Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

The Sleepers#5

2016-01-16 | 鉄道写真


 それでは、連載第5夜は、山陰の夜行列車、急行「だいせん」をお届けします。


 平成11年11月、先回と同月に、「SLやまぐち」に乗車することを計画。単純に小郡、現在の新山口から行けば良かったのですが、寄り道がしたくて、山陰経由としました。


 かつて急行「だいせん」は、寝台車もある客車急行でしたが、この頃には気動車となり、いわゆる「エーデル」シリーズを使用した列車となっていました(写真、キハ65 1801)。キハ65改造車です。



 その相方は、キハ65そのままの、キハ65 1811です(写真)。


 「エーデル」シリーズは幾つかありましたが、何れも4両一組ですが、両側の展望非貫通車両と、中間の貫通車両で分割が可能、急行「だいせん」も、この片割れで上下交互に使用されました。


 ただ、キハ65は大出力機関を装備しますが国鉄時代の車両、改造されても古さは隠せず、当時でも相当状態が悪く、暖房スイッチも壊れていました。暫く後に、やはり後藤総合車両所で見てしまいました。



 そして、乗り継いだのは、特急「おき」(写真)。キハ181-8他です。こんな時代が、まだ続くと、安心していたのは、勝手な思い込みでした。ゆるいヘッドマークも注目。


 これら国鉄時代の車両は、ご存じのとおり現存しません。技術の稚拙さを悔やみます。


 それでは、次回をお楽しみに。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#4

2016-01-15 | 鉄道写真


 それでは、連載第4夜は、平成11年11月の写真をお届けしたいと思います。


 SLに乗りたくなり、磐越西線の「SLばんえつ物語」への乗車を計画しました。そこで、始発駅新津に行くのに、大阪から新潟行き夜行急行「きたぐに」に乗るべく、大阪へ向かいます。


 先頭車はクハネ581、車番は失念しました(写真)。既に国鉄色では無く、JR更新色でした。運転台後に機器室があるのがクハネ581、無いのがクハネ583です。


 グリーン車を挟み前が寝台、後が座席で、サハネ581改造の2段寝台、サロネ581も連結されていました。今では、見ることが出来ません。


 今となっては貴重な一コマですが、何でもっと撮っておかなかったのだろう、なんて下手なんだろう、と思います。もう、撮り直すことも出来ません。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#3

2016-01-14 | 鉄道写真


 それでは、連載第3夜は、平成11年1月の記録をお届けします。


 同月、私は新宿から、夜行列車に乗りました。その列車の名は「ムーンライトえちご」、夜行快速です。当時は、既に急行列車はほとんど無く、急行形は中長距離の快速、普通運用に就いていました。


 当時の「ムーンライトえちご」先頭車(写真、村上にて撮影)。今は無い大目玉です。形式は165系、しかし0系発生品の簡易リクライニングシートを装備していました。


 「ムーンライトえちご」としては新潟まで、以遠普通列車として村上まで延長運転されていました。



 中間は宿泊であったため、以降の映像はありません。


 帰り道、黒磯にて、貨物列車の運用をを待つ、EF65 539(写真)。当時P形は501号機を除きJR貨物高崎機関区に集結、大半はJR更新色となりましたが、一部国鉄特急色で残り、539号機もその一つでした。


 やはり伝統の塗色ですが、501号機以外では、もう見ることが出来ません。


 今回は、この程度です。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#2

2016-01-13 | 鉄道写真


 いきなりヘタレ画像から始まってしまった、連載第2夜は、平成10年秋の「北斗星」をお届けします。


 「北斗星」もこの頃は全盛期で、まだ「カシオペア」も無く、定期3往復に夏はモノクラスの「エルム」も走り、更に「はくつる」も走るのが、東北新幹線八戸開業前の状況でした。胸をふくらませ当日を待つと、何と数日前に東北本線で災害があり、折り返しの編成が上野に帰還できない、という状況になってしまいました。


 結局この日は盛岡まで新幹線で行き、盛岡から乗車、ということになりました。


 タイトルのヘタレ写真は、盛岡駅のギリギリのスペースから、無理矢理縦位置で撮った、EF81 83です(写真)。こちら側には、ヘッドマークはありません。



 それもその筈、ヘッドマークは上野方先頭に装備されたまま、外せずにいました(写真)。そのため、客車に向いています。



 すぐ後のカニ24は、当然「北斗星」のテールサインを掲出しています(写真)。時間が無く、オハネフ25側は見ることが出来ませんでした。



 この日の寝台は、「ロイヤル」。先ずは、壁面のテレビと、テーブル(写真)。JR東日本の編成です。



 ベッド(写真)。通常だと食事後、ソファを引き出しベッドメークをするのですが、到着が深夜、出発が未明とのことで、ベッドは既に出来上がっていました。



 シャワー室(写真)。10分の制限がありますが、リセットすればそこから10分になります。折りたたみ式トイレもあります。



 食堂車、スシ24-507(写真)。サシ481あるいは489の改造編入車です。食事時間では無いので、この通りです。



 ロビーカー、オハ25-501(写真)。夜間でしたが、B寝台利用客が談話しています。



 そして、翌日は、急行「宗谷」(写真)。昼行列車ですが、座席車は「サロベツ」「利尻」と共通運用でした。速達化のためキハ40、48を直噴化、出力アップしたキハ400、480を使用していましたが、お座敷車捻出のため、当時余裕があったキハ183系キハ182を改造編入し、継ぎ接ぎもいいところでした。因みに、その時使用されたキハ182こそが、現在の特急「旭山動物園」号の中間3両です。



 翌日夜、急行「利尻」で戻ります。こちらは更に激しく、「宗谷」「サロベツ」の編成の中間に、スハネフ14 500番代を挿入するという、正に継ぎ接ぎです。


 写真は、寝台車スハネフ14-501の、寝台車のエンブレム(写真)。今回の連載のタイトルとなっています。



 キハ400との連結面(写真)。こちらにも寝台マークが入ります。



 車掌室側(写真)。キハ182の連結面と合っています。



 キハ480-304(写真)。続くのは、キハ182です。


 この日は、この後「スーパー北斗」、「はつかり」、新幹線を乗り継ぎ、最速ルートで帰宅しました。


 後に宗谷本線にキハ261系が投入され、特急「スーパー宗谷」2往復設定の結果、キハ54急行「礼文」が廃止、「サロベツ」「利尻」はキハ183系が投入され特急に格上げされました。「利尻」の寝台車運用はそのまま続きましたが、後に列車自体が廃止となり、北海道名物の寝台車併結気動車列車は「まりも」だけとなりました。その話は、またいずれ。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

The Sleepers#1

2016-01-12 | 鉄道写真


 それでは、今年2回目の連載は、今や死語となった「ブルートレイン」等、夜行列車を中心としたコレクションをお届けしたいと思います。


 最初は、平成10年の夏、「出雲1号」が、浜田行きを廃止し、出雲市止まりとなる直前の撮影です。浜田までの牽引機、DD51 1121(「後」)(写真)。間もなく基本編成を牽き、浜田に向け出発します。



 その、テールサイン(写真)。オハネフ25の、切妻の緩急車です。



 そして、切り離され残った付属編成を、DD51 1134(「後」)が、牽引し入庫させるべく入線します(写真)。



 付属編成の、テールビュー(写真)。今では、もう二度と見ることが出来ません。



 間もなく、キハ181 101を先頭とした、特急「くにびき」が入線(写真)。大出力機関を搭載したキハ181系、100番代は中間車の先頭車化改造車です。そのトップナンバーとは!



 そして、出雲大社へ。一畑の本線は、当時元南海「ズームカー」21000系の転属車、デハ3006始め2連です(写真)。現在は一畑から引退、大井川に残るのみです。



 電鉄出雲大社前には、もっとキていた、デハ6です(写真)。車両的にもかなりキていて、少々不安でした。現存しません。



 米子運転所の扇形庫には、DD51、DE10、DE15、キハ52 128他、今となっては貴重となったディーゼル機関車達が、ふんだんに溢れていました(写真)。皆、当時は猫跨ぎしたものです。今を思えば、良い時代でしたが、きちんと記録しなかったことが悔やまれます。


 もっと古い写真は無く、非常に残念です。


 「猫跨ぎ」、これが一番良くないことです。踏切事故等で、いつ突然生を終えるか分からないので、きちんと記録するようにしましょう。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪男伝説(2016年)#3

2016-01-10 | 鉄道写真


 それでは、今連載の最終回は、新潟としたいと思います。


 新潟県秋葉区、JRの「新津鉄道学園」施設を利用してできた「新津鉄道資料館」の、昨年の新たな展示に、ロータリー機関車が加わりました。それは、DD14 332です(写真)。


 昨年早春まで現役であった同機、最後はDD14背合わせで信越本線直江津から妙高高原までの区間で使用されましたが、北陸新幹線金沢開業に伴い昨年2月末に最後の運用を終え、廃車されました。



 前方からの姿(写真)。羽根は広げず、開かないように棒で止めてあります。



 掻き寄せ部のアップ(写真)。再塗装され、ピカピカです。構造も、よく分かります。



 後方からの眺め(写真)。夏期には羽根を外し、入換動車として使用できるような構造になっています。


 この動画を撮ろうと毎週末妙高高原に通いましたが、運転は全て平日で、撮影は叶いませんでした。残念。



 資料館2階のジオラマには、HOゲージでDD14がDE10にプッシュされ除雪、と思いきや、羽根を後にしたバック運転でした(写真)。


 今回の連載は、次回の連載のための画像確認の際に偶然再発見され、投稿しました。間もなく、次回の連載も始めたいと思いますので、そちらもご期待下さい。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪男伝説(2016年)#2

2016-01-09 | 鉄道写真


 それでは、連載2回目は、昨年の撮影画像をお届けします。


 保存車両の撮影の一環で、長野県の保存車両を取材のため、長野市内の工業団地を訪問。某企業の敷地内に国鉄・JR関連の保存車があるのですが、それがパワーアップしたと聞き、行きました。


 そのうちの1両が、DD16 301のラッセルヘッドです(写真)。同機は数年前廃車され、長野車両センター内で解体のため留置されていましたが、そのうちこの部分が難を逃れ、保存されました。


 DD16 0番代から改造された300番代ですが、最後まで現役であった、JR西日本大糸線で使用された304号機も現在定期運用が無く、どうなっているのか。残るのはこれだけとなりそうです。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪男伝説(2016年)#1

2016-01-08 | 鉄道写真


 それでは、今年最初の連載は、またしても除雪ネタです。しかも今年は、過去の連載の漏れがあったものを取り上げています。


 平成13年10月、新津運転所で、「リバイバル特急とき」関連のイベントがあり、その際に新津関連の車両が展示されました。その時の、一コマです(写真)。扇形庫に、ロータリー機関車が展示されています。



 その時の最大の目玉はDD53、2号機です(写真)。3両のみ製造された同機、当時現存はこれだけ、現在は残っていません。



 その、前頭部(写真)。稚拙な写真技術が、悔やまれます。



 その横には、DD14 317が展示されます(写真)。後方は、こんな感じです。



 その前頭部(写真)。掻き寄せ車が、見えています。



 おまけ。同イベントでは、DD51のヘッドライトを増設された所謂「三つ目」、DD51 745が展示されていました(写真)。現存せず、貴重なワンショットです。


 これらの機関車は、当時ありふれていて猫跨ぎの感がありましたが、技術の稚拙さと相俟って、後悔が残ります。本当に、なんで、もっと撮っておかなかったのだろうと思います。惜しいです。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5度目の新春を仰ぎ

2016-01-01 | 鉄道写真


 あけましておめでとうございます。管理人、Seichiroです。


 当ブログも5度目の新春を迎え、また新たな気持ちになります。


 最近投稿していませんが、次回の連載を早期に企画したいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする