80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

風の叫び (2) 「障害者手帳」

2017年02月02日 20時43分12秒 | 考える
「障害者手帳」 
普段は気にならないが、私には、常に 「障害者」 がついてまわっている。

事実、障害者である以上、それは当然の事ではあるのだが・・・。

先日、定期券を購入しようとして、
「障害者手帳を拝見・・・。」 と言われた。
今年 (?) から、定期購入の際、毎回、確認するよう決められたとか。

「障害者割引」 があるので、まぁ仕方がないと言えば言えるのだが。

普段、気にしていないだけ、いきなり 「手帳」 を見せろ などと言われると
どきっとして、 「あぁ、私は障害者なのだ」 と 「自覚」 させられる。 

無論、実際、恩恵を受ける身としては、それが当然、やむを得ない事なの
かもしれないが。

私は、自分が 「障害者」 だということにこだわりがある。
勿論、確かに私は、嫌応もなく、今後共、一生 「障害者」 だ。


が、よくよく考えてみれば、老いてなお、全く障害のない人間なぞ、
一体、この世に存在するのだろうか?
 

良い悪いではなく、現実問題として、言ってしまえば、自分を含めて、
老人とは、ある意味、「障害者」 だとも言えるのではないか。


だから障害者は、そして老人は駄目だという事では、全くない。

むしろ全然・・・、 そう・・・全く逆だ。
老人であれ、障害者であれ、やる場所とやる事さえあれば、若者、または
健常者と何ら変わる事なく、それ以上に働いていく事ができる。


それを踏まえて、今後、出来れば、 「介護する方法」 を学んでみたい。 
それは同時に、 「介護される方法」 を学ぶ事でもある。

介護を学習し、その成果を整理して、
いずれは、ブログの上で発表していけたらいいなと思う。


それで「介護」について、より自分の理解を深めていく事が出来ると
同時に、周囲にも 「介護の理念」 を拡げていく事になるのじゃあない
だろうか?


今後は、多かれ少なかれ、「介護」 について考えていく事は、実際
介護を行う行わないに関わらず必要になってくる。
 

いずれにせよ、何かを成そうとするには、その分、何かを犠牲にし
なければならないのだ。

そんな気がしている。

しかし、私の場合、何かをやろうと決めた時、あるいはやった場合、
自らの期待した成果、あるいは効果を、充分に発揮できたと感じる
事がほとんどない。
 

何とも困った老人なのだ。
 

風の叫び (1) 「人は、何のために、それをしようと思うのか?」

2017年02月02日 08時10分48秒 | 考える
「人は、何のために、それをしようと思うのか?」

人は、最初は何も出来ない。 
いろいろと経験し、学んで、だんだんと成長していく。 

人生の目的だの、生きる意味だの、しち面倒な事は置いておいて、
書きたい事を書く。  
生きたいように生きる。
最初は、それでいいのじゃあないか。


最初・・・?
・・・う~ん・・・・・・   まぁ、いいや。

それなりに、無い金をひねり出し、準備しても、まるっきり反応なし。  
これでは、実際、やり甲斐も何もあったものじゃない。

いやいや、別に取り立てて、礼など言われたくもない。

が、せめて肝腎の飯が、うまいか (・・・んなはずもないか!!)、
まずいか、あるいは、何が好きか、嫌いか、
どうしたらいいのか?

それぐらいは、はっきりさせてほしいと思う。


でないと、また、同じ事を繰り返すばかりだ。

私は、相手が全く食わぬ、食いたくもないような飯を、わざわざ
作り続けていくほど、意地悪でも、金持ちでもない。  

人が何かを続けて行くには、その理由、少なくとも、自分の行為が、
どこかで、誰かの役に立っているという感じ、「役立ち感」
言い換えれば、「モチベーション」 を保っていく必要があると思う。

人間関係ってのは、もともとそういったものではないか。
自分に限った事じゃあない。


どのみち、所詮は、お互い、別の人格、他人でしかない。
そのなかで、そういう関係の中で生きていく。
そうそう何でもかでも、うまくいくはずがない。
  

とは言ってみても、人とは、少なくとも、自分の行為、行動に、
常に、「何らかの反応」 を求めて行動している。

重ねて言う。

人が何かを続けていこうとする場合、
「何のために、それをしようと思うのか?との理由、
すなわち、「モチベーション」が必要になる。

それがあってこそ、人は、本当に意味のある行動を続け、
ひいては、結果 (少なくとも自己満足) に結びついてくる
のではないだろうか。