人を道具として使う人がいる。
かつての欧州の君主政治でも行われていたし、いわゆる大衆を扱う政治家や事業家もそう考える。
経済学の基本でもある。
マクロ経済や行動経済学の観点は、大衆の挙動をモデル化して考える方法を扱う。
よく売れるものを作って売ろうと思えば、その考え方にもなる。
人材派遣や人材紹介など、そのような人を扱うビジネスのアウトソーシングされた汚れ仕事の最たるものだ。
単純に個人的に好きではない。
好きではないのだが、やらなければならないのが辛いところ。
人にはそれぞれ別の価値観や行動原理がある。
自分自身は、どちらかといえばその価値観の端の方に位置する。
つまり、一般のカテゴリに入らない。
一般的な行動原理に当てはまらない。
モデル化しにくい立場にいる。
それを羨ましいと思う人もいるけれど、当人にとっては非常に困難な道にいる。
説明が難しいので、簡単に誰とも相談できる状況ではないので。
とはいえ、大局を見通して判断する必要が出てくると、多くの人をマクロに見て最適値を見つけ出す必要がある。
それが苦痛でね。
個別の課題に向かい合う必要があるにも関わらず、一般化したモデルとして考える必要がある。
それでも既にやっているといえばやっているわけなのだけど。
一般化した人の行動原理のカスタマイズはよくやっているとは思う。
アダム・スミスの神の見えざる手理論や、ケインズの経済学は、非常によく現実の経済をシミュレートする。
そのあたり知っていて活用すれば、自分や社会がどの様に変化していくか見通すことが可能になる。
メリットもあればデメリットもある。
そのあたりが個人的な立ち入りを拒んでいるのか。
勉強はやりますけれどね。
そのあたりに賢(さか)しくないと、年上の人には好かれるんですけれどね。
年上の人は、そのあたりの駆け引きにうんざりしているのかなと思ったりする。
眼の前の物事に一喜一憂している方が、可愛げがあったりするもんだし。
どうでもいいことに腹を立てて、眠れなくなって日常生活に支障をきたすのにはウンザリするけれど。
その感情の起伏を薬物でコントロールする手もあるけれど、それを感じ取れることが人として、生き物としての感覚を保っていられるとも思う。
半世紀生きて、大人になることが嫌になったりする。
そのあたりの能力も求められるようになってくるのが大人の役割でもあるので、子どものままではいられない。
一生学ぶ必要があるということですよ。