人は複数のことを同時にこなせる。
ように見えて、実は同時に一つのことしかできない。
反復練習することによって、あまり考えずに行動することができますが。
それも訓練なので、反復練習できない環境で物事を正確に実行するのは難しい。
論理的思考を常に維持するためには、論理的環境の中で思考する必要があってですね。
感情的な人の中で感情的になりながら論理的思考をするのは相当困難なことです。
論理的というのは、物事の因果関係が比較的はっきりとしていて、あらゆる価値概念から見ても矛盾がない状態と定義できる。
感情的というのは、ある一面においては論理的であるように見えるけれど、他の価値概念に照らし合わせると全く合致していないとか、自らの存在や行動を否定してしまう矛盾に溢れた状態。
幼少期の欲求はどうしても短絡的な欲求主体で判断するので、一面は正しいけれど他面では全く間違えている状態は多くなってしまう。
本能的な行動とも言える。
一つ残酷な例をあげてみる。
ある日歩道を自転車で走っていた。
壁の上を歩いていた猫がビクッとこちらに気づき道路に飛び出した。
そのままタクシーに轢かれた。ドンッと。
即死ではなかったけれど、非常に複雑な体の動きをして助かる見込みはなかった。
数秒の出来事。
本来身を守るための逃走が身の破滅になってしまう。かなり本末転倒な行動。
目に見えないウイルスから身を守るためのマスクを個人的に買い占めて、医療機関が機能しなくなり、治療そのものができなくなる。
主な感染経路は接触感染なので、手洗いうがいのほうが重要であるにもかかわらず、マスクをして安心してしまい手を洗わない。
この本末転倒ぶりに多くの人は気づかない。
集中してしまうと長期的かつ複合的なその他の価値観を考えず、短期的な単因子の突っ走った行動をしていることに気づけない。
別に頭がおかしいわけじゃなくて、非常に動物的な本能に従った行動原理でもある。
ところが前述の猫のように、それで自滅していることにも気づけない。
個人的な判断ミスと首相の判断は分けて考える必要があるにもかかわらず、一緒にしてしまう人も多い。
悲しいことにそのような自分の墓穴を掘る人はあまりにも多いというのが実感。
別に今回の新型肺炎に限ったことではなく。