ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

あげる もらう

2017-09-17 20:40:36 | 日記
地域の人に相談しに行くとき、近所の花屋で安売りセールされている鉢を買っていくわけです。

同じようなもの2つ。

数十円ぐらいの安いもの。

季節外れたりすると、一気に安くなっちゃう。

売れなければ処分されてしまうような感じのもの。

店員と話をする。
「だいたい今は菊系ですね」
「そうですね。彼岸だし」
「ひまわりも菊系なんですよね。あれもそう?」

持っていった先で、
「どっちがいいですか?」
と訊いて一つあげて、一つは持ち帰る。

自分が欲しいから、ついでに買った。
そんな感じ。

自分がいらないものを人にあげるのはおかしい気がする。

余っちゃうから、どうですか?
という感じ。

それを素直に受け取れるか受け取れないかで、その人の考え方もわかる。


「農家さんからお米もらっちゃったんだけど、いる?」
「今仕事行ってないんで、米使うんですよ!もらいます」

住職から新米もらってしまった。
田んぼ持ってるから、お米はそんなに必要じゃないことも知っているし。


人からものをもらう=恥ずかしい


という人もいる。

金銭的価値のないもの=不要


という人もいる。


うーん?自分はどうやって生きてきたんだろう?

子供のうちは働いてはいけないから、お金がないのは当然。
親とか誰かから、食事やものをもらっているから、生きていける。

仮に、3歳児に5億円渡して意味があるのだろうか?

根源的価値はそこにはないと思うのだが?

当たり前ですが、ひとのものを勝手にとってはいけません。

その当たり前も、なんだか薄らいでいる気がする。

ものとか、お金だけじゃないよ?

命とか、肉体関係とかそういったものを強引に奪ったり、侵害するのも犯罪だということ。

個人的にとても嫌いなのは、
「お酒を飲んでいたので…」
という言い訳。

お酒飲んだら、何やってもいいのか?

イニシアチブ

2017-09-17 00:17:13 | 日記
大抵の人は、イニシアチブ(優位性)を持ちたい。

優位性を持ちたくないという人は、そう簡単にはいない。

あの人はああいうところが優れているけど、この点においては自分のほうが優れている。
そういった認識を持たないと、自分の存在価値が揺らぐ。

実際はそんなことはない。

人の価値基準はそれぞれの経験によって構成されるため、あるところで優位でもあり、あるところでは(言葉として好ましくないけど)劣っているのは仕方のないところだ。

生まれ持った環境は個々の人それぞれ違うし、何しろ身体は一つしかないのだから、ある時、ある事柄に対して取れる行動は一つしかない。

それぞれの状況においても、事前の体調や心労によって、どうしてもできなかったり、意外とできてしまったりして、ちょっとがっかり、あるいはとても喜んだりする。

ほぼ同じような状況を、全くこなせない場合は、簡単にこなせてしまう人に対して劣っている気分になり、かなり面白くなかったりする。

私自身でさえそういう場合はある。

ところが逆の立場になる場合もある。

あっさりと難局を乗り越えてしまう場合。
そして、難局を乗り越えたにも関わらず、その結果に納得がいかない。

私はそれをよくやってしまうようだ。


気にしなければいいだけの話だけど、やっぱり劣等感を感じるので、優越感を得るために、いろんな策を講じる。

1 相手の欠点をピックアップして、徹底的に責める
2 自分の理解できる話題に変換して、自分の価値観ベースで思考させる
3 相手を貶める
などなど。

すべて自分が優位に立つための、意識的・無意識的な自分の優位性確保のための、側面に過ぎない。

最近あまりにもその貶めが多い人は、残念ながら距離を置かせてもらっている。
考えて行動することに、余計な判断基準を増やすだけの場合が多いため。

アドバンテージが欲しいわけではなく、現在かなり崖っぷちで、余計な判断基準は判断の邪魔になってしまうから。

申し訳ないけれど。