当たり前ですが、忘れがちなので再度。
すべての労働災害は人災です。
そもそも労働は、経済活動の一つと定義できる。
経済活動は基本的に利潤追求。
利潤を追求する中で、手を抜く。
手を抜いて事故が起こる。
正規の手順があればまだいいほうで、大抵の現場には正規の手順なんてものはない。
なんとなくイメージで覚えていたり、経験の中で培った手順をそれぞれ持っている。
様々な試行錯誤の末、文字通り間違えて身につけていく。
手順は、いつの間にか、それぞれの人が身につけるもので、そこに正規の手順などない。
どんなに先進的な研究を行っていたとしても、逆に先進的で誰もやったことがないから、正規の手順はない。
当然、事故が起こる。
ロス・アラモス研究所の、デーモン・コア事故などは最悪事例だけれど。
プルトニウムの半球の間にマイナスドライバーを挟む。
誤ってドライバーが抜ければ、臨界反応が起こり、付近にいた人は放射線被曝して死んでしまう。
最悪の場合、核爆発が起こる。
(もっとも、同時に同じ力でプルトニウムをぶつけ合わせる爆縮レンズによって、原爆の爆発力が実現されるのだけれど)
今となっては当たり前の危険な行為だけれど、先進的すぎる実験の中で、その危険性を十分把握していたかはわからない。
最悪事例は最悪事例として、世の中の仕事ではこのようなことが多く潜在する。
すなわち、
・知らない
・教えない
・やらない
では、当然事故は起こる。
そもそも、人は万物全てを知らないし、これからも知り得ることはない。
月の裏側に降り立つことができなかったように、太陽の表面に降り立って匂いを嗅いで生きて帰ってくることは不可能でしょう。
シュレーディンガーの猫のように、最終的に観察しない限り、存在するかどうかは不確定なのです。
直接観察できない現象は、別の手法で観察して推測するしかない。
同様に、地球の中心の匂いも知ることができない。
このように、すべてを知ることができないのだから、人類には永遠に知らないことが存在する。
1年先の自分の正確なGPS座標を知ることもできない。
そもそも1年後生きているのか?
そのようなわけで、知らなければ教えることもできないし、対策を実行することもできない。
しかしながら知識があっても災害が起こる。
人は間違えるし、手を抜くから。
そもそも人類が知り得る範囲の原理で対策しても事故が起こるのだけれど、さらに人は間違える。
人が間違えても大丈夫なように、間違えても安全を保つ、フェイルセーフの考え方もあるけれど、考えて対策していなければ防げない。
良くも悪くも、全ての事故は人が行動したり判断したりして起こるので、「確実な安全」など存在しない。
全ての労働災害は人災。
自分起因だけでなく、他人起因、国家政治起因など、人の行動が災害になる可能性をはらむ。
だから、営利活動たる会社での災害は、人起因なのです。