ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

決めたがり

2016-08-25 21:14:52 | 日記
人の生存本能として、敵と味方を区別したいという概念がある。

社会現象として顕著に見られるのは、凶悪犯罪が起きた際の、犯人の特徴が、いわゆる「一般人」とどれだけ違うか?という一点。

かつて起きた「連続幼女誘拐殺人事件」の犯人像は、以下の様であった。

・アニメなどを撮りためたビデオテープが、部屋の中にところ狭しと積まれていた。
・太っていて髪の毛を整えないでメガネをかけている。
・いわゆるオタク。
・日産・ラングレーに乗っていた。

この事件の前にこの様な特徴を持っていた人は、それはもう山ほどいたのだが、一気に消えた。

日産・ラングレーなどはいい迷惑で、車名を変えて売ったにも関わらず、車体形状が同じなので、生産中止になったぐらい。

中古車市場で叩き売り状態だったにも関わらず、売れない。

いい車でしたよ?
なぜ知っているかというと、その安いラングレーをタダ同然で買って乗ってたから。


私は工業高校から、
「日大の短期大学部に推薦があるから受けるか?」
と言われて、面接と小論文だけ練習して受かったので、正直な話、進学校や有名大学に関しては、はっきり言って何も知らない。
大学に入ってから「そういう概念がある」とは知ったけど、ちっとも覚える気にはならなかった。

東京大学は「東京大学物語」という漫画があったのもあるし、友人もいたから当たり前に知っていたが、他に興味がある日本の大学は、京都大学と東京工業大学ぐらい?

短大卒業のとき、
「東大に推薦枠があるぞ?」
と言われたので、
「試験科目はなんですか?」
と訊いたら、
「国語国文、英語、物理科学だ」
「それは無理です。工業高校はそれは中学の延長でしか教えないので」
とパス。


どんな学校を出ようが、どんな会社に入ろうが、大量生産品並みに品質管理されて規格化されるわけではないので、結局肩書なんかで人は決まらないというのが私の結論。

上記犯人の特徴に当てはまる友人もいるが、別に普通の人(だった)。

自分も何らかの事件の犯人が捕まり、その犯人像をピックアップするワイドショーやらネットを見ると、
「自分たちとそんなに違うだろうか?」
と疑問に思う。

最初に書いたように、人の本能として、
「犯人」=「敵」
であり、
「敵」=「死ね」
となると、
「犯人」=「死ね」
という結論に達する人がよくいるが、

「じゃあその犯人と違うところは置いておいて、手足がある、目も耳もある、おんなじ人間じゃあないかい?
『僕らはみんな生きている』を歌ってごらんよ?
拙速に死ねという結論を出したら、自分も死ななきゃだよ?」

と思う。

大差があると思いたいのはわかる。
でもそれは実は微差かもしれん。

例えばだ。
・MIT主席卒業。
・博士号取得。
・大蔵省補佐官。
が、連続猟奇殺人事件を起こしたら、
「それは一般人にはわからない思考回路なんだろうね」
という結論になろうな。

小保方晴子さんなんかひどい話だが、さんざん特徴抽出された挙句、それさえもなかったことになっている。
微々たる成果が出始めた今でさえも。

私が見る限り冤罪だと思うけど。


世論の風潮に乗って人を責めるのは、結局は「いじめ」と大して変わらない、仮想敵を作り悪とする、魔女刈りのように昔から続いている、無駄な生贄(スケープゴート)を作っているだけに過ぎない。

世界各地で起きている紛争も、日本と隣国で起きている無意味な牽制も、無駄な敵視と過去のトラウマによる、これも昔から幾度となく行われてきた、「戦争」という馬鹿げた行為に過ぎない。

おっと、これも決めつけかな?