マタイの福音書5:17
『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。』
律法は旧約全体の神のことばです。
律法は、新約時代に要らないものではなく、それも必要でした。
律法とイエス様の関係を詳しく説明した箇所はガラテヤ3章です。
その中で19-26節の内容を見ます。
皆さんがそれによって理解してほしいです。
ガラテヤ3:19-26
『では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。
仲介者は一方だけに属するものではありません。しかし約束を賜る神は唯一者です。
とすると、律法は神の約束に反するのでしょうか。絶対にそんなことはありません。もしも、与えられた律法がいのちを与えることのできるものであったなら、義は確かに律法によるものだったでしょう。
しかし聖書は、逆に、すべての人を罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。
信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした。
こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
しかし、信仰が現れた以上、私たちはもはや養育係の下にはいません。
あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。』
【祈り】
主よ。律法は主のことばです。イエス様はことばです。
【聖句をノートに書きましょう】
-律法-
- 出エジプト記13:9
- イザヤ書51:4
- ガラテヤ3:12
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