日々の生活のなかで、なにかを伝えたり、またなにかから情報を得たりすることは、一般的な作業と思う。
先日、「字を読むのでは具体的作業をイメージしにくいので、文章より動画によって情報を得た方が好ましい」という意見を聞いた。
確かに動画には動画の利点があり、ある種類の情報によっては、効果的だ。
昔から、おそらく「伝える」という作業には様々な工夫が重ねられ、より正確に、より速く、より親切に、と、改良が重ねられ、様々な試みがされてきたと思う。
時にはうまく伝わり、時にはうまく伝わらず。
私たちは例え同じ言語を使う人同士だとしても、人それぞれの環境的背景や個人的感覚が異なることから、同じ情報を得ても理解が異なることがある。
時には、そこがもどかしくもあるが、互いの齟齬を埋め合わせたり、確かめ合うことも、人の生活の旨味なのかな、とも思う。