人が迎える未来の時間には、個人の意思や選択が関与できるときもあれば、全くそうでないときもある。
自分のものであり、自分のものではなく、漠然とした不可侵の定めと伴走し、ゆらぎのなかを歩く。
ここ数週間、感じていることだが、過去の興味の対象との再会はおもしろい。
急遽、だれか来訪者があったり、整理整頓するなかで、過去の本やノートを目にし、ああ、こういうことに興味があったのか、とか、こういう意志があったのだな、など、忘れ去った感覚を思い出させてくれる。
今日もおもしろい本の塊に出会ったので、もういちど勉強してみよう、と思った。