赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま (54)
夏まで残る雪渓
潅木の道をようやく抜ける。
地蔵山からやってきた道と合流すると、三国岳へむかう尾根を伝う道に出る。
このあたりから、所々、足元が崩れた痩せ尾根になっている。
霧がすこしづつ濃くなってくる。
滑らないよう注意しながら、恭子と清子が痩せた尾根の道をすすんでいく。
およそ30分。急峻な三国岳の上り口へ到着する。
「清子。ここから先が、今日一番の難所だよ。
剣が峰という岩場がある。鎖を頼りによじ登っていく険しいところだ。
でもね。雨で濡れていなければ、さほど難しい場所じゃない。
ほら。遠くにたくさんの雪渓が見えるだろう。
あれはね、夏の中頃まで残るんだ。
ここの岩場を越えると避難小屋がある。そこまで行けば一休みができる。
ガスがかかってきたけど、天候が崩れる心配はないだろう。
一休みしてから、岩場を登ろう。
それまでたまを懐から出して、休憩させてやるといい」
『お前も一休みをしたほうがいいそうです』
清子が胸のポケットからたまをつまみ出そうとする。
しかしたまは、『寒すぎるから嫌だ』とばかり、目を見開いたまま
ポケットの中で首を横に振る。
雲の切れ間から、下界の様子がよく見える。
このあたりで標高は、すでに1500mを超えている。
『なんだい・・・寒いのかい?、お前』清子がたまを覗き込む。
たまがフルフルとヒゲを小刻みに震わせている。
寒さより、立ち込めている湿気を含んだガスを嫌っているようだ。
よく見ると口の周りをしきりに舐め回している。
猫が顔や耳の後ろなどを洗うと、雨が降る可能性が高くなる。
『猫が顔を洗うと雨が降る』と昔から言われている。
猫は極端に湿気嫌う。
顔に着いた湿気のベタベタを、手で懸命に取り除く。
猫がいつも以上に顔を擦っていたら、低気圧が接近している証拠になる。
曇り空なら、傘を持って外出するほうが良いとされている。
口や鼻の周りをなめることもある。
この場合。猫の気持ちの中に迷いが生じている。
逃げ出したい気持ちがうまれている。逆に近寄ってみたいと考えている時もある。
行動に迷いが生じたとき、猫は口の周りを舐める。
次の行動に移りやすくするため気分を鎮めて、落ち着つかせるための
行動と言われている。
「あはは。たまは男の子のくせに、臆病すぎる。
危険な岩場だと言われて、緊張しているんでしょ。
無理はない。あたしだって高度1500mの岩場は初めての体験です。
でもさぁ、見てごらん。
あちこちに鮮やかなピンクや、オレンジの花が見えるだろう。
白や紫色の花も見えている。
ここはきっと、晴れていれば雲の上の花園です。
そんな気配がぞんぶんに漂っています。
ほら。たま。もっと大きな目を見開いて、まわりを見てご覧。
こころが踊るような景色が、お前にも見えますから」
「子猫に向かって、無茶を言わないの、清子。
猫の目が大きくなるのは、夜だけさ。
今は、三日月様より細くなっている状態だもの、景色なんか目に入るもんか。
山小屋で好物のかつお節でも食べされば、きっと機嫌も治るだろう。
もっとも山小屋に好物のかつお節が、有るかどうかが問題だけど、ねぇ」
さぁ行くよと帽子を直して、恭子が立ち上がる。
ガスのせいで、足場が滑りやすくなってきたから気をつけるんだよと
恭子が、清子を振り返る。
剣が峰は岩の塊が、不規則にゴロゴロと突出している。
三国避難小屋までの稜線を、こうした岩場が不規則に続いていく。
飯豊山は、遠くから撮影された写真のイメージから、
女性的な優しい山と、人々には思われている。
なだらかな稜線の山容。山肌を彩る数多くの高山植物の様子などから、
そんなイメージが多くの人に普及した。
全体的にほどよく整備された登山道を備えている。
しかし。所々にこうした荒々しい岩場や鎖場などがある。
かつて山岳信仰で賑わった山は、ときどきこうした男性らしさを、垣間見せる。
山の手ごわい洗礼を受けて尾根を歩くこと、30分。
2人の行く手に三国の避難小屋が、瘦せ尾根の遠くに見えてきた。
(55)へ、つづく
落合順平 作品館はこちら
夏まで残る雪渓
潅木の道をようやく抜ける。
地蔵山からやってきた道と合流すると、三国岳へむかう尾根を伝う道に出る。
このあたりから、所々、足元が崩れた痩せ尾根になっている。
霧がすこしづつ濃くなってくる。
滑らないよう注意しながら、恭子と清子が痩せた尾根の道をすすんでいく。
およそ30分。急峻な三国岳の上り口へ到着する。
「清子。ここから先が、今日一番の難所だよ。
剣が峰という岩場がある。鎖を頼りによじ登っていく険しいところだ。
でもね。雨で濡れていなければ、さほど難しい場所じゃない。
ほら。遠くにたくさんの雪渓が見えるだろう。
あれはね、夏の中頃まで残るんだ。
ここの岩場を越えると避難小屋がある。そこまで行けば一休みができる。
ガスがかかってきたけど、天候が崩れる心配はないだろう。
一休みしてから、岩場を登ろう。
それまでたまを懐から出して、休憩させてやるといい」
『お前も一休みをしたほうがいいそうです』
清子が胸のポケットからたまをつまみ出そうとする。
しかしたまは、『寒すぎるから嫌だ』とばかり、目を見開いたまま
ポケットの中で首を横に振る。
雲の切れ間から、下界の様子がよく見える。
このあたりで標高は、すでに1500mを超えている。
『なんだい・・・寒いのかい?、お前』清子がたまを覗き込む。
たまがフルフルとヒゲを小刻みに震わせている。
寒さより、立ち込めている湿気を含んだガスを嫌っているようだ。
よく見ると口の周りをしきりに舐め回している。
猫が顔や耳の後ろなどを洗うと、雨が降る可能性が高くなる。
『猫が顔を洗うと雨が降る』と昔から言われている。
猫は極端に湿気嫌う。
顔に着いた湿気のベタベタを、手で懸命に取り除く。
猫がいつも以上に顔を擦っていたら、低気圧が接近している証拠になる。
曇り空なら、傘を持って外出するほうが良いとされている。
口や鼻の周りをなめることもある。
この場合。猫の気持ちの中に迷いが生じている。
逃げ出したい気持ちがうまれている。逆に近寄ってみたいと考えている時もある。
行動に迷いが生じたとき、猫は口の周りを舐める。
次の行動に移りやすくするため気分を鎮めて、落ち着つかせるための
行動と言われている。
「あはは。たまは男の子のくせに、臆病すぎる。
危険な岩場だと言われて、緊張しているんでしょ。
無理はない。あたしだって高度1500mの岩場は初めての体験です。
でもさぁ、見てごらん。
あちこちに鮮やかなピンクや、オレンジの花が見えるだろう。
白や紫色の花も見えている。
ここはきっと、晴れていれば雲の上の花園です。
そんな気配がぞんぶんに漂っています。
ほら。たま。もっと大きな目を見開いて、まわりを見てご覧。
こころが踊るような景色が、お前にも見えますから」
「子猫に向かって、無茶を言わないの、清子。
猫の目が大きくなるのは、夜だけさ。
今は、三日月様より細くなっている状態だもの、景色なんか目に入るもんか。
山小屋で好物のかつお節でも食べされば、きっと機嫌も治るだろう。
もっとも山小屋に好物のかつお節が、有るかどうかが問題だけど、ねぇ」
さぁ行くよと帽子を直して、恭子が立ち上がる。
ガスのせいで、足場が滑りやすくなってきたから気をつけるんだよと
恭子が、清子を振り返る。
剣が峰は岩の塊が、不規則にゴロゴロと突出している。
三国避難小屋までの稜線を、こうした岩場が不規則に続いていく。
飯豊山は、遠くから撮影された写真のイメージから、
女性的な優しい山と、人々には思われている。
なだらかな稜線の山容。山肌を彩る数多くの高山植物の様子などから、
そんなイメージが多くの人に普及した。
全体的にほどよく整備された登山道を備えている。
しかし。所々にこうした荒々しい岩場や鎖場などがある。
かつて山岳信仰で賑わった山は、ときどきこうした男性らしさを、垣間見せる。
山の手ごわい洗礼を受けて尾根を歩くこと、30分。
2人の行く手に三国の避難小屋が、瘦せ尾根の遠くに見えてきた。
(55)へ、つづく
落合順平 作品館はこちら