それでは、連載第110夜は、富士急行線上吉田の、スハネフ14をお届けします。
平成23年夏、私は「ムーンライトながら」に乗っていました。取り敢えず朝を迎え、先ずは中央線を西へ。大月から終点河口湖へ向かい、続いて富士山、上吉田と行きました。
上吉田には、「ブルートレインテラス」として、スハネフ14 20が鎮座します(写真)。最終日の寝台特急「北陸」に使用された1輛です。テールサインは普段「富士」を掲出します。
入口ドア(写真)。伝統の折戸です。
車掌室側(写真)。左が車掌室、右側が「業務用室」、中に非常時のハンドブレーキが装備されます。スハネフの「フ」は、ブレーキを意味し、それを装備することから、「緩急車」とも呼ばれます。遙か昔、編成ブレーキが無い時代には、機関車の汽笛に合わせ車掌が客車のブレーキを動作させる、という時代もありました。
その反対側には、客室へのドアがあります(写真)。斜めの角度が、特徴です。中に入ります。
通路(写真)。進行方向左側に、寄せられています。
15番ボックス(写真)。3段寝台当時は更衣室ではないかと思いますが、2段化による寝台減により、寝台にされたと思います。
通常のボックス(写真、13、14番)。国鉄時代の青のモケットではありません。梯子は、折り畳み式です。
連結面側の、トイレ(写真)。いずれも和式、横向きですが、当初から2段で落成した24系25形、14系15形は、客室寄りのトイレが縦向きになり、客室スペース及び定員を確保しています。なお、間にあるのは、飲料用冷水器です。右側の機械から折り畳まれた紙容器を膨らませ、水を入れました。0系新幹線にも装備された機械ですが、今ではイメージの沸かない人も多いでしょう。
この後東京に戻り、両国の「江戸・東京博物館」で開かれていた、都電の企画展を見学し、帰宅しました。関東大震災後の量産車「ヨヘロ」の末路、函館市電の「ササラ電車(除雪車)」も里帰りした、大企画展示でした。
それでは、次回をお楽しみに。
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