや、旅の途中の女の子だ。
 役場が戻ってきたというニュースを聞いて、わざわざ広野町の
 今の様子を見に来たくれたそうだ。
 帰りの電車まで時間が有るので、お茶などをご馳走していたところさ」

 「そうなのかい。
 それにしても、背格好といい歳回りといい、
 ほんとうに、あんたの娘さんと、良く似た感じのお嬢さんだね・・・・」


 「あのう・・・・その、娘さんと言うのは、もしかして」



 「この人の一人娘で、大学へ通っていた娘さんのことさ。
 あの日、いわきで津波にあったらしく、いくら探しても行方不明のままなんだ。
 この人ったら、晩婚なうえに子供が出来るのも遅かったから、
 40歳を過ぎてから授かった娘なもんで、目に入れても痛くないほど
 いつも可愛がっていたんだよ。
 ああいうのを、親の溺愛っていうんだろうね」


 「おいおい、ばあさん。
 もうその話は、いいかげんで勘弁してくれ。
 あれから一年になるが、やっぱり思い出すと辛いものが有る。
 こうして駅に居ると、娘がひょっこりと、電車から降りてくるような気がする。
 生きているという確たる証拠も無いが、もう死んでしまったと言う証拠も、
 無いと言うことは残された者とすれば、やはり釈然としないものが有る。
 死亡確認書という、たった一枚の紙切れだけでは、
 遺族には、納得しきれない何かが、やっぱりどこかに残ったままだ。
 まあ、わしばかりではない。
 いまだに数千人が、ここでは行方不明のままだがな」


 「ごめんなさい。
 私ったら、そんなことには、全然気がつかず、のこのこと
 お邪魔までしてしまって・・・・」


 「あんたは、なんにも悪くは無いさ。
 それに、この人のこんな嬉しそうな顔を、私も久々に見たよ。
 あ、断っておきますが、あたしとこの人は、まったくの赤の他人だよ。
 古い付き合いで、こうして3度のご飯を運び始めて、ざっと10年になるのかな・・・・
 そうかい、旅の途中のお嬢さんかい。
 で、家はどこなのさ、どこから来たの」


 「生まれは栃木県の、湯西川温泉です。
 今住んでいるのは、群馬県の桐生市と言うところです」

 「遠いねぇ・・・・
 で、今から帰るのかい。そんな遠くに。そりゃあ大変だ。
 あんたったら、なにをぼんやりとしているのさ・・・・
 鉄道員なら、この子が今晩中にその桐生とやらにまで、帰れるかどうか
 調べて上げたらどうなんだい。
 まったく、気が利かないったら、ありゃしない」



 夫婦善哉のような、この古い知り合い同士の会話を聞きながら、
間に挟まれたままの形で、響が苦笑をしています。
駅員がパソコンを叩いて、時刻表を調べ始めました。
少し前までならば、ぶ厚い時刻表をめくって調べはじめるところですが、
最近はキーボードをポンと叩くだけで、瞬時にして検索が終わります。



 「あれぇ・・・・水戸線の最終には乗れるようだが、
 肝心の小山駅からの、両毛線の最終には、どうも間にあわないようだ。
 お嬢さん、今日帰るのは無理のようですね」


 「馬っ鹿じゃないの、あんたは。
 帰りつけない人を、これから来る列車に乗せてどうすんのさ。
 小山辺りで野宿でもさせる気かい。まったく。
 そんなことだから晩婚になるし、子供が出来るのも遅かったんだ。
 あん時にさっさと早めにあきらめて、私の処へ婿に来ていればよかったのに、
 名前が変わるのが嫌だなんて駄打をこねるから、
 こんなことにもなるんだよ」


 「えっ・・・・そんな隠れたエピソードが、お二人にはあったのですか」


 「あっはは。今からざっと、40年も前の話さね。
 あたしもまんざらではなかったけれど、結局、この人とは縁がなかったんだねぇ。
 あたしもこんな男にはさっさと見切りをつけて、他の男と結婚をしたんだ。
 私の亭主は早めに亡くなり、この人の奥さんも10年前に亡くなっちまったんだ。
 それでもこの人は鉄道員のままで、すぐ目と鼻の先のこの駅舎で
 一人娘を男手ひとつで育てているんだもの・・・・
 可哀そうだからと、こうしてご飯を運びはじめて
 いつの間にか10年がたっちまったのさ。
 で、どうすんのさ、あんた。
 途中までしか帰れないのなら、今夜はあたしの処へ泊まるかい」


 「え、いいんですか。私は大助かりですが、ご迷惑では」


 「迷惑なんぞあるもんか。
 そのかわり誰も居ないし、きわめて古いあばら家だよ。
 亭主はとっくの昔に死んじまったし、若い息子夫婦は今はいばらきへ避難中だ。
 なんなら明日、福島へ行く用事が有るから、向こうの駅まで送ってやるよ。
 常磐線では遠回りになるが、東北本線なら一直線だ。
 そうしよう、あんた。それで決まりだ。
 じゃ、ついておいで。
 あんたも、ぼんやりとしていないで、温かいうちに早く食べちまいな。
 もう少しで列車が来るからね、さっさとするんだよ」


 嫌も応もありません。
響が駅員へお礼の言葉をかけてから、
もうはるか先を歩いて行く婦人の後を追って、広野の駅舎を飛び出しました。
外はすっかりと日暮れています。
夜の帳が下りてくると、線路に平行に走る商店街は、まったくの
闇の底へと沈んいってしまいます。
街灯は、相変らずひとつとして点いていません。
道路に並ぶ家々にも、一切明かりらしいものは灯っていません。
足元を照らしてくれるものといえば、かすかな光る月明かりだけです。



 「足元には気をつけるんだよ。
 ここの露地を少し入った奥だからね、わたしん家は」


 その一角だけに街灯がつき、その玄関を浮かび上がらせていました。

 「この辺りにはもう、夜になると人っ子ひとり居やしないさ。
 日が暮れてしまうと、このあたりに残っているのは、
 駅舎にいるあの爺さんと、ここに残った私くらいなもんだよ。
 5000人も居た町が、いまじゃせいぜいが200人そこそこだ。
 入っておくれ。
 何もないが一緒にご飯を食べようよ。
 あんた、夕食はまだだろう?」


 見るからに古い民家で、柱の太さが今時の住宅の倍ほども有る造りです。
表通りに見た今風の商店街の店舗とは、あきらかにその様子が違います。

 
 「田舎町なんてものは、道を一本だけ裏へ入れば、
 みんな昔ながらの、きわめて古い建物ばっかりが並んでいるんだよ。
 頑丈だけが取り柄だから地震からは助かったけど、家自体は、私以上に年寄りだ。
 避難をする前は息子夫婦と孫が居て、賑やかに大家族で暮らしていたんだがね・・・・
 ご飯もひとり食べるのでは、やっぱり、なんとも味気なくてね」

 「息子さん夫婦や、お孫さんたちは、ここへ帰ってくるのですか?」


 「おそらく、もう、二度と帰ってこないだろうさ・・・・
 役場は、町を必ず復興させると言って張り切っているけど、
 線路はここで行き止まりだし、国道や県道だって、ここから先はすべて立ち入り禁止だ。
 早い話が、ここはすべての行き止まりの場所だ。
 陸地はどこまでも繋がっていると言うのに、原発がなんとかならないうちは、
 たぶん・・・・誰も帰ってくる気なんかないだろう。
 そういう運命を背負っちまったんだよ、この広野という町は」


 「おばさんは、なぜ避難をなさらないのですか」


 「あたしゃ、ここで生まれて育ったんだ。
 亭主もずいぶんと前から此処で眠っているし、大家族で長年暮らしてきたという場所だ。
 あたしまで避難しちまったら、もう、いつの日か、
 家族の帰ってくる場所がなくなっちまう。
 それに年寄りは、いまさら放射能を浴びたところで、
 どうこうないというのが、もっぱらの評判だ。
 あんたのような若い人たちと、子供を産む世代には、
 きわめて心配で、深刻だろうがね」

 「やっぱり、そういう影響はあるのでしょうか?」


 「さあてね、あたしには、真偽のほどは解らない。
 それでも未来のある子供たちは、できるならば、
 やっぱり安全な処で育てたいと思うのは、みんな同じ親心だと思うさね。
 あんなに安全だと言って大規模に開発をしたと言うのに、原発は
 あっさりと壊れてしまった挙句、解決をするまでは数十年もかかると言う話だ。
 政府や東電の偉い人たちのやっている事と、考え方は
 わたしたち一般人には、よくわからない事ばかりさ・・・・まったくもってさぁ。
 あ、ご飯が冷めちまうよ、さあさあ、食べよう」




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第52話 

2013-04-28 10:24:34 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第52話 
「童謡の里・ひろの」




 「ここ広野は、童謡の町です。
 童謡の『とんぼのめがね』も唱歌の『汽車』も此処から生まれたと言われています。
 発者メロディとして流されているから、もうホームで聞いたと思うがね」

 「それでホームに、『汽車』の碑が建っていたのですね。
 待合室には、『とんぼのめがね』のパネルも飾ってありますし」

 「それだけじゃないよ。
 ここでは、平成6年から毎年「ひろの童謡まつり」というのを開催しているんだ。
 そこで生まれた24曲の新しい童謡を、CDに収録して発行をしている。
 広野にかぎらず、福島にはゆかりの唱歌や童謡がたくさんある。
 会津若松市にある鶴ヶ城内には、鶴ヶ城をモデルに作られたといわれている
 「荒城の月」の歌碑がある。
 山間の鏡石町には、岩瀬牧場が歌のモデルだといわれている
 「牧場(まきば)の朝」という歌碑がある。
 檜枝岐村のミニ尾瀬公園には、尾瀬をテーマに歌われている
 『夏の思い出』の碑が置いてある」


 「あら、それなら私、全部を知っています。
 子供の頃によく歌ったし、夏の思い出なんかは、
 尾瀬の木道を歩きながら、よくみんなで声をそろえて歌いました



 『もう一杯、どうだい』と、駅員さんが目を細めています。
『いただきます』と響がうなずくと、嬉しそうに茶碗をもって立ち上がりました。
お湯の入ったポットを取りに行くついでに、一冊のパンフレットを手にします。
『あとで列車の中で読むといい』と言いながら、それを響へ手渡してくれました。

 「とんぼのめがねを作詞した『額賀誠志』先生を紹介しているパンフレットです。
 先生は、昭和12年に当時無医村だったここ広野町(当時は村)に
 内科医院を開業しました。
 このころの先生は、児童文学の執筆活動を休んでいたそうですが
 終戦後(昭和21年ごろ)になってから、やむをえない気持ちから、
 ついに、活動を再開することになりました。
 パンフレットには、そのときの理由などについて、
 額賀氏が情熱的に話をした言葉が、そのまま掲載されています。



 『戦後日本の子どもたちは、楽しい夢をのせた歌を歌えなくなった。
 子どもが、卑俗な流行歌を歌うのは、あたかも、
 煙草の吸いがらを拾ってのむのと同じような、悲惨さを感じさせる。
 私が久しぶりに、童謡を作ろうと発心したのも、
 そうした実情が余りにも濁りきった流れの中に、置き忘れられている現状である。
 しかし、私は子どもたちを信じ、日本民族の飛躍と将来とを堅く信ずる。
 この子どもたちが、やがて大人になる頃には、おそらく世界は自然発生的に、
 その国境を撤廃し、全人類が一丸となって愛情と信頼と平和の中に、
 画期的な文明を現出する時代が来るであろう。
 その時に当って、若い日本民族が世界に大きな役割を果たすことを信じ、
 いささかなりとも今日子どもたちの胸に、愛情の灯をつけておきたいのである。』


 『とんぼのめがね』は、昭和23年の頃に、
 上浅見川の箒平地区へ先生が往診に行った際、
 子ども達がとんぼと遊んでいる情景をみて、作詩をしたと言われています。
 平井康三郎氏が曲をつけて、ラジオ放送によって爆発的に全国へ広まり
 代表作として残ることになりました。
 先生の作品はこの他にも多数存在するそうですが、残念ながら
 私は、それ以上は不勉強のために知りません」



 「とても、美しい話だと思います。
 童謡は、子供たちの心に、愛情の灯をつけるためにある・・・・
 未来を見つめる大人ならではの、本音と言うか、切なる気持ちだと思います。
 児童文学と言うものは、夢や希望や人としてのおおらかさを大切にするところにこそ、
 その本来の意味と価値が有ると、私も思います」

 
 「もうひとつの発車メロディとして使われている『「汽車」は、
 『鉄道唱歌」を作詞した愛媛県宇和島出身の国文学者、大和田健樹先生が
 東北地方を旅行されたおりに、JR常磐線のいわき市久之浜から
 広野町間の景観を唱われたものと、ここらあたりでは
 いまだに語り継がれています」


 一息入れた駅員が、上方の壁を指さしました。
そこには広野町の美しい景色をそのまま写し取った写真パネルが、
いくつも誇らしそうに並んでいます。
その写真を順に眺めて行くうちに、響がひとつのことに気がつきました。



 「原発や火力発電所などの建物が、一切写っていませんね。
 あれほど大きな建物を、あえて避けて写しているようにも見えますが」


 「やはり気がつきましたか、お嬢さん。
 全部、私の趣味による写真ばかりですが、ご指摘のように
 あえてアングルを変えて、そうした施設たちが写らないように工夫をしました。
 原発と火力発電所は、過疎の町にきわめて大きな恩恵をもたらしました。
 しかし、今回の震災や津波が来る前から、
 すでに大きな惨禍をもたらしてきたのです。
 お嬢さんは、原発や火力発電所がなぜ、海の近くに建てられるのかご存知ですか」

 「いいえ。
 例えば、核燃料や火力の原料などが、危険な陸路を使わずに
 海から搬送が出来るようなメリットなどは、考えられますが・・・
 そのこと以外は、ちょっと」


 「110万キロワット級の原子力発電所1基で使われる水の量は、
 原子炉圧力容器内だけでも、約400トンが必要になります。
 これだけの水が原子炉のまわりを、常にぐるぐると回り続けます。
 また、原子力発電所では、蒸気タービンによって発電機を駆動していますが、
 この蒸気タービンで使い終わった蒸気を、復水器(熱交換器)で水に戻すためには、
 1秒間に、78トンという実に大量の冷却水を必要とします。
 日本の場合は、ヨーロッパのように大きな河川や湖などがありません。
 冷却水として海の水を利用せざるをえないために、発電所の立地は、
 冷却水を豊富に利用できる、海に面した地域に限られているのです。
 そのほかにも、原子力発電所の建設地点を選ぶ際には、
 こうした『冷却水が十分確保できること』のほか、
 『地盤がしっかりしていること』や「『充分な広さの用地があること』
 などが、重要な条件になっています」



 「ええぇ!・・・・原発は、それほどに大量の水を必要とするのですか。
 初めて知りました」


 「炉心では、淡水化した海水を冷却用として大量に使っています。
 原子炉で発生した蒸気を水に戻す際にも、また冷却が必要になります。
 その冷却にも、海水を利用します。
 それらの一連の循環の事を、一般に復水器と呼んでいます。
 原発に限らず火力発電所もその腹水器の機能を確保するために
 例外なく、すべて海のそばへ建設をされます。
 問題は、これらに使われた大量の水が、その使用後には
 すべてが、海に排出されるという点です」


 「それでは、今回の事故で問題になる前から、
 海はすでに放射能によって、汚染されていたことになってしまいます・・・・」


 「そうした可能性は、誰にも否定できません。
 がしかし、今となってはそれらを確認する手段はもう残っていません。
 なにしろ、すべてが立ち入り禁止区域内での出来ごとなのですから・・・・
 今回の福島第一原発の事故のために、常磐線はこの広野町が
 南側の折り返し地点になってしまいました。
 残念ながら、ここより北は、立ち入り禁止区域に指定されているために、
 線路の被害状況さえ、いまだに確認することが出来ません」

 「もう、常磐線は、仙台まで繋がらないということですか・・・・」


 「この先の復旧に、どれほどの時間がかかるのかは、
 いまのところ、誰にも解りません。
 しかし・・・・復旧にどれだけの時間がかかったとしても、
 此処に生まれ、此処に生きてきた大人たちの責任として、子供たちの未来のためにも、
 広野は、完全に復活をする必要が有ると思います。
 広野の童謡は、子供たちの夢と未来の象徴です。
 きっと町は復活をして、また元気な子供たちの唄声が聞こえると思います。
 私が撮る写真にも、原発が写らなくなる日がきっと来ると信じています。
 そうなってくれることを、私は毎日願っています」


 「本当ですね・・・・その通りです。
 私も、そうなることを、こころから願いたいと思います」




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話

2013-04-27 10:04:07 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第51話
「無人の町・広野」


 

 こまかく降りしきる雨の中、帽子を目深にかぶり列車を見送った響は、
吸い寄せられるようにプラットホームを北の端まで歩きます。
最北端に立った響が、言葉を失って思わずそこへ立ち尽くしてしまいました。
響の足元を通過してさらに北へと延びていく、あの日以来いまだに使われていないレールは、
鉄の色を失ったまま、真っ赤に錆びて大地に朽ち果てようとしています。
人影さえ隠すほどに伸びきった枯れ草の間を、等間隔の2本のレールが消えていきます。


(この先が、あの日以来の、立ち入り禁止区域ということだ・・・・)


枯れ草の中へ消えていった2本のレールの延長線上の彼方には、
天を突くようにして、赤と白に塗り分けられた巨大な煙突が威容を誇ってそびえています。
東京電力が広野町に所有をしている、広野火力発電所の煙突です。
海上に張り出すようにして建設されたこの広野火力発電所は、
福島第1原発からは、南に21キロメートルに位置しています。
さらに福島第2原発からは、9キロメートルというきわどい位置にあたり、
ともに首都圏へ電力を供給するためだけに造られたという、役割を果たしています。


 「驚いた・・・・
 でもあれは、福島原発の煙突でははなく、
 同じ東電のが所有する火力発電所だ。
 それにしても、煙突からあれだけの勢いで煙が出ているということは、
 すでに復旧も済んで、首都圏へ電力を送るために、稼働をしているということになる。
 第一原発をあの震災で失い、住んでいる人たちは放射能に追われ、
 いまだに福島県は混乱を続けているままだというのに、あそこではもうこうして、
 首都圏のためだけの電力を、全開で生産をしているんだ。
 なんという不条理だ・・・・
 私には、とても納得することができない光景だ。これは」

 
 線路の北側にはレールと並行する形で、広野町の商店街が並んでいます。
しかし祝日の夕方だというのに、商店街のお店は、ほとんどがシャッターを下ろしたままです。
街灯のほとんどが消えたままで、すべてのものが日暮れの闇の中に沈み始めていました。
道を歩く人の姿はまったく見えず、巡回中のパトカーが時々商店街を行き会うだけで
それ以外に、動くものの気配はまったくと言っていいほど、見当たりません。
すぐに途切れてしまう商店街のはずれに、一軒だけ民家風の建物が見えました。
しかし玄関先にあるはずの照明もまた、そこも消えたままです。



 「役場の機能が戻ってきて、避難している町民たちの
 受け入れ準備がはじまったばかりだというのに、
 夜になると、またここは、すっかりと元の無人の町にかわってしまうんだ。
 人っ子ひとり、何処を見ても居るという気配がしないわ・・・・
 なんとも言えない、寂しすぎる光景だなぁ」


 響が歩き始めた商店街の通りには、近くに海が有るような気配が漂っていました。
潮の香りが、線路を越えた南の薄暗闇から流れてきます
その南側を見るために響が、前方に現れた常磐線のガードをくぐりました。
ガードを越えたその先も、あたりはやはり真っ暗な闇のままです。
しばらく目を凝らしていると、その先の50メートルあまりのところに、
ぽつりと、一軒の民家らしい建物が浮かび上がってきました。
遠くからのかすかな明かりを受けて、民家の白い壁がやがて不気味に光りはじめます。
ここにも、まったく人の気配はありません。
いくつか建ち残っている家屋も、その多くが、ほぼ崩壊寸前まで傷み具合が進んでいます。
時の流れとともに、徐々に崩壊をしていくだろうという気配が、
暗闇のすべての空間に実に濃厚に漂っています。



 響の目の前に残っているわずかな建物と、広大な更地は、あの日、高さが
8mから9mにも及んだという激しい津波の痕跡と、破壊しつくされた集落の残骸でした。
街灯は一本として見当たりません。
小雨交じりの夕暮れの闇だけが、どこまでも果てしなくただ響の目の前に広がります。
その前方に有るはず思われる海岸も、ただ波音を響かせるだけで
その所在を確認することは出来ません。

 足元に横たわるっている、朽ち始めたコンクリートの土台だけが、かつてここには
集落があったことを如実に示しています
かすかに湿り気を含んだ足元の砂が、響には泣いているように思えてなりません。
(明かりと呼べるものが、何一つない光景を、私は産まれて初めて此処で見た・・・・)
背筋を凍らせて、響が立ちすくんでいます。



 あの日、震災に遭い、想定を遥かに超えた大津波に逃げまどったこの町は、
福島第一原発の放射能の飛散により、さらなる追撃を受けました。
かろうじて生き延びた被災から、ひと息をつく暇もなく、わずか数日の後に、
強制避難という政府の指示のもと、広野町は、すべてを放棄したまま、
あっというまに無人の町に変わりました。
あれから一年。
いまだ5000人を越える町人は、避難生活を強いられたままです。
役場へ職員が戻ってきたとはいうものの、それは日中だけに限られただけのことであり、
こうして日が暮れると、ここは再び無人の町に変わってしまいます。


 降り続いていた小雨が、少しだけ小止みになってきました。
しかし、これ以上先へ行くのは危険だと判断をした響が、駅への道を戻りはじめました。
駅舎内部の壁には、童謡「とんぼのめがね」の歌詞を記したパネルが飾られています。
歌詞は、作詞者である医師が往診で出かけた際に見た情景が、
そのモデルだともいわれています。



 駅の窓口には年配の駅員が1人だけいて、待合室に人影は無く響がたった一人です。
本来の時刻表は、白い貼り紙で隠されていました。
その代わりにいまだに、とりあえずという臨時の時刻表が、
無造作に手書きをされたまま、なぜか小さく窓口に掲示してあります。
(帰ってくるんだろうか本当に。もとの町の住民たちは、こんな寂しい町へ・・・・)
帽子の水滴を振り払い、木製のベンチへ響が腰を下ろそうとした時です。



 突然、木造の駅舎がきしみはじめ、窓ガラスがガタガタと激しく鳴りはじめました。
ベンチへ置いた手を通して、響の身体にも揺れが鮮明に伝わってきます。
窓口にいる駅員に「今、揺れましたか」と思わず響が、顔色を変えたまま尋ねています。
駅員がガラス越しに「うん。確かに揺れたみたいだねぇ・・・・」と、
笑いながら小さな声で答えてくれました。
「こんなのしょっちゅうだよ」と、さらに小さな声で続けています。
響が見上げている、今でもアナログ放送中のテレビの画面に、速報で、
茨城県沖を震源とする「震度2」という表示が出てきました。


 「見かけない顔だが。どこから来たの、お嬢さん」


 暇を持て余している駅員の方から、声がかかりました。
所在を失っていた響が、ベンチからよろこんで立ちあがり、窓口へと歩きます。


 「午前中は石巻にいました。
 帰りの足で、水戸線から乗り継ぎ、常磐線を使って、ようやくここまでやってきました。
 原発の最前線の町で、役場の機能が戻ってきたという広野町の姿が見たくて
 はるばると、やってきました」



 「学生さんでは、なさそうだが・・・・物好きだね、あんたも。
 ここは、日が暮れると物騒だ。
 いや、それ以上に、見るものなんかは一切ないし、実に殺風景そのものだ。
 海沿いのほとんどは、津波で流されちまって何にも無いうえに、
 日が暮れたら、そこらじゅうが、真っ暗だ。
 避難した連中も、ほとんどが此処には帰ってこない。
 昼間は家の掃除や何かで帰ってきているみたいだが、
 夜になると一目散に、みんな、避難先に帰っちまう」


 駅員が、鼻にかかったメガネを押し上げながら笑っています。



 「若いもんなら、なおさら、こんなところには帰ってこないさ。
 年寄りなら先が無いから我慢もできるだろうが、
 できれば子供たちは、安全な処で育てたいというのが、若い親たちの本音だ。
 お嬢さんも、こんな処には長居は無用だ。
 次がいわきへ戻る、最終だ。
 また遊びにおいでと言いたいが、ここもそんなに簡単じゃない。
 此処だけの話だが、原発の処理は、まだ20年から30年もかかるという。
 だいいち、その処理技術を今から開発をするというくらいだから、実にのん気な話だ。
 呆れ果てて、ものが言えん。
 ははは、・・・・これは、内緒の話だよ。
 ここでは、うっかり本音も言えない。
 年寄りの戯言だと思って、聞き流してください」


 「そんなに深刻なのですか、ここは」


 響が窓口から、駅員をのぞき込みます。
年配の駅員が、メガネを外します。
丁寧にくもりをふいてから、ゆっくりとそれをまたかけ直しました。



 「ここ広野の海岸には、屈強で知られたコンクリートの大きな防波堤があった。
 三陸の方に有ると言う『万里の長城』ほどではないにしても、
 それでも、そいつは、そこそこの大きさと高さを誇っていた、おらが町の自慢だった。
 それがあの津波で、一瞬にして簡単に破壊されちまった。
 平地に建てられていた家は土台だけを残して、すべてががれきになっちまった。
 避難区域にも指定をされたために、いやおうなしにみんなが避難をしたが
 それも一年も経つと、ごく当たり前の暮らしぶりがはじまる」

 時計を確認した駅員が、響を手招きします。


 「次の電車までは、まだ30分以上も有る。
 お茶を入れてあげるから、改札口を回って、そこからこっちへ入っておいで」
 
 ホームへ面した入口の扉を、指でさし示します。


 「せっかく遠くまで来て、旅の土産話が
 原発と壊滅した町並と、火力発電所だけでは、まったく味気がなかろうに。
 本来ここは景色の良い、童謡の里として有名なところだ。
 時間つぶしに、わしの話でも聞いていきなさい」


 「そういえば、プラットホームには童謡『汽車』の碑が有ります。
 ここの壁にも、『とんぼのめがね』のパネルがありますね。
 へぇ~。広野はそう言う町だったんだ」



 「風光明媚で、実に美しい海岸と、
 日本の原風景みたいな里山の景色を併せ持った、とってもいい町だ。
 もっとも、それは今から一年前までの話だが、ね・・・・」


 言われた通りに改札口から回り込み、
事務室の中に入り込んだ響が、駅員がすすめてくれた椅子へ、軽く会釈をしてから
おどけてチョコンと座りました。
「はいどうぞ』と駅員が、そんな響きの前へ、湯気の上がる茶碗を差し出します。
そういえば忙しく列車ばかりの移動を繰り返し、久しく
水分さえ摂っていない自分がいることに、響がようやく気がつきました。



 「ああ・・・・あったかくてホッとする。おじさん、美味しい!」


 嬉しそうに、お茶をすする響を見て、招き入れた駅員もほほ笑んでいます。
それにしても暖かすぎるようだと、響が足元を見れば、小さな電気ストーブが
『お客様用』にと、ちゃんとすでに点けられていました。
『どうりで、あたたかいはずだ・・・』自分の身体の内部のどこかで、
ずっと張りつめていた気持ちが、このストーブの温かさのなかで、ようやく、
少しずつ緩みはじめてきました。




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連載小説「六連星(むつらぼし)」第50話

2013-04-26 07:18:28 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第50話
「ふたたびの被災地へ」




 「さて、ここからが、被災地を走る常磐線だ。
 ここから北への列車の旅は、あの日の海岸線に沿いながら、
 被災地へ逆戻りをする旅ということなる。
 何かが私の胸の中で、好奇心を探究心くすぐり続けている。
 性に合っているとでもいうのかしら・・・・
 怖い想いは有るのに、どこかで『何か』を期待をしている自分自身が居る。
 さぁて。この先で私を待っているのものは、いったい何なのだろう」

 
 JR常磐線(じょうばんせん)は、
日本の首都・東京から千葉県北西部の松戸・茨城県の水戸・いわきといった、
東関東の各都市を経由しながら、終点となる宮城県までの太平洋に面した海岸線を
ひたすら北上をしていきます。
東北地方の内陸部を縦走していく東北本線と比べ、海岸部をより多く走るこの常磐線は
東日本大震災では、きわめて大きな被害を受けました。


 損傷の大きさは深刻で、震災から一年を経過した今でも至る所に傷跡が残っています。
いまだに広野~原ノ町、相馬~亘理駅間の運転は見合わせたままの状態で、
相馬~亘理駅の間は、バスによる代行輸送に頼っています。
列車本数も通常よりも大幅に減らされたままで、現在もその運転が続いています。
さらに原ノ町~広野駅間は、福島第一原発で立ち入り禁止の警戒区域内にあたるため、
線路は閉ざされたまま、いまだに復旧の見込みすら立っていません。


 震災の当日に、常磐線では新地駅と坂元駅が津波により崩壊をしました。
新地駅では4両編成の列車が脱線をして大破しましたが、乗客と乗員は
事前に全員が避難をして、死傷者は皆無でした。
たまたま電車に乗りあわせていた福島県警の、新任警察官二人による避難誘導で、
全員が助かったと言うエピソードは、ここで生まれました。
浜吉田駅 - 山下駅間では、JR貨物コンテナの貨物列車が脱線をしましたが、
こちらでも幸いなことに、機関士は無事に難をのがれています。
勝田駅 - 水戸駅間では、盛り土が完全に変形をしたために、レールは
100メートル以上にわたって歪んでしまいました。


 「ということは、私の行く先は、広野駅がその終点ということなるわけだ。
 そのさきには、福島第一原発の警戒区域内が横たわっている。
 亜希子さんの言っていた、自然までが崩壊を始めたというゴーストタウンが・・・・」



 常磐線は、海岸線を何処までも走る、非常に長い鉄路です。
そのために、スーパーひたちや、フレッシュひたちといった特急電車が、数多く走っています。
スーパーひたちは停車駅を少なくした特急列車で、グリーン車なども連結しています。
一方の特急、フレッシュひたちは、スーパーひたちが止まらない駅でも停車をします。
友部駅から響が乗車をしたのは、そのフレッシュひたちです。


 いわき駅までの所要時間は、およそ1時間と30分。
小山駅から順調に水戸線に乗り換え、うまくフレッシュひたちに乗車をしたとはいえ、
すでにこの時点で、時刻は4時を回り始めています。
折り返し地点となっている終着駅の広野町へは、日没前後の到着に
なってしまいそうな気配が濃厚です。 



 「でも、何が私を呼んでいるのだろう・・・・
 被災地の石巻でなにかを見落としたような気がして、私はふたたびここから
 Uターンをしようとしている。
 今度は、海岸沿いから福島の被災地へ入ろうとしている。
 私の胸の中でドキドキとしながらも、なぜか躍動までしているこの期待感と、
 正反対ともいえる、得体の知れない恐怖心は、いったいなんなのだろう・・・・
 私はなにを見たくて、また被災地へ戻っていくのだろう。
 私の中で、また何か新しい感情が目覚めようとしている。
 期待と不安を、交互に同時に抱きながら・・・・」


 常磐線をひた走る特急のフレッシュひたちは山間の狭い谷と、突然開けてくる
海岸線の風景を交互に何度も繰り返しながら、一路、終点のいわき駅をめざします。
いわき方面へ向かう乗客たちで、座席がほぼ埋められているのにもかかわらず、
列車内は、意外なほどの静かさを保ったままです。
震災や原発事故発生の時の様子を話題にする乗客は、ほとんど見当たらず
ただ静かに、一様に目的地までの時間をあえて押し黙ったまま過ごしているような、
そんな雰囲気がかすかにながらに漂っています。
延々と流れていく野山の景色と、日暮れ前の最後の明るい春の光とは裏腹に、どことなく、
ただなんとはなく、重苦しいような空気が潜んでいます。


 17時42分、フレッシュひたちは定刻通りに終点となるいわき駅へ到着をしました。
駅舎はガラスをふんだんに多用した、きわめて斬新なデザインです。
さらに北上をしていくために響が、普通列車用のホームに向かって移動します。
ホーム越しには駅前にある、高架の歩行者用通路が見えます。
その向こう側には、大型商業施設などが建ちならんでいるような気配があります。



 パラパラと小雨が降りはじめてきましたが、
見える限りの範囲では、多くの人々は傘も差さずに、無言のままに歩道を歩いています。
あの日、放射能をまき散らした福島第一原発は、ここから北へ40キロ余りです。


 (あの日以来、福島からの多くの避難民を受け入れたいわきでは、
 もう日常をすっかりと取り戻したのかしら・・・・ここから見る限り、
 ここも何処にでもある地方都市のひとつに見えるけど、
 ここもやはり、あの日、津波の被害を受けたはずの被災地のひとつのはずだ)



 普通列車の下りホームでは、すでに4両編成の広野行きが待機をしていました。
この辺りの常磐線は、地震の影響で線路が陥没したり、津波で駅や列車が
押し流されたりするなどの、きわめて甚大な被害をいたるところで受けました。
復旧工事が終わった区間から、徐々に運転が再開をされたために、
現在では久ノ浜駅を経て広野駅(福島県広野町)までを列車で行くことが
できるようになりました。
しかしその先にあたる路線は、原発の20キロ圏内の強制避難区域を通過するために
復旧はおろか、線路の状態すら確認が出来ていない状態が続いています。


 4両編成の広野行きは,買い物帰りの女性や
帰宅途中の高校生たちを乗せて、ほぼ定刻通りにいわき駅を発車をしました。
列車内は閑散としており、1両には数人程度という乗車率です。
いわき駅からは約15分。少し前まではここが終点となっていた久ノ浜駅へ到着をします。
プラットホームからは、海がきわめて近くに見えています。
駅前には商店が広がり、その周辺にはかろうじて数軒の民家なども見えています。
しかし、ここも一年前には、東日本大震災による大津波で、
集落ぐるみが壊滅的な被害を受けてしまったという、地区のひとつになりました。
海沿いに広がっている枯れ草ばかりの荒野には、おそらく相当数の人家があっただろうと、
容易に想像することができます。


 1日に9本しか運行をされていない広野行きは、ここからさらに北へ向います。
それはまた、東日本の全域を放射能汚染の恐怖に陥れた、福島第一原発へ
さらに近づいていくことを意味します。
久ノ浜を出た列車は、わずか5分ほどで日没直後の広野駅へ(福島県双葉郡広野町)到着をしました。
福島第一原発は、ここから25キロ余り北の方角に位置しています。
これより先は、福島第一原発事故の警戒区域(半径20キロメートル圏内)にあたるため,
全ての列車がここで行き停まりとなります。



 広野町も昨年9月まで、緊急時避難準備区域に指定をされていました。
住民の大半が避難をしたあと、役場の機能や小中学校なども町外へと移転をしました。
その指定が9月に解除をされたために、昨年の10月10日から、JR東日本は、
この広野駅までの運転も再開しました。
さらに役場の機能が、 今年の3月1日に本来の庁舎へ戻ってきます。
これは福島での移転自治体としては、先陣を切る勇気ある初の事例になりました。




 いわき駅から降り始めた雨は、一向に止む気配を見せません。
細かい雨が降り続く外の様子を確認した響が、すっぽりと大きな帽子をかぶりました。
10人ほどの乗客たちと共に、響も暗くなりはじめたプラットホームを改札口へ向かいます。
入れ替わりで、数人の客が列車に乗りこんできました。
しかしそれ以外は、まったく静かなままの駅舎です



 5分後に童謡「汽車」のメロディが鳴りはじめ、
合図を受けて、列車が静かにホームを離れていきます。
「今は山中,今は浜」で始まる「汽車」は、広野駅周辺の車窓を歌ったという
説があり、駅の構内には、それを記念した歌碑が建っています。
小雨が静かに降りしきる中、響は改札口の庇(ひさし)の下で
遠く去っていく列車の赤いテールランプを、無言のままにポツンと一人で見送っています。




・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/

連載小説「六連星(むつらぼし)」第49話

2013-04-25 10:28:11 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第49話
「乗り換え駅は、笠間芸者の町」




 亜希子さんが颯爽と降りていった那須塩原駅から、乗り換えを予定している
小山駅までの間を、東北新幹線「やまびこ」は、約30分で走りぬけます。
時速240キロで走リ続ける栃木の車窓に飽きた響が、英治のパソコンを起動させます。
さすがに最新鋭機種というだけのことはあり、画面は瞬時に立ちあがります。


(さすがに最新の機種というだけのことはある、起動が実に早いわね。
とりあえず亜希子さんに、お礼のメールを打っておくか、アドレスももらったことだし。
・・・ついでに、聞きそびれてしまった水戸線の検索もしておきたいし・・・)

 
 画面をクリックすると、瞬時にメールの一覧が現れました。
(新幹線も早いけど、ウィンドウズ7は、もっと速いわねぇ・・・)

パラパラとクリックをしていくうちに、思わず響が苦笑をします。



(いやだわ・・・・英治ったら。
危ないエロサイトを巡回していたような形跡が、はっきりと残っている。
紛らわしいものや、危ないサイトからのメールたちが、ずいぶんと、
ごちゃごちゃと紛れ込んでいるじゃないの。
こんなものをクリックしたら、一発で、パソコンがウイルスに感染しちゃうか、
「ワンクリック詐欺』に強引に引っ張り込まれるか、
それとも迷惑画像を張りつけられるのが関の山だわ、危ない、危ない。
まぁ、こうしてみると・・・・あいつもまた、やっぱり
元気で健康的な男の子の一人だったということになるのかしら。 あら?)


 最新のメールの中に、『秋田生まれの金髪の貴公子』という差し出し人がありました。
(金髪の英治そのままのハンドルネームだ。実にもって単細胞だ、やっぱりこいつは)
クリックすると、英治からの短いメールが表示されます。


(へぇ、駅からの帰り道で、もうパソコンを買いこんだのか、早速。
なになに、残りの金は俺からのご祝儀だ。お前の結婚資金の足しにしろだって・・・・
なにさ、なんだっけ?残りの金って。 あっ。)



 例の100万円の所持金のことです。
旅先では何が有るかわからないので、用心のためにと、あえて
二人で分配をして携行することにしたのです。
当の英治には70万円を持たせ、もしものときにと響が残りの30万円を
預かっていたのです。

(そうだった。・・・・朝からバタバタと
急展開を続けているうちに、すっかりと頭の中から、お金のことを忘れていた。
まあいいか、くれるというのだからもらっちやおう。別にお荷物になるわけでもなし。
まてまて、まだ未練がましく何かが書いてあるぞ・・・・
『手切れ金がわりに持っていけ』だって、まるであたしを情婦あつかいだな、まったく。
まぁついでだ、こいつにもお礼のメールを打っておくか。そのうちに、えへへ)


 響が、亜希子さんからもらった名刺を裏返しました。
ローマ字つづりで、『なすのよでいちばんのすっぴんびじん』と読めるメールアドレスです。
(那須の世で一番というのは、那須の与一とかけているのかな・・・・洒落てんなぁ。
浩子さんも快活で素敵だったけど、このおばちゃんもお洒落でチャーミングだ。
私も、あんな風に可愛く歳をとりたいわね・・・・)


 響が亜希子さんに向けて、お礼のメールを打ち、金髪の英治へ
丁寧なお礼のメールを書き上げたころ、慨に『やまびこ』は小山駅に
滑りこむために、最高速度からの緩い減速をはじめていました。
響がこれから乗り込む水戸線(みとせん)は、小山駅が始発です。


 水戸線は小山駅から、笠間稲荷で知られる友部駅までを結んでいるJRの単線路です。
水戸線区間は小山駅から、水戸駅よりも遥か手前の友部駅までなのに、
それらをあえて水戸線と呼んでいるのは、友部駅から先の北上をするための区間を、
東京から来た常磐線と共有をしているためです。
水戸線のほとんどの列車は、水戸駅を経て勝田まで常磐線を便乗して
さらにその先へも進んでいきます。
なかには(ごく一部だけですが)、遠くいわき駅まで直通をする便さえもあります。


 「あら~4両編成の、とっても可愛いローカル列車だ・・・・」
喜び勇んで乗り込んだ響ですが、どこまで行っても変哲のない田園風景にすぐ飽きてしまいます。
再び座席で、英治のパソコンを取り出します。
水戸線は、乗り換え駅の友部までの約50キロを、小1時間ほどで走りぬけます。
北関東を代表する穀倉地帯を走るこのローカル列車の一番と特徴といえば、どこまで走っても
同じ田んぼの景色ばかりが延々と続くということです。


 友部駅のある笠間市は、
首都の東京からは直線距離で80km余り。自動車道でも120km。
東は茨城県の県庁所在地でもある水戸市、南は大学が密集するつくば学園都市など、
茨木県を代表する主要な都市のいくつかと隣接をしています。
しかし笠間市自体は、四方をまるまる山に囲まれた人口僅か3万人あまりという、
きわめてのどかで、静かで小さな田舎町です。
笠間といえば、笠間稲荷と笠間焼が一般的には知られています。
しかしこの田園の中にある、きわめて小さな田舎町に、驚ろくべきことに
<笠間芸者>と呼ばれる芸者衆が、今でも20名あまりが残っています。


 「あら、笠間にはお母さんと同じ人たちがいるんだわ」


 常磐線への乗り換えを検索していた響が、
そのホームページを見つけて、思わずその手をとめました。
笠間市で表通り埋め尽くして、賑やかに開催をされている七夕の風景写真の中に、
門前町あたりを、浴衣姿で優雅に歩いていく芸妓さんたちが写っています。
響があらためて目を引かれたのは、続いて現れた笠間市の公式ホームページです。
市のホームページには、堂々と笠間の芸妓組合へのリンクまで貼られています。

 「へぇ・・・笠間には、市役所公認の芸妓組合のホームページまで、存在するんだ」


 響の指は停める間もなく、早くも、そのリンクをクリックしています。
瞬時に艶めいた色彩で構成をされている、笠間の芸妓組合のホームページが画面に現れました。
『21軒ある旅館・料亭でいつでも、粋に芸者さんと、楽しい一時を過ごすことができます。』
とうたってあります。花代も、1名、2時間、14、175円で格安です、とあります。


 「あら、ずいぶんとお安いのね。
 今時のコンパニオンさん達と、まったく同じような料金システムだわ。
 なになに・・・・例えば、お客様4名様で、芸者さんを2人2時間のお座敷を楽しむと、

 1.お料理 お一人    5,000円として  20,000円(税別)
 2.お飲物 お一人  約2,500円として  10,000円(税別)
 3.芸奴1人2時間   13,500円     28,350円(税込)
 よって、4名様の合計は、            58,350円
 お一人当たり                   14,587円となります。



  お客様の人数が増えれば、その分お一人当たりの金額が安くなりますし、
 また、店によって料理や料金設定が異なりますので、その分はまた変化します・・・か、
 なるほどねぇ・・・・」

 
 日本三大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社の門前町として笠間は古くから栄えてきました。
笠間のまちに芸者の置屋ができたのは、明治時代の後期ごろと言われています。
料亭や旅館が並ぶ通りには、夜ともなると連日のように三味線の音が流れ、
下駄の軽やかな音を響かせて、着物姿で往来をしていく芸者衆の粋な姿が
夜遅くまで見られたそうです。



 笠間芸妓組合の事務所がある見番の電話が鳴り止まなかったという、隆盛期は、
1985年(昭和60年)前後の頃だったと、記録に残っています。
この年には茨城県のつくば市で「科学万博」が開催されていて、世の中は
バブルに向かって経済成長を続けていたという、急成長の時期でした。
すべてにおいて、何事においても、すこぶる活力がみなぎっていたという時代です。
記録によればこの当時、笠間には40軒あまりの芸者置屋があり、
120名を超える芸者たちがいて、おおいなる活況を呈していたようです。


 笠間の秋を盛り上げる一大イベントの菊まつりでは、
最後の見せ場ともなる菊人形の仕掛け舞台では、そのクライマックスに華を添えました。
『段返し』と呼ばれる最後の舞台に、あでやかに揃って登場をして、
粋で艶やかな手踊りなどを披露して、多くの見物客たちを、大いに魅了したようです。
時代の流れが変わる中で笠間でも、芸者の出番は少なくなってきたようですが、
今でも置屋は11軒が残っています。
芸者衆もベテランと若手を含めて20名がいまだに伝統を守って、
いまだに現役で、その活躍を続けています。


 そんな芸者たちにとって心強いのは、
創業90年で、県内最古といわれている置屋の三代目女将が、笠間の芸妓文化を
見守っていてくれることのようです。
ベテランの姐さんたちが、丁寧に指導にあたっている月2回の稽古日には、
20代や30代の若手たちが、きわめて熱心に通って来ています。
舞踏や音曲、鳴物で宴席に興を添える笠間風のおもてなしの文化の担い手たちは
こうしていまも、確実に育っています、と、そのホームページには紹介が続いています。


 「芸者さんか・・・・
 そういえば、そんな選択肢が、私にもあったんだ。
 でも、今さらそんなことを言いはじめたら、お母さんが驚ろきのあまり卒倒するだろうしなぁ。
 舞いは好きだけど、すぐに足が痛くなるんだもの、正座は大嫌いだし昔から苦手だわ。
 それさえなければ、着物を着るのは大好きなんだけど・・・・
 でも、どうせ、あなたは、狭い格式の世界になんかに生きないで
 もっと伸び伸びと、自由に別の世界で生きなさいと言われるのが、関の山だろうなぁ」



 ようやく到着をした(笠間芸妓のいる)「ともべ駅」では、
どこかで聞き覚えのある、古い歌謡曲のメロディが流れていました。
列車の行き先を案内するアナウンスに混じって、その軽快な音楽は途切れることなく
いつまでもホーム内に鳴り響いています。
懐かしい響きと、すぐに覚えられそうな単調な旋律の繰り返しです・・・・


 「あっ、『上を向いて歩こう』だ・・・・
 たしか飛行機事故で亡くなったという、歌手の坂本九の持ち歌だ。
 田んぼのど真ん中で、人口3万足らずの駅なのに、
 突然現れる、粋な笠間芸者と坂本九。
 古い文化もちゃんと大切にしていますという、意気込みすらを感じるわねぇ・・・・
 さびれた小さな駅舎の割には、小洒落た町だ。ここの門前町も」




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