連載小説「六連星(むつらぼし)」第53話
「一夜の宿」
「あら、珍しい、お客さんかい。
外から見たら、女の子が見えたので、ひょっとしたら
(亡くなったはずの)娘さんが、無事に帰って来たのかと、びっくりしちゃった」
ガラリと、駅前広場に面したガラス戸が開いて、初老のご婦人が現れました。
手にしたお盆には、夕食の支度の様子などが見えます。
慣れた様子でいつもの場所と思われる奥のテーブルの上へ、そっと置きます。
「いやいや、旅の途中の女の子だ。
役場が戻ってきたというニュースを聞いて、わざわざ広野町の
今の様子を見に来たくれたそうだ。
帰りの電車まで時間が有るので、お茶などをご馳走していたところさ」
「そうなのかい。
それにしても、背格好といい歳回りといい、
ほんとうに、あんたの娘さんと、良く似た感じのお嬢さんだね・・・・」
「あのう・・・・その、娘さんと言うのは、もしかして」
「この人の一人娘で、大学へ通っていた娘さんのことさ。
あの日、いわきで津波にあったらしく、いくら探しても行方不明のままなんだ。
この人ったら、晩婚なうえに子供が出来るのも遅かったから、
40歳を過ぎてから授かった娘なもんで、目に入れても痛くないほど
いつも可愛がっていたんだよ。
ああいうのを、親の溺愛っていうんだろうね」
「おいおい、ばあさん。
もうその話は、いいかげんで勘弁してくれ。
あれから一年になるが、やっぱり思い出すと辛いものが有る。
こうして駅に居ると、娘がひょっこりと、電車から降りてくるような気がする。
生きているという確たる証拠も無いが、もう死んでしまったと言う証拠も、
無いと言うことは残された者とすれば、やはり釈然としないものが有る。
死亡確認書という、たった一枚の紙切れだけでは、
遺族には、納得しきれない何かが、やっぱりどこかに残ったままだ。
まあ、わしばかりではない。
いまだに数千人が、ここでは行方不明のままだがな」
「ごめんなさい。
私ったら、そんなことには、全然気がつかず、のこのこと
お邪魔までしてしまって・・・・」
「あんたは、なんにも悪くは無いさ。
それに、この人のこんな嬉しそうな顔を、私も久々に見たよ。
あ、断っておきますが、あたしとこの人は、まったくの赤の他人だよ。
古い付き合いで、こうして3度のご飯を運び始めて、ざっと10年になるのかな・・・・
そうかい、旅の途中のお嬢さんかい。
で、家はどこなのさ、どこから来たの」
「生まれは栃木県の、湯西川温泉です。
今住んでいるのは、群馬県の桐生市と言うところです」
「遠いねぇ・・・・
で、今から帰るのかい。そんな遠くに。そりゃあ大変だ。
あんたったら、なにをぼんやりとしているのさ・・・・
鉄道員なら、この子が今晩中にその桐生とやらにまで、帰れるかどうか
調べて上げたらどうなんだい。
まったく、気が利かないったら、ありゃしない」
夫婦善哉のような、この古い知り合い同士の会話を聞きながら、
間に挟まれたままの形で、響が苦笑をしています。
駅員がパソコンを叩いて、時刻表を調べ始めました。
少し前までならば、ぶ厚い時刻表をめくって調べはじめるところですが、
最近はキーボードをポンと叩くだけで、瞬時にして検索が終わります。
「あれぇ・・・・水戸線の最終には乗れるようだが、
肝心の小山駅からの、両毛線の最終には、どうも間にあわないようだ。
お嬢さん、今日帰るのは無理のようですね」
「馬っ鹿じゃないの、あんたは。
帰りつけない人を、これから来る列車に乗せてどうすんのさ。
小山辺りで野宿でもさせる気かい。まったく。
そんなことだから晩婚になるし、子供が出来るのも遅かったんだ。
あん時にさっさと早めにあきらめて、私の処へ婿に来ていればよかったのに、
名前が変わるのが嫌だなんて駄打をこねるから、
こんなことにもなるんだよ」
「えっ・・・・そんな隠れたエピソードが、お二人にはあったのですか」
「あっはは。今からざっと、40年も前の話さね。
あたしもまんざらではなかったけれど、結局、この人とは縁がなかったんだねぇ。
あたしもこんな男にはさっさと見切りをつけて、他の男と結婚をしたんだ。
私の亭主は早めに亡くなり、この人の奥さんも10年前に亡くなっちまったんだ。
それでもこの人は鉄道員のままで、すぐ目と鼻の先のこの駅舎で
一人娘を男手ひとつで育てているんだもの・・・・
可哀そうだからと、こうしてご飯を運びはじめて
いつの間にか10年がたっちまったのさ。
で、どうすんのさ、あんた。
途中までしか帰れないのなら、今夜はあたしの処へ泊まるかい」
「え、いいんですか。私は大助かりですが、ご迷惑では」
「迷惑なんぞあるもんか。
そのかわり誰も居ないし、きわめて古いあばら家だよ。
亭主はとっくの昔に死んじまったし、若い息子夫婦は今はいばらきへ避難中だ。
なんなら明日、福島へ行く用事が有るから、向こうの駅まで送ってやるよ。
常磐線では遠回りになるが、東北本線なら一直線だ。
そうしよう、あんた。それで決まりだ。
じゃ、ついておいで。
あんたも、ぼんやりとしていないで、温かいうちに早く食べちまいな。
もう少しで列車が来るからね、さっさとするんだよ」
嫌も応もありません。
響が駅員へお礼の言葉をかけてから、
もうはるか先を歩いて行く婦人の後を追って、広野の駅舎を飛び出しました。
外はすっかりと日暮れています。
夜の帳が下りてくると、線路に平行に走る商店街は、まったくの
闇の底へと沈んいってしまいます。
街灯は、相変らずひとつとして点いていません。
道路に並ぶ家々にも、一切明かりらしいものは灯っていません。
足元を照らしてくれるものといえば、かすかな光る月明かりだけです。
「足元には気をつけるんだよ。
ここの露地を少し入った奥だからね、わたしん家は」
その一角だけに街灯がつき、その玄関を浮かび上がらせていました。
「この辺りにはもう、夜になると人っ子ひとり居やしないさ。
日が暮れてしまうと、このあたりに残っているのは、
駅舎にいるあの爺さんと、ここに残った私くらいなもんだよ。
5000人も居た町が、いまじゃせいぜいが200人そこそこだ。
入っておくれ。
何もないが一緒にご飯を食べようよ。
あんた、夕食はまだだろう?」
見るからに古い民家で、柱の太さが今時の住宅の倍ほども有る造りです。
表通りに見た今風の商店街の店舗とは、あきらかにその様子が違います。
「田舎町なんてものは、道を一本だけ裏へ入れば、
みんな昔ながらの、きわめて古い建物ばっかりが並んでいるんだよ。
頑丈だけが取り柄だから地震からは助かったけど、家自体は、私以上に年寄りだ。
避難をする前は息子夫婦と孫が居て、賑やかに大家族で暮らしていたんだがね・・・・
ご飯もひとり食べるのでは、やっぱり、なんとも味気なくてね」
「息子さん夫婦や、お孫さんたちは、ここへ帰ってくるのですか?」
「おそらく、もう、二度と帰ってこないだろうさ・・・・
役場は、町を必ず復興させると言って張り切っているけど、
線路はここで行き止まりだし、国道や県道だって、ここから先はすべて立ち入り禁止だ。
早い話が、ここはすべての行き止まりの場所だ。
陸地はどこまでも繋がっていると言うのに、原発がなんとかならないうちは、
たぶん・・・・誰も帰ってくる気なんかないだろう。
そういう運命を背負っちまったんだよ、この広野という町は」
「おばさんは、なぜ避難をなさらないのですか」
「あたしゃ、ここで生まれて育ったんだ。
亭主もずいぶんと前から此処で眠っているし、大家族で長年暮らしてきたという場所だ。
あたしまで避難しちまったら、もう、いつの日か、
家族の帰ってくる場所がなくなっちまう。
それに年寄りは、いまさら放射能を浴びたところで、
どうこうないというのが、もっぱらの評判だ。
あんたのような若い人たちと、子供を産む世代には、
きわめて心配で、深刻だろうがね」
「やっぱり、そういう影響はあるのでしょうか?」
「さあてね、あたしには、真偽のほどは解らない。
それでも未来のある子供たちは、できるならば、
やっぱり安全な処で育てたいと思うのは、みんな同じ親心だと思うさね。
あんなに安全だと言って大規模に開発をしたと言うのに、原発は
あっさりと壊れてしまった挙句、解決をするまでは数十年もかかると言う話だ。
政府や東電の偉い人たちのやっている事と、考え方は
わたしたち一般人には、よくわからない事ばかりさ・・・・まったくもってさぁ。
あ、ご飯が冷めちまうよ、さあさあ、食べよう」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/
「一夜の宿」
「あら、珍しい、お客さんかい。
外から見たら、女の子が見えたので、ひょっとしたら
(亡くなったはずの)娘さんが、無事に帰って来たのかと、びっくりしちゃった」
ガラリと、駅前広場に面したガラス戸が開いて、初老のご婦人が現れました。
手にしたお盆には、夕食の支度の様子などが見えます。
慣れた様子でいつもの場所と思われる奥のテーブルの上へ、そっと置きます。
「いやいや、旅の途中の女の子だ。
役場が戻ってきたというニュースを聞いて、わざわざ広野町の
今の様子を見に来たくれたそうだ。
帰りの電車まで時間が有るので、お茶などをご馳走していたところさ」
「そうなのかい。
それにしても、背格好といい歳回りといい、
ほんとうに、あんたの娘さんと、良く似た感じのお嬢さんだね・・・・」
「あのう・・・・その、娘さんと言うのは、もしかして」
「この人の一人娘で、大学へ通っていた娘さんのことさ。
あの日、いわきで津波にあったらしく、いくら探しても行方不明のままなんだ。
この人ったら、晩婚なうえに子供が出来るのも遅かったから、
40歳を過ぎてから授かった娘なもんで、目に入れても痛くないほど
いつも可愛がっていたんだよ。
ああいうのを、親の溺愛っていうんだろうね」
「おいおい、ばあさん。
もうその話は、いいかげんで勘弁してくれ。
あれから一年になるが、やっぱり思い出すと辛いものが有る。
こうして駅に居ると、娘がひょっこりと、電車から降りてくるような気がする。
生きているという確たる証拠も無いが、もう死んでしまったと言う証拠も、
無いと言うことは残された者とすれば、やはり釈然としないものが有る。
死亡確認書という、たった一枚の紙切れだけでは、
遺族には、納得しきれない何かが、やっぱりどこかに残ったままだ。
まあ、わしばかりではない。
いまだに数千人が、ここでは行方不明のままだがな」
「ごめんなさい。
私ったら、そんなことには、全然気がつかず、のこのこと
お邪魔までしてしまって・・・・」
「あんたは、なんにも悪くは無いさ。
それに、この人のこんな嬉しそうな顔を、私も久々に見たよ。
あ、断っておきますが、あたしとこの人は、まったくの赤の他人だよ。
古い付き合いで、こうして3度のご飯を運び始めて、ざっと10年になるのかな・・・・
そうかい、旅の途中のお嬢さんかい。
で、家はどこなのさ、どこから来たの」
「生まれは栃木県の、湯西川温泉です。
今住んでいるのは、群馬県の桐生市と言うところです」
「遠いねぇ・・・・
で、今から帰るのかい。そんな遠くに。そりゃあ大変だ。
あんたったら、なにをぼんやりとしているのさ・・・・
鉄道員なら、この子が今晩中にその桐生とやらにまで、帰れるかどうか
調べて上げたらどうなんだい。
まったく、気が利かないったら、ありゃしない」
夫婦善哉のような、この古い知り合い同士の会話を聞きながら、
間に挟まれたままの形で、響が苦笑をしています。
駅員がパソコンを叩いて、時刻表を調べ始めました。
少し前までならば、ぶ厚い時刻表をめくって調べはじめるところですが、
最近はキーボードをポンと叩くだけで、瞬時にして検索が終わります。
「あれぇ・・・・水戸線の最終には乗れるようだが、
肝心の小山駅からの、両毛線の最終には、どうも間にあわないようだ。
お嬢さん、今日帰るのは無理のようですね」
「馬っ鹿じゃないの、あんたは。
帰りつけない人を、これから来る列車に乗せてどうすんのさ。
小山辺りで野宿でもさせる気かい。まったく。
そんなことだから晩婚になるし、子供が出来るのも遅かったんだ。
あん時にさっさと早めにあきらめて、私の処へ婿に来ていればよかったのに、
名前が変わるのが嫌だなんて駄打をこねるから、
こんなことにもなるんだよ」
「えっ・・・・そんな隠れたエピソードが、お二人にはあったのですか」
「あっはは。今からざっと、40年も前の話さね。
あたしもまんざらではなかったけれど、結局、この人とは縁がなかったんだねぇ。
あたしもこんな男にはさっさと見切りをつけて、他の男と結婚をしたんだ。
私の亭主は早めに亡くなり、この人の奥さんも10年前に亡くなっちまったんだ。
それでもこの人は鉄道員のままで、すぐ目と鼻の先のこの駅舎で
一人娘を男手ひとつで育てているんだもの・・・・
可哀そうだからと、こうしてご飯を運びはじめて
いつの間にか10年がたっちまったのさ。
で、どうすんのさ、あんた。
途中までしか帰れないのなら、今夜はあたしの処へ泊まるかい」
「え、いいんですか。私は大助かりですが、ご迷惑では」
「迷惑なんぞあるもんか。
そのかわり誰も居ないし、きわめて古いあばら家だよ。
亭主はとっくの昔に死んじまったし、若い息子夫婦は今はいばらきへ避難中だ。
なんなら明日、福島へ行く用事が有るから、向こうの駅まで送ってやるよ。
常磐線では遠回りになるが、東北本線なら一直線だ。
そうしよう、あんた。それで決まりだ。
じゃ、ついておいで。
あんたも、ぼんやりとしていないで、温かいうちに早く食べちまいな。
もう少しで列車が来るからね、さっさとするんだよ」
嫌も応もありません。
響が駅員へお礼の言葉をかけてから、
もうはるか先を歩いて行く婦人の後を追って、広野の駅舎を飛び出しました。
外はすっかりと日暮れています。
夜の帳が下りてくると、線路に平行に走る商店街は、まったくの
闇の底へと沈んいってしまいます。
街灯は、相変らずひとつとして点いていません。
道路に並ぶ家々にも、一切明かりらしいものは灯っていません。
足元を照らしてくれるものといえば、かすかな光る月明かりだけです。
「足元には気をつけるんだよ。
ここの露地を少し入った奥だからね、わたしん家は」
その一角だけに街灯がつき、その玄関を浮かび上がらせていました。
「この辺りにはもう、夜になると人っ子ひとり居やしないさ。
日が暮れてしまうと、このあたりに残っているのは、
駅舎にいるあの爺さんと、ここに残った私くらいなもんだよ。
5000人も居た町が、いまじゃせいぜいが200人そこそこだ。
入っておくれ。
何もないが一緒にご飯を食べようよ。
あんた、夕食はまだだろう?」
見るからに古い民家で、柱の太さが今時の住宅の倍ほども有る造りです。
表通りに見た今風の商店街の店舗とは、あきらかにその様子が違います。
「田舎町なんてものは、道を一本だけ裏へ入れば、
みんな昔ながらの、きわめて古い建物ばっかりが並んでいるんだよ。
頑丈だけが取り柄だから地震からは助かったけど、家自体は、私以上に年寄りだ。
避難をする前は息子夫婦と孫が居て、賑やかに大家族で暮らしていたんだがね・・・・
ご飯もひとり食べるのでは、やっぱり、なんとも味気なくてね」
「息子さん夫婦や、お孫さんたちは、ここへ帰ってくるのですか?」
「おそらく、もう、二度と帰ってこないだろうさ・・・・
役場は、町を必ず復興させると言って張り切っているけど、
線路はここで行き止まりだし、国道や県道だって、ここから先はすべて立ち入り禁止だ。
早い話が、ここはすべての行き止まりの場所だ。
陸地はどこまでも繋がっていると言うのに、原発がなんとかならないうちは、
たぶん・・・・誰も帰ってくる気なんかないだろう。
そういう運命を背負っちまったんだよ、この広野という町は」
「おばさんは、なぜ避難をなさらないのですか」
「あたしゃ、ここで生まれて育ったんだ。
亭主もずいぶんと前から此処で眠っているし、大家族で長年暮らしてきたという場所だ。
あたしまで避難しちまったら、もう、いつの日か、
家族の帰ってくる場所がなくなっちまう。
それに年寄りは、いまさら放射能を浴びたところで、
どうこうないというのが、もっぱらの評判だ。
あんたのような若い人たちと、子供を産む世代には、
きわめて心配で、深刻だろうがね」
「やっぱり、そういう影響はあるのでしょうか?」
「さあてね、あたしには、真偽のほどは解らない。
それでも未来のある子供たちは、できるならば、
やっぱり安全な処で育てたいと思うのは、みんな同じ親心だと思うさね。
あんなに安全だと言って大規模に開発をしたと言うのに、原発は
あっさりと壊れてしまった挙句、解決をするまでは数十年もかかると言う話だ。
政府や東電の偉い人たちのやっている事と、考え方は
わたしたち一般人には、よくわからない事ばかりさ・・・・まったくもってさぁ。
あ、ご飯が冷めちまうよ、さあさあ、食べよう」
・本館の「新田さらだ館」は、こちらです http://saradakann.xsrv.jp/