上州の「寅」(33)
「準備は良いかい。落とすよ」
チャコが枝の下へ忍び寄る。
群れは動かない。ハチたちはまだ真下へ迫ったチャコに気づいていない。
(しっかり網を構えて)チャコの目が指示を出す。
(おう・・・)寅がおよび腰で網を差し出す。
(そこじゃない。ずれてるよ。ちゃんと真下に構えて!)チャコの眼が鋭く光る。
言われた通り、寅がせいいっぱい腕を伸ばして網をかまえる。
チャコがすこしずつ体を起こす。
群れはまだ動かない。手を伸ばせば届く位置まで立ち上がる。
(あいつ。どうするつもりだ・・・まさか手で払い落すつもりか!)
(落とすよ。準備は良いね)
(あいつ、手で払い落とすつもりだ・・・なんという大胆な女だ)
立ち上がったチャコがを群れに向かって手を伸ばす。
茶色の群れはまだ無警戒。
ためらいなく伸びた手が、無造作に枝から群れを切り離す。
バサッ。群れが音を立て、寅の網へ崩れ落ちてくる。
「いまだ。早く閉じて!。ぐずぐずしてると逃げられちゃう!」
「おっ、おうっ」
寅があたふたと網を裏返す。
くるりと回った入り口が、そのまま群れのふたになる。
「大丈夫か。すこし逃げられたような気がするが・・・」
「大丈夫。女王バチさえ残っていれば、こっちのものだ。
ユキ。持ってきた足場をここへ置いて!」
ユキが足場をもって飛んできた。
巣箱を高い位置に置くとき、足場として使う1メートルほどの木の枠だ。
「寅ちゃん。網を足場の上に置いて」
言われた通り足場の上へ網を差し出す。
枠の上に網がおさまる。しかしこのままではふたがされたままだ。
出口を作るためチャコがくるりと網を返す。
「ユキ。はやく巣箱を乗せて!」
ユキがひろげられた網の上へ巣箱を乗せる。
「よし。うまくいった。あとは移動するのを待つだけだ」
「すこし下がって様子を見よう」チャコが合図を出す。
落とされたハチの群れが、網の底でくずれはじめた。
(飛び始めたぞ・・・だいじょうぶか。逃げられないか?)
「だいじょうぶ。見ててご覧、巣箱へ移り始めるから」
「そんなにうまくいくか?」
「大丈夫さ。ここまではユーチューブで学習したとおりうまくいっている」
「君の先生はユーチューブの動画なのか!」
「日本ミツバチの日曜養蜂、というチャンネルがある。
それがわたしの先生さ」
「君の度胸には恐れ入った。
素手でよく、ミツバチの群れを落としたもんだ」
「女は度胸。ほら見てごらん。群れが巣箱へ移動し始めた!」
(34)へつづく