ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

イメージと言葉

2018-11-08 22:31:03 | Technics
イメージは大量の情報を処理できるけど、細部が曖昧になる。

言葉は厳密に物事を規定できるけど、実際の現象の一部しか表せない。


災害ボランティアに行くと、結構消防士や消防団、元自衛隊などといった人に出会います。

あるいは親が消防士だったり。

災害現場に立ち入るには自らも危険な状況にさらされる覚悟がいるわけです。

お金を払ってまでそんな場所に行く必要はないけれど行く。

災害ボランティアに行ったことがない人に聞かれることがある。

「食事も交通費も出ないの?なんでそんなところに行くの?」

答えられないですね。

困っている人がいるからとしか言えない。

そもそもボランティアなので、なにか見返りを求めているわけではないのです。

遊びに行くわけでもないし、行く先は物流がストップして食事も少ないし、復興復旧のために他人に割く金なんかない。

強いて言うなら、未来への希望をつなぐためだったりするけど、それだって行ったことない人には全くイメージがつかない。

実際に現場に行って、報道されないプライバシーなんか無い状況や、温度や湿度や匂いを実感しないとわからない。


戦争の空襲や焼夷弾攻撃は映像として見ることはできるけど、完全な実体験にはできない。

原爆の被害を「はだしのゲン」でイメージできても、原爆そのものは味わえない。


ここ最近いろいろな仕事をやったけれど、多くの文章や口頭で説明を受けても、結局のところは、
「細かいところは実際に現場に行って、その都度聞いてください」
となることのほうが多い。

全工程のイメージを言葉で全て教えるのは不可能だと思います。


現実社会は、教科書のように仔細に言及されているわけではなく、ほとんどがイメージで進行している。

現実空間内のすべての出来事や時系列変化を説明することは、情報量が多すぎて実際には不可能だから。


最終的には、
「見て覚える」
「見て考える」
「慣れる」
などという言葉以外のノウハウが必要で、それはしっかりと観察し体験する以外に得られないんだろうなと思うのです。

ピカソやゴッホの絵を一切見ることなく、言葉で伝えるのは不可能だと思うし、シューベルトやバッハの音楽を譜面を用いずに言葉で伝承するのも不可能だと思う。


つまり何でもかんでもすべて「端的に口頭報告しろ」と言う時点で相当理不尽なので、今流行のパワハラに該当しちゃうのですよ。

ものづくりの基本の図面でさえ、製作ノウハウはメーカーのノウハウだったりするので、
「図面がすべて」
とかいう人ほど何もわかっていなかったりする。

このブログは思考整理のツールなので、ほとんどを文字で書いてます。

だから考えていることの一部を抽出して書いているので、すべての現実を網羅できていないのです。
コメント
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