連載第39夜は、国鉄・JR東日本大船工場、後の鎌倉総合車両所の、車両工場廃止前の最後のイベントからお届けします。
先ずは関東に向け移動が必要、そこで乗った列車は、寝台急行「銀河」(写真、EF65 1114)。ヘッドマークも無いですが、最後の寝台急行、1両は開放型A寝台オロネ24もあり、東海道の、最後の夜の女王でした。
そして、大船で下車、時間まで駅前のマックで時間調整。現在はどうか知りませんが、大船は24時間営業で、それは自慢して良いです。
旧帝国海軍兵器廠の跡地を利用して設置された大船工場、そのため連絡線が大船方向を向かず、横須賀側から折り返し入線する向きになっており、それが確かに不便で、入場には大船から湘南モノレールに乗る必要があり、それも不便でした。結果、車庫機能は大船に残し、工場は廃止、現在の姿に至ります。
閉鎖前最後のイベントで、いろいろな見世物があり、注目に値しましたが、やはり寝台列車として注目すべきは、流麗な緩急車、ナハネフ22 1でしょう(写真)。
「走るホテル」と評された、日本初のブルートレイン「あさかぜ」登場時、緩急車は座席車ナハフ20で、これが寝台車に改造されナハネフ20、しかし窓割りと寝台が合わないという不都合が生じ、結果製造された、寝台列車用の緩急車です。現在この車両は、さいたま市の「鉄道博物館」収蔵車両となっています。
当初は座席車もあった「ブルートレイン」、現在もそのままであれば生き残ったのか、との疑問が投げかけられそうです。昭和30年代から50年代にかけては日本全体が豊かになっていく時代で、全体に贅沢になっていく時代でした。結果全寝台も納得ですが、今では一部の人々を除き、その時代とは逆の方向に向かっているというのは感じます。ならば、とも思いますが、もう車両さえ残っていません。戻るにも、戻れないのです。残念です。
それでは、次回をお楽しみに。
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