ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

学がない

2021-10-23 05:02:22 | Culture
「学がない」というと、「学歴が低い」と勘違いしそうだけど、そうとも限らない。

「学がない」を、「基礎的知識や理論が存在せず、論理的思考ができない」とすると、学歴が関係してくるけれど。

学歴がなかったとしても、非常に論理的思考ができる人もいるし、
学歴があっても、全く論理的思考ができない人もいる。

学歴を得るためには、必ずしも論理的思考ができる必要はない。


ということを踏まえて。


学がない人は、全く関連のない出来事を、実際の事実に当てはめてしまう。

起こった事実の背景事情を調べず、それに至った複雑な関連事情を考えずに、自分が経験した非常に狭い経験知識で、考えることを諦めて結論を下してしまう。

脊髄反射の感情だけで物事を判断してしまい、事実を顧みない。

それによって何が起こるか?

事実無根の現実が構築され、選択した行動は常に間違え続け、頑張って物事を進めるも、ひたすらマイナス方向に向かって自滅する。


個々の人が冷静になって考えたり、後々になって考えれば、その行動が間違っていて、馬鹿げた判断をしていると理解することができる。

時間がないとか、冷静さを失っているとか、そういった事情もあるかもしれない。


個々人に学があったとしても、思考停止して、脊髄反射で、間違った自滅方向へ向かうことがある。

それが、同調圧力。

社畜サラリーマンとか。
第二次世界大戦とか。
暴動とか。
トイレットペーパー買い占めとか。
転売とか。
アンチワクチン論者とか。

世の中の自滅的異常は、学歴があっても、学がない人が引き起こしている。

同調圧力が文化的に強い、日本によくある出来事でもある。


そうならないためには、学がなく、感情だけで動く人や集団から、距離を置いたり、能動的に離れたりする必要がある。

肉体的にも精神的にも、「自分」が病んで、死んでしまう。

自業自得で、あるいは、実際には非常に多い他業自得で、自滅的、自殺的選択をし続けて死ぬことになっているのに、それさえも気付けない。

全くバカらしい。

何も学ばないし、学んでいない。

学ぶと言っても、義務教育的な、教科書的優等生は非常に多いので、いわゆる、
「客観的事実や論理に基づく裏付けがある、理性的思考」
ができる人が、いわゆる高学歴な人や肩書のある人かというと、そうとも限らない。

肩書があっても学がない人、学ばない人は多い。

周りの思考のなさによって、学があっても間違え続けたり。
周囲の非論理的思考で間違えたのに、その時リーダーであったために全責任を負ったり。

ちなみに、会社の不祥事は、事業主である社長に、全責任を負う義務がある。

そんなわけで、個人的には、全く責任のない、素性も知らない人たちが集まった会社の社長やら、中間管理職の課長にも部長にもなりたくない。


学がないことで成功することもあって。

芸術的成果は、論理的思考外で出来上がることもある。

最終的には、学がないと大成しないけれど。

愛情や性愛は、理性的思考をしないほうがうまくいく。

それらの感情は生物的本能に近く、論理的に考えれば全く無駄と判断もできる。


人が100%、全知全能になることは不可能なのだけど。

自分のいる集団や、親しい人や、恩師や上司、先生、恋人や親が、学があるとは限らない。

それを見極めて、誰から離れ、どこに向かうか、本当に学がある人は、自己責任で選んでいく必要がある。
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