のほほんとしててもいいですか

ソプラノ歌手 佐藤容子のブログです。よろしくお願いいたします!

オペラ_結婚式の引出物

2023-10-26 | 『音楽のはなし』
オペラは貴族の豪華な結婚式の引出物として誕生した。

記録上は1594年に作曲されたペーリ【ダフネ】が最古のオペラだが、現存しない。

ルーベンスの連作『マリ·ド·メディシスの生涯』第8図はイタリア、フィレンツェ、サンタ·マリア·デル·フィオーレ大聖堂における結婚式を描いている。

花嫁はフィレンツェの名家、メディチ家のマリア。

新郎はフランス王、アンリ4世。

式は1600年10月5日に挙行。

このふたりの結婚を祝い、さまざまな祝祭行事が催されたが、ピッティ宮で上演された新趣向の劇が注目された。

これが、現存する最古のオペラ【エウリディーチェ】

台本、リヌッチーニ

作曲、ペーリ

補筆、カッチーニ



引用∶
【西洋音楽の歴史】
東京書籍
「オペラの誕生とその発展」



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古典派 - クラシック

2023-10-24 | 『音楽のはなし』
クラシック、という言葉は「古典的」と訳され、通用されている。


この語は、古代ローマ市民のなかの「納税者階級に属するもの」という元来の意味から「最高級の」「模範的な」という意味を持つに至ったラテン語「classicus」に由来する。

人道主義的立場では、古代ギリシャやローマ文化が人文の頂点を示すと言うので、
この文化に属するもの
この文化に関係のあるもの
ギリシャ·ローマの芸術を模範とし、これに基盤を置こうとする傾向をもつもの
それらを、クラシック、と呼ぶ。

ルソーの「自然にかえれ」という言葉は、特にドイツ、オーストリアでは、自然ばかりでなく、「古代あるいは昔に源泉を求めること」と、受け取られた。


引用∶西洋音楽史概説 門馬直美 春秋社






Photo by(c)Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net













サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院


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血が騒ぐ、カルメン!

2023-10-17 | 『音楽のはなし』
Recorded 6-18 July, 1964
Salle Wagram, Paris

Carmen-Bizet

マリア・カラス-カルメン
ニコライ・ゲッダ-ドン・ホセ
ロベール・マサール-エスカミーリョ
アンドレア・ギオー-ミカエラ
ナディーヌ・ソートロー-フラスキータ

ルネ・ジュグロ合唱団
パリ国立歌劇場管弦楽団
ジョルジュ・プレートル指揮
Sung in French


ビゼーは1838年パリに生まれた。
声楽教師の父から音楽の基礎教育を受けた。
異例扱いで9歳でパリ国立音楽院に入学。
アレヴィ、グノーなどに師事、17歳で交響曲ハ長調を作曲。
1857年ローマ大賞受賞。
大賞受賞者としてローマへ行き22歳までイタリアへ留学、母の危篤でパリへ戻る。
彼は劇場のために28作品を書いたが未完が多い。
生前上演されたものは4作のみ。
1863年【真珠とり】(リリーク劇場)
1867年【ペルトの娘】(リリーク劇場)
1872年【ジャミレー】(オペラコミーク劇場)
1875年【カルメン】(オペラコミーク劇場)

1869年アレヴィの娘と結婚。
1870年-1871年普仏戦争でサン=サーンスとともにパリ防衛軍に参加。
劇場再開後、オペラコミーク劇場から新作の依頼を受け、カルメンを作曲。
1875年3月3日初演。
6月3日、33回目公演の夜、37歳で急逝。

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10代のころは、カラスの声質があまり好きではありませんでしたが、次第に表現力に魅了されました。
カルメン役を聴いてみると、カラスの中音域の声色の多彩さ、カラスにしかできない声使い、など、圧倒的な存在感があります。
メゾソプラノの役であるカルメン役は、本来はソプラノ歌手には務まりません。
それは音域の話ではなく、メゾソプラノにはメゾソプラノに要求される声質があるからです。
そのような意味でも、カラスは偉大な才能の持ち主だと思います。



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夜と夢 フランツ·シューベルト

2023-10-12 | 『音楽のはなし』
シューベルトは1797年オーストリアのウィーン生まれ。
1828年、31歳で梅毒のためウィーンで没。

詩人の個々の言葉や文章構造を尊重したロマン派ドイツ歌曲の作曲家として知られる。
古典派最後の若き巨匠、とも。

❨シューベルトは一般的にロマン派に入れられるが、その音楽と人生はウィーン古典派の強い影響下にあり、記譜法、基本的な作曲法も古典派に属している。❩

630曲ほどのドイツ歌曲(リート)を作曲。
うち80曲はゲーテの詩である。


ドイツ歌曲の作品をひとつご紹介します。

【夜と夢】
よるとゆめ
フランツ・シューベルトによる作曲

『夜と夢』作品43-2 D827

作曲者: フランツ・シューベルト
調性: ロ長調
作曲: 1825年
作詞者: マテウス・フォン・コリン


Heilge Nacht, du sinkest nieder;
nieder wallen auch die Träume,
wie dein Mondlicht durch die Räume,
durch der Menschen stille Brust.

Die belauschen sie mit Lust;
rufen, wenn der Tag erwacht;
Kehre wieder, heilge Nacht!
Holde Träume, kehret wieder!

聖なる夜よ
君が地上へおりると
夢もまた波打つようにおりてくる

月光が空間を抜けるように
夢は人々の穏やかな胸を抜ける

彼らは楽しく耳を傾け
夜が明けるときに 
叫ぶ

また帰ってきてください 
聖なる夜よ

いとしい夢よ 
また帰ってきてください

参照 Wikipedia
参照 西洋音楽の歴史-東京書籍
参照 クラシック音楽ガイド-成美堂出版



1814年、ロマン派リート第一作『糸を紡ぐグレートヒェン』誕生。
通作形式を採用。
当時の彼の師サリエリ曰く「彼は天才。なんでもできる」(フィッシャー·ディースカウ「シューベルトの歌曲をたどって」(原田茂生訳、白水社、1976年、61ページ))

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ヘンデル

2023-01-03 | 『音楽のはなし』
ドイツ、ハレの生まれ
1685年生まれる
1759年他界
幼い頃から楽才を示す。
宮廷外科医の父は反対。
ハレで勉強
ハンブルクでオペラ作曲家としてデビュー
イタリア遊学
ハノーヴァーの宮廷楽長
ロンドンで作曲家
ロンドンで劇場経営、成功
オペラの人気がなくなると英語のオラトリオ作曲
イギリスに帰化
イギリスで亡くなり、国葬

ヘンデルの音楽はメロディラインが生かされ、なじみやすい。

【オンブラ・マイ・フ】
《うるわしき木陰》
古代ペルシャを舞台にしたオペラ〘セルセ〙のなかのアリア。
1738年作曲。
浮気なペルシャ王セルセが許婚と結ばれる話。

【涙あふれて】
オペラ〘リナルド〙のなかのカストラート用アリア。
1711年作曲。
第一次十字軍に従軍した騎士リナルドがさまざまな苦難の果てに恋人アルミレーナと結ばれ、敵を破る話。
初演はロンドン、クイーンズ劇場。
初演の第1幕には、雀の大群が出てきた模様。
花火や稲妻で火事にならないよう、消防車が複数台待機していた記録がある模様。
初演は大成功。




Photo by (c)Tomo.Yun
http://www.yunphoto.net

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