買い物に出かけて思った。
人災だよなぁ。
大震災や水害や豪雪災害で、自然のエネルギーの暴走を目の当たりにした。
自然のエネルギーで簡単に文化や人の命は消える。
そこに立ち向かう、災害ボランティアに参加して、人の暖かさも知った。
しかし逆に混乱に乗じて一時的な利益を求めて、不正な販売を行ったり買い占めに走ったりする人もいる。
避難先のいじめもあわせて人災と呼べるものですね。
人災はいつでもどこでも簡単に起こる。
会社のルールに従って人の生活や人生を潰す。
集団を構成する人の判断ミスとも言える。
集団が問題なのではないんですよ?
結局は個々の人がどのように考えて、どのように判断して、どのように行動するか?という問題で。
買い物に出かけたけれど、実は自分自身が感染源で、多くの人が集まる場所に出かけることそのものが最大の判断ミスであるかもしれない。
その予兆はないものの、可能性としてはゼロではない。
多くの人に感染症を引き起こした当人は、まさか自分が感染源になると思って行動していたわけではないのでしょう。
「次のライブにも行きます!」と約束して出かけたライブハウスも。
医者にも言われて続けていた健康づくりのためのジム通いも。
中には感染源とわかって出かける人もいるようですが。
逼迫して緊急の事態だからこそ、少しの判断ミスが大きな影響を引き起こす。
それさえも普段日常から正しい判断をし続ける訓練が必要なんですけれどね。
全員が全員、どのような状況でも100%の正しい判断はできないし、プログラムされたロボットではないのだから多種多様な判断があるでしょう。
戦争なんか国単位の人災ですよ。
バブル崩壊さえも人災と言える。
それでも災害を乗り越えて人は強くなるのだし、そのような混乱の中に希望や人の本質的優しさを見出すこともできる。
所属する組織のせいにすることもできる。
政治のせいにもすることができる。
組織文化のルールに合致する判断や、上司に言われたから行った行動がとんでもない間違いであることも多い。
個々の人の特性も違うし、状況によっても物事の判断基準や結論も変わる。
流されて間違った判断に憤りやストレスを感じるぐらいなら、間違えることが多いとしても自分自身の責任で判断して実行したほうが私としては気が楽だなとは思う。
すべての人がそのような決断はできないことも知ってはいる。
校長の長話に付き合いたい人は付き合うレベルでこれを読んでいる人はいるのだろうなという前提で。
1939年から1945年にかけて第二次世界大戦が起きた。
いわゆる日本の一般的サラリーマンや定年雇用などの制度は、それ以降出来上がったと言える。
少数派の公務員などはあったにせよ。
隣国の侵略が当たり前の欧米で発明された、法律や権利などを輸入して、反体制やイデオロギーなどを掲げながら学生運動や過激派がヘルメットをかぶって跋扈していたのも戦後ですよ。
欧米に限らず地続きの大陸では、自国を滅ぼしたり親を殺した敵と結婚するなんて当たり前の文化。
ロミオとジュリエットのような戯曲は当たり前。
チャーリー・チャップリンの産業革命による労働者の権利の主張も100年以上前の1800年代に発明されている。
そんな中で発明されて作られた人権や司法制度は、日本に輸入されて運用されたわけだけど、生い立ちまでしっかり理解していないから授業をサボる理由としての学生運動が起こる。
なんのために大学に入ったのか…
そんな混乱期を経て労働組合を作って労働者の権利としてストライキなんか行いながら得たのが定年雇用や年金制度。
まだ80年も経っていないけれど、その制度を作るために頑張った人たちは、恩恵を受けた上で第一線から退いている。
その制度ができる前は?
ほとんどの人が自営業主で、現役=生きている間だったということ。
死ぬまで現役だった。
自分たちが昔からみんながやっていて当たり前と思いこんでいるルールや制度が、実はそんなに歴史のないローカルルールなんてことは山ほどある。
小学校の先生が絶対的なルールだった私達の子供時代みたいなもので。
今はその絶対性も崩れつつありますが。
社会のルールを紐解くと、実はそんなに深くない。
組織の中で生き続けるというのも生き方だし、その中でした苦労などの経験によって得られるものもあるとは思うけれど。
実は上司や先輩が大したポリシーや理想や目標もなく、組織の歯車の一つとなって上司や先輩を演じているとわかったら、
組織にはいられなくなってしまうんですよ。
苦労はしそうだけれど、独立したほうがいいと思ってしまう。
私自身が組織的人災の原動力にならないための防御策でもあるのですが。