せんだって長い間闘病生活をしていた母が亡くなりました。
昨年の義理の父に続いての、身近な人の死でした。
親の死はいくつになっても悲しいですよね。
徐々に徐々に、少しずつ体力も衰え、認知症も進み、自慢の母の変わっていく姿を目にし
いつか来るであろう別れも覚悟出来ていた8年間でした。
母を見送りあらためて「自分の死」も含めて、日頃片隅に追いやっている死というものについて
考えてみるきっかけになりました。
そして次にまたいつかやってくる身近な人との別れ(肉親だけでなく)について今の私の思うこと、
気の持ちようなどをとりとめも無く書き留めてみようと思います。
ひとつはあらためて人生で出会うすべての人への感謝の気持ちです。
ありきたりに思えるかもしれませんが、とても大事なことですよね。
毎日会ったり話したりしている身近な人に感謝する気持ち。
ついつい忘れがちですがみんな永遠に生き続けるわけではありませんから・・・
それが出来なくなってからでは遅いのです。
感謝の気持ちや有難いと思うことを言葉にして伝えるよう心掛けたいです。
もう一つは母を亡くして以降、自分の「父との向き合い方」をもう一度考えてみたいなと思います。
「父もまたいずれ亡くなる」という思いを心の何処かに持ちながら、父と接するようにしていきたいものです。
大切な人が元気な時には何とも思わないけれど、いるのが当たり前の人が亡くなるというのは・・・
例えば「父の日に、面倒くさなりながらもプレゼントを渡す相手がいなくなる」ということであり、
「同じような時代劇だけど何回見ても楽しいんだね」というような、たわいのない話をする相手がいなくなるということですから・・・
だから元気なうちにとにかく何でもいいから、堂と言うことの無い会話をたくさんして、
一緒にたくさん笑って「堂ということもない日常」を大切に過ごしていきたいと思います。
多分亡くなった後に思い出すのは、なんてことの無いそういう日々のエピソードなのだから。
そんな思いを巡らしながらまだ慣れない加茂への通勤をしている、くーわんです。