マタイの福音書23:25-26
『わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。』
イエス様がいちばん忌み嫌うものは偽善でした。
マタイの福音書では偽善的な律法学者やパリサイ人に対して7度も叱責のことばを語りました。
33節では「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。」と、激しいことばで呪いました。
しかし、姦淫の現場でとらえられた女が石で打たれようとするのを見ては、彼女をかばい「今からは決して罪を犯してはなりません」と赦しとともにあたたかいことばで忠告しました。
偽善とは、中身は強奪と放縦でいっぱいであるのに、外側はあらゆる律法を守りながら敬虔な者のように見せることです。
私たちはどうでしょうか?
自分の内側にはみことばの力もないのに、外側は1番よく信じている者のように行動していませんか?
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※