今月23日、24日に行われる城崎温泉の春祭り「城崎温泉まつり」が行われます。
昔は開山忌と言っていまして温泉寺が開かれたことを祝って行われていたのです。
23日は城崎温泉の四所神社の主催で平安時代の絵巻古典行列が行われます。
平安時代の装束に身を包んで温泉街の外湯の繁栄を祈祷しながらめぐります。
私も今年は参加することになっています。
24日は真言宗別格本山温泉寺の主催で城崎温泉を開いた道智上人の供養をはじめ稚児行列を従えて多くの寺院の僧侶の行列や七か所の外湯のの繁栄を祈りめぐります。
温泉寺の桜もすでに散っています。
温泉寺本堂
これには私の長男が参加します。
孫たちは今年の稚児行列は欠席のようです。
今日はそれに備えて大師山中腹にある重要文化財温泉寺本堂周辺から長い参道、そして温泉街にある山門、薬師堂などの清掃が行われました。
毎年恒例で檀家総出で行います。
何しろ広いのと長い参道はすべて階段大変です。
お寺の事は私の仕事、息子は町内会の仕事を担当しています。
お寺に行くときにはロープウエイで上り中間駅の温泉寺駅で下車します。
そして掃除しながら下山していくのです。
皆さんお疲れ様でした。
ここで温泉寺のHPからお借りして温泉寺の宣伝をさせていただきます。
温泉寺は養老4年(720)に城崎温泉を開いた道智上人により天平10年(738)に開創された古刹です。 道智上人は衆生済度の大願を発して、諸国をめぐり、養老元年に城崎の地に来て、当所鎮守・四所明神の神託(夢告げ)により、一千日間ご修行をされその功徳あって温泉が湧出し(現在のまんだら湯)、城崎温泉が開かれる。 その後、大和(奈良)の長谷寺の観音さまと同木同作の由緒正しき観音像を得て、寺を開創。
末代山温泉寺の山号・寺号は、聖武天皇より「城崎温泉の守護寺」として賜わったもので、以来約千三百年の間、城崎温泉とその入湯客を見守る山陰の名刹です。
温泉寺本尊は十一面観音である。奈良時代の仏師嵆文は大和長谷寺の二丈六尺の十一面観音像を造った時、もう一軀の観音像を造らんとしたが完成せず、そのまま海中に投じたが、後に嵆文が湯治のため当地を訪れたところ円山川河口近くの田結庄にこの像が漂着していたのに出合った。仏縁の不思議さに感じ、像を完成し、道智上人を迎えて温泉寺を開創したという説話物語を描いている。図の上部から始まって下辺、右辺、さらに中央辺で終わる。左側下に「海北友竹画」の款記があり、江戸中期に友松の孫、友竹が描いたことがしられる。仏師嵆文は正しくは嵆文会といい、父文勲、弟の首勲とともに奈良時代の名工であり、法隆寺はじめ古刹の本尊を造立した伝承が多く、河内春日に住む唐の帰化人であったという。
ではでは
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