こういう傾向の歌い手は当時としては珍しい存在でした。滲み出る哀感は自らの生きざまと重なり合います。・・・実に納得です。分かる分かる。感じる感じる。そういう言葉が自ずと飛び出します。まことにエキゾチック。・・・こういう言葉は失礼かな。お許しください。とまれ、貴重な映像です。ありがとうございます。
リリイ 私はないています(ベースでの弾き語り).mpg
りりィ(Lily、1952年2月17日 - 2016年11月11日)は、日本のシンガーソングライター・女優。本名、鎌田 小恵子(かまた さえこ)。福岡県出身。アルファーエージェンシー所属。音楽業のほか女優としても活躍し、ドラマ・映画・CMに多数出演した。
日本の女性シンガーソングライターとして最初期にデビュー、活動し始めた先駆者である。
遺作(映画)は『彼らが本気で編むときは』、最後の公開作品は『追憶』。いずれも2017年公開。
長男は、ロックバンド・FUZZY CONTROLのJUON。DREAMS COME TRUEの吉田美和は義娘にあたる。
略歴
福岡県福岡市天神生まれ。唐人町などで育ち、小学校3年から東京で育つ。母は中洲でバー「翡翠」を経営、父は米空軍の将校で、りりィはハーフ。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた。10歳で家族と一緒に上京。東映の児童劇団に1年半所属。東映在籍中の1966年、緑魔子主演の『非行少女ヨーコ』にちょい役で出演(ラーメン屋につとめるヨーコがどんぶりを落として割るところを蔑んで見る娘役)。高校には行かず、彼女が17歳のとき母が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りをする。「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元。「ィ」がカタカナなのは、なんとなく自分で変えたという。
1971年、下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。イギリスのフォークシンガー、ドノヴァンの楽曲「ラレーニア」(Lalena)から採ったレーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。
所属事務所はモス・ファミリ(小澤音楽事務所系)。本格的に曲作りを始めたのは山上路夫からの勧めがきっかけ。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが、風邪をひいた日に二升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという。
1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバム『たまねぎ』で歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで注目され、1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒットを記録する。この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌ったという。
24歳のときに結婚するが1年で別居し、7年後の1981年に離婚した。
東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドとバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」と回想している。主なメンバーとして坂本のほか、木田高介、土屋昌巳、伊藤銀次、吉田建、斉藤ノブ、井上鑑、国吉良一などが参加しており、長らく活動して全国のライブハウスなどを回っていた。
1982年、ビクター音楽産業に移籍。その後、2度目の結婚をし、活動休止。1985年、一人息子のJUONをもうけた。子育て中は埼玉県狭山市に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、JUONが中学生になり子育てが一段落した1997年、TBS系テレビドラマ「青い鳥」に出演し、芸能活動を再開した。
1993年3月、音蔵シリーズと称する過去アルバム作品群のCD化プロジェクトにより、『たまねぎ』『Dulcimer』『タエコ』『ラブ・レター』がそれぞれCD化・発売される。
1999年からは斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成し、全国各地で活動した。
テレビドラマ『3年B組金八先生』で共演した上戸彩とも親交があった。
2009年に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。
2012年、2013年には過去のアルバム作品が相次いで再発売された。まず、2012年1月にはEMI ROCKS The Firstシリーズの1枚として、ファーストアルバム『たまねぎ』がデジタルリマスタリングされた音源に紙ジャケット仕様で復刻され、同年11月には『Dulcimer』『タエコ』『りりィ・ライヴ』『ラブ・レター』『りりシズム』の5枚が、2013年には初CD化となる『オーロイラ』『マジェンタ』の2枚が、デジタルリマスタリング音源でタワーレコード限定で再発売された。
晩年は肺がんと闘病し、2016年11月11日死去、64歳歿。定期検診で静養が必要と診断され、同年5月からライブ活動を中止していた。
その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUEの中村正人、俳優の泉谷しげる、映画監督の青山真治、アニメ監督の山崎理など、多くの著名人から追悼のコメントが出されている。 (「Wikipedia」より)
リリイ 私はないています(ベースでの弾き語り).mpg
りりィ(Lily、1952年2月17日 - 2016年11月11日)は、日本のシンガーソングライター・女優。本名、鎌田 小恵子(かまた さえこ)。福岡県出身。アルファーエージェンシー所属。音楽業のほか女優としても活躍し、ドラマ・映画・CMに多数出演した。
日本の女性シンガーソングライターとして最初期にデビュー、活動し始めた先駆者である。
遺作(映画)は『彼らが本気で編むときは』、最後の公開作品は『追憶』。いずれも2017年公開。
長男は、ロックバンド・FUZZY CONTROLのJUON。DREAMS COME TRUEの吉田美和は義娘にあたる。
略歴
福岡県福岡市天神生まれ。唐人町などで育ち、小学校3年から東京で育つ。母は中洲でバー「翡翠」を経営、父は米空軍の将校で、りりィはハーフ。父はりりィが生まれる前に朝鮮戦争で戦死したと伝えられた。10歳で家族と一緒に上京。東映の児童劇団に1年半所属。東映在籍中の1966年、緑魔子主演の『非行少女ヨーコ』にちょい役で出演(ラーメン屋につとめるヨーコがどんぶりを落として割るところを蔑んで見る娘役)。高校には行かず、彼女が17歳のとき母が亡くなり、生活のためにスナックで弾き語りをする。「りりィ」という芸名はブラブラしているときに仲間が付けたあだ名が元。「ィ」がカタカナなのは、なんとなく自分で変えたという。
1971年、下田逸郎のアルバム『遺言歌』に参加。イギリスのフォークシンガー、ドノヴァンの楽曲「ラレーニア」(Lalena)から採ったレーニアという名前で「ひとりひとり」という楽曲のリードボーカルをつとめる。
所属事務所はモス・ファミリ(小澤音楽事務所系)。本格的に曲作りを始めたのは山上路夫からの勧めがきっかけ。本来は3オクターブの音域を持つ美声だったが、風邪をひいた日に二升近く日本酒を飲み、朝まで歌い続けたら翌日声が潰れたという。
1972年2月5日、20歳のとき、東芝音楽工業よりアルバム『たまねぎ』で歌手デビュー。独特のハスキーヴォイスで注目され、1974年のシングル「私は泣いています」が97万枚を越える大ヒットを記録する。この曲は遊びで作った英語詞によるブルース「アイム・クライング・オン・ザ・ベッド」に自ら日本語の歌詞をつけたもので、当初は知り合いだった研ナオコに歌ってもらうつもりで事務所に持参したところ、「自分で歌ってくれないと困る」と言われ、しかたなく歌ったという。
24歳のときに結婚するが1年で別居し、7年後の1981年に離婚した。
東芝EMI時代にはバックバンドとして「バイ・バイ・セッション・バンド」を従えていた。坂本龍一は著書で「その当時、在京のミュージシャンに最も人気の高いセッションバンドはサディスティック・ミカ・バンドとバイ・バイ・セッション・バンドであり、多くのミュージシャンが入れ替わり立ち替わり参加していた」と回想している。主なメンバーとして坂本のほか、木田高介、土屋昌巳、伊藤銀次、吉田建、斉藤ノブ、井上鑑、国吉良一などが参加しており、長らく活動して全国のライブハウスなどを回っていた。
1982年、ビクター音楽産業に移籍。その後、2度目の結婚をし、活動休止。1985年、一人息子のJUONをもうけた。子育て中は埼玉県狭山市に移り住んでメディア露出も控え、数年間主婦業に専念していたが、JUONが中学生になり子育てが一段落した1997年、TBS系テレビドラマ「青い鳥」に出演し、芸能活動を再開した。
1993年3月、音蔵シリーズと称する過去アルバム作品群のCD化プロジェクトにより、『たまねぎ』『Dulcimer』『タエコ』『ラブ・レター』がそれぞれCD化・発売される。
1999年からは斉藤洋士と「Lily-Yoji」(りりィアンドヨージ)というユニットを結成し、全国各地で活動した。
テレビドラマ『3年B組金八先生』で共演した上戸彩とも親交があった。
2009年に放送されたテレビドラマ『救命病棟24時』第4シリーズの第5話に患者役として出演。このドラマの主題歌であるDREAMS COME TRUEの楽曲「その先へ」は、JUONが所属するバンド、FUZZY CONTROLをフィーチュアリング・アーティストとして迎えた作品であり、親子共演となった。
2012年、2013年には過去のアルバム作品が相次いで再発売された。まず、2012年1月にはEMI ROCKS The Firstシリーズの1枚として、ファーストアルバム『たまねぎ』がデジタルリマスタリングされた音源に紙ジャケット仕様で復刻され、同年11月には『Dulcimer』『タエコ』『りりィ・ライヴ』『ラブ・レター』『りりシズム』の5枚が、2013年には初CD化となる『オーロイラ』『マジェンタ』の2枚が、デジタルリマスタリング音源でタワーレコード限定で再発売された。
晩年は肺がんと闘病し、2016年11月11日死去、64歳歿。定期検診で静養が必要と診断され、同年5月からライブ活動を中止していた。
その人柄と広い活動ゆえ、訃報に際してはDREAMS COME TRUEの中村正人、俳優の泉谷しげる、映画監督の青山真治、アニメ監督の山崎理など、多くの著名人から追悼のコメントが出されている。 (「Wikipedia」より)