7月頃に、今度オペラ歌手が出てくる話を書いてみて、とお題をもらいました。
なかなか手付かずだったけど、書いてみました。
エピソード1、エピソード2、を作りました。
オペラ歌手は1にしかでてきませんが。。
絵は昔のオペラ座をイメージしてみました。
【エピソード1】
10月の、ある水曜日。
宮廷の中は、表面的にはいつもと変わりなかったが、その実、暗鬱として不気味な空気が立ち込めていた。
某国宮廷内において血生臭い殺人事件が起きた。
その殺し方はあまりにも残忍で、書き表すことは難しい。
殺されたのは宮廷に遣える、ソプラノ歌手。
彼女は国王の愛妾でもあった。
名前はマリー。
その美声は常に聴衆を魅了し、別世界へと誘った。
また外見も、正妻の王妃レオノールの存在がかすむほど麗しく、多くの画家たちが、彼女をキャンバスに収めたいと願った。
国王は人目をはばからず、マリーをかわいがった。
レオノールはひどく嫉妬する気持ちはあったが、平静さを保とうとするのが高貴な身分の誇り、と心得ていたので、努めて装った。
人の前で歌を晒すような道化師…。
マリーのことをそう思うようにして、かろうじてプライドを保った。
当然、宮中ですれ違おうと、レオノールからマリーには、「あら」程度でさえ、声をかけられることはなかった。
マリーは、自分の方が若さ、美しさ、実力を備え、国王の気持ちのすべてを得ている自信があったので、そんなレオノールの態度にはなんとも思わなかった。
その数日後、国王の誕生会が催された。
長く在任し、国家をここまで引き揚げた国王の偉業を讃えて、国中が歓喜した。
もちろん夜には、国費の半分はつぎ込んだと言われている、贅を尽くしたオペラ座で、マリーが主演するオペラが催された。
演目は、国王が最も好きなオペラ、という事で、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」と決まっていた。
マリーはいつもに増して艶のある美声で、完璧な技を披露した。
国王もその歌声に、いつも以上に心を揺さぶられた。
隣に座るレオノールは、国王のそんな様子に、いわれもない呪いが沸き上がるのを押さえることができなかった。
やがて舞台は、最大の見せ場である、狂乱の場に差し掛かった。
マリーが演じるルチアは、コロラトゥーラの技術を駆使して、恍惚としたメロディーを響かせていた。
レオノールは不覚にも、その歌に一瞬酔いしれた。
レオノールはその失態に愕然とし、一瞬の酔いは強烈な破壊の気持ちを産んだ。
舞台は上気した熱狂のうちに幕となり、国王は上機嫌でレオノールに言った。
「なんでも良いぞ、なにか願いはないか?」
レオノールは言った。
「とても許すことが出来ない罪人がおります。世界で最も残酷な方法で殺めて下さい。」
国王は一瞬眉間に皺を寄せたが、レオノールのなにか突き動かされた物言いに、しぶしぶ納得した。
もちろんレオノールは、殺す相手が誰であるかは、国王には言わなかった。
マリーは、その晩に、レオノールから好演の祝いを渡したい、と言われ、裏庭へ呼び出された。
裏庭の女を最も残酷な方法で、と命を受けた男達は、その女がマリーであることにひどく驚いたが、国王の命令であるので、従った。
二階からその裏庭の様子を見ていたレオノールは、ひどく晴れやかな気持ちだった。
マリーへ魅力されるという、最も恥ずべき失態を生ませた、元凶。
レオノールは、この晩、笑いが止まらなかった。
そのようにして、世にも恐ろしい殺人事件が起きたのだった。
しかし、この数日後、レオノールも自殺している。
なぜか。
レオノールは、自分の脳髄を魅力した、世にも美しいマリーの声が鳴り続けるのを、止めることができなかった。
レオノールは初めて知った。
実在しなくても、人の心を揺さぶり続けることができる物の存在を…。
その事実は、むごたらしいマリーの遺体より、不気味であり、同時に神々しかった。
(おわり )