それでは、連載第38夜は、寝台特急「なは」を取り上げたいと思います。
JR九州の「SLあそBOY」が最後だと聞き、その撮影を目指し急遽熊本入りします。出発には「富士・はやぶさ」では間に合わないことから、大阪発の「なは」を選択。入線時刻を待ちます。
大阪発下関までの牽引機は、EF65 1132「関」です(写真)。「なは」単独ヘッドマークも、当時は健在でした。
関門間の記録もせず、終点、熊本へ。門司からの牽引機、ED76 92「分」に変わっています(写真)。この頃から、交流機は赤みがJR東日本並みに強くなり、塗色としては良い感じになってきました。やはり、サーモンピンクでは、感じが出ませんよ!
車両を撮るのか、テールサインを撮るのかいい加減ですが、緩急車のオハネフ25、100番代です(写真)。切妻が特徴となっています。テールサインも健在で、宮原運転所だとすぐに分かります。
乗りたい、その時すぐ乗れる、は理想的で良いのですが、そのため深夜勤務の困難さの割には利用率が低く、普段は赤字を垂れ流す、というのが夜行列車でした。高速道路網の発達に伴い、安価に夜間移動出来る高速バスが増え、いわゆる「失われた20年」の最中、安全軽視でも安きに流れる金銭的経済性に負け、衰退していった、というのが事実です。残念ながら、時計の針は戻りません。
それでは、次回をお楽しみに。
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