アイラブ、桐生・第二部(27)
第3章 銃とブルドーザ―・伊江島(後)
「サトウキビ畑」
(平たんな伊江島では唯一の高台となる・タッチュー)
海人の宴から一夜あけた翌朝。
おじいから借りた車に乗って、島の西北部の射爆場へむかいました。
沖縄での車の通行は、アメリカと同じ右側通行です。
国産メーカーの軽自動車でさえ、ハンドルは左座席についていました。
運転するのは優子です。
伊江島は、見渡すかぎりになだらかな平坦地が続きます
その中心部に向かって、わずかな傾きを見せながら、
どこまでも果てしなく、農地が続いています。
最初のうちに目に入るのは、野菜や、パイナップルの畑です。
内部へ進むにつれて、ところどころにサトウキビ畑が交じってきました。
緑がどこまでも鮮やかに広がっていくこうした畑の様子と、
白い波が砕ける紺碧の海は、どう見ても、平和そのものの海南の小島のように見えます。
やがてはるか彼方に、旧日本軍の飛行場跡が見えてきました。
それとともに、今までの畑の様子が極端に変わりはじめます。
野菜の姿が消えて、サトウキビの畑ばかりが目につくようになります。
道路の両脇には、英語と日本語で、「軍用地につきこの先、立ち入り禁止」の
大きな看板が目立ってきます。
「サトウキビ畑が、軍用地?」
「言ったでしょ。島の西半分は軍用地。
おじいの言っていた、銃とブルドーザーで盗られた土地よ。
おとうの土地もこの先にある。
全部、先祖からの土地なのに、今では全部が軍用地さ。
良く見ておいて頂戴、群馬。これが伊江島の現実の姿なのよ。
これが、沖縄の本当の姿なのさ。」
驚いたことに、サトウキビ畑の真ん中を平然として鉄条網が走っています。
やがて道路が完全に封鎖をされていて場所へ出ました。
申し訳程度のようの、小さなゲートがぽっかりと開いています。
「ここから先が、歩きだよ」
車から降りた優子は、慣れた手つきで
ゲートにからんでいる鎖を外すと、その中に身体を滑り込ませました。
「ここから先が、本当の軍用地。
ここまでの警告や看板は、ただ注意しろというだけの意味です。
このゲートから先は、命の保証はしませんという、
正真正銘の、本当の危険区域だよ。」
説明をしながら優子は、もう
うっそうとして立ちあがっているサトウキビの幹を左右にかきわけています。
隙間を作りだした瞬間に、奥へ向かって進みはじめました。
あらためて見ると、その足元にはけもの道のような細い空間があります。
人が歩いた形跡が残されていることに、初めて気が付きました。
サトウキビは、人の背丈をはるかに超えています。
優子は小高い方向へ向かって、サトウキビをかき分けながら進みます。
この先に入ると命の保証がない?・・・なんのことだろうと考えていたら
突然サトウキビ畑が途切れて、視界が開けました。
この一帯だけが、綺麗にサトウキビが刈り倒されています。
「監視のために、復帰協がつくった空間さ」
到着したのは、米軍の演習状況を記録するために、
復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)が設置した、監視のための空間です。
監視小屋といっても、射爆場の標的を見下おろすことができるだけの高台に、
四方に柱を立てて、簡単に屋根だけをのせてつくっただけの建物です。
今にも飛んでしまいそうな、ほったて小屋そのものです。
足元からは、サトウキビ畑がなだらかに下りはじめます。
見渡す限りに延々と下り続けて、南に見える海岸に届いています。
しかし、優子の言う射爆のための練習施設は、どこにも見えません。
優子が、大きなつばのついた麦わら帽子を取り出しました。
決意を込めたような表情で、しっかりとヒモをを結んで、自分の頭へかぶります。
また無言のまま、サトウキビ畑へ分け入って行きます。
日差しをいっぱいに受けて、
大きく育ったサトウキビは、肌に触れるたびにチクチクと刺します。
それらのサトウキビの葉っぱをかきわけながらまた、5分ほど南に進みました。
幹が林立をしているそのかすかな隙間から、真っ赤な赤い丸が描かれた
巨大なコンクリートのブロックが見えてきました。
その手前には、サトウキビと同じ背丈を持つ鉄条網も現れました。
突然現れた鉄条網はサトウキビ畑の真ん中を、ただ仕切っただけの状態で、
それがどこまでも、果てしなく続いて居るようにも見えました。
「群馬。ここから先が、本当に命の保証はしませんという、
射爆場の敷き地内なのよ。
どうする、私は行くけど・・
いやなら、ここで観ていてもかまわないさ」
見ると鉄条網は、ところどころで引きはがされたように破られています。
その大きさは、人はおろか、車までが容易に入れるほどの大きさになっていました。
驚いて足元にに眼を落すと、しっかりとした車輪の跡までが
くっきりと残されています。
「この先が、危険きわまりない射爆場だというのに、
こうして、自由に、人や車の出入りが許されているいるわけ?」
「好き勝手に、
私たちの土地を取り上げて、自由にしているのは米軍たちのほうさ。
ここは先祖伝来の、伊江島の百姓たちの土地だもの。
あいつらが鉄砲で取りあげて、
勝手に、射爆場として訓練を続けているんだよ。
おとうの土地もこの先にある。
昨夜のおじいの土地だって、まだこの先にあるわ。」
「しかし、あまりにも危険だろう・・」
「だから、私たちは、命をかけて守っているの。
アメリカの連中だって、遊びで訓練しているわけじゃぁないんだよ。
あいつらもまた、ここで必死に訓練をして、明日には
ベトナムへ爆撃に飛んで行くんだ。
わかる、群馬? まだ戦争はつづいているんだよ、
此処では、まだ毎日が戦争なんだ。
私が生まれる前から、戦争は続いているんだよ。
沖縄に施政権が返還をされても、沖縄に基地があるかぎり、
伊江島に射爆場が有る限り、この地上では戦争が続いているんだよ・・・・
私のこの足元に有る、この土地の上で、いまでも戦争は繰り返されているのさ。
群馬。この海と空はベトナムへつづいているんだよ」
鉄条網を抜けてなおも少しだけ歩くと、やがて草むらに出ました。
なぎ倒されたサトウキビ畑の真ん中に、2階建てのビルほどもありそうな巨大な
コンクリートの塊が、一面に転がっています。
これが、優子の言う射爆場・・・・
帽子のひさしを少し上にあげてから、
優子が、サトウキビが横たわっている草のむらに腰を下ろしました。
刈り込まれたとばかり思っていたのは、実はすべてが倒されたサトウキビです。
コンクリートの標的のかたわらには、赤茶色に焦げついた地面が
ごつごつとしたまま、剥き出しに見えています。
遠くに聞こえていた爆音が一気に近づいてきました。
しかし私には爆音だけで、戦闘機の機影を探すことはできません。
「あっちだよ。」
優子が、西の空を見上げながら指をさしました。
急角度すぎて、首が痛くなるような、はるか西方の高い空の上です。
やっと米粒のような、小さな点が現われました。
急降下をしながらこちらのほうへ、戦闘機が機首を旋回させています。
そのまま速度を落とさずに、こちらへと向かってきました・・・・
迷彩色を施したファントム戦闘機は、
私たちが見つめているわずかな間に、海上すれすれにまで舞い降りました。
低空飛行を維持したまま、銀色の塊が全速力でこちらに向かって急接近をしてきます。
その鈍く光る銀色の塊は、あっというまに私たちの直前までやってきました。
両翼を怪しい鳥のように押し広げて、地上に真黒い影を落としながら、
私たちへの至近距離にまでやってきて、ついに目と鼻の先にまで迫ってきました。
次の瞬間に、何かが空中で炸裂をしました。
びりびりと空気が切り裂さかれた瞬間に、私の耳は何も聞こえなくなってしまいました。
すさまじい振動と土煙を、あたり一帯に撒き散らしながら、ファントム戦闘機が、
私たちの頭上を、超低空のままで飛び去りました。
巻き起った、砂塵と爆風のために視界がまったくありません。
きな臭い空気が倒れ込んだ私たちの背中へ、小石や土の塊を落としていきました。
突風に翻弄された優子の麦わら帽子は、あわててかかえこんだその両手から、
とっくにもぎとられてしまい、遥か遠くへ飛ばされていました。
「・・・・お願い、群馬。乙女の胸が大ピンチなの。
庇ってくれたのは、とても嬉しいけど、乙女の胸がつぶれてしまいそうだわ。
申し訳ないけど、私の背中から、もうそろそろ降りてくださるかしら。
いきなりすぎて・・わたしったら、群馬に襲われるかと思った」
吹き飛ばされた帽子を目で追いながら、優子が苦笑いをしています。
恐怖を感じた瞬間に私は、反射的に優子を庇った体勢のまま、
力いっぱいサトウキビの中へ押し倒していたのです。
きな臭い火薬のにおいが、まだあたり一面に濃厚に立ち込めています。
私たちの頭上をすりぬけたファントム戦闘機は、耳に激しく残る金属音を響かせながら、
海上を左に旋回しつつ、再び天空にむかって急角度の上昇を続けています。
「あいつらは、ああして旋回してから、
また急降下をしながら、実弾を落としにやってくるんだ。
あいつらも必死に訓練しているけれど・・私たちも必死だの。
いつまでも好き放題に、野放しにしていたら、
先祖の土地も、おとうの土地も、いつまでたっても返ってこない。
伊江島に生まれた人間は、怖いけれども戦うしかないの。
銃とブルドーザーと、あの戦闘機と。」
帽子を拾って立ち上がった優子が、背筋を伸ばして大きく胸をはります。
はるか西の空で旋回を続ける戦闘機からは、一瞬も目線を離さずに、
さらに優子が言葉を続けます。
「負けてたまるか、負けるもんか。
優子は、おとうと約束をしたんだ。
伊江島の先祖の土地が、最後の一坪まで、完全に返ってくるまで戦うと。
ここは私が、生まれて育った土地だもの、
おとうが生まれ、おかあもここで生まれ私を育ててくれた土地だもの。
踏みにじられたまんまになんか、絶対にするものか。
おとうのために、みんなのために・・・・」
私も優子の肩をだいて立ち上がりました。
俺が守ってやる、そんな意気込みと決意をしっかりと指先に込めました。
すこし優子の前に出て、旋回しながら戻ってくる戦闘機をしっかりと睨みました。
来るなら来てみろと、気合を込めて、私も胸を反らします。
背後から、優子の軟らかい手が私の腰へ回ってきました。
静かな声も聞こえてきます。
「無理すんな、群馬。
気持ちは、とっても嬉しいけどさ・・・・ 」
振り返えるとそこには・・・・
ま深にかぶった帽子の大きなつばの下で、優子の瞳がほほ笑んでいました。
『ありがとう』と言っているような、そんな優しいと思える光があふれていました。
※1969年に行われた日米首脳会談で
「72年・核抜き・本土なみ」の沖縄返還が合意しました。
ベトナム戦争の早期終結を画策したニクソン大統領と、
佐藤栄作首相による、次の段階を見据えてのあらたな政治的決着です。
米軍の占領支配ともいえる、無権利状態の植民地支配が終りをつげて、
1972年5月15日、沖縄は日本に復帰することになりました。
しかし当初の思惑からは大きく外れ、
米軍がベトナムから撤退したのは、その翌年の3月29日のことです。
また沖縄県民の最大の悲願であった、基地の縮小と撤去は実現されることはなく、
復帰後も存続し続け、それは今日にまでも延々と続いています。
夕暮れがせまるまで・・・
射爆場の一角で、私は優子とともに米軍機の実弾演習に抗議の目を光らせました。
それは沖縄が、施政権返還まであと一年余りにと迫った、1971年の春のことです。
優子も私も、ともに21歳の春でした。
<第2部>第三章 完
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/
第3章 銃とブルドーザ―・伊江島(後)
「サトウキビ畑」
(平たんな伊江島では唯一の高台となる・タッチュー)
海人の宴から一夜あけた翌朝。
おじいから借りた車に乗って、島の西北部の射爆場へむかいました。
沖縄での車の通行は、アメリカと同じ右側通行です。
国産メーカーの軽自動車でさえ、ハンドルは左座席についていました。
運転するのは優子です。
伊江島は、見渡すかぎりになだらかな平坦地が続きます
その中心部に向かって、わずかな傾きを見せながら、
どこまでも果てしなく、農地が続いています。
最初のうちに目に入るのは、野菜や、パイナップルの畑です。
内部へ進むにつれて、ところどころにサトウキビ畑が交じってきました。
緑がどこまでも鮮やかに広がっていくこうした畑の様子と、
白い波が砕ける紺碧の海は、どう見ても、平和そのものの海南の小島のように見えます。
やがてはるか彼方に、旧日本軍の飛行場跡が見えてきました。
それとともに、今までの畑の様子が極端に変わりはじめます。
野菜の姿が消えて、サトウキビの畑ばかりが目につくようになります。
道路の両脇には、英語と日本語で、「軍用地につきこの先、立ち入り禁止」の
大きな看板が目立ってきます。
「サトウキビ畑が、軍用地?」
「言ったでしょ。島の西半分は軍用地。
おじいの言っていた、銃とブルドーザーで盗られた土地よ。
おとうの土地もこの先にある。
全部、先祖からの土地なのに、今では全部が軍用地さ。
良く見ておいて頂戴、群馬。これが伊江島の現実の姿なのよ。
これが、沖縄の本当の姿なのさ。」
驚いたことに、サトウキビ畑の真ん中を平然として鉄条網が走っています。
やがて道路が完全に封鎖をされていて場所へ出ました。
申し訳程度のようの、小さなゲートがぽっかりと開いています。
「ここから先が、歩きだよ」
車から降りた優子は、慣れた手つきで
ゲートにからんでいる鎖を外すと、その中に身体を滑り込ませました。
「ここから先が、本当の軍用地。
ここまでの警告や看板は、ただ注意しろというだけの意味です。
このゲートから先は、命の保証はしませんという、
正真正銘の、本当の危険区域だよ。」
説明をしながら優子は、もう
うっそうとして立ちあがっているサトウキビの幹を左右にかきわけています。
隙間を作りだした瞬間に、奥へ向かって進みはじめました。
あらためて見ると、その足元にはけもの道のような細い空間があります。
人が歩いた形跡が残されていることに、初めて気が付きました。
サトウキビは、人の背丈をはるかに超えています。
優子は小高い方向へ向かって、サトウキビをかき分けながら進みます。
この先に入ると命の保証がない?・・・なんのことだろうと考えていたら
突然サトウキビ畑が途切れて、視界が開けました。
この一帯だけが、綺麗にサトウキビが刈り倒されています。
「監視のために、復帰協がつくった空間さ」
到着したのは、米軍の演習状況を記録するために、
復帰協(沖縄県祖国復帰協議会)が設置した、監視のための空間です。
監視小屋といっても、射爆場の標的を見下おろすことができるだけの高台に、
四方に柱を立てて、簡単に屋根だけをのせてつくっただけの建物です。
今にも飛んでしまいそうな、ほったて小屋そのものです。
足元からは、サトウキビ畑がなだらかに下りはじめます。
見渡す限りに延々と下り続けて、南に見える海岸に届いています。
しかし、優子の言う射爆のための練習施設は、どこにも見えません。
優子が、大きなつばのついた麦わら帽子を取り出しました。
決意を込めたような表情で、しっかりとヒモをを結んで、自分の頭へかぶります。
また無言のまま、サトウキビ畑へ分け入って行きます。
日差しをいっぱいに受けて、
大きく育ったサトウキビは、肌に触れるたびにチクチクと刺します。
それらのサトウキビの葉っぱをかきわけながらまた、5分ほど南に進みました。
幹が林立をしているそのかすかな隙間から、真っ赤な赤い丸が描かれた
巨大なコンクリートのブロックが見えてきました。
その手前には、サトウキビと同じ背丈を持つ鉄条網も現れました。
突然現れた鉄条網はサトウキビ畑の真ん中を、ただ仕切っただけの状態で、
それがどこまでも、果てしなく続いて居るようにも見えました。
「群馬。ここから先が、本当に命の保証はしませんという、
射爆場の敷き地内なのよ。
どうする、私は行くけど・・
いやなら、ここで観ていてもかまわないさ」
見ると鉄条網は、ところどころで引きはがされたように破られています。
その大きさは、人はおろか、車までが容易に入れるほどの大きさになっていました。
驚いて足元にに眼を落すと、しっかりとした車輪の跡までが
くっきりと残されています。
「この先が、危険きわまりない射爆場だというのに、
こうして、自由に、人や車の出入りが許されているいるわけ?」
「好き勝手に、
私たちの土地を取り上げて、自由にしているのは米軍たちのほうさ。
ここは先祖伝来の、伊江島の百姓たちの土地だもの。
あいつらが鉄砲で取りあげて、
勝手に、射爆場として訓練を続けているんだよ。
おとうの土地もこの先にある。
昨夜のおじいの土地だって、まだこの先にあるわ。」
「しかし、あまりにも危険だろう・・」
「だから、私たちは、命をかけて守っているの。
アメリカの連中だって、遊びで訓練しているわけじゃぁないんだよ。
あいつらもまた、ここで必死に訓練をして、明日には
ベトナムへ爆撃に飛んで行くんだ。
わかる、群馬? まだ戦争はつづいているんだよ、
此処では、まだ毎日が戦争なんだ。
私が生まれる前から、戦争は続いているんだよ。
沖縄に施政権が返還をされても、沖縄に基地があるかぎり、
伊江島に射爆場が有る限り、この地上では戦争が続いているんだよ・・・・
私のこの足元に有る、この土地の上で、いまでも戦争は繰り返されているのさ。
群馬。この海と空はベトナムへつづいているんだよ」
鉄条網を抜けてなおも少しだけ歩くと、やがて草むらに出ました。
なぎ倒されたサトウキビ畑の真ん中に、2階建てのビルほどもありそうな巨大な
コンクリートの塊が、一面に転がっています。
これが、優子の言う射爆場・・・・
帽子のひさしを少し上にあげてから、
優子が、サトウキビが横たわっている草のむらに腰を下ろしました。
刈り込まれたとばかり思っていたのは、実はすべてが倒されたサトウキビです。
コンクリートの標的のかたわらには、赤茶色に焦げついた地面が
ごつごつとしたまま、剥き出しに見えています。
遠くに聞こえていた爆音が一気に近づいてきました。
しかし私には爆音だけで、戦闘機の機影を探すことはできません。
「あっちだよ。」
優子が、西の空を見上げながら指をさしました。
急角度すぎて、首が痛くなるような、はるか西方の高い空の上です。
やっと米粒のような、小さな点が現われました。
急降下をしながらこちらのほうへ、戦闘機が機首を旋回させています。
そのまま速度を落とさずに、こちらへと向かってきました・・・・
迷彩色を施したファントム戦闘機は、
私たちが見つめているわずかな間に、海上すれすれにまで舞い降りました。
低空飛行を維持したまま、銀色の塊が全速力でこちらに向かって急接近をしてきます。
その鈍く光る銀色の塊は、あっというまに私たちの直前までやってきました。
両翼を怪しい鳥のように押し広げて、地上に真黒い影を落としながら、
私たちへの至近距離にまでやってきて、ついに目と鼻の先にまで迫ってきました。
次の瞬間に、何かが空中で炸裂をしました。
びりびりと空気が切り裂さかれた瞬間に、私の耳は何も聞こえなくなってしまいました。
すさまじい振動と土煙を、あたり一帯に撒き散らしながら、ファントム戦闘機が、
私たちの頭上を、超低空のままで飛び去りました。
巻き起った、砂塵と爆風のために視界がまったくありません。
きな臭い空気が倒れ込んだ私たちの背中へ、小石や土の塊を落としていきました。
突風に翻弄された優子の麦わら帽子は、あわててかかえこんだその両手から、
とっくにもぎとられてしまい、遥か遠くへ飛ばされていました。
「・・・・お願い、群馬。乙女の胸が大ピンチなの。
庇ってくれたのは、とても嬉しいけど、乙女の胸がつぶれてしまいそうだわ。
申し訳ないけど、私の背中から、もうそろそろ降りてくださるかしら。
いきなりすぎて・・わたしったら、群馬に襲われるかと思った」
吹き飛ばされた帽子を目で追いながら、優子が苦笑いをしています。
恐怖を感じた瞬間に私は、反射的に優子を庇った体勢のまま、
力いっぱいサトウキビの中へ押し倒していたのです。
きな臭い火薬のにおいが、まだあたり一面に濃厚に立ち込めています。
私たちの頭上をすりぬけたファントム戦闘機は、耳に激しく残る金属音を響かせながら、
海上を左に旋回しつつ、再び天空にむかって急角度の上昇を続けています。
「あいつらは、ああして旋回してから、
また急降下をしながら、実弾を落としにやってくるんだ。
あいつらも必死に訓練しているけれど・・私たちも必死だの。
いつまでも好き放題に、野放しにしていたら、
先祖の土地も、おとうの土地も、いつまでたっても返ってこない。
伊江島に生まれた人間は、怖いけれども戦うしかないの。
銃とブルドーザーと、あの戦闘機と。」
帽子を拾って立ち上がった優子が、背筋を伸ばして大きく胸をはります。
はるか西の空で旋回を続ける戦闘機からは、一瞬も目線を離さずに、
さらに優子が言葉を続けます。
「負けてたまるか、負けるもんか。
優子は、おとうと約束をしたんだ。
伊江島の先祖の土地が、最後の一坪まで、完全に返ってくるまで戦うと。
ここは私が、生まれて育った土地だもの、
おとうが生まれ、おかあもここで生まれ私を育ててくれた土地だもの。
踏みにじられたまんまになんか、絶対にするものか。
おとうのために、みんなのために・・・・」
私も優子の肩をだいて立ち上がりました。
俺が守ってやる、そんな意気込みと決意をしっかりと指先に込めました。
すこし優子の前に出て、旋回しながら戻ってくる戦闘機をしっかりと睨みました。
来るなら来てみろと、気合を込めて、私も胸を反らします。
背後から、優子の軟らかい手が私の腰へ回ってきました。
静かな声も聞こえてきます。
「無理すんな、群馬。
気持ちは、とっても嬉しいけどさ・・・・ 」
振り返えるとそこには・・・・
ま深にかぶった帽子の大きなつばの下で、優子の瞳がほほ笑んでいました。
『ありがとう』と言っているような、そんな優しいと思える光があふれていました。
※1969年に行われた日米首脳会談で
「72年・核抜き・本土なみ」の沖縄返還が合意しました。
ベトナム戦争の早期終結を画策したニクソン大統領と、
佐藤栄作首相による、次の段階を見据えてのあらたな政治的決着です。
米軍の占領支配ともいえる、無権利状態の植民地支配が終りをつげて、
1972年5月15日、沖縄は日本に復帰することになりました。
しかし当初の思惑からは大きく外れ、
米軍がベトナムから撤退したのは、その翌年の3月29日のことです。
また沖縄県民の最大の悲願であった、基地の縮小と撤去は実現されることはなく、
復帰後も存続し続け、それは今日にまでも延々と続いています。
夕暮れがせまるまで・・・
射爆場の一角で、私は優子とともに米軍機の実弾演習に抗議の目を光らせました。
それは沖縄が、施政権返還まであと一年余りにと迫った、1971年の春のことです。
優子も私も、ともに21歳の春でした。
<第2部>第三章 完
■本館の「新田さらだ館」は、こちらです
http://saradakann.xsrv.jp/