~この度の震災で被害を受けた方々へお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。~
前回に続いて三陸の写真を掲載いたします。今回は岩手県の沿岸部の町を載せてみました。
盛岡から山田線に乗ってやってきた宮古駅。北上山地は雪深かったのに、太平洋沿岸部の宮古は雪がありません。構内が広いです。
山田線の釜石行きに乗り換え。宮古~釜石間は海に沿って走ります。三陸海岸らしさ溢れる眺めを撮影。
浪板海岸駅。ホームの向こうに見えるのは民宿でしょうか?こういう古びた民宿が案外食事が素晴らしかったりします。私的には建物が古くても食事がとても美味しいのならば大満足です。
吉里吉里は井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」のタイトルの由来になったらしき所。変わった駅名で、思わず降りて散策してみたくなるけれど山田線は本数が少ないので予定外な行動がやりにくいのです。
大槌駅。ホームでの風景には、全国どこにでもあるような日常が写し出されています。こういう日常がとても尊いものであると今は思います。
釜石駅で食事をしたあと、釜石の町を散策しました。三陸はどこの町も昭和、それも1970年代あたりの雰囲気に包まれているのですが、釜石も古びた商店街が広がり、私の好みの町でした。駅の裏では新日鐵の製鉄所があり、大きな煙を空に飛ばしています。
港に出ると桟橋があります。この桟橋で朝市が開かれるのですが、今は昼過ぎなのでひっそりとしています。
港もいい感じの錆びた色合いが、太平洋らしさのある鮮やかなブルーの海と調和して綺麗です。しばらくの間、海を眺めていました。
この日は内陸部に向かって北上に泊まり、翌日は仙台空港を見学してきました。ロビーには牛タンの店があるのがさすが仙台です。綺麗な空港でした。色が変なのは窓越しに撮っているからです。
以上、今回は岩手県を中心にお届けしました。いつかまた三陸を旅で訪れたい。災害を受けた町は災害後は観光客の客足が鈍る傾向にあるそうですが、町が復興してきたら現地を観光で訪れるのも立派な義援です。町の人達も笑顔で旅人を迎えてくれる筈です。早くそういう日が訪れるといいなと心から思います。
~この度の震災で被害を受けた方々へお見舞い申し上げます。そして、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。~
私は旅が好きなので全国いろんな町を訪れています。今回の震災で大きな被害に見舞われた南東北の沿岸の地域も何度か訪れています。三陸地方は日本有数の漁業地帯でありまして、漁港がたくさんあります。町の寿司屋さんや居酒屋に入ると、それはとても美味な魚介類に出逢えました。私は友人達に「日本で一番寿司が美味しい地域は三陸。特に岩手県の宮古で食べた寿司が私の中で一番」と答えてきました。
そんな楽しい思い出の詰まった三陸ですが、旅の道中で町の写真を撮っています。震災前の写真をネットに残す事で、またこういう風に旅を楽しめる三陸に復興してほしいという願いを込めました。震災前の町の写真を見るのが辛いという方もいらっしゃるかと思いますが、以上のような想いからの掲載である事をお許しください。
2005年夏の写真
私が初めて三陸に行った時に訪れた町は気仙沼と女川。二回目の時は宮古と岩泉と大船渡なのですが、この時はフィルムカメラでしたので残念ながら写真アップは出来ません。なので、三回目に訪れた時の写真から紹介します。
仙台スタジアムの写真です。この時の旅は友人と回ったのですが、スタジアムは満員でアウェイ側に座っています。仙台サポーターはとても熱狂的で、チームカラーに包まれたスタンドからその雰囲気が伝わってくると思います。
翌日は単独行動日にしまして、私は仙石線(せんせきせんと読む。せんごくせんではない)に乗って石巻にやってきました。石巻には石ノ森章太郎先生の記念館がありまして、町はこのように石ノ森先生の漫画のオブジェやイラストで飾られていました。
昼時に本塩釜駅へと移動して、塩釜の町で寿司を食べました。町の通りはこのように大漁旗が飾られているほどの漁港町です。店の主人の「この町は冷凍ものは出さないよ」という笑顔と、とろけるような旨い寿司が忘れられません。
2009年春
この年の旅も友人と一緒でした。一日目にモンテディオ山形の試合を観て仙台に泊まったあと、二日目は夕方に℃-uteのライブを観るまで友人と観光をする事にしました。
仙台から仙石線に乗って石巻にやってきた私達は石巻線に乗り換え、終点の女川(おながわ)を目指しました。途中車窓からは万石浦(まんごくうら)という大きな入り江が見えます。ここは浅瀬な海である事を活かして牡蠣の養殖を行っています。海に打ち付けてある灌木に牡蠣を繁殖させています。この写真は駅に停車中に窓を開けて撮りました。
女川駅に着くと外は強い雨。私は女川に来るのは二回目でしたので、魚市場の上にあるレストランに友人を案内する事にしました。以前そこで鯨の定食を食べたのです。
女川港です。右の赤煉瓦の建物がそのレストランが入っている建物です。この日は私は海鮮カレーを食べました。イカが美味しかったです。
(今回は宮城県の町を紹介しました。次回は岩手県の町を中心に紹介します。)
モーニング娘。や℃-uteのCDやブルーレイが発売延期されました。他にも予定されていたハロプロ関連のイベントも次々と中止。こういう状況だから仕方がありません。被災地救援に向けて皆が協力していく時です。
こういう時にアイドルが出来る事は何か?それは応援しているファンを元気づける事。
被災地にもハロプロのファンがいます。今は被災地の方々はブログやセレンドを見ている場合ではないと思いますが、現在大変な状況に置かれている人々へ向けた励ましのメッセージを贈る事は、それなりに名の知れた人物としての大切な義務であり、それを見た人々へ元気を与える事に繋がります。
そして、被災地に向けてだけではなく全国のファンにも、募金の呼びかけ、注意すべき事などを伝えるという事も大切な義務であり、それはファンに勇気を授ける事でもあると思います。
誤った情報に振り回されないようにというお知らせ。節電に役立つ事の紹介などなど。あるアイドルグループは何人かのメンバーがそのような内容のつぶやきをしています。ハロプロももっと積極的にメッセージを伝えてほしい。前田憂佳ちゃんが「私に出来る事はなんだろうと悩んで、まずは募金をしました」とブログに書いていました。文章からするとスタッフが手を入れた感じはなく、ゆうかりんの等身大な文章でした。でも、これで良いんです。立派な事が書けるメンバーは書いて良いし、そうではないメンバーは率直な想いを綴れば良い。それを読んだ同年代のファンも色々考えると思います。「よし!ゆうかりんが募金しているんだ。同い年の俺も募金しよう」というような気持ちに繋がったりする筈です。
だから私は言いたいのです。メンバーには自由にブログなどを書かせてあげて下さい。文章としておかしい部分があったらスタッフが直してあげて下さい。言葉の揚げ足を取って非難してくる人がいたとしたら、アイドルの周りにいる大人達が守ってあげて下さい。
非難を怖れて更新を停止したり、簡単な定型文で済ます事は決して良いやり方だとは思いません。アイドルは影響力があるのです。その力を良い方向に信じてほしいです。
「日本は狭い」という人がいます。面積は確かに狭いかもしれないけれど、日本は南北に非常に長い国。今の時期に北海道に行けば氷点下10度以下の極寒の真冬。しかし、沖縄に行けば20度を超える暖かさ。
私は昔、9月に鹿児島の志布志という町から北海道の稚内まで鈍行を乗り継いで縦断をした事がありますが、日本はなんと広いのだと実感しました。気候、風土、文化、気質、地域が変われば全て変わる。
社会人になると時間的制約などで旅行はついつい飛行機や新幹線や高速道路を使った移動になりがちですが、鈍行や路線バスで移動してみると日本の広さを実感出来ると思います。
昨夜は岡山に泊まりました。当初の予定では広島県内を考えていましたが、翌日の移動の事を考えてもう少し東に移動しました。
iPhoneからウェブ予約して訪れた格安料金なホテルは、ホテルというより旅館と呼んだ方が良さそうな建物でした。小さなロビーのフロントには誰もいない。間もなく私の後ろから、玄関先で携帯て話をしていた女性が入ってきました。この方が支配人、という表現よりも「女将さん」と呼んだ方が合いそうな、つまり旅館みたいなホテルの女将さんでした。
料金を支払いながら雑談をしました。「岡山は晴れの国と呼ばれるくらい気候が暖かい土地」、「私は岡山には何回かわからないくらいやって来ているが、泊まるのは今日が初めてだという事」、「次はサッカー(J2のファジアーノ岡山)を観に訪れたい」などの話をしました。女将さんは是非またここに泊まってくださいと笑顔です。
女将さんから部屋で飲んでくださいとインスタントコーヒーのセットをいただき、「エレベーターが無くてごめんなさいね」という、鉄筋ながら古びた旅館みたいなホテルの、少し煤けた階段を上り部屋に入りました。
部屋は割と広くて、ベッドもセミダブル。ガラステーブルを挟んでチェアが二つ。料金が安いのですから、これで充分です。私は風呂に入り、やっと落ち着いた気分で、コンビニで買ってきたウイスキーを開けました。そして、テレビをつけました。
今日は東に向かって電車を乗り継いできました。岡山も神戸も大阪も京都も名古屋も浜松も快晴。東に向かう電車は変わらない日常を乗せて走っている。私は青空を見上げながら、広い空はずっとこの先のどこかまで続いている。どんな場所にも太陽は昇ると思いながら、日常を乗せて走る電車で想いを巡らせていたのです。
旅とは出会いであります。人、酒、食べ物、温泉、町、風景、名跡などなど、訪問前のこちらの予想を遥かに超えた時、旅の思い出は素晴らしいものとして記憶されるのです。だから私はあまり下調べを入念にしないし、ツアーなどにも参加しない。
全国を回っていると思い入れの強い町というものが増えていきます。素敵な思い出を作れた町は私の記憶にいつまでも輝いています。
昔、三陸を旅した時、一番最初に泊まった町は気仙沼でした。内陸部の一関は天気が良かったのに気仙沼は雨が本降り。気仙沼は駅から町が離れており、私はずぶ濡れになりながら予約していたホテルに着きました。そこはホテルというよりは旅館と呼んだ方がいいような小さな宿。気のいい主人がずぶ濡れで現れた私を心配してくれました。気仙沼名物フカヒレを使ったスープのラーメンがあると聞いていたのですが雨で断念、またいつか訪問して食べたいと心に誓ったのでした。
翌朝、雨上がりの駅までの道、輝く朝日に照らされる港に思わず立ち止まってしばし見とれた事を、つい先日の事のように思い出します。
昨日も書いたように本文は通常通りでいきます。今回は宮崎からのお話を。
昨夜は宮崎市内に泊まりました。宮崎に来るのは四回目なのですが、宮崎市内に泊まるのは今回が初めてです。私は格安料金のホテルをネットで予約していたのですが、メインストリートから外れた場所にホテルがあり迷いながら到着。小さなホテルでフロントは主人が一人。道に迷った話などを軽く雑談したあと、部屋に荷物を置いて繁華街に出ました。
宮崎のメインストリート橘通りを歩きながら良さげな店を数軒選び、その中の一軒に入ってみました。入口に掲示されていたメニューにあった、宮崎名物チキン南蛮の半分セットというメニューが目を引いたのです。
店はカウンターとお座敷。私は一人カウンターに座りました。とても親切丁寧な女将さん。カウンターの中の店長は眼鏡をかけた優しいおじさん。私は芋焼酎「黒霧島」を飲みながら、メヒカリという小魚の唐揚げ、チキン南蛮半分セット(チキンが二切れ)、宮崎名物冷汁を食べました。冷汁はご飯の上に野菜などが入った味噌汁みたいな汁をかけて食べるのですが、これが美味しい。チキン南蛮もメヒカリの唐揚げも美味しい。私はすっかりご機嫌です。そんな私に隣のご婦人が「もう飲まないの?」と声を掛けてきました。
ご婦人は一人でしたが、女将さんや店長と顔見知りらしく、女将さんが隣に座って話が弾んでいます。ご婦人は黒霧島の四合瓶を頼んで飲んでいましたが、私のグラスに黒霧島をなみなみと注いでくれました。都内ならこれだけで500円くらいでしょうか。
更にご婦人は空豆を殻ごと焼き上げたものを一房私にくれました。空豆の香ばしさと芋焼酎のコクが実に合います。店長も交えて雑談が始まりました。
帰りは店長自らエレベーターの前まで来てくれて深々と頭を下げてお見送りをしていただきました。こちらも何度も頭を下げて、「宮崎に来たらまた来ます」とお礼を述べるのでした。皆さんも宮崎に行く機会がありましたら、橘通りの「うお○○屋」(宣伝の許可をとっていないので伏せ字にします)を訪れてみてください。オススメします。
今日は宮崎から鹿児島に出て九州新幹線に乗りました。九州新幹線の博多~新八代が本日開業しまして、山陽新幹線が新大阪から鹿児島中央まで乗り入れするようになりました。
津波警報の関係で鉄道はダイヤが変則になっていて、鹿児島中央までは行けず、途中にある国分という駅までの運転でした。国分なら確か空港や大隅半島の方から鹿児島中央まで行くバスがあったかもしれないと思い駅員さんに聞いたところ、やはりバスはあり、駅から徒歩10分ほどのバス停の位置を教えてもらいました。地方だと駅前が繁華街ではない事が多く、路線バスが外れて走っている事は珍しくはありません。
バスの車内から桜島を眺めながら約一時間半。到着した鹿児島中央駅は以前訪れていた時とは別物な立派な綺麗な駅になっていました。鹿児島の繁華街である天文館通りも賑わいを見せ、道を往く鹿児島市電の電車も綺麗な新型がたくさん走っていました。
駅弁を買って新幹線に乗り込みます。駅弁は地鶏、さつまいもの天ぷらなどが入った美味しい駅弁でした。私は駅弁ヲタでもあるので、こういう郷土色豊かな駅弁は大好きです。
私が乗ったのは山陽新幹線直通用に作られた「さくら」号。中に入ると何とも言えない新車の香り。おそらくこの車両の初の営業運転なのでしょう。車内はとても綺麗です。思わずデジカメで車内、外見などを撮りまくり。
しかし、写真撮りまくりなのは私だけではなく、乗客の半数以上がそのような状態。記念式典は自粛により中止されたそうですが、お客さんにとっては今日は開通ムードなモードなのです。
電車が走り始めて各駅に停まる度にホームにたくさんの人がいるのが見えます。家族連れやカップルが入場券を買ってホームに入って見学をしているのです。
熊本で私は隣のホームにいたJR九州の新幹線車両「つばめ」号に乗り換えました(今回の記事の掲載写真がつばめ号)。
JR九州は有名建築デザイナーの方が全ての車両の外見、内装のデザインプロデュースをしているので非常に斬新なデザインの車両が多い。つばめ号も座席の背ずり、肘掛けが木張り。雑誌や新聞を挟む座席のラックがよくある網ではなく黒い人工革。テーブルは肘掛けの所に収納されている折り畳み式。
私はデザイン力に唸りながら景色も眺めました。やはりどの駅のホームにも見学をするお客さんがたくさんいます。
それを見て、私は鉄道紀行作家の第一人者宮脇俊三さんのベストセラー作「時刻表2万キロ」に収録されていた気仙沼線が開業した時に乗り合わせた話を思い出しました。線路を通じて町と町は繋がっている。繋がっていく。
今日、宮城県を中心に大地震があったそうですね。旅先なので情報に疎く、発生から少し経ってから知りました。宮城県の方、南東北、北関東の方、皆さん大丈夫でしょうか?コメントをくださる方にも宮城県の方がいるので心配です。落ち着いてからで良いのでコメントください。
昨日、新快速電車の車内から三宮の街を眺めながら、大勢の人達の努力で再び神戸は繁華街として輝きを取り戻したのだなと、当時を思い出しながらしんみりしていました。人はどんなに偉くなっても自然には敵わない。どれだけ科学が発達しても地震は予知出来ない。だからこそ自然災害は怖いのです。
こういう時だからこそ、普通の内容も読みたい。そう思われる方もいると思いますので、災害に合われた方々には申し訳ないですが、のんきに旅を続けている自分の今日を綴ります。
今日私は博多から熊本県を通り、宮崎へとやってきました。昨夜博多で天ぷら屋でふぐ天定食を食べたのですが、店員さんが篠田麻里子さんに似ていました(苦笑)。確か彼女は福岡出身でしたね。天ぷらはサクサクして香ばしく美味しかったです。備え付けの塩に茶塩という緑色の塩がありましたので、これをかけてみましたが、これもほのかなお茶の香りが良かった。
今日はお昼に熊本県の山あいの町人吉に行きました。人吉には以前泊まった事があります。温泉に入り、城址を見に行き、天然鮎を食べました。人吉は鮎が名物で駅でも「鮎ずし」という珍しい駅弁を売っています。その駅弁屋さんが昔ながらに駅弁をかついで、「あゆずし~あゆずし~」と叫びながらホームで手売りをしています。こういう販売方法は今や珍しくなりました。
そんな、どこか懐かしい駅弁屋さんが歩くホームには「いさぶろう・しんぺい号」という列車が停まっていました。この列車は一応普通列車なのですが、二両編成のほとんどが指定席になっている観光列車でもありました。
早速指定券500円を払って指定券を購入。座席や床が木張りです。日除けも木を編んだすだれ。案内の女性乗務員による観光放送があります。この列車が走る人吉~吉松は高原を走りながら線路が高台に登っていく非常に眺めの良い区間で、特に眺めの良い箇所ではわざわざ停車をするというサービスがありました。
人吉から吉松までは、大畑(おこば)、矢岳(やたけ)、真幸(まさき)と停まっていきますが、それぞれの駅は6~7分の停車時間を用意して駅を見学出来るようになっていました。人吉で球磨(くま)焼酎を買って飲んでいた私ですが、デジカメ片手に古めかしい木造の駅を眺めたりしました。女性乗務員の方も記念撮影を手伝ったりと、古びた無人駅がわずか数分だけの賑わいを見せています。
閑散としたローカル線の旅というのは旅情と郷愁の味わいがあるものですが、人が乗らなければ廃止になりかねません。以前、この区間を乗った時も車内はガラガラでした。
しかし、こうやってローカル線をリニューアルして観光列車に仕立てあげればお客さんはやってくる。ひなびた味わいは減るけれども、そこに列車は走り続ける。
賑わいを楽しみながら、私は残るために変わらなくてはいけないという事はローカル線に限った話ではなく、あらゆるジャンルに言える事であるとしみじみ思うのでした。
山陽本線の車窓からはなかなか海は見えません。瀬戸内海に沿って走っている筈の路線なのに。
作家内田百聞先生が著書「阿房列車」の中で山陽本線から海がなかなか見えない事に触れ、新幹線が開通する前の遥か昔に大阪と九州を結んで走っていた特急かもめを、「まるでかもめではなく特急からすである」と揶揄した一節がありました。山陽本線に乗るといつも思い出します。
海が見えないと言っても全く見えない訳でもなく、神戸の須磨海岸付近は対岸に淡路島を望み、そこに架かる明石海峡大橋のスケール感と合わせ、自然と人工物の見事で雄大な融合を堪能出来ます。岡山県だと笠岡付近の白壁造りの家々と海岸。広島県なら尾道付近と宮島付近。
尾道は大林宣彦監督の映画「転校生」、「時をかける少女」、「ふたり」などの舞台となった町。海のそばが斜面になっている町なので、坂道から海と瀬戸内海に浮かぶ島々を眺められる町。建物が妙に昭和チックなのも良い。
そんな尾道を過ぎ、三原から私の前の席に可愛い女の子がやってきました。彼女は進行方向と逆向きに座っているのでこちらから顔が見える。
「さやしー?」
そう思ってしまうほど似ている。ただし年齢は大学生くらいでしょうか。さやしーが二十歳くらいになったらこんな感じに成長するのだろうか?と、うたた寝をする彼女の顔を少し見ていました。
山口県に入り、岩国を過ぎた頃、今度は通路を挟んだ隣のボックスにPerfumeのあ~ちゃんに似た人が来ました。年齢も本物と同じくらい。あ~ちゃんは徳山で降りていきました。徳山はモーニング娘。コンサートが開催された事がある町ですね。
徳山から乗り換えた電車のひとつ前のボックスに学校帰りの高校生が一人で座っています。
「さやしー?」
さやしーが高校生になったらこんな感じだろうなと思える女の子でした。彼女は一駅目の新南陽で降りていきました。
山口県というとやはり思い出すのは道重さゆみちゃん。山口県は暖かい土地なんですが、不思議と色白さんが多い。電車に乗ってくる女性が大人も子供も色白。さゆを思い出します。
日は西の方角に傾き始めて、空の色を青空から綺麗な白色に変えていきます。優しい日差しに包まれながら、私は海の写真を撮っていない事を思い出しました。山陽本線は山口県に入ると何ヵ所か海が見える区間に入ります。慌てて携帯で撮った写真が今回掲載した写真。かもめはやっぱり居ないけれど、カラスさえも居ない。ただ波が穏やかに流れているだけでした。
今日から私は旅をしています。青春18きっぷを使っての鈍行の旅。今日は東海道本線の旅でした。
今日は、ももいろクローバーの新曲「ミライボウル」の発売日でもあり、全国のタワーレコード、HMVでももクロちゃんを特集したフリーペーパーの配布も開始されました。
午後、私は名古屋駅で降り近鉄パッセという、109的なビルの中にあるタワーレコードに向かいました。しかし、「ない!」あるのはSKE48のガチャガチャの機械…。やはり名古屋はSKEの街なんですね(涙)。
そして夜。大阪に到着。梅田マルビルに入っているタワーレコードに行きました。
「あった!ももクロちゃんあったで~」
フリーペーパーありました。残り10部あるかどうかの微妙な量でしたが無事入手。しかし!ミライボウルは在庫最後の一枚が目の前で買われていきました。
名古屋でもそうでしたが、梅田でもCDの種類もなく、これは売れ行き絶好調という事なのか?あまり入荷していないという事なのか?いずれにしても複雑な心境。
とりあえずフリーペーパーは無事に入手出来たので、座って難波に行きたい自分は地下鉄四つ橋線で難波に向かい、ある人に教えてもらったつけ麺屋さんに行くのでした。
(今日から旅の道中を綴った旅行記をお送りします。時間があれば通常の記事も書いてみたいと思います)
ある日私の元にEメールが届いた。そして、交換日記の如く意見のやりとりをした。これはその記録である。
「℃-uteの新曲の件」 デラ☆ドル編集部E
初めまして、私は名古屋に編集部がある月刊デラ☆ドルというアイドル雑誌で編集をやってるEと申します。(中略) ℃-uteが新曲を出しましたが、インディーズ時代から℃-uteを応援しているアルファさんは今回の曲はいかがですか?私はちょっとK-POPを意識し過ぎるかなと思うのですが?
「Re:℃-uteの新曲の件」 アルファ
こちらこそ初めまして。(中略)そうですね。私もそのK-POP路線を狙いすぎているところが引っかかっています。もう少しメディアに向けて宣伝をするというのなら話題性でそういうのも有りだと思うのですが、℃-uteはご存知の通りメディア露出は多くない。ならば、まずは自分達の得意な部分を極めて、それを既存のファンにアピールし、そこから広げていくのが良いと思うのです。
℃-uteはモーニング娘。やBerryz工房と比べてもキャラは負けていないのですが、決定的な色がない。今の娘。ならシリアスな曲調にダンス。ベリなら楽しい曲。℃-uteは上手くこなしてしまうからどちらも得意な反面、決定的な色がつかないのです。曲を出す度に路線が違うのは果たして迷走なのかと心配になります。
「Re:SKEの場合」 デラ☆ドル編集部E
グループの色というのは大事ですね。ハロプロ以外を見ても、ももクロ辺りは既に出来上がっていますね。AKBは曲のイメージとしての色は固まっていないですね。その分、制服という見た目でイメージを作っています。
私は地元のSKE48を応援していますが、彼女達の曲はAKBよりはコンセプトに統一感があります。シングルは爽やかアイドルポップスである事が定着していると言ってもいいのではないでしょうか?
「Re:SKEの場合」 アルファ
私はAKBのシングルはまず大衆受けありきと言うか、カラオケ受けありきと言うか、あまりにパターン化されていてつまらなく感じるのですが、SKEのシングル曲は確かにアイドルポップスの王道みたいな楽しさはありますよね。
本当は℃-uteはBerryz工房と差別化を図るために、正統派アイドルポップス路線で行っても良いと思うのです。メンバーみんなアイドルチックな子だから案外正統派アイドルポップスが似合うと思うのです。以前にキャンディーズのカバーをやりましたが可愛くてハマっていました。
ところが、私もそうですがどうしてもカッコイイ℃-uteを見たくなる。激しく踊る℃-uteが見たい訳です。そのあたりのジレンマというか、作り手にも迷いがある。
「Re:これからの主役」 デラ☆ドル編集部E
私はハロプロはなんで℃-uteを大々的に売り出さないのか不思議なんですよ。彼女達は売り出せば今より確実にファンが増えると思います。まだまだメンバーも若くてアイドルど真ん中なんだし勿体ない。今回の曲みたいなものも良いけれど、基本はやはり可愛さあってのカッコ良さであってほしい。
そんな私が今一番注目する℃-uteメンバーは岡井千聖ちゃんですね。可愛いし面白い。女の子受けするタイプでもあると思います。せっかくYouTubeで盛り上がって来たのだから、うまくつないで人気を上げてほしいですね。
「Re:これからの主役」 アルファ
私もカッコイイ℃-uteは好きなので、今回みたいな路線はあっても良いとは思います。MVを見てもみんな大人っぽくなったなと思います。
だからこそ、可愛らしさも前面に押し出してほしい。可愛らしい曲で可愛く振る舞うからこそ、カッコイイ曲がよりカッコ良く見えてくる。
そういう意味では私が期待するメンバーは萩原舞ちゃんですね。春から高校生なマイマイがグループの鍵を握る人物かと思います。
まあ、カッコ良くて可愛いなら誰でも当てはまるのが℃-uteの良さなんですけどね。
この新曲もステージを重ねて完成度が高まっていくかもしれません。半年後の評価が楽しみですね。
℃-ute 『Kiss me 愛してる』 (MV)
大きくなったらつぐながももこちゃんになりたい 3年1組 はしもとももか
私はベリーズこうぼうのつぐながももこちゃんの大ファンです。ももこちゃんはいつもニコニコしていて、いつも小ゆびが立っています。ベリーズこうぼうのメンバーに変だよと言われています。でも、ももこちゃんはきっと小ゆびが大好きなんだと思います。私もももこちゃんのまねをして学校でいつも小ゆびを立てているのですが、みんなに変だよと言われてしまいます。ももこちゃんみたくかわいくなりません。
私がももこちゃんの事を知ったのは、パパがパソコンで歌を見ていた時でした。パパに「この女の子はなんていう名前なの?」と聞いたら、「ボーノというんだよ」とおしえてくれました。私はまんなかで歌っていた女の子がかわいいのでファンになりました。まんなかの女の子がももこちゃんでした。
パパにお願いして、それからいろいろパソコンで歌を見せてもらいました。ボーノのももこちゃんもかわいいし、ベリーズこうぼうのももこちゃんもすごくかわいいです。私はがんばっておどりを練習してみましたがなかなかうまくおどれません。やっぱりベリーズこうぼうのみなさんはスゴイと思います。
ある日パパがももこちゃんがラジオに出ているんだよとおしえてくれました。でもラジオの時間は私がベッドでねている時間なので聞けません。パパがまいしゅうパソコンでろくおんしてくれています。ももこちゃんのラジオは明るくて楽しいです。いつも元気です。ももこちゃんの声はとてもかわいいので私もあんな声になりたいです。おんなじ声を出せるようにおうちでれんしゅうしたんですがダメでした。やっぱりアイドルってスゴイなあと思います。
ももこちゃんはいつも元気でたのしそうです。きっと学校でいやな事があったり、おなかがいたい時もあると思います。でもいつも元気です。私は毎日元気でいるのはできません。やっぱりももこちゃんはスゴイです。
そんなスゴイスゴイももこちゃんはたんじょう日が私と同じです。私はももこちゃんの生まれた日の十年ごの2002年3月6日に生まれました。パパは「まるでももかのおねえさんみたいだね」と言います。私もももこちゃんみたいなおねえさんがほしかったです。でも、もっと大きな夢があります。私は大きくなったら、つぐながももこちゃんになりたいです。ももこちゃんみたいにいつも元気で、いつもおもしろくて、歌やおどりのじょうずな女の子になるのが私の夢です。