80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

人相は心を映す

2014年05月08日 21時12分18秒 | 考える
このところ、パソコン君の調子がいまいちだ。
エクセルが開かない。

これは、何かと不便でたまらない。 
エクセルでパソコン、他のパスワードを管理しているから、開かないと、データが、主にパスワードが分からない
(少なくともうろ覚え)ので、困った事になる。
・・・いや、なっている。

パソコン君ばかりではなく、この私、当人が少々バテ気味状態だ。
季節の変わり目と言うことだろうか?


ゴールデンウィークを前に、何とも憂鬱なことだ。
もっとも、その期間中、私は伊勢崎にいるから、贅沢は言えないが、留守を守るパソコン君がこの調子では、一緒に
いる弟君も面白くはあるまい。

といって、私にパソコン君の治療が出来ない以上、何も出来ない。
ひょっとしたら、もしかしたら、弟君が・・・。
とは、いささか図々しい話かも知れないから、・・・私は何も言わない。


私が、なかなか一ヶ所に居着かないのは何故だろうか?

私は、もともと永遠の旅人なのだろうか?
居場所を求めて、一生、一人で彷徨い歩く運命?
などと、ロマンチックなことをプアプアと考えている。
そんな状況でもあるまいに。

人相は心を映す。
人相が悪いのは肉体か精神に問題を抱えている。 
つまり、正しい生き方が出来ていないということだ。 
成功する生き方のポイントは人相を良くするような生き方をすることだ。(船井論語)


かくて、私は鏡を覗く。
映る男の貧相なこと。
に加えて、どうもこの頃、人相が悪くなっている・・・ような。 
・・・ようなと、ごまかして、一日一日をやり過ごす。
我ながら、惨めだ。


六然観 (良寛) 
 1 超然として天にまかせ、
 2 悠然として理知を楽しむ、
 3 厳然として自らを慎み、
 4 靄然として人に接す、
 5 毅然として節を持し、
 6 泰然として難に処す
     ― 良寛 六然観 ― 


人を自分のファンにする。


5月8日(木) 晴れ
ゴールデンウィークも終わり、日本の歯車が再び回り始めた。
古びて外された1枚の歯車は、ただ1枚で空回りするばかり。

自己欺瞞というが、67歳を超えて、本当の自分というものが、未だによく分からない。

正確(?)に言おう。
私は自分の年齢がよく分からない。
「昭和21年7月24日生まれ」ということになっているが、これとて自分で確かめたわけ
ではない。

考えてみれば、人は他人(それも、少なくとも自分より年下)の誕生日に立ち会うことは
出来ても、自分の誕生に証人として立ち会うことは出来ない。
とは言うものの、そんなことでウソを言う人もないだろうから、多分、正しいのだろう。

と、すると昭和21年=1946年、今年2014年、その差68年、誕生日前なので67歳。

かくて、それが正しいかどうかはともかく、算数的には、私、2014年5月現在、東京都
町田市に居住し、67歳らしいということが分かる。

まっ、どうでもいい事だ、そんなことは。


男、67歳、今、仕事をしたいと思っている。
しかし又、「お荷物」にはなりたくないという気持も強い。
そう考えてみると、「これなら誰にも負けぬ」と胸を張れるものが、
私には、残念ながら何も無い。

昔の職人は70、80になっても、「若いもんには負けん!!」という気概に満ちており、実際、
それだけの仕事をやってのけたという。 
無論、今の世に職人がいなくなったわけではない。 
いるところにはいるのだろうが、どちらかというと、サラリーマン的な、定年以降は仕事を離れ、
余生を楽しむといった人間が増えてきたのは間違いないと思う。


早朝、弟が仕事に出掛ける。 
私は、焦りと羨望とが入り交じった、落ち着かない気持ちで見送る。

定年後2年を過ぎても、その生活に慣れることが出来ない。
行く当てもないのに、時間になると、よれよれではあるが背広を羽織って、階段を降りてみる。 

そうはしているものの、改めて考えてみると、このところ、モチベーションが落ちてきている気はする。
思うに、そばに仲間がいないことが原因の一つなのかなと感じている。

この年で、これ以上、私一人で何が出来る? 
もう無理だ、今更何を・・・、という感じが、だんだん強くなってきている。


今日のラッキーカラーは「ブルー」かと、一人うなずく。
また、それにしても、今日の運勢は5分の1つ★か・・・などと、うなだれる。

私のテンションは最低。
本当は(対句はないのだが・・・)、他人の意見に左右されやすい体質なのだろう。


もういい、総てが・・・とは思わないまでも、何か、もう、やることなすこと、思うに任せない。
何だか、この頃、何もかもが嫌になってきた。  

自分のためでも、他人のためでもいいが、これまで何かをやって来たという感覚がまるでない。


いいや、それは違うな。
確かに他人のため、イコール、自分のためという感覚で、ずっと働いてきたことは間違いないと思う。


ただ、今改めて思うと、意に反して、それらが何の役にも立っていなかったのではないかという気持ちが
私を悩ませている。

思うに、おそらくは、いいにせよ、悪いにせよ、50年近く、働いてきた自分の気持ちを、そばにいて、
評価してくれる人間が欲しいということなのだろう。

今までの、また、これからの自分の人生を正当に(?)評価してくれる人がいて欲しい。
そういう事なのかも知れない。


まだまだ、良寛さんの「六然観」を理解するには、ほど遠い。
未熟である。
逆に言えば、これからまだ、完熟への幅が残されているという
ことだろうか? ・・・などと。