ささかのブログ

雑多な思考整理のためにブログを活用中。
自分が生きやすくなればいいと思うけれど、教祖になるつもりはない。

イニシアチブ

2017-09-17 00:17:13 | 日記
大抵の人は、イニシアチブ(優位性)を持ちたい。

優位性を持ちたくないという人は、そう簡単にはいない。

あの人はああいうところが優れているけど、この点においては自分のほうが優れている。
そういった認識を持たないと、自分の存在価値が揺らぐ。

実際はそんなことはない。

人の価値基準はそれぞれの経験によって構成されるため、あるところで優位でもあり、あるところでは(言葉として好ましくないけど)劣っているのは仕方のないところだ。

生まれ持った環境は個々の人それぞれ違うし、何しろ身体は一つしかないのだから、ある時、ある事柄に対して取れる行動は一つしかない。

それぞれの状況においても、事前の体調や心労によって、どうしてもできなかったり、意外とできてしまったりして、ちょっとがっかり、あるいはとても喜んだりする。

ほぼ同じような状況を、全くこなせない場合は、簡単にこなせてしまう人に対して劣っている気分になり、かなり面白くなかったりする。

私自身でさえそういう場合はある。

ところが逆の立場になる場合もある。

あっさりと難局を乗り越えてしまう場合。
そして、難局を乗り越えたにも関わらず、その結果に納得がいかない。

私はそれをよくやってしまうようだ。


気にしなければいいだけの話だけど、やっぱり劣等感を感じるので、優越感を得るために、いろんな策を講じる。

1 相手の欠点をピックアップして、徹底的に責める
2 自分の理解できる話題に変換して、自分の価値観ベースで思考させる
3 相手を貶める
などなど。

すべて自分が優位に立つための、意識的・無意識的な自分の優位性確保のための、側面に過ぎない。

最近あまりにもその貶めが多い人は、残念ながら距離を置かせてもらっている。
考えて行動することに、余計な判断基準を増やすだけの場合が多いため。

アドバンテージが欲しいわけではなく、現在かなり崖っぷちで、余計な判断基準は判断の邪魔になってしまうから。

申し訳ないけれど。

番長皿屋敷

2017-09-13 01:10:00 | 日記
今回題名は深くないです。

工業高校時代、番長というのがいなかった。

ケンカが強くて、ガラの悪いのはいたけど、威張ってはいなかった。

最近思うのは、自分が番長だったのかなと。


何か問題があると、先生に第一に相談される。

柔道部の主将と仲良し。

デザイン科の女子に恋愛相談される。恋愛経験ないのに。余裕もないし。
鈍感で気付かないし。

生徒会役員。会計だけど。

成績はダントツ。
他にやることがなく。

わからない人には、分け隔てなく問題の解き方を教える。

理科部部長。
特殊工作しまくる。

デザイン科をさておき、校内配布物のイラストを書きまくる。

昼休みは職員室で、押収されたマンガを読みふける。

図書委員で自分の好きな本をチョイス。

図書室で自分のキーボードを弾きまくる。
体育館のグランドピアノも弾きまくる。

ポケットコンピュータで、アセンブリ言語を使って、テトリスもどきを作る。


特に悪いことはしていないけど、すべてをそつなくこなしていた。

文句言えなかったんだろうなぁ。誰も。

別に威張る気もないし、リーダーとかめんどくさいので、仕切りはしないけれど、単独でかなり改革した。

レポートの考察を漫画で描いたり。
続編描けと言われたり。

でかい布に勝手に龍を描いて、旗を作ったり。

NCフライスに、遠心プロペラの加工を打ち込んだり。

好きなことしまくっていただけですけど。


特異な私がいたせいで、体力に物言わす番長みたいな番長はいなかった。

最近そう結論している。
ちょっと確認もしてみるけど。

仕事

2017-09-09 22:29:12 | Office
究極の仕事の定義は、

社会貢献


であり、会社は、

志を同一にして連携して仕事をする


のだと私は定義している。

決して、

雇用者が被雇用者に給料を与えて、思うように使うことができる

被雇用者は雇用者に絶対服従


ではなく、

雇用者と被雇用者は、人間としての尊重は同一である


と考えている。
これはもちろん上司と部下の間でも成り立つ基本原則である。

基本的人権の尊重に基づいた、至極まっとうな理屈であると思う。


しかし、
「給料を貰っているんだから、これはして当たり前」
という理屈がまかり通っていて、
「上司はこうあるべき」
「部下はこうあるべき」
という論理展開。

更には、
「理想の上司になるために」
などという本が書店に置いてあると、なんだかやるせなくなる。

人として魅力が無いのに、上司も部下もない


と思うのは私だけだろうか?


まぁ、私もそんなにできた人間ではないが、仕事にはポリシーがある。

  • 得体の知れないものは、作らない、売らない

  • サービスは先に与える

  • 最優先が安全。次に質、使いやすさ、美しさ、加工のしやすさ、価格

  • 最終目的は公共の福祉


  • このポリシーだけでも、一般のビジネス論からはかけ離れる。

    逆に言うと、このポリシーが理解できないと一緒に仕事をすることは難しいと思っている。
    人として対等でいられないからだ。


    営業には営業のポリシーがあると思うが、「売上高」ありきで仕事をするのは違うと考えている。

    本当に良いものは真似される


    偽物が出回ったり、模倣製品ができたりすれば、それは同業他社が認める普遍的な価値である。

    本当に良いものとはそういうものだ。


    あと、私の中での鉄則は、

    流行り廃りに乗らない


    良いものはじわりじわりと社会に浸透していく。
    急激に売上を伸ばして、生産が間に合わないものとかは、用心する。
    特に日本人的に、
    「あの人が持っているから私も」
    「あの人がやっているから私も」
    というブームは、本当に一過性で終わるので、時間も金も労力も投資しないほうがいい。


    本当に必要なものとは、空気や水や風や摩擦のように、普段気に留めないけれど、無くなったときに大ダメージを受けるようなもの。

    それは総称して「愛」という概念に近いのだと思っているが、
    「愛のために」
    なんて言うとすごく嘘っぽくなったりするので、一般的には使わない。

    そういうものは、基礎的な積み重ねでうまく行く。
    ちゃんとした事前準備やテスト。
    試行錯誤と成功と失敗の理由を真摯に受け止める心の強さ。

    そういった地道な努力が必要なのだと思う。


    「がっとやって、まぁ適当にそこそこで」
    を狙っていたら、絶対にたどり着けない、非常に精密で緻密な仕事ですよ。

    わかるかなぁ?わかんねぇだろうなぁ?

    ひと夏の慧眼

    2017-09-05 17:25:16 | 日記
    「あー、じゃあハニートラップにひっかからないんですね。安心だ」

    宿を任された宿主の、彼女の鍼灸師に言われた一言。

    女系親族の多い家庭環境に育った結果、

    ハニートラップ=ツッコミ
    もしくは、
    ハニートラップ=スルー

    という対応を余儀なくされた幼少期。

    いや、たしかにハニートラップにはひっかからなかろうが、つまらん人生ではなかろうか?

    と、今更嘆いても仕方ない。
    命あってのものだねとそばを茹でる。