死にたくないという欲求が生み出すのが、死後の世界。
人の想像として存在するが、実際は存在しない。
幽霊も、心霊現象も、生き返りも、異世界転生も、天国も地獄も、人が死んでも生きられる前提で生み出される想像の世界や現象。
ゲームのようにコンティニューできる。
いや、できないよ?
というのが私の前提理論。
眼の前を翔んでいたり、音だけを鳴らしている蚊が、天国や地獄の罪状を気にして生きているか?
スズメや鳩が、心霊や幽霊を恐怖に感じているか?
もっと身近な自然の脅威のほうが重要です。
ヒトは死後の世界を想像してしまった。
その想像の世界に判断を曲げられてしまう。
血液型性格診断、タロットカード、星座占い等などに判断を委ねるなどもそれに類する。
産業革命以前は、宗教が科学を上回っていたんですよ。
地動説を天動説が上回るぐらい力があった。
地動説を唱えれば死刑になるぐらいの罪だった。
想像の世界が現実を上回っていた。
科学が万能だとも思ってはいないのですが。
自然現象をモデル化して、計算しやすくするツールですね。
効率よく自然現象を扱える。
猫とか犬を見て思うのは、彼らにはそのような思考の縛りがない。
それぞれの個体には、病気による体の不具合や、仲間内の対応関係はありますよね。
しかしヒトほど、無いものを想像して考えることはしない。
だから宗教はない。
信じる政党や年中行事もない。
想像力ともいうけれど、それがあるからこそ無いものを創り出すこともできるけれど、自然界に存在しない価値によって行動を制約したり、間違えたりする。
信心ともいう。
理性的判断とは、間違っている価値観を排除して、現実を正しく見つめて導き出す判断とも言える。
逆は感情的判断。直感的判断ともいうし、短絡的判断でもある。
感情的判断を、理性的判断に転換するために、想像を働かせることもあるだろう。
黒を白に、白を黒にするための論理を成り立たせる必要があるのも人社会。
過ぎてみれば馬鹿らしいと思える価値観ですけれどね。
地球上の文化的先進国でさえ千年近くその想像に支配されていたし、今でもその支配はある。
真理は残酷だけれど、その残酷さを受け入れられることが、頭の良さとも言えるのかなと。
慣習というノイズをどれだけ除去できるか。