落合順平 作品集

現代小説の部屋。

アイラブ、桐生 (27) 銃とブルドーザ―・伊江島(後)

2012-05-31 05:10:22 | 現代小説
アイラブ、桐生・第二部(27)
第3章 銃とブルドーザ―・伊江島(後)
「サトウキビ畑」


(平たんな伊江島では唯一の高台となる・タッチュー)




 海人の宴から一夜あけた翌朝。
おじいから借りた車に乗って、島の西北部の射爆場へむかいました。
沖縄での車の通行は、アメリカと同じ右側通行です。
国産メーカーの軽自動車でさえ、ハンドルは左座席についていました。


 運転するのは優子です。
伊江島は、見渡すかぎりになだらかな平坦地が続きます
その中心部に向かって、わずかな傾きを見せながら、
どこまでも果てしなく、農地が続いています。
最初のうちに目に入るのは、野菜や、パイナップルの畑です。
内部へ進むにつれて、ところどころにサトウキビ畑が交じってきました。
緑がどこまでも鮮やかに広がっていくこうした畑の様子と、
白い波が砕ける紺碧の海は、どう見ても、平和そのものの海南の小島のように見えます。



 やがてはるか彼方に、旧日本軍の飛行場跡が見えてきました。
それとともに、今までの畑の様子が極端に変わりはじめます。
野菜の姿が消えて、サトウキビの畑ばかりが目につくようになります。
道路の両脇には、英語と日本語で、「軍用地につきこの先、立ち入り禁止」の
大きな看板が目立ってきます。



 「サトウキビ畑が、軍用地?」


 「言ったでしょ。島の西半分は軍用地。
 おじいの言っていた、銃とブルドーザーで盗られた土地よ。
 おとうの土地もこの先にある。
 全部、先祖からの土地なのに、今では全部が軍用地さ。
 良く見ておいて頂戴、群馬。これが伊江島の現実の姿なのよ。
 これが、沖縄の本当の姿なのさ。」




 驚いたことに、サトウキビ畑の真ん中を平然として鉄条網が走っています。
やがて道路が完全に封鎖をされていて場所へ出ました。
申し訳程度のようの、小さなゲートがぽっかりと開いています。


 「ここから先が、歩きだよ」

 車から降りた優子は、慣れた手つきで
ゲートにからんでいる鎖を外すと、その中に身体を滑り込ませました。



 「ここから先が、本当の軍用地。
 ここまでの警告や看板は、ただ注意しろというだけの意味です。
 このゲートから先は、命の保証はしませんという、 
 正真正銘の、本当の危険区域だよ。」




 説明をしながら優子は、もう
うっそうとして立ちあがっているサトウキビの幹を左右にかきわけています。
隙間を作りだした瞬間に、奥へ向かって進みはじめました。
あらためて見ると、その足元にはけもの道のような細い空間があります。
人が歩いた形跡が残されていることに、初めて気が付きました。


 サトウキビは、人の背丈をはるかに超えています。
優子は小高い方向へ向かって、サトウキビをかき分けながら進みます。
この先に入ると命の保証がない?・・・なんのことだろうと考えていたら
突然サトウキビ畑が途切れて、視界が開けました。
この一帯だけが、綺麗にサトウキビが刈り倒されています。



 「監視のために、復帰協がつくった空間さ」


 到着したのは、米軍の演習状況を記録するために、
復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)が設置した、監視のための空間です。
監視小屋といっても、射爆場の標的を見下おろすことができるだけの高台に、
四方に柱を立てて、簡単に屋根だけをのせてつくっただけの建物です。
今にも飛んでしまいそうな、ほったて小屋そのものです。




 足元からは、サトウキビ畑がなだらかに下りはじめます。
見渡す限りに延々と下り続けて、南に見える海岸に届いています。
しかし、優子の言う射爆のための練習施設は、どこにも見えません。
優子が、大きなつばのついた麦わら帽子を取り出しました。
決意を込めたような表情で、しっかりとヒモをを結んで、自分の頭へかぶります。
また無言のまま、サトウキビ畑へ分け入って行きます。


 日差しをいっぱいに受けて、
大きく育ったサトウキビは、肌に触れるたびにチクチクと刺します。
それらのサトウキビの葉っぱをかきわけながらまた、5分ほど南に進みました。
幹が林立をしているそのかすかな隙間から、真っ赤な赤い丸が描かれた
巨大なコンクリートのブロックが見えてきました。
その手前には、サトウキビと同じ背丈を持つ鉄条網も現れました。



 突然現れた鉄条網はサトウキビ畑の真ん中を、ただ仕切っただけの状態で、
それがどこまでも、果てしなく続いて居るようにも見えました。



 「群馬。ここから先が、本当に命の保証はしませんという、
 射爆場の敷き地内なのよ。
 どうする、私は行くけど・・
 いやなら、ここで観ていてもかまわないさ」



 見ると鉄条網は、ところどころで引きはがされたように破られています。
その大きさは、人はおろか、車までが容易に入れるほどの大きさになっていました。
驚いて足元にに眼を落すと、しっかりとした車輪の跡までが
くっきりと残されています。



 「この先が、危険きわまりない射爆場だというのに、
 こうして、自由に、人や車の出入りが許されているいるわけ?」


 「好き勝手に、
 私たちの土地を取り上げて、自由にしているのは米軍たちのほうさ。
 ここは先祖伝来の、伊江島の百姓たちの土地だもの。
 あいつらが鉄砲で取りあげて、
 勝手に、射爆場として訓練を続けているんだよ。
 おとうの土地もこの先にある。
 昨夜のおじいの土地だって、まだこの先にあるわ。」



 「しかし、あまりにも危険だろう・・」


 「だから、私たちは、命をかけて守っているの。
 アメリカの連中だって、遊びで訓練しているわけじゃぁないんだよ。
 あいつらもまた、ここで必死に訓練をして、明日には
 ベトナムへ爆撃に飛んで行くんだ。
 わかる、群馬? まだ戦争はつづいているんだよ、
 此処では、まだ毎日が戦争なんだ。
 私が生まれる前から、戦争は続いているんだよ。
 沖縄に施政権が返還をされても、沖縄に基地があるかぎり、
 伊江島に射爆場が有る限り、この地上では戦争が続いているんだよ・・・・
 私のこの足元に有る、この土地の上で、いまでも戦争は繰り返されているのさ。
 群馬。この海と空はベトナムへつづいているんだよ」




 鉄条網を抜けてなおも少しだけ歩くと、やがて草むらに出ました。
なぎ倒されたサトウキビ畑の真ん中に、2階建てのビルほどもありそうな巨大な
コンクリートの塊が、一面に転がっています。
これが、優子の言う射爆場・・・・



 帽子のひさしを少し上にあげてから、
優子が、サトウキビが横たわっている草のむらに腰を下ろしました。
刈り込まれたとばかり思っていたのは、実はすべてが倒されたサトウキビです。
コンクリートの標的のかたわらには、赤茶色に焦げついた地面が
ごつごつとしたまま、剥き出しに見えています。


 遠くに聞こえていた爆音が一気に近づいてきました。
しかし私には爆音だけで、戦闘機の機影を探すことはできません。




 「あっちだよ。」




 優子が、西の空を見上げながら指をさしました。
急角度すぎて、首が痛くなるような、はるか西方の高い空の上です。
やっと米粒のような、小さな点が現われました。
急降下をしながらこちらのほうへ、戦闘機が機首を旋回させています。
そのまま速度を落とさずに、こちらへと向かってきました・・・・



 迷彩色を施したファントム戦闘機は、
私たちが見つめているわずかな間に、海上すれすれにまで舞い降りました。
低空飛行を維持したまま、銀色の塊が全速力でこちらに向かって急接近をしてきます。
その鈍く光る銀色の塊は、あっというまに私たちの直前までやってきました。
両翼を怪しい鳥のように押し広げて、地上に真黒い影を落としながら、
私たちへの至近距離にまでやってきて、ついに目と鼻の先にまで迫ってきました。
次の瞬間に、何かが空中で炸裂をしました。
びりびりと空気が切り裂さかれた瞬間に、私の耳は何も聞こえなくなってしまいました。
すさまじい振動と土煙を、あたり一帯に撒き散らしながら、ファントム戦闘機が、
私たちの頭上を、超低空のままで飛び去りました。



 巻き起った、砂塵と爆風のために視界がまったくありません。
きな臭い空気が倒れ込んだ私たちの背中へ、小石や土の塊を落としていきました。
突風に翻弄された優子の麦わら帽子は、あわててかかえこんだその両手から、
とっくにもぎとられてしまい、遥か遠くへ飛ばされていました。




 「・・・・お願い、群馬。乙女の胸が大ピンチなの。
 庇ってくれたのは、とても嬉しいけど、乙女の胸がつぶれてしまいそうだわ。
 申し訳ないけど、私の背中から、もうそろそろ降りてくださるかしら。
 いきなりすぎて・・わたしったら、群馬に襲われるかと思った」


 吹き飛ばされた帽子を目で追いながら、優子が苦笑いをしています。
恐怖を感じた瞬間に私は、反射的に優子を庇った体勢のまま、
力いっぱいサトウキビの中へ押し倒していたのです。
きな臭い火薬のにおいが、まだあたり一面に濃厚に立ち込めています。
私たちの頭上をすりぬけたファントム戦闘機は、耳に激しく残る金属音を響かせながら、
海上を左に旋回しつつ、再び天空にむかって急角度の上昇を続けています。




 「あいつらは、ああして旋回してから、
 また急降下をしながら、実弾を落としにやってくるんだ。
 あいつらも必死に訓練しているけれど・・私たちも必死だの。
 いつまでも好き放題に、野放しにしていたら、
 先祖の土地も、おとうの土地も、いつまでたっても返ってこない。
 伊江島に生まれた人間は、怖いけれども戦うしかないの。
 銃とブルドーザーと、あの戦闘機と。」



 帽子を拾って立ち上がった優子が、背筋を伸ばして大きく胸をはります。
はるか西の空で旋回を続ける戦闘機からは、一瞬も目線を離さずに、
さらに優子が言葉を続けます。



 「負けてたまるか、負けるもんか。
 優子は、おとうと約束をしたんだ。
 伊江島の先祖の土地が、最後の一坪まで、完全に返ってくるまで戦うと。
 ここは私が、生まれて育った土地だもの、
 おとうが生まれ、おかあもここで生まれ私を育ててくれた土地だもの。
 踏みにじられたまんまになんか、絶対にするものか。
 おとうのために、みんなのために・・・・」



 私も優子の肩をだいて立ち上がりました。
俺が守ってやる、そんな意気込みと決意をしっかりと指先に込めました。
すこし優子の前に出て、旋回しながら戻ってくる戦闘機をしっかりと睨みました。
来るなら来てみろと、気合を込めて、私も胸を反らします。
背後から、優子の軟らかい手が私の腰へ回ってきました。
静かな声も聞こえてきます。



 「無理すんな、群馬。
 気持ちは、とっても嬉しいけどさ・・・・ 」


 振り返えるとそこには・・・・
ま深にかぶった帽子の大きなつばの下で、優子の瞳がほほ笑んでいました。
『ありがとう』と言っているような、そんな優しいと思える光があふれていました。




   ※1969年に行われた日米首脳会談で
  「72年・核抜き・本土なみ」の沖縄返還が合意しました。
   ベトナム戦争の早期終結を画策したニクソン大統領と、
   佐藤栄作首相による、次の段階を見据えてのあらたな政治的決着です。
   米軍の占領支配ともいえる、無権利状態の植民地支配が終りをつげて、
   1972年5月15日、沖縄は日本に復帰することになりました。

    しかし当初の思惑からは大きく外れ、
   米軍がベトナムから撤退したのは、その翌年の3月29日のことです。
   また沖縄県民の最大の悲願であった、基地の縮小と撤去は実現されることはなく、
   復帰後も存続し続け、それは今日にまでも延々と続いています。




 夕暮れがせまるまで・・・
射爆場の一角で、私は優子とともに米軍機の実弾演習に抗議の目を光らせました。
それは沖縄が、施政権返還まであと一年余りにと迫った、1971年の春のことです。
優子も私も、ともに21歳の春でした。







<第2部>第三章 完




■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
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アイラブ桐生・(26)  銃とブルドーザ―・伊江島(前)

2012-05-30 09:46:34 | 現代小説
アイラブ桐生・(26)
第3章 銃とブルドーザ―・伊江島(前)
『優子とおばぁ』



(本部半島の先端へ続く道)




   ■アメリカ軍による沖縄統治の歴史は、
   1945年の太平洋戦争終結時からはじまりました。
   まったく無権利状態下での、アメリカ軍による沖縄の占領は
   1972年5月15日までの沖縄本土復帰まで、およそ27年間に及んでいます
   日本の法律はおろか、アメリカ合衆国の法律さえも適用されないままに、
   軍事政権下で、無権利状態におかれた統治政治のことをさしています。




 沖縄本島北部の、本部港から連絡船に乗りました。
瀬底島を左手に見て、海上にひらりと浮かんでいる小さな水納島を眺めているうちに、
30分ほどで、優子の実家が有る伊江島に到着をします。
連絡船を降りて桟橋の近くの歩いていると、
水面の小舟から声がかかりました。


 「お~い、優子でねえか。
 いつ戻った。
 その連れはなんだ、亭主か・・
 バァちゃんが見たら、さぞかしよろこぶぞ~
 ちょっとこのあたりでは見かけない、よさそうな男だのう。
 見かけない顔だが、内地のもんか?」



 「おじいちやん、ただいま。元気そうだわねぇ、いつ見ても。
 あいかわらず、口だけは悪いけど・・・・
 私のお客さんよ、
 伊江島を案内してあげるの」



 「そうか、それなら、タッチューがいいぞ。
 あそこからなら、360度を見渡せる」



 「うん、ありがとう、後で行ってみる!」


 「本当は、都会から連れて来た、お前の亭主じゃろう?
 本当に違うのか・・ばぁさんにいっておけ、あとで魚を届けると。
 お~い、そこのご亭主、酒は呑めるのかぁ。」




 違う、違うとうれしそうに手を振りながら、
近所のおじさんでいつも出会ってもああなのよ、と、ケラケラと優子が笑っています。
この旅で優子が初めて見せる、屈託のない柔らかい笑顔です。
生まれ育ったところに戻ってくると、人は心がなごみます。
優子の心にも、なにかほっとしたものが生まれてきたようです。



 「タッチューって?」

 「伊江島のシンボルみたいな山のこと。
 ほら、本部港の桟橋からも良く見えていたでしょう。
 洋上にぽかんと浮かんでいて、尖ったように見えていた山のこと。
 後で行こう、眺めはいいわよ~、最高だから!」





 やはり、テンションはあがっています。
発着桟橋から5分も行かないうちに、もう優子が小走りになりました。
昂ぶってきた気持ちを抑えきれなくなってきて、
最後は脱兎のように、元気よく走りだしてしまいます。




 「おばぁ~ただいま!」


 優子がとびこんでいったのは、お土産屋さんのような小さな食堂です。
優子がおばァの首にかじりついたまま、涙をこぼして笑っています・・・・


 「本当にさぁ、
 この子ったら、なんの前触れもなしに、
 突然に帰ってくるんだから~」


 受け止めているおばぁの顔も嬉しそうです。
その訳は、すぐに分かりました。
射爆場の中にあるサトウキビ畑で、実践訓練中の流れ弾に当たり、
優子の父親は10年前に亡くなりました。
その後、母親は本島へわたり、水商売だけで優子の学費を稼いでいます。
実家にのこったのは、おばぁただ一人になってしまいました。




 幼い時から優子は、
おばぁと二人だけで暮らしてきました。
母と会えるのも、1年に数回だけに限られています。


 ここまで一緒に旅をしてきたというのに、この子、(優子は)
そんな自分の生い立ちなどは、只の一度も口にしませんでした。
青い海に囲まれて、青い空に抱かれて幸せに暮らしてきた・・・・
そんな私の自分勝手な思い込みは、伊江島へ上陸をして30分もたたないうちに、
ものの見事に打ち砕かれてしまいました。



 そうだ、ここは米軍の基地の重みで沈みかけている島なんだ・・・・
初めて内地と異なる、独特の沖縄の空気に初めて触れた瞬間です。
そしてまたそれと同時に、あまりにも壮絶すぎる、
初めて知った、悲痛な優子の生い立ちでした。





 伊江島は東シナ海に浮かぶ、周囲22キロ余りの東西方向に細長い小島です。
高低差の少ない伊江島の目印のように、島の中央から東に少しずれたところに、
高さ172mで、唐突にそびえている岩山があります。
これがタッチューとも呼ばれる、景勝地の城山(グスクヤマ)です。
急な階段をゆっくり登っていくと、15分ほどで山頂に着きました。




 頂上からは見ると遮蔽物が、なにひとつありません。、
ほんとにぐるりの360度、伊江島のすべてを見渡すことができました。
優子が西の草原を指さします。



 「群馬。
 向こうにあるのがサトウキビ畑の真ん中にある、米軍の射爆場。
 今日は飛んでいないけど、ほとんど毎日のように、戦闘機が飛んでくる。
 あそこは、毎日が実弾射撃の練習場なの。
 私のおとうは・・・・
 あそこのサトウキビの畑の真ん中で、流れ弾に当たって命を失った。
 先祖伝来の土地の上で、仕事をしながら死んだのよ・・
 何んにも悪いことなんかはしていないのに、
 たまたま流れ弾に当たって、死んじゃった」



 東シナ海に浮かぶ伊江島は、
島の西北部のほとんどが、米軍基地と軍事演習用地になりました。
もともとあった日本軍の基地を接収以降に、その支配の範囲は年とともに広がりました。
増え続けた支配面積は、いまでは実に島の50%ちかくを占めています。




 「基地反対闘争の運動の中で
 すこしずつだけど、強制収容された土地も帰ってきた。
 でもねぇ、まだ、4割近くが奪われたままなんだよ、群馬。
 おとうの土地も、あの射爆上のすぐ近所にあるの。
 先祖伝来の土地だもの、誰もサトウキビ畑から、離れることなんてできないわ。
 ねぇ、群馬、
 なんでだろう・・・・なんで沖縄だけがこんな目にあうのさ。
 なんで伊江島にだけ、殺人のための練習場があるのさ。
 なんで、おとうがサトウキビの畑で死ななければならなかったのさ・・・
 悔しいよね。
 悔しいよ、私たちの大切な伊江島が、
 こんな島にされちゃってさ・・」




 優子が手の甲で、そっと目がしらをぬぐいます。



 「わたしにもっと才能があれば、
 この伊江島の現実を、しっかりと社会に届けられるのに。
 伊江島の辛すぎる現実を、世間に知ってもらえるというのに。
 まだまだ、全然ダメなんさ。
 絶対それを描いて見せるって、私はおとうに約束して島を出たというのに、
 気持ちだけでは、画は描けないよ。
 努力はいっぱいしているつもりなのに・・・・
 まだまだ優子の絵は、全然だめなんだ。私は、それだけが悔しい」




 優子の言葉を聞いているうちに、背筋を電流が走りました。
画にひたすらうちこんでいる優子の原点は、ここから生まれていたのです。
いつも笑顔を絶やさない優子は、実はこれほどまでに
ほとばしり続けている激しい気持ちを、いつもひた隠しにしたままでした。
必死に自分の才能を信じて、絵を描こうとしているのです。
この伊江島に来るまでは、まったく気がつかなかった優子の素顔です。




 泣いている場合じゃないよ、ね・・・・
振り返った優子が、照れくさそうに両目をこすってから
口元をそっとおさえました。




 「ここへ戻ってきたと思ったら、また、泣いちゃった。
 絶対に泣かないつもりでいたのに、また泣けちゃった・・・
 ここは、おとうの思い出の場所なんさ。
 いつも私を肩車してくれて、はるかな海の向こうには、
 まったく別の世界があることを、私に教えてくれた場所なんだ。
 戦争ばかりの島だけど、ちゃんと平和な町も有る。
 希望だけは失わないようにして生きていくんだぞ、と、おとうが教えてくれたんだ。
 私が生まれたあの時と、まったく同じ海なのに、
 まったく同じに見える島なのに、
 今、此処に居ないのは、私が大好きだったおとうと、
 離れて暮らしているおかあだけだ・・」



 帰ろう群馬、と、ぽつりと言い、
優子がくるりと背中を向けて、山を降り始めました。





 「お~い、婿どのは、おるか~」




 約束通り、昼間会った(近所の)おじさんが、
獲れた魚と泡盛をぶらさげて、暗くなる前におバァの店にやってきました。
少し遅れて、おじさんに呼びつけられた海人(ウミンチュー)の2人もやってきました。
ちいさな食堂で、もてなしの宴が始まりました。


 「米軍たちは、有る日、突然やってきた」



 お前らも良く聞いておけ、と海人2人を指さしながら
ねじり鉢巻をしたおじさんが、泡盛をぐいと飲みほしてから古い話をきりだしました。




 「上陸用の船からは、
 たくさんの米軍兵とブルドーザーが降りてきた。
 南の海岸から上陸してきて、島の西にあった日本軍の飛行場へ向った。
 それから、あっというまに基地を作り始めた。
 それだけじゃないぞ。
 海岸からは、来る日も来る日も米兵と、
 ブルドーザ―が上陸をした。
 この島が、銃とブルドーザ―でいっぱいになった。
 沖縄が日本から切り離されて、アメリカ軍の占領地にかわったんだ。
 それからだ、この島がいっぺんに変わり始めた。
 わしらが耕作をしている畑に、アメリカ軍が突然やって来て、
 今日からここは、基地と軍事施設になるから出ていけと威張りだす。
 ちっとやそっとの話じゃないぞ。
 あいつらときたら、銃を片手に、次から次に土地と畑を取り上げる。
 島じゅうが、あっというまに鉄条網だらけになった。
 気がつけば、島の半分が米軍基地だ。
 それこそが、あっというまの出来事だった」



 おい呑め、婿どのと、
一気に泡盛を注ぎ足してから、おじさんはその続きを語ります。




 「朝鮮動乱が始まると、
 またまた軍事基地が拡大をされた。
 ベトナム戦争が始まれば、
 ここは軍事演習場だと、有無をいわさずまた取り上げに来やがった。
 野菜の植わった畑だろうが、
 サトウキビ畑だろうが、片っ端から奪いに来た。
 銃とブルドーザーで、アメリカのあいつらはやりたい放題だ。
 これで、いったいどこに平和がある?
 太平洋戦争は、とっくの昔に終わったというのに、
 ここではまだ、毎日が戦争が続いたまんまさ。
 銃とブルドーザーで、絶対に平和なんかが来るものか!
 そう思うだろ、なぁ、
 内地から来た、婿どの!」



 まったくだと、心底思いました。
熱く更けていく伊江島での、上陸一日目の夜のことです。


(本部から見た、洋上に浮かぶ伊江島の全景)







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アイラブ、桐生 (25) 船旅は、木の葉のように・(後)

2012-05-29 10:03:21 | 現代小説
アイラブ、桐生
(25)第2章 船旅は、木の葉のように・(後)
『沖縄上陸』


(海の色が美しい、那覇の港)




 船酔いから解放されたのは、夜明けが真近になってからでした。
朝飯をすませた後は、日差しの溢れる甲板で3人で過ごすことになりました。
食事を半分ほどに切りあげてしまった恵美子は、まだ船酔いの半ばのような気配です。


 本部港から那覇港へとむかう午後の甲板で、
優子からはつい最近起きたばかりの、コザ事件の話を聞きました。



 沖縄は、戦後20年余りにわたって
日本の法律も、アメリカの法律も適要されないままに、
軍事政権の支配下で、強制的に支配されてきた軍事最優先の島です。
特にベトナム戦争が激しくなってきた60年代の後半になると
コザ市(今の沖縄市)は、ベトナム派遣の兵士たちの休暇地として、
遊興と飲食でたいへんな賑わいをみせました。
Aサイン(米軍OKのサイン)を掲げる飲食店は、
沖縄全土の3割を占めるほど、ここコザに集中をしています。




 そうした背景としては、この中部地区一帯に、
海兵隊基地を中心に、きわめて大規模な米軍施設が集中したためです。
極東最大の規模をほこる「嘉手納」空軍基地の存在は、あまりにも有名です。
米兵たちのたび重なる犯罪や暴挙に 市民がたちあがり、
米軍施設や車を焼き討ち事件に発展をした暴動が、コザ事件」です。
(詳細は、のちほど再掲載します)


 優子の出身地は、伊江島です。
那覇からは海沿いに西海岸を北上をします。
中部にある巨大な米軍施設群を抜けてから、西へ突き出た本部半島をめざします。
そこから見える、東シナ海に浮かぶ小さな小島が伊江島です。
恵美子のほうは、沖縄派遣の結団式のために、2日ほど
那覇とその周辺へ滞在をする予定です。
再会を約束して、船の上陸地点で別れることになります。

 「群馬は、どうするの?」

 そう聞かれましたが、特に予定はありません。
優子が、米軍の射爆場が伊江島に有るので、一緒に行くかと誘ってくれました。
とりあえず、(面白そうだと)同行することを決めてしまいましたが、
しかしこれがまた、後々でたいへん後悔をする羽目になるのです・・・・

 「うわぁ~」



 ようやく船酔いから生還をはたした恵美子が、
輝く海面を覗きこみながら、実に大きな歓声をあげました。
那覇の市街が青い海面の彼方に、白く輝いて肉眼にも見えてきました。
長い船旅がようやく終わろうとしている時刻です。
浅くなってきた透明な海は、足元に横たわるサンゴ礁と
真っ白な砂を一面に敷き詰めた海底を、どこまでもさらけ出しています。
何処までも透き通り、透明度をほこる浅瀬です。
覗きこむ視線の先を邪魔をするものは、舳先から後ろへ向かって
次々と砕けていく、白い波と航跡だけでした。


 鹿児島港からは、まる一昼夜。
那覇港へ上陸したのは、午後7時を少し回っただけで、
ほぼ定刻で最終地へ到着しました。
恵美子はここから全青連が指定した宿舎へ直行します。



 「群馬~、ちょっと!」

 美恵子が帽子のひさしをちょこんと持ち上げながら、私を呼んでいます。




 「ちょっとだけ、耳を貸してよ・・」

 なんだろうといぶかりながら、横顔をむけたら、
いきなり両手で顔を挟まれて、ほっぺにチュッとキスをされてしまいました。



 「美女二人の、度重なる誘惑にも負けることなく、
 無事にここまで到着した事への、私からのご褒美です!
 あんたも、いい人生のきっかけが此処で見つかるといいわねぇ。
 じゃぁ、ここでお別れです。
 て、あ~あれ~、・・・
 3日後には、再会の約束だったわねぇ
 何をあせってんだろ~あたしったら・・
 沖縄到着で、今から舞い上がっていてどうするんだろう。
 んじゃ、またね~」

 苦笑いの恵美子を乗せたタクシーが、那覇の市街へ消えていきます。

 「わたしはしないわよ、キスなんか・・・・
 期待しないでちょうだい、群馬 」




 笑い声を残して、優子はバス停に向かって歩いていきます。
南の太陽はまだ、強い日ざしのまま西空のかなり高い位置で、まだまだ
サンサンと輝いています。
夕焼けどころかこの時間になっても沖縄の空はまだ、まったくの青空のままです。
南にくると、日暮れも遅くなるのかな・・・・と見上げていたら、



 「群馬~、バスはあるけど、
 伊江島への連絡船が、もう間にあわないみたい。
 仕方ないから、那覇で一泊しましょう。
 ねぇ、聴いている?
 ・・・・どうしたのさ、何かあるの、
 空ばっかり見て」


 「いや、
 7時を過ぎたというのに、まだサンサンとした青空だぜ。
 内地じゃ考えられない現象だ・・・・」

 「あ、そう。
 じゃあ、あんたはそこで野宿だね。
 私は嫌だよ、散々連絡船に揺られてたきたのだから、
 今夜はベッドでゆっくりと寝たいもの。
 じぁあねぇ~またあとで」

 「おいおい、右も左もわからないところに
 置いていくなよ・・・・薄情者が」




 
 結局、那覇市内の小さなホテルで一泊し、
翌朝は早い時間から本部半島を目指して、バスで移動することになりました。
おどろいたことに、那覇の市街地にさえ空軍基地が有りました。
民家の隙間から、迷彩色の大きなジェット戦闘機の尾翼が見え隠れします。




 「なにを大げさに・・・・
 こんなのはまだまだ、まったくの序の口です。
 なにせ、沖縄じゅうが基地だもの」



 大きな日差しの帽子をおさえながら、
優子が後部座席から私の耳元へ、囁くようにつぶやきました。


 東シナ海を左に見ながら
北上しつづけるバスの行く手には、高くそびえる鉄条網が見えてきました。
その向こう側には、草地と滑走路が広がっています。
たったそれだけで、それ以外には何も見当たらない光景が
道路に沿って、延々と何処までも続いていきます。




 これが、基地?


 ところどころにゲートが有り、
基地内へ入り込むための道路が現れてきました。
草地ばかりだった一帯が、綺麗に刈り込まれた芝生に代わり、
綺麗に舗装をされた広い道路が金網越しに並走して走り始めました。
ほどなくすると、大きな一軒家の集合地が現れてました。

 「居住地の、米軍住宅よ」


 すべてが家が、庭付きの一戸建てです。
アメリカサイズと言える、きわめて大きく立派な2階建て住宅です。
家族も含めて、軍事基地にはすべての生活必需品が揃っています。
基地内には居住用の住宅をはじめ、学校から病院や教会、スーパーマーケット、
飲食店や映画館などなど・・・、娯楽施設なども完備をされています。
さながらアメリカの町そのものが、そのまま沖縄へ移住をしていました。



 それらの一帯を通り過ぎると、また広大な草原が始まります。
鉄条網には、一切途切れがありません
先ほど見えたのは、実は海兵隊の小規模な基地と施設でした。




 今度は前方に、大型の輸送機たちが見えてきます。
その横には、迷彩色のジェット戦闘機が数え切れないほど見えてきました。
朝の日差しに鈍い光を放ちながら、整然として並んでいます。
極東で、その最大規模を誇る空軍の『嘉手納基地』です。 
この嘉手納基地からは、かつての朝鮮動乱では、
ここから直接、半島を爆撃のために毎日ここから爆撃機が飛び立ちました。
ベトナム戦争が泥沼化を見せる中で、嘉手納基地は一途の拡大強化の
道を走り続けています。



 アメリカ本土から空母によって大量に運ばれてきた戦闘機や爆撃機は
ここ嘉手納基地に集結をしてから、ベトナムへ出撃をします。
極東を代表する米軍の基地軍は、そのまま戦争の最前線の拠点です。
沖縄に基地が集中する最大の理由が、実はここにこそありました。



東シナ海に沿って走るバスの窓からは、
身体を大きく、いくら前方に乗り出して見たところでも
鉄条網の終点は、まったく見ることができません・・・



第2部・第2章 完





(バスの前方に有るのは、沖縄でも最大規模を誇る嘉手納の米軍基地です)




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アイラブ桐生 (24) 船旅は、木の葉のように(前)

2012-05-28 09:45:48 | 現代小説
アイラブ桐生
(24)第2章 船旅は、木の葉のように(前)
 『優子の膝枕』


(桜島を背景に出航をしていくフェリー)



 朝の9時近くになってようやく、二日酔いの頭で起きだしました。
優子と恵美子たちも遅い時間に起きたようですが、すでに身支度を整えて、
いつでも出発できる体勢でロビーでくつろいでいます。

 鹿児島港、南埠頭ターミナルにあるコインロッカーに荷物を預けてから、
乗船開始までの時間を使って、少し市内を観光しょうということになりました。
できるだけ桜島が綺麗に見える場所を見つけましょうと言うことで、
地元の人に声をかけて、教えてもらうことにしました。



 甲突川にかかっている『5つの石橋』は価値のある文化遺跡なので
それを見学しながら、ゆっくりと散策してきてはどうだとすすめられました。
埠頭から北へ歩くこの海沿いの道からは、振り返れば錦江湾越しに、
常に桜島を見ることができました。


 さらに海に沿って北へ歩くと、やがて目的の川に突き当たりました。
この川沿いをさかのぼれば鹿児島の『おらが自慢の5つの石橋』を見ることができます。
そこまで行って来いという地元の意見に従い、足を伸ばすことに決めました。
乗船までの、暇つぶしにはうってつけです。
美女二の人に両脇を固められて、温かい春の日差しの中、
河に沿ってさらに歩き始めました。



 美恵子の沖縄行きは、
「全青連」(全国青年団連合会)という組織の海外派遣事業のひとつです
当時の青年たちの代表的な組織としては、農業後継青年たちの「4Hクラブ」と、
一般的な男女の交流の場としての「青年団」がありました。


 地域社会そのものが、
しっかりとした上下関係と共に、綿密な横のつながりを持っていた時代です。
娯楽の少ない時代に、多くの青年たちがこの「地域青年団」へ参加しました。
趣味のサークル活動などを中心に、たくさんの親睦行事を通じて
地元の男女たちが交流を深めました。
男女の出会いの場としての役割はきわめて強く、多くのカップルが
ここでの活動を通じて誕生しました。

 「全青連」とは、それらの地域青年団の頂点にたつ全国組織のことです。



 沖縄への派遣事業といっても、
派遣自体に補助金はなく、すべてが自己負担による自主参加です。
沖縄返還運動のひとつとして、終戦直後から引き継がれてきた事業の一つです。
全国各地から沖縄へ集結をして、沖縄各地の青年団や地域の人たちと
交流と親睦を深めるのがその主な目的です。



 現地集合と現地解散・・それもまた大原則です。
団体旅行の形で乗り込まないのは、施政権返還前の植民地的支配の実態を
個人個人で、肌で感じてもらうための配慮です。
今の沖縄が置かれている現実は、まさに未来の日本の現実そのものだからと、
恵美子と優子が立ち停まって力説を始めました・・・・
両サイドから、美女の熱い視線に挟まれてしまいました。



 「おいおい、
 昨夜は寝まきの一件で振り回しておいて
 酒が抜けないうちに、今度は政治の話で猛プッシュかい・・・
 頼むよ、あまり俺を翻弄しないでくれ。」




 午後6時ちょうどに、連絡船のタラップが外されました。
桟橋と船のデッキを繋いでいた紙テープが切れて、定番の蛍の光が流れてくると
なんだか寂しい気持ちがこみあげてくるから不思議です。


 フェリーの全長は、およそ50メートルほどありました。
2000トンクラスで、充分な大きさのように思えましたが、それもつかの間で
やがて外洋では、木の葉のような存在になってしまいます。
しかし、この内海では別でした。
桜島を左に眺めるながら進むこの錦江湾内ではまだこの船は、
海面を滑るようにして、力強く前進をしました。



 3人そろって、とりあえず船尾ちかくの甲板に陣取りました。
夕焼け色に染まる西の空と、遠去かる桜島をしばらく眺めることにしました。
夕闇と競争するような形で船は、鹿児島湾をひたすら南下します。
右に指宿と開聞岳、左側の前方に佐多岬の突端が見えてくると
その先はもう外洋です。
見る間に、黒々とした東シナ海が迫ってきます。

 航路は飛び石のように続く島々を、いくつもめぐりながら沖縄をめざします。
種子島、奄美大島、徳之島、沖永良部島の間を縫うように進み
さらに与論島を南下して、(目的地のひとつ)沖縄本島の本部港へ寄り、
最終地点の那覇港までの外洋を、ひたすら南下を続けます。
ほぼ一昼夜にわたる、こちらも長い船旅です。




 船室へ降りると、そこには只だだっぴろいだけの空間がひろがっています。
ところどころに巨大な支柱がそびえていますが、
それが見えなければ、どこかの旅館の大広間のような雰囲気がありました。
真ん中を走る通路以外は 畳が敷き詰められています。
二等船室は、特に場所を指定されているわけではなく、棚に積んである寝具と
枕を取り出して、好き勝手に陣取って横たわることができました。

 
 そんなものかと思い、
寝具を抱えて最奥の壁際に居場所を決めました。
遅れて降りてきた恵美子と優子も、至近距離へやって来ました。
綺麗にふたつの毛布を並べて敷くと、その枕もとには『淑女のたしなみ』
などと言いながらせっせと、手荷物などを並べながら
『バリケード』を築いています・・・・



 「ねぇ、群馬。
 起きていてもいいけれど、
 前の壁ばかりを見続けていると、あとで大変なことになるわよ。
 ビールでも呑んで寝ちゃったほうが正解だと思うけど・・・・
 知らないわよ。
 そんな風に壁になんかもたれていると
 今はいいけど、
 あとで大変だから~」



 上着を脱いだ美女二人は、
毛布の上に向かい合うと、早くも缶ビールの栓を抜き、
『かんぱあ~い』などと、黄色い気勢を上げはじめました。
ざっと見まわして七~八〇畳ほどの船室に、
多めに見ても、二〇人ほどの乗客しか見えません。


 私たちが陣取った奥まった空間には
通路を挟んだ反対側に、中年の夫婦らしい一組と、
良く日に焼けた若者が一人横になっているだけで、あとはがらんとした
空間ばかりが広がっています。



 早々と宴会を終えた美女二人は、仲良くひとつの毛布に潜り込みます。
やがて見事なまでに静かな寝息を立てて、二人とも眠りに落ちていきました。
船室の時計を見ると、まだ出航してから三時間余りで、
午後九時を少し回ったところを指しています。
話し相手が居なくなったために、所在が無くなり膝をかかえました。
正面の壁に賭けられているハンガ―の洋服たちを、何気なく
ただぼんやりと、見つめ始めてしまいました。




 しかし、これが優子のいう大誤算です。


 壁に吊るされた洋服たちが、やがて大きく、左右へ揺れ始めました。
横方向の揺ればかりでなく、座っていてもそれと分かるほどに、
今度は前後の方向へ、大きな揺れがやってきます。
それは、大きな波を乗り越える時に発生するもので、
急角度に天井方向へ向かって上昇をはじめたかと思えば、今度は一転して
谷底へ向かって延々と落ちこんでいきます。
左右に揺れたうえに、前後にもあおられて、さらには斜め方向への
ローリングなども加わりました。


 外洋を走る、船独特の揺れでした。
気分が悪くなってきたために、甲板へ出ようとして無理に立ち上がります。
しかし、さらにこれが致命傷になりました。


 甲板から見おろす海は、どこまでも真黒です。
夜空も同じく真っ黒なために、海との境界線がかろうじて分かるのは
見え隠れを繰り返す星たちの存在だけです。
ついさっき乗船をした時に、安心感を持って意外に大きいと感じた
2000トンあまりのこの連絡船は、外洋へ出たとたんに、
まるで、木の葉の船のようになってしまいました。



 進行方向の目の前に、またしても巨大なうねりが迫ってきました。
船はその波を乗り越える前に、まずは海底へ向かってまっさかさまに落ちます。
底にまで到着した船は、今度は船首一気にをあげて、
星空めがけての急上昇をはじめます。
登りきった瞬間には、もうその前方に、次の巨大なうねりが、
連絡船を待ちうけていました。



 「馬鹿だなぁ、
 甲板なんかに出たら、もっと悪い状態になっちゃうのに。
 おいで群馬、こっちだよ・・」




 心配して私を探しにやって来た優子に手を引かれ、
さらに階段をあがり、ほぼ船の中心部にあたる最上部の甲板へ出ました。


 「頑張ってね、ほら、こっち」

 ベンチに腰かけた優子が手招きをしています。

 「ここに横になって。
 そのまんま、上だけを見るんだよ。
 首筋は楽にして、
 なるべく、ゆっくりと呼吸をするんだよ。
 船酔いには、無駄な抵抗は禁物なの。
 肩の力も抜いて、リラックスをして頂戴。
 船酔いは、通り過ぎるのを自然に待つの・・・・
 おいで、ここ」



 優子が半分照れながら、
自分の太ももをしめして、枕代わりに使えと言っています。
ベンチに横になり、頭を優子の膝に載せました。
潮風の中に、優子の甘い香りがしました。

 「残念だなぁ、群馬。
 わたしも、まんざらではない気分なんだけど、
 そのうちに、きっと恵美子もやってくる。
 あっちの方も、だいぶ辛そうだったから
 潮風に当ったら気分もまぎれると、、
 此処に登って来る前に、誘っておいたから
 もうそろそろ、美恵子が邪魔をしに来るかもしれないね」



 なるほど、いわれるまでもなく、
下の甲板のほうから、優子を探す恵美子の細い声が聞こえました。

 「優しいんだね、優子は・・・」



 「あなたもそうだけど、恵美子も、
 沖縄が今置かれている現実を、
 内地の人たちに伝えてくれる大切な友人だもの。
 これくらいなら、お安いご用だわ。
 それに、戦士は傷ついたままでは戦えないし、
 百合絵の件でも、ずいぶん世話をやいてもらったし・・・・
 百合絵はねぇ、わたしたちには大切な姉貴がわりなの。
 私もずいぶんと面倒をみてもらっているし。
 群馬・・・・
 ここだけのはなしだよ。
 もしかしたら、百合絵の病気が治って、群馬となら上手くいくと
 大いに期待をしていたんだ、私たち。
 まぁ、これは、
 お礼代わりの、百合絵のひざまくらかなぁ 」


 そうか・・と思いつつ
南十字星はどの辺に見えるのだろうと、
額にそっと置かれた優子の暖かい手に、心から感謝しながらも、
目は勝手に、そのあたりの夜空を探していました。






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アイラブ桐生 (23) ブルートレイン「富士」(後)

2012-05-27 09:14:23 | 現代小説
アイラブ桐生 第二部
(23)第2章 ブルートレイン「富士」(後)
 『初めての九州へ』


(車窓から見えるのは、瀬戸内海の夜明けです)




 鉄道ファンたちが屯していた深夜の大阪駅を出た寝台特急は、瀬戸内沿いに
約6時間あまりのノンストップ走行の時間帯にはいりました。
寝台特急は普通の電車とは異なり、電気機関車が寝台車を牽引します。
そのために、発車時には「ガツン」という、思いのほかの強い衝撃が発生します。
寝ている時にこれがあると、ちょっとびっくりします。
しかしその後のノンストップ走行中のここち良い振動に誘われ、いつしか深い眠りに
落ちました。



 朝は、定時の起床チャイムで起されました。
いつのまにか車窓を覆っていたカーテンは、開け放されていました。
その窓の外へ眼をやると、朝日がすっかりと登り綺麗に照り輝く海面が見えました。
小島が幾重にも連なっている、瀬戸内海の朝の風景です。
話し声に誘われて、下段を覗きこみました。
ベッドのカーテンを半分だけ開け放した状態で、お化粧をすませた
優子と恵美子が、仲良く並んで話しこんでいました。


 「よう、おはよう。レズの姉妹たち」

 「あら。よく寝るわねぇ~私たち、美女二人をほったらかしたままで。
 食堂車の準備ができたそうです。
 どうします?、私たちはこれから朝食へ行きますが」




 後から追いかけると返事を返して、私も急いで身支度を整えました。
二段目のベッドから降りる際に、ふと見ると、反対側の
10代のカップルたちのベッドは、もうすでにむぬけの空の状態です。
「あれ、もう途中下車したのかしら・・・」そう思って2段目のベッドを確認すると、
カーテンの隙間からは、昨日投げ上げたままの荷物がそのままに見えています。
それにしても、未使用と思えるほどに、綺麗に整頓されたベッドの様子は見事です。
人は見かけによらないと言いますが、しっかりとした後片付けの具合に感心をしつつ、
すこしだけ、あの若いアップルたちを見直しました。
それにしても朝早くから、どこに消えたのだろうと思っていたら、
食堂車へ向かうデッキの片隅で、仲良く肩を抱き合って、
海の様子を眺めている、羨ましいほどの2人の姿に出くわしました・・・・
(いいなぁ、君たち。羨ましいほどの青春をやってるなぁ・・・・)



 食堂車は青を基調にした洋風の、とてもシックな内装です。
いつか観た、映画の「オリエンタル急行」のような雰囲気が漂っています。
走行中の列車とは考えにくい、洒落たどこかのレストランと言う趣さえもあります。
恵美子が流れる景色に背にを向けて、こちらを向いて座っていました。
「こっち」と、手で合図をしています。
意外なほど座席は空いていて
食堂車のお姉さんも朝から手持ち無沙汰のように見えました。
優子の説明では、寝台特急は各駅ごとの停車時間が長いために、
駅弁を買い込むために、大変に便利だといいます。



 瀬戸内は魚が美味しいから
お昼はどこかの駅弁にしましょう、という段取りにもなりました。
この列車に乗車をしている限りは、朝食どころか昼食を食べ、そのうえにさらに、
夕方近くまで走りぬかなければ、列車は最終目的地の西鹿児島駅へは着きません。
優子が言うように、たしかに『果てしなく延々と続く途方もなく長い鉄路』です・・・・



 九州は、まだまだはるかに先の話です。
車窓にひろがっていくのは、列車がどこまで走ろうが、
複雑に入り組んだ瀬戸内の海と、小島の連なりだけが続いていきます。
やがて広島を越え、本州と九州の境目である門司をめざして、速度を上げた
寝台特急が朝の瀬戸内の海を横目に、ひたすら猛然と疾走をします。
8時を過ぎると係員がやってきて、一晩お世話になったベッドが撤去がはじまりました。
ブルートレインは、ふたたび2日目の特急列車へと、その装いを変えていきます。


 それでも事態は、ひとつとしていっこうに変わりません・・・・
(もう充分に退屈し切った乗客たちを、乗せたまま、)ひたすら特急寝台は、海岸線を
西へと向かい、いまだに本州の西のはずれを目指して走る続けているのです。
九州を南下する前に、寝台列車には装備の変更が待っています。




 本州最後の駅となる下関駅では、寝台特急ならではのイベントがあります。
九州用の電気機関車に、付け替えるための作業です。
ここでも鉄道ファンたちによる、カメラ撮影が待っていました。
熱狂的な鉄道ファンが、カメラをかまえて先頭車両のあたりで陣取っています。
さきほどの食堂車で退屈をしていたお姉さんたちも、ホームに降りたようです
車掌さんと、にこやかに談笑などをしています。




 私たちも降りましょうよ、
そう優子に誘われてホームへ降り、売店などを物色して時間をつぶすことにしました。
ここはもう本州の最西部の駅で、この先にある関門トンネルをくぐると
生まれて初めてといえる異国の地、九州の大地を踏むことになります。
いいえ、列車のままですから、正しくは、「乗り込む」が正解かもしれません・・・


 先頭車両へ向かって、九州仕様の機関車がゆっくりと後退をしてきました。
前後に立つ誘導員たちに細かく指示をされながら、九州用の機関車が
鈍い衝撃と共に連結をされてしまうと私たちの寝台特急は、やがて
関門トンネルをくぐり抜けるためのすべての準備を、無事に完了させました。
軽い発車の衝撃の後、ゆっくりと寝台列車が動き始めました。
門司のトンネルを目指して、車体が滑りはじめます。





 さしたる感動もなく、列車は10分ほどで関門トンネルをぬけました。
福岡県の門司駅では、列車を再編成するために5分間ほど、また列車が停まります。
ここからは、鉄路が西周りと東海岸行きとに、それぞれ分離がなされます。
ここまで連結をしてきた寝台特急の長い車両は、東へ回り込む日豊本線の「富士」号と、
西へすすむ鹿児島本線行きの急行寝台として切り離されていきます。




 ちょうどその作業が、通勤や通学の時間帯と重なりました。
やはりブルートレインの姿は、この人たちにも珍しいのでしょうか・・・・
通学中の女子高生たちが大きな窓に近寄ってきて、興味深そうに覗いていきます。
遠慮なしに大きな瞳を輝かせて、あからさまに覗きこんでいく
女子校生たちの視線に、ついに耐えきれなくなってしまったのか、
恵美子が勢いよく、カーテンを閉めてしまいました。





 「減るもんじゃ、ないのに・・」


 と、声を出して笑っていたら、恵美子が振り返って苦笑をしています。



 「ごめんなさい・・・・
 女子高校生たちの素肌が、
 あまりにもピチピチとしすぎていているんだもの。
 すこしだけ肌荒れ気味のお姉さんたちとしては、
 あわてて、嫉妬を感じて、カーテンなどを思わず閉めてしまいました!
 私たちも、ちょっと前までは、
 あんなも透き通った、綺麗で健康な肌をしていたのになぁ・・・」



 はにかみながら、そう答えています。
すかさずそこへ、優子の鋭い反論が飛び出しました。




 「そこの発言は訂正してください。
 私はまだ、不節制はしておりませんので、自称『美肌』を保っています。
 正しくは、一人称で、『わたし』と言ってください。
 誰かさんとは違って、日夜、品行方正に過ごしておりますので、
 そこまでの肌荒れなどは、一切ございません。
 私まで同類として、仲間にしないでください頂戴、えへへ・・・」



 と、すました顔でやり返しています。
やれやれ女というものは、どこまでいってもやっぱり些細なことで見栄を張る・・・・
話が厄介になる前に、気がつかないふりをしてそのまま立ちあがり
談話室で時間を潰すことにしました。





 九州の東海岸をひたすら南下を続けていく日豊本線も、やはり長い鉄路です。
それでも進むに連れて、車窓の景色からは早い春の様子が濃密になってきました。
本州の鉄路は、ひたすら地球を横に走ってきたという印象ですが、
九州に上陸したからは、ひたすら南下の旅が始まりました。
気のせいか、南下するにつけて海の色まで暖かく感じるから、不思議です。



 それでもここまで乗車を続けてくると、
すでに多くの乗客たちが、退屈し切っていることに変わりはありません。
それでも列車は、お昼の少し前から、ほぼ夕方近くまでの時間をたっぷりとかけて、
まったく初めて見る景色の中を、南下していきました。
気がつけば、10代の若いカップルの姿が座席には有りません。
九州にはいってからの、どこかの駅で降りたようですが、
私には、まったく記憶がありません。
(いい旅をしてくれよ、若いの・・・・)
過ぎ去ってきた鉄路に向かって、ポンと捨て台詞を吐いてみました。




 大分から宮崎を経由して、終点の西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)
に到着したのは、午後7時がほんの少し前と言う時刻でした。
ようやく到着したホームへ降りたってみると、
意外なほど、列車から降りる人影がありません。
いずれもが、途中の駅で降りたと思われるために、ちょっとだけ
寂しいと思われる風景の中での、到着になりました。




 改札口を抜けて駅舎の正面に出た瞬間
目の前の錦江湾越しに、煙をあげる桜島が見えました。
う~んと、3人並んで大きな背伸びをしたのもつかの間で、とりあえず、
宿を確保しなければなりません。



 鹿児島港から出る沖縄行きのフェリーは、
明日の夕方、18時ちょうどからの出航でした。
こちらの方はすでに手配済みですが、宿は行き当たりで探すことになっています。
幸いなことに駅前広場を見渡すと、それなりにホテルや旅館が並んでいます。
これならば、それほど宿探しに不都合しなくも済みそうです。




 「ねぇ・・・・ところでさぁ、
 群馬は、花柄と透け透けとでは、どちらの方がお好みかしら」




 「何の話だ、?」



 「今夜の夜伽(よとぎ)の話。
 ご希望は、とても乙女チックな花柄のパジャマがいいか、
 それとも、妖艶で、脳殺系の透け透けのネグリジェがいいのか・・・・
 あなたのご希望を聴いています。
 どっちかしら、群馬のお好みは、」


 澄ました顔で恵美子が、過激な発言をしています。
優子も負けてはいません。




 「私なら、雑魚寝でも平気だよ。
 ねぇ群馬、遠慮しないでさぁ、今夜は3人で川の字になって寝ましょうよ。
 それなら、百合絵もきっと文句は言わないと思うし、
 万一、その気になっても美女ふたりが傍に居れば、不具合もないし、
 どっちを選んでも不公平が出るから、皆で雑魚寝をしましょうよ」

 

 いいかげんにしろと・・・・まとめて二人をたしなめました。
25時間近くも列車に揺られ続けてきたために、
とりあえず早めに宿だけを決めて、早く呑みに出たい気分です。
今夜は、南九州いちだと言われている、天文館の歓楽街あたりで、たっぷりと
本場の焼酎を飲んでみたいと、到着の前からすでに決めていました。
そんな風につぶやいてから、ボストンバッグを肩に担ぎあげました。
暮れかけた鹿児島の町へ向かって、3人で歩き始めます。




 「ねぇ群馬。
 やっぱり花より、団子のほうがいいわよね。
 ここは焼酎の本場だもの。まずは無事の到着などを祝して
 心行くまで乾杯などをしましょうよ」



 私の気持ちを読んでくれたのか、優子が並んで歩きながら
横目で見上げてきました。
この子は控えめですが、時々優しい配慮も見せてくれる
嫌みのない、素直な性格の持ち主です。
おまけに、にっこりと笑うと八重歯がチラリと見えました。
この当時に、人気があった沖縄出身の少女歌手にも似た、そんな笑顔があります。



 先頭に立って元気に歩き始めた恵美子が
目の前にそびえたつ桜島に向かって、2度3度と気持ちよくジャンプをしながら
嬉しそうに大きく手を振りはじめます。



 「はるばる来たぜ、鹿児島へ~♪
 お~い、桜島さん、こんにち~わ!。
 あら・・・
 もう今晩はの・・時間帯かしら?
 どう思う、ねぇみんな。あれれ、もう後ろに居ない・・・
 ちゃんと私の後ろに着いてきてよねぇ、二人とも。
 着いた早々に迷子なんて、まったく話にも洒落にもなんないわよ。
 私は根っからの、方向音痴なんだから、
 勝手に歩いていかないでよ、
 置いていかないでったら!
 お願いだから。
 ねぇ優子。
 ねぇ、群馬ったら!
 んん、・・・・もう!」




(鹿児島中央駅です。かつてここは寝台特急の終着駅で当時は、西鹿児島駅と呼ばれていました)



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