しかし同じ白浜町内にある椿温泉は、紀州藩の地誌『紀伊続風土記』(天保10年)に名湯として記されているものの、全国的に有名な南紀白浜温泉の陰に隠れてしまって、あまり知られてはいません。
歓楽街らしきものが一切存在しないこの椿温泉では、ここ数年の間に温泉街で最も老舗の湯元旅館の「椿楼」が廃業、温泉マニアに愛好された旅館「冨貴」も閉館。実に寂しくなってしまいました。
しかしここには異様なほど巨大な建物が林立しています。これは高度成長期からバブル期にかけて、投機の対象としてリゾートマンションが次々と建設されたからです。しかし、それらに住む人も少なく、人の姿を見かけることは稀な状況です。
白浜駅前から明光バス・日置行きに乗車し、海沿いを走ること20分足らず。椿温泉BSに到着しました。バス停の目の前が今回宿泊する旅館です。
昭和29年開業のこの旅館は、鉄筋4階建・平成2年築の本館と木造2階建の別館に加え、湯治専用棟を新設するなど、お湯の質にこだわるお宿。2食付いて一万円を切る値段が魅力で、ネット予約しました。
エントランスから中に入ると、小ぢんまりしたレセプションカウンターがあるとともに、喫茶店のような飲食スペースが設けられています。小さいレストランも兼ねているようです。
案内された部屋は3階の和室で、洗面、トイレの付いた6畳間。コンパクトにまとまっています。窓からは巨大リゾートマンションに邪魔されながらも太平洋が望めるオーシャンビュー!
お風呂は4階にある男湯と女湯に分かれる展望大浴場。浴場の扉を開けるとほんのり硫黄臭が漂ってくる。この匂いだけでも興奮してきます。
大浴槽には加温された温泉が掛け流されています。僅かに湯の花が見られる澄明なお湯で、浸かってみると、椿温泉特有のぬるぬるっとしたアルカリ性らしい感覚。単純硫黄泉の柔らかい肌触りがいいですね。
湧出温度が低いため加温はされているが、この特徴的な肌触りがなんとも心地よい。残念ながら窓が曇っているので、展望はそれほど期待できません。
一角にはふたつの小さい源泉浴槽があり、ここには非加温の源泉が満たされ、それぞれ日替わりのハーブが浮かべられています。
加温浴槽で充分体を温めてから源泉浴槽に浸かると、程よくクールダウンされて気持ちいい。源泉だけにぬるぬる感が強調され、僅かに気泡も付着します。ハーブは赤紫蘇とミカンです。
ここの温泉はもちろん飲むこともできる。これがまた不思議なことに甘露水が如く実に甘いんです。
青い海を眺めながら上質の湯に浸かるのは、まさしく至福のひと時です。そのうち日が落ちてくると、夕陽が海に落ちる絶景も楽しめる。
食事は2階の食堂でいただくことになります。部屋番号の掲示されたテーブルにはあらかじめほぼすべての料理がセットされています。
お湯を少し足して、人肌程度に温まったらゆるゆると身を沈める。静かにぬる湯に浸っていると、魂が抜け出ていくような感覚が訪れます。睡眠と覚醒の間をさまよう浮揚感。これはなかなか得がたい贅沢です。
帰り際、宿のご主人が車で椿駅まで送ってくださいました。このお宿、宿泊客は基本的にほったらかしです。なので何の気遣いもなく良質の温泉に浸り続けることができるのです。