ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

仕事

2017-09-09 22:29:12 | Office
究極の仕事の定義は、

社会貢献


であり、会社は、

志を同一にして連携して仕事をする


のだと私は定義している。

決して、

雇用者が被雇用者に給料を与えて、思うように使うことができる

被雇用者は雇用者に絶対服従


ではなく、

雇用者と被雇用者は、人間としての尊重は同一である


と考えている。
これはもちろん上司と部下の間でも成り立つ基本原則である。

基本的人権の尊重に基づいた、至極まっとうな理屈であると思う。


しかし、
「給料を貰っているんだから、これはして当たり前」
という理屈がまかり通っていて、
「上司はこうあるべき」
「部下はこうあるべき」
という論理展開。

更には、
「理想の上司になるために」
などという本が書店に置いてあると、なんだかやるせなくなる。

人として魅力が無いのに、上司も部下もない


と思うのは私だけだろうか?


まぁ、私もそんなにできた人間ではないが、仕事にはポリシーがある。

  • 得体の知れないものは、作らない、売らない

  • サービスは先に与える

  • 最優先が安全。次に質、使いやすさ、美しさ、加工のしやすさ、価格

  • 最終目的は公共の福祉


  • このポリシーだけでも、一般のビジネス論からはかけ離れる。

    逆に言うと、このポリシーが理解できないと一緒に仕事をすることは難しいと思っている。
    人として対等でいられないからだ。


    営業には営業のポリシーがあると思うが、「売上高」ありきで仕事をするのは違うと考えている。

    本当に良いものは真似される


    偽物が出回ったり、模倣製品ができたりすれば、それは同業他社が認める普遍的な価値である。

    本当に良いものとはそういうものだ。


    あと、私の中での鉄則は、

    流行り廃りに乗らない


    良いものはじわりじわりと社会に浸透していく。
    急激に売上を伸ばして、生産が間に合わないものとかは、用心する。
    特に日本人的に、
    「あの人が持っているから私も」
    「あの人がやっているから私も」
    というブームは、本当に一過性で終わるので、時間も金も労力も投資しないほうがいい。


    本当に必要なものとは、空気や水や風や摩擦のように、普段気に留めないけれど、無くなったときに大ダメージを受けるようなもの。

    それは総称して「愛」という概念に近いのだと思っているが、
    「愛のために」
    なんて言うとすごく嘘っぽくなったりするので、一般的には使わない。

    そういうものは、基礎的な積み重ねでうまく行く。
    ちゃんとした事前準備やテスト。
    試行錯誤と成功と失敗の理由を真摯に受け止める心の強さ。

    そういった地道な努力が必要なのだと思う。


    「がっとやって、まぁ適当にそこそこで」
    を狙っていたら、絶対にたどり着けない、非常に精密で緻密な仕事ですよ。

    わかるかなぁ?わかんねぇだろうなぁ?