疲れると、とてつもなく嫌な思考や想像をしてしまう。
いわゆるネガティブ思考で、それをしないでポジティブ思考に変えようとする人や文章もあるけれど、なくすのではなく、ネガティブはそれはそれで必要だと思っている。
人は全て正しくはないし、理想的には動かない。
反面正しく、理性的で思慮深く優しく在りたいとも思っている。
裏切りや騙しもあるし、利権確保もするし汚職も法を無視した人権損壊もする。
大概、知らないためということが多い。
他人の全てがわからないように、個別の事情や痛みもわからない。
知らないうちに他人を追い詰めていることに気づかない。
世の中の理不尽や諍(いさかい)の発端は、得てしてそんなものなのかもしれない。
どんなに人生を長く生きたとして、他人の経験をすべてトレースできない。
物理的に無理なこと。
近似経験して想像するしかない。
病気や災害や事故で死んでしまった人の追体験はできない。
だから分析して想像する。
そのために人は死後の世界を想像して創造した。
地動説を認めなかった原因である天国も地獄も、幽霊や妖怪や怪物やゾンビも、死んでも生きていられるという前提を成立させるために必要。
地下数億kmに渡る地獄や、頭上数億kmに渡る天界は、丸い地球では成立しない。
しかし、それは想像であり、人が知らない間に思考に縛りを設ける価値観の一つ。
ないものを想像することによって、人は新しいものを作り出すことができる。
本来生きるために働くはずなのに、働くことによって死んでしまうという、手段と目的を間違えた、冗談にもならない愚行を繰り返している。
そもそも金銭は生きるための物々交換を効率化させるために作られた。しかし金のために人は人も殺す。
猫や犬にはそのような価値観はない。
食事と睡眠に最大の価値を与えて、余計な言葉を交わさずに生きている。
思考をたくましく想像することもするけれど、生き物の原点は食事をして睡眠を取って動き回らなければ生きられないという当たり前のことをしっかり見直す必要がある。
生きているという現実と、今日に何を行って、これから何を行っていくかのすり合わせを、日々行っています。